OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

言葉の持つ二つの姿

2011-04-30 11:47:52 | Weblog

わたし、字が下手です。けど、お習字は大好きでした(^^)。小学校のとき、土曜日に、お習字を習っていたんですけど・・・お習字の先生のお宅が、学校と家の間、どっちかっていうと学校に近いところにあって・・・わたしは、一度家に帰ってから、もう一度、お習字の先生のお宅までいくのがモドカシク・・・だから家には帰らず、学校から直接お教室に行って、昼ごはんも食べずに夕方まで、ヒタスラ書き続けていましたっけ。その時も、決して上手ではなかったのですが、そういうわたしの姿を、先生は健気に思ってくださったのか、可哀想に思ってくださったのか・・・下手糞でも一生懸命楽しそうに書いているわたしを見守ってくださっていました。

そういう体験も手助けしてくれてなのか・・・今でも、書道は好きですし、興味があります。そうそう、以前、時代劇(に限りませんが)などで使われている小道具としての手紙の字について、お話したことがあると思いますが・・・武士の手、町人の手、女性の手など、字には、その人の属性が表れて、大変に面白いでじゃないですか、ねっ(^^)。

ワープロ・パソコン時代になっても、字体であるとかフォントであるとか、漢字・平仮名・カタカナの使い分けであるとか・・・手書きにくらべて個性が表しにくいとはいえ、目で見る表現物としての工夫はなされていますし・・・つくづく、字ひいては言葉って、絵画に通ずる表現手段の要素があるなって思うわけです。携帯世代の若者たちが、記号みたいな言葉で交信したりするのも、きっと、手書きほどバリエイションがないことのジレンマを、無意識に何とかしようと努力しているってことなんだろうと思います。

けれど、東日本大震災の後・・・さまざまなミュージャンたちが、音楽で支援活動をしている姿などを拝見して・・・今度は、言葉のもつ音楽に通ずる表現手段の要素を、再確認しているんですよね。つくづく、言葉って、リズムを得るとさらに美しく、またその伝える力を増すものだなって感じています。

けれど・・・その両方が、一度に発揮されることって、ないのかな・・・少なくても、いま、わたしはそれを思いつくことが出来ません。言葉が、音楽的であり、かつ絵画的であるような使われ方・・・ありますかね。

ところで・・・わたしは、こうして言葉を綴る場合・・・どっちかっていうとリズムや音の要素を重要視しているように、自分で感じています。特に、何かを深く考えているわけではなく・・・それが、自分にとって、一番違和感がないことだからしているだけなのですが・・・自分自身が、あるいは読んでくださる方が、この文字を音読してくださった場合、自然に語りかけられているように耳に届けば嬉しいと思って書いています。成功しているかどうかには自信がありませんが(^^;。

というわけで・・・言葉は絵画であり音楽なんだなと・・・あらためて感じる今日この頃であるというお話でありました(^^;。

 

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誰のためなんだろう・・・

2011-04-29 18:27:06 | Weblog

何度か、話したことがあると思うんですが・・・わたしは、芸術って、どこまでも作り手の為にあるものだと思っています。っていうか・・・芸術作品は、作り手が自分の為になした行為の副産物だと思っているんです。だから、受け手を楽しませようと意図して作られたものは芸術作品じゃないと思っています。

ここで、はっきりと宣言しておきたいのは・・・わたしは、決して、芸術を高尚なものだなんて思っていませんから・・・はい。

で・・・戻りますが・・・だから、観客を楽しませるために作られた映画、芝居、小説、音楽などの娯楽作品は、芸術作品ではなく商品だと思っています。そして、わたしを楽しませてくれる映画、芝居、小説、音楽などは、優れた職人の手によって産み出された素晴らしい道具と一緒で、わたしの生活を豊かにしてくれるものだと思っています。

もちろん、その作り手たちには感謝し、尊敬の念も抱かずに入られないです。

ただ・・・どこまでも作り手が自分のために行った、行わずにいられなかった、行うことでしか自分を救えなかった、その結果、産み出された芸術作品が・・・時に、他者にも、作り手に及ぼしたのと同種の作用をもたらすことがある・・・もちろん規模は小さくなるけれど、働きかけが行われることがある。

だとするなら、その他者は、そこで共振して満足するだけでなく、それを起爆剤にして、己自身を主体とした、新規の波を創生しなくては悔しくはないだろうか・・・

あれ・・・何を話したかったんだろう、わたしは(^^;。この話しは、したい話の前振りだったはずなのに、肝心の話を忘れてしまった(爆)。まっ、毎度のことなので、もうこの事態に驚くこともないけどね(^^;。というわけで・・・どうしても思い出せないので、本日は、前振り話だけでオシマイ。けど、これだけだと、なんかウットオシイんだけどなぁ・・・(^^;。

 

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大人の作業スタイル、青二才の作業スタイル(^^;

2011-04-27 13:51:57 | Weblog

今日は水曜日です。わたしの完全オフの日です。となると、毎度の"SUNDAY HEADACH"が訪れます(涙)。

自分で分析するに・・・わたしの頭痛の根本にあるのは、わたしの心の強さと弱さのバランスの悪さなのです。わたしは、自分で言うのもなんですが、感受性が貧弱な方ではないのです。でもってストレスに敏感。つまり、残念なことに心が弱い人間なのです。けれど、ほんの一部分だけれど、心の中に尋常じゃなく強靭な部分がある。それらを巧くコントロールして組み合わせられれば、けっこう自分でも面白い人間になれるんじゃないかと期待して半世紀・・・いまだ、バランスは悪いままです(爆)。でもって、子どもの頃から続く頭痛にいたぶられています(涙)。

ところで・・・パソコンを使うのに、アダプターを接続して作業するのと、充電池を使って作業するのとでは、緊張感がまったく違いますよね。充電池を使っている時は、できるだけ消耗しないように、資料を調べている時間や、考え事をしている時間は、省エネモードにしますが、直接電源わ確保できていれば、そういうことには全く気を遣わないで、作業に没頭できます。

けれど・・・この時期、関西に棲んでいるとはいえ、節電の意識をもった方がいいというか・・・この際だから、自然に節電できるような習慣を身に着けることが好ましいと思うのですが・・・そういうことに煩わされず"没頭する"っていうことに、妙に憧れている青二才な自分がいるんですよね(^^;。

うちの母は、けっこう教育ママでしたから、わたしは子どもの頃、家の仕事を完全免除されていました。家の手伝いをするくらいなら、読書したり勉強したり自分のために時間を使いなさいと・・・それは、自分のための時間を全くもてなかった母にとって、娘を通しての人生のリベンジだったのかもしれませんが・・・まあ、そんな風に甘やかされた、そして偏った生活をしていたということも・・・わたしの没頭好きな個性を作るのに一役かったかもしれません(^^;。

とにかく・・・実際的な事柄を始め、自分を取り巻く環境に配慮しつつ、自分のすべき作業に集中できるというのが、わたしがイメージする大人な働き方なのですが・・・わたしの場合は、どうしても、周りのことなど何も考えず、目の前のことだけに一生懸命になることを好む傾向から抜け出せないなぁ~と思っているのでありました。早く、大人になりたいなぁ(^^;。

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もわもわもわぁ~

2011-04-26 18:12:40 | Weblog

お風呂で、湯船に浸かって、湯面を見ていると・・・ぼわ~っと湯気が上がっていました。なんだかね・・・何かが、ひっそりと生まれ出てきそうな雰囲気でした(^^;。

沸騰したオヤカンの口がら勢いよく噴出している湯気とか・・・マッドサイエンティストの地下実験室にあるビーカーから湧き出てるモコモコな白い物体と違って・・・もっと曖昧で、もっと揺らぎがあって、もわもわもわぁ~っとしているんですが・・・だからこそ、そこから何かが産み出されるような・・・そんな風に見えるのでありました(^^;。

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責任の所在・喫茶店編(^^;

2011-04-24 15:09:42 | Weblog

きっと、すごく前に、お話ししたと思うんですが・・・珈琲屋で、飲み物等をお席に運んでいったとき、私どもがテーブルに置く前に、手渡しで受け取ろうとしてくださる方がいらっしゃるんですよね。

そうしてくださる方って、たぶん気遣いのある方なんだと思います。見た目の印象でも、みなさん、良い人そうな感じだし・・・きっと、店の者の手間を省いてやろう、手伝ってやろうとお考えなんだと思います。

けど・・・申し訳ないんですが・・・実は、これってアリガタ迷惑なんですよね(^^;。

手渡しって、とっても不安定でしょ。手を差し出されると、そこにお渡しせざるを得ないんですが、とっても不安なんですね(^^;。でもってですよ・・・もしも、そこで珈琲カップを引っ繰り返しちゃったりした場合、それでお客さまのお洋服やお荷物が汚れてしまった場合、その責任は誰がとるのかってことも考えてしまいますでしょ(爆)。だから、是非とも、ここのところは店のものに任せて頂きたいんですよね。たとえば、テーブルの上に、すでに沢山のモノが並んでいて、新しく運んできたものを置くスペースがないような時には、テーブルの上を片付けてスペースを作っていただけたりしたら、それは本当に助かるんですが・・・私どもが、置こうとしているものを、手で直接に受け取ろうとするのは、ご勘弁願いたいのです。

でね・・・そういう時に、思うわけです。責任をとる立場にある者に主導権を与えて欲しいなってね。責任をとる必要がないなら、どうでもいいんだけど・・・というと、ちょっと乱暴ですが・・・とにかく、責任をとらなきゃいけない場合には、何があっても納得して責任を負えるように、可能な限り思うように行動させて欲しいとね、そう思うわけなのでありました、はい(^^;。


善人でありたいけど、“いい人”な発言をする自分は嫌なのは何故(^^;

2011-04-23 11:38:50 | Weblog

今日、話したいと思ったことは、タイトルが全てを語ってくれていて、それ以上のことは何もないんですけどね・・・でも、ほんと、どうしてそうなのかなって、自分でも不思議です(^^;。

とりあえずは、気恥ずかしいのかなっことがありますよね。混んでいる電車やバスの中で席を譲る気恥ずかしさみたいなことがね。けど・・・よくは分からないけど・・・良い人発言をする自分を嫌悪する心理は、それとは、ちょっと違うような気がします。

それよりは、むしろ、偽善を嫌う若者的潔癖さが、まだ自分の中に残っている可能性の方が高いかなって、そう思います。よく、わたし、良い考えと悪い考えが同時に存在していることが、人の心の自然な姿なんだと思うと言っていますが・・・悪い考えの方を沈黙させておいて、良い考えだけを口にすることの卑怯さみたいなことを、感じているのかなって。

だとしたら・・・悪い考えを、何かの形で自分の外に出していかなきゃいけないと思うんですが・・・そこが難しいと思うんですよ。またまた良い子ちゃん発言になっちゃいますが・・・できれば、人に迷惑にならない形で処理したいって、一応は考えますからね。でも、迷惑にならないようにと、隠密裏に心の中から外に運び出したとしたら、それって結局、外に出したことにはならないっていうか・・・偽善を嫌う潔癖さが、それを良しとはしてくれないですよね・・・ふむ。

それから、偽善とは別に、小心を軽蔑する気持ちも、無くはないかなと思うんです。誤解されたくないとか、クレームを食らいたくないとか・・・そういう、ことなかれ主義名気持ちで、できるだけ広範囲に配慮した発言をしているお前って、超ちっちぇえ・・・みたいなね(^^;。

たしかにねぇ~・・・パソコン通信時代に学びましたからねぇ~・・・不特定多数の人への発信の難しさは。またまた、良い子ちゃん発言になっちゃいますが・・・・あの頃、一番辛かったのは、誤解されて叩かれることではなく・・・わたしの書いたものを読んだ人に、「あなたの言葉で傷つきました」って言われることだったですよ。まったくそんなつもりはないのに、自分の思惑とは全く別のところで、わたしの言葉に傷ついたという人が居ることのストレス・・・だから、確かに、なるべく誰も傷つかないような発言の仕方はないかと、そういう攻めない発言の仕方、もっというなら逃げの姿勢の発言の仕方が身に染み付いてしまっていて・・・それを、自分でも内心、かっこ悪いと思っている節はなくもないですね(^^;。

とね・・・こういうことを考えているとき・・・たとえば歌でも、ドラマや映画でも、もちろん発言なんかでも、とっても良いことを、さらりと表現できている人をみかけると・・・この人(たち)は、どうして、そんなことが出来るんだろうって、それもまた不思議になるんですよね。

正直、失礼ながら、良いことを言っているのが気持ち悪い作品や人もいらっしゃるでしょう(爆)。けれど、わたしみたいな捻くれ者でも、すっと自然に手をだして、その優しさや温かさや美しさを受け取ってしまうような・・・そんな良いこと表現者の人たちもまたいらっしゃるわけで・・・その人たちの心の中って、いったいどうなっているのかなって、知りたくなるんですよね。

普通に考えると、素直でいらっしゃるとか、偽善がないとか、そういうことになるかとは思うんですが、良い事を表現してらっしゃるのが気持ち悪く感じられちゃう人たちだって、別に特にひどく偽善的だとかってことでもないんですよね。ほんと、あの人たちの屈託のない優しさや温かさや美しさって、どこから来るのかなぁ~・・・うらやましいなぁ~・・・。

というわけで・・・まいど、結論は、よく分からないなぁ~ってことなんですけどね・・・なんとか、良いことを言ったりしたりしても、ストレスにならない人間になりたいであります。今は、ほんとに、それがストレスであります。良いことを言ったりしたりしたい自分も、まちがいなくわたし自身なんですけどね・・・ったく、困ったものです、はい(^^;。

 

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直線って・・・

2011-04-22 14:23:50 | Weblog

毎朝、通る道の脇に、竹をそのまま柵にしているところがあるんです。太い竹の枝をはらって、びよぉ~んと伸びた幹の部分を、そのまま横倒しにして連いで柵にしているところが。

とね・・・その竹が、重力に引っ張られて、ものすごく美しく撓っているのですよ。そりゃあもう、ほんとうに美しく。

それを見るとね・・・人の生み出す美というのは、結局は自然の模倣なんだろうな・・・とか、思うわけです。さして、美などというものに見識もありませんけどね(^^;。

で・・・さらに思うわけです・・・それでもって、自然界には、直線ってあるのかい?って。

前にも話したと思いますが、わたしってば、手書きで直線が引けないのですよ。どうしても曲がってしまう。しかも、けっこう不細工に曲がってしまう。でも、勝手に弁解しているわけです・・・それこそが自然なことなんだって。自然界の直線なんて、こんなもんなんだって(爆)。

鉱物なんかで、直線的に欠けているものとかあるような気がするし・・・きっと、自然界に直線は存在しない、なんてことはないとは思うんですが・・・でも、それでもやっぱり、主流は曲線だと思うし・・・直線って、どこか異端だと思うんですよね。

それに対して、機械で作るものの場合、曲線って難しみたいに思えますよね・・・っていうか、直線が基礎にあって、そこから丸みをもたせて曲線が生まれるみたいな方向性に感じるんですよね。

ん?何はなしてんだろう・・・イミグラン飲んで、そのまま働いていたら、なんか変になってきちゃった・・・ちょっと休憩しようっと(^^;。

 


どうすれば望む結果が得られるかが分からない(^^;

2011-04-21 19:11:47 | Weblog

今日は、民生・児童委員の総会がありました。いや~、やっぱり苦手だ、こういう形式的な式典は(^^;。けど、こういうのが得意な人とか大好きな人というのも居ないですよね。しなくちゃならないからしているだけですよね・・・きっと(^^;。

けど、質疑応答のときに、かなり食いついていく人というのもいらっしゃるわけで・・・わたしのように、早く済ませちゃえと思っている人間ばかりじゃないわけです。

ただ・・・総会のような場所で発言しても、あまり効力はないというか・・・望む結果って得られないと思うんですよね。でも、じゃあ、どこで発言すれば効果的で、どう行動すれば望む結果が得られるかっていうと・・・それが分からないから、総会で発言されたんでしょうね。ふむ・・・たしかに難しいです・・・道を見つけるのってね。

商売なんかでも同じだと思うんです・・・いくら良い物を作っても、それを売る手段を持たなきゃ、商売って成立しないですもんね。政治家なんかも同じでしょ・・・いくら良い考えをもっていても、それを実現できる地位なり力なりをもたなきゃ、何も成し遂げられない。なにごとも、実際の社会の中で機能するようにできなきゃ、役には立たないわけだけど、その機能させる方法を見つけることが何より難しい。だから、それを見つけることに長けている人の思惑ばかりが通ってしまう・・・ということになるんですよね。つまり、そういう人たちのことを、世の中では勝ち組っていうんでしょうね。

っと・・・何の話しでしたっけ・・・そう、今日は、総会に出席してきましたと、そういうお話なのでした(^^;。


やさぐれたいんだけど・・・

2011-04-18 17:57:10 | Weblog

 一昨日は、久しぶりに京都へ取材に行きました。なんだか、古巣に戻ったような気分です(^^;。で、自分の為にだと撮らない桜も撮りました。なので、今日は、それをUPしちゃおうかな。

それから、今日は、児童委員として赤ちゃん訪問もしましたよ。けっこう、これでも、真面目に働いているんです、ええ(^^;。

でも・・・脳というより、心が動かないんですよね・・・ここ数日、特に硬直した感じです。なんていうか・・・もっと、悪人名自分に素直に、やさぐれ言動をとりたいと思うんですが・・・どうも、常識人としての振る舞いが目立つ今日この頃・・・なんともはや、ツマラナイのでありますよ、まったく(爆)。

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一本でも、千本でも・・・

2011-04-16 17:54:48 | Weblog

山を見ていると、一本だけ木全体に鮮やかに花を咲かせている木がありました。当然のことながら、すごく目立っていました。キャラが立ってるよねぇ~って、そう思いました(^^;。

周りと見た目の個性が大いに違う・・・インパクトがありますよね。目立ちますよね。それを利用して出来ること、きっと沢山ありますよね。

けど・・・たとえば、吉野の千本桜みたいに、仲間がたくさん集まって、いっせいに花を咲かせた時のインパクトといったら・・・そりゃぁ物凄い。一本一本のキャラは立ちませんが、みんなで集まって産み出した力の大きさは尋常じゃない。だからこそ出来ることっていうのも、きっとあるに違いありませんよね。

わたしはね・・・時と場所によって、そのどちらにもなれる個性の持ち主でありたいんですよね。ある時は、自分の個性を集団に埋没させて、その一部となって力を発揮する・・・でも、ある時は、たった一人でもスックと立って真正面から風を受ける・・・状況に応じて、その時に必要な役割を果たせる、重宝な個性の持ち主でありたいんですよね。器用ですから・・・な人間、それが今後の目標です(^^;。

 

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