OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

伸びていく先

2007-12-29 20:46:14 | Weblog
フィギュアースケートを見てました。エキシビジョンは、緊張しないで見られるし、楽しいので好きです。真剣勝負の緊張感には、見る者にとっても得難い魔力があるのは分かるのですが・・・技を競うのを見るより、エンターティメントを楽しむ方が、性に合っているのでしよう。なにせ、たいそうヌルイ性格ですから(^^;。あっ、けど、小学校の運動会の駆けっこでは「順位をつけた方がいい」派です。決して、競い合いを全て否定しているわけじゃありません、はい。

ところで・・・やっぱり、「美」って、目に見えているところではなく、見えないところにこそ、真髄がある気がしましたね。

前にも、お芝居に関して、同様のことを話したことがあったのじゃないかと思うんですが・・・両手を伸ばした時に、その伸ばした手のところで世界が終わってしまっていると、感動には至らないのですよ。

けど、伸ばした手の先に、ずっと先に、広がっていくものが見えたとき・・・そこに感動が生まれるのですよ。それが、演技なんですよ・・・うん。

たとえば、文章などで『行間』っていうものがあるでしょ。それと基本的には、同じ事だと思うのですよ。言葉が伝えるもの、それを受け取ってもらえるだけでは、感動にまではいたらない。その先に、読んだ人自身の創りだすイメージが広がっていく・・・そこで、はじめて心が揺さぶられるんですよね・・・うん、そう思います。

白いモクモク・・・区別付きますか?

2007-12-28 21:20:41 | Weblog
ああ~、右手の人差し指が痛いぃぃ~。理由は明白。年賀状の宛名書きをしたからです(爆)。いったい、どんなペンの持ち方をしているんだ、あたしゃ(^^;。

希望としては、センスの良い手作り年賀状を皆さんに送りたいのですが、基本的にアーティスティックなセンスが皆無なので、なかなかその望みは適わないのですよ。なので、結局、既成のデザインを拝借させてもらうことが多くなっちゃうので、せめて宛名だけは手書きでと思っています。でも、その結果が、これです。まったくもって、情けなし(^^;。

けど・・・毎年、頂いた年賀状を拝見しながら思うのですが・・・素敵と思う年賀状って、決して、作りこんだものじゃないんですよね。ちょっとした工夫っていうか・・・ほんと、ちょっとしたことで、驚くほどセンスフルになるんですよねぇ。ああ~、これが、アーティスティックなセンスというものだなぁと思います。わたしに、ないものです(涙)。

そうそう・・・一昨日、突然、知らない人からメールが届きました。ライティングの仕事関係の内容で、大雑把な仕事内容の説明の最後に「興味ありませんか」って書いてありました。なので、こちらも簡単に「興味ありますから、詳細教えてください」と返信しました。すると、いきなり面接の日が指定されてきました。

え?面接?いきなり?詳しい仕事内容も教えてもらってなければ、報酬関係のことも全く聞かされてないのに、いきなり足を運ぶの?まあいいけど・・・(爆)。

まっ、ひょこひょこ出かけていったら、恐ろしいところに売り飛ばされた・・・なんてことにはならないだろうし(笑)、話のネタに行ってみても面白いかと思うのだけど・・・「何も知らないでしょ、わたしのこと」っていうのがあるんですよね。特に、年齢を聞かなくてもいいの?って、それが大きく気になってるんですよね。

何故か、わたしって、年齢以外の部分では、妙に自信があって・・・面接で断られるとしたら、それは年齢のせいだと思いこんじやってるんですよね。でもって、その年齢で拒否されるのが、一番ムカつくんですよね(爆)。

けどね・・・そこで、ちょっと反省してみるんです。考えてみれば、わたしって、かなり外見をオザナリにしているので・・・そういうところが、社会常識にかけると判断されるのかもって(^^;。

老けてるか老けてないかは・・・自分で言うのもなんですが・・・たぶん、年より老けて見える方ではないと思います。大いにお世辞もあると思いますが、たいてい、実年齢を言うとビックリされますから。でも、親しい人の解説では「年より若く見える」のとは少しニュワンスは違うのだそうです(^^;。年相応な雰囲気でもなければ、若い雰囲気でもなく、かといって老けた雰囲気なのでもなく・・・なんだか、年齢ということに関しては「奇妙な捉えどころのない生き物」なのだといわれますね・・・どういうことだろう(^^;。ん?何の話だろう・・・あっ、面接の話・・・ん~、まっ、行って話を聞いて、嫌な感じだったら断ればいいだけのことなんですが・・・とにかく、こういう流れでお仕事をしたことがないので、一度、体験してみることにしますです、はい。

おっと・・・また、雑談ばかりで、こんなに長くなっちゃいました(^^;。実は、今日、お話ししようと思っていたのは、冬場、車の排気筒からモクモク出ている白いものについてだったんですよね。けど、これって、数行で終わっちゃう話なんですよ。本文数行、枕が何十行だ?相変わらず、バランスの悪い文章です(^^;。

えっと、で、その数行の本文ですが・・・

冬場、車の排気筒から出てる白いのって、水蒸気関連なんでしょうか。モノは知らないんですけど、きっと温度差関係で生じるものですよね。しばらく走っていると、そのうちモクモクしなくなりますからね。でも、考えてみれば、それも不思議なんですよ。車が暖まれば、外気温との差は増すわけですから、水蒸気の理屈なら、どんどん酷くなる気が・・・。けど、とにかく、あれは悪いものじゃない。それは確かでしょ。

でもね・・・車の調子が悪くてモクモクするのと、どう区別を付ければいいのかなと思うんですよ。もちろん、車に詳しい人なら、一目瞭然だと思うんですけど、四半世紀以上、毎日のように車に乗っていても、仕組みも理屈も知らない者には、あまり区別がつかないんですよ。

でね・・・案外、そういうこと、世の中に多いと思いません?まったく反対の意味を持つものを、外見が似ているから区別できないでいるようなこと。で、その区別が付かない原因が、自分が良く分かってないからだということにも気づいてないこと。ううん、それ以上に、区別があるとすら分かってないことが。

もちろん、何でも分かるなんて無理なことなので、それは致し方ないことではあるんですけど・・・せめて、そういうことがあるんだということは承知しておきたいですよね。

・・・と、これが、今日の本文でありました(^^;。

くぅ・・・何も出てこない(^^;

2007-12-27 23:38:08 | Weblog
昨日は、ぐだぐだではあるものの・・・いろいろ書きましたが・・・今日は、まったく何にも出てこないぃぃぃ・・・。

今日は、年内に絶対に片付けるべき仕事のうち、けっこう時間を取るデスクワークをまとめて片付けたので、充実感は無くはないのだけど・・・ついでに、年賀状のメドもついたし、なかなか頑張った一日だったのだけど・・・そういう、事務的なことが充実すると、意外に心は不感症になってるんだよなぁ~。

磨り減ってるというのとは違うの・・・最近のテレビドラマ(っていうか漫画だね)風に言うと・・・わたしの働きマンモードは、どこか機械になることなのかもしれないなぁ。一部分の感性は全開にするんだけど、通常モードの感性を切っちゃうところがあるのかもしれないなぁ~。

そうそう・・・先日、芝居を一緒に観にいった友だち・・・ほんとうに人柄のいい子でね。しかも、すごく頭脳明晰な人なの。でも、だからなのかな・・・いつもストレスいっぱいって感じがする・・・側で見ていると。

で、わたしときたら、彼女とは正反対の人間で・・・性格悪いし、頭悪いから、その分、苦労がないんだなぁ。ちょっと、彼女に、この性格の悪さや、馬鹿さ加減を分けてあげたい。意外に、役に立つこともあるんだよね、性格の悪さも、頭の悪さも。

けど・・・今は、それが役にたってない・・・ああ~、何もネタを思いつけないよぉぉぉぉっ!!

ぐだぐだ話(7)

2007-12-26 19:32:54 | Weblog
昨日は、頑張ったわりに内容のない長文を書いちゃったので・・・今日は、また、ぐだぁ~、ぐだぁ~と、頑張らないから内容もない短文集を(爆)。

えっとですね・・・コンビニで、新製品!と広告ポップが付けられたペットボトルのお茶が売られていました。でも・・見たことある&たぶん買って飲んだことのあるお茶な気がするんですよね。でも、まっ、お茶ブログも運営している事だし、これは買っておこうと買って帰ったら・・・やっぱり、プログにコメントをUPしているお茶だった。味にも、ほんのり覚えがあった。でも、じゃあ、新製品って何? 何かマイナーチェンジしてるんだろうか。それとも、コンビニが違うから、このチェーンで扱い始めたってことだろうか・・・たぶん、後者だと思う、うん。

半年間くらい休んでいた音声日記を、また昨日から始めたんですけど・・・朗読のコーナーの方が、どうしても続かないんですよね。なんでかっていうと・・・自分で聞き返したときに、顔から火が出るほど恥ずかしいからなんです。だれ~と世間話する音声日記だと平気なのに、朗読は「作る」から恥ずかしいのかな。パフォーマンスを恥ずかしく思わない性格だと思ってたのになぁ~。そういえば・・・あまり、そういえばばゃないかもしれないけど(^^;・・・千の風を歌ってらっしゃる秋川さんが、こういう歌は感情を込めすぎないように歌ったほうが、聞く人の感情が入りやすいと仰っていたらしいですね・・・あっ、やっぱり話が繋がってないか(^^;。

MINI君を車検に出したお話はしたと思うのですが・・・その後、一週間くらい、いろんな異音がしていたんですよね(^^;。で、ディーラーさんから、一週間後のご機嫌伺いの電話がかかってくるのを待って、全部相談したんです。そしたら、どれも心配ないということで・・・ほんとうに、説明された通り、そのうち音はしなくなったんです。で、思ったんですけど・・・いろんな部品を新しくして「馴染む」までには、いろいろあるんだなと。そんなことは、分かっていると誰もが思うんですけど・・・でも、実際に、いろんな違和感を体感してしまうと「大丈夫かな。このままだと酷い事になっちゃわないかな」って、不安なことばかり考えてしまうものなんですよね。でも、プロに「大丈夫です」って言われると、それが気にならなくなって・・・そのうち本当に不安材料も消え去っているんですよね。だから、新しい環境に飛び込んで馴染めないでいる人も、馴染むためには必要な時間があると思ってね(^^)。とはいっても、最初に異変を感じた時に対処していれば・・・って展開も、ないことはないので、変な事が起こってるのに「そのうち馴染むさ」って放置するのは、何事に関しても危ないんですけどね(^^;。

最後に・・・貴族の生活って、幸せなのかなというお話を(^^;。時々、英国ものの映画も見るんですが・・・当然、よく貴族が出てくるわけです。日本で言う、時代物ですね。とね・・・たしかに、豪華絢爛なんですが・・・この人たち、幸せなのかなぁ~って思うんですよね。正直、お金の為に働くのって、凄くシンドイんですけど・・・生きる為に働かなくていい人が、はたして幸せになれるのかなって思うと、どうも幸せそうには見えない、少なくても羨ましくはないなぁと思ったりします。貧乏も嫌だけど、度が過ぎた金持ちも嫌だなと・・・やっぱり、ほどほどに小市民してるのが幸せなのかなと(爆)。

さてと・・・(^^;

2007-12-25 19:57:53 | Weblog
昨日、話しかけたことなんですが・・・そう、わたし個人の、キリスト教に対するイメージみたいなものを、改めて話そうかなと。とはいっても、同じ事は書けないし・・・一度、腰砕けしているので、どう展開していくか、自分でも予測できないんですけどね・・・話って、ほんと水物ですから(爆)。

改めて、宣言しておきますが、わたしはクリスチャンじゃありません。かといって、仏教徒でもないです。どの宗教にも帰依していないという意味では、無神論者に分類されるのかな・・・まっ、つまりはそういう人間です。

でも、世界三大宗教に限らず、長く続いてきた宗教には、何かしら学ぶものがあるとは思っています。哲学や思想はもちろん、社会の仕組みや政治に関しても、宗教の影響なしに成り立たないのが、人間の歴史ですから・・・やっぱり、宗教というのは、人の心に何よりも深く関わってきたと思います。

で、たまたま、わたしはキリスト教に縁があり、少々、学問として学んだ時期もあったので・・・いろいろ考える機会も与えられたし・・・聖誕祭という、この時期に相応しく、この宗教の「こいつぁ~凄いね」と思った部分をお話しようかなと、そう思ったわけです。もちろん、反対に「どうなの」ってこともありますが、この時期ですので、良い方の感想を述べたいと思ったわけです。

ではでは、まいりますか・・・

一つは、OBERONの会報にも書いた事があるし、けっこう折にふれ話していることなんですが・・・個人的に、エデン追放のエピソードは、よく出来た話だとおもっています。

一般的には、このエピソードは、人間の罪の始まりを描いたもので、『原罪』と言われて、何よりも悪いことってことになっているのだと思いますが・・・どうも、そういう体裁をとりつつ、真意はそうじゃなさそうに感じられる作りになっているんですよね。

エデン追放の話は、かなり有名なので、キリスト教なんて知らんという人でも、なんとなくどこかで聞いたことがあるんじゃないかと思うんですが・・・一応、ざっと説明しておきますね。えっとですね・・・まず、神様っていう、何でも出来る凄い存在があったわけです。で、その神様が、世界ってものを創ってみようかなと、世界を作り始めたわけです。で、ある程度、環境部分が整ったところで、そこに自分に似たモノを配置したくなった。それで「男」を創ったんですね。これが、アダム君です。で、しばらく様子を見ていたら、なんか足りない気がして、神様は、アダムのあばら骨をとって、「女」ってものを創ったんです。それが、イブちゃんですね。で、二人を世界の東にあるエデンって土地の園に住まわせたんです。

エデンは、とっても豊穣な土地なので、アダムもイブも、何の苦労もなく、毎日楽しく自由気侭に暮らしていました。ただ、一つだけ、神様に禁止されていることがあったんですね。それは、エデンの園の中心に植えられた、善悪を知る知恵の木の実だけは、絶対に食べちゃいかんということだったんですね。アダムは、それを真面目に守っていた・・・というか、あまり何も考えずにいたんですけど、蛇がイブに近づいて「食べちゃえば」って、唆すんですね。で、イブは、アダムを誘って、一緒に、その実を食べちゃうんですよ。

もちろん、神様にはバレちゃいます。で、二人は、エデンを追放されてしまうわけです。何も考えず、たいして働かず、ふら~と楽しく暮らしていける「夢見心地の無垢」でいられるエデンから追放されて、自分で考え、自分で判断し、悩んだり迷ったり間違って後悔したりしなくちゃいけない、そして働いて生活しなくちゃいけない、さらには死という終わりを迎えなきゃいけない、今の我々の状況になってしまったわけですね。

これね・・・単純に読めば、今の我々の状況は、神様の言いつけに逆らった懲罰をうけている状態ってことになるんですけど・・・ほんとうに、そういうことを言いたいがための物語かなって、疑問に思いませんか?

それにね、このエピソードって、ものすごく子どもが親から自立していく過程に似ていると思いませんか?

そう、そうなんですよ・・・人が人として自立するためには、絶対な存在に逆らっても、自分の興味や自分の好奇心を大切にして、自分の判断で行動を選び取っていかなくちゃいけない・・・人の始まりは、まさにそうして、絶対者である神様に逆らう事から始まるんだって・・・すごく、象徴的じゃありませんか。

しかも、神様は、最初から、それを予想して・・・っていうか、そんな風に自ら成長していく生き物&世界を作りいと思ってたんじゃないかと思わせる節があるでしょ。でなきゃ、わざわざエデンの園の真ん中に知恵の木をすえて、わさわざ「絶対に食べちゃ駄目だぞ」とは言わないでしょ。喩えが可笑しいけど、まさに孫悟空がお釈迦さまの手の平の上で転がされてるみたいなことだったんだなと、そう思わせるエピソードなんですよね。

つまり、われわれの世界は神様に否定された場所ではなく、成長していく事を神様に期待されている世界なんだぞってことを、こっそり伝えているエピソードだと思うんですよね。人が驕り過ぎないように、でも、自己否定しすぎないように、工夫されたエピソードだなと思うんですよね。

あと、もう一つは・・・まさに、クリスマスだからお話したい事なんですけど・・・新約聖書から、キリストの人性について(^^;。

さっきのエデンの話は、旧約聖書のお話で、キリスト(救世主)と呼ばれるイエスさんが生まれる前からあったものなんですよね。で、新約聖書っていうのは、もっぱら、イエスさんに関するエピソード集なんです。

で・・・キリスト教では、イエスさんは「神の子」なんですが、その神の子さんは「神」ではなく、かといって「人」でもなく、「神であり人である」という不思議な存在なんですよね。実は、これに関しては、キリスト教の中でも、揉めに揉めた歴史があるようです。だって、信者なら、どうしても「神」であって欲しい思いに偏るでしょ。だから「人」であることを、どう受け入れるのか・・・それが大変なようなんですよ。けど、なら「半分神で半分人」なのかとか、いや「神寄りの人」だろうとか・・・割合論になると、それは違うだろうと。「完全なる人であり、完全なる神」でないと駄目だと・・・延々と議論が続いた後、本流では、そういう結論に達したようなんですよね。

で・・・この、イエスさんが、人なんだってことが、キリスト教の最も凄い部分で・・・実際、新約聖書の中では、それをハッキリと意識したエピソードが記されているわけです。何より大切なエピソードである「十字架による死」を迎える直前に、イエスさんは弱音を吐いているんですよね。出来れば、止めたいナァって言ってるんですよ。具体的にいうと、ゲッセマネというところで、神様に、そっとそうお願いしているんですね。さらに、十字架にかかってからも、恨み言を言っちゃったりしてるんですよね。

でも、もし、あなたが聖書の作者なら、ここは主人公であるイエス君には、毅然とカッコよく死なせませんか? なのに、全篇、イエスさんの偉業を讃えてるはずの聖書物語の中の、一番クライマックスで、イエスさんに、ものすごく人間臭い、悲しみとか、苦しみとか、恨みとか、そういう美しくない感情を表現させているんですよね。これは、ほんと、スゴイと思いました。

あっ・・・何も説明せずに、話を進めてましたが、なんでイエスさんが死ななきゃならないか・・・キリスト教の一番大切なテーマを、まったくすっ飛ばしていましたね。

表面的には、人気者になってしまったイエスさんのことを妬み恐れた人たちに陥れられて、冤罪で殺されるってことなんですが・・・本質的には、全く違うんですよね。イエスさんは、生まれたときから、罪なき罪で死ぬ事が決まってたんですね。なぜなら、それが神さまと人間の間で交わされた約束だったからなんですね。そう「旧約聖書」「新約聖書」の「約」は「約束」なんですよね。

このあたりは、わたしもよく分からないので(分かってたら、クリスチャンになってますよね(^^;)、ちゃんと説明できないんですが・・・人間の罪は、あまりにも深くて、人間の反省や努力だけでは贖いきれないので、神様が、自分の一人息子を犠牲にすることで、人間たちの罪を贖ってくれるんだそうです。ん・・・

と・・・ほんとに、この部分は、巧く説明できないんで・・・逆に、不思議感が募ってしまいますね・・・せっかく、クリスマスだってことで、キリスト教の凄いと思う部分を紹介しようと思ったのに・・・う~、逆効果か(^^;。

でも、まっ、この部分は、いかにも砂漠の宗教らしいなと捉えるか、あるいは日本人的に武士道精神の部分で何となく理解してもらって・・・詳しくは、本職の人に聞いてください(爆)。

とにかくね・・・救世主のポジションにあるイエスさんを、単純にヒーローにしてしまわずに、人間臭さを強くアピールする部分に、キリスト教の・・・っていうか、聖書を創った人たち、歴代の聖書プロジェクトに関わってきた人たちの、人間に対する理解の深さに感心させられるなぁと、そう思うわけです。

ん・・・あまりにも大きなテーマだから、まったく説明できなかったなぁ。自分の考えを述べる前に、もっと的確にキリスト教について説明できなきゃだめなんですけど・・・それは、わたしには無理ですものね。

なんだか、二日にわたって、混乱し混乱させただけって結果ですが・・・やっぱり、クリスマスですし、駄目でもトライする事が、わたしの誠意と思ってくださいまし・・・ああ~、ほんと、スミマセンでしたぁ!!

それから・・・これ、読み返したら、絶対に消したくなると思うので・・・読み返さずにUPします。誤字脱字はもちろん、文章にツジツマがあわない部分があるとおもいますが、なんとぞ、勘弁してやってください!!

きえた・・・(呆然)

2007-12-24 17:57:19 | Weblog
『M1』も『有馬記念』も「大穴がキタぞぉ~っ!!」な昨日でしたが、そんな騒動とは無縁に、静かに過ごした今日という日・・・ちょいと力を入れて、日記を書こうという気分になり、二時間を費やして記事を書き上げ、最後に一通り、確認の為に読んでいるその時・・・「え?」急に画面が切り替わって、書いた記事が一瞬にして全部消失してしまいました。

あまりのショックに、書き直す気になれず・・・もしかして、内容が内容だっただけに、神様の怒りに触れたかと(爆)。なんてほどでもない、ただの、わたしなりのキリスト教論だったんですけどね・・・(涙)。

というわけで・・・もしかしたら、今日中に再チャレンジするかも・・・でも、たぶん、もう書かないと・・・うん・・・こんなに簡単に心折れたアタシを許してください(^^;。

カワイイって、どういうこと?

2007-12-23 21:20:54 | Weblog
実は、カワイイっていう形容詞が、今ひとつ、よく分かってないんですよね(^^;。

もちろん、まったく使わないわけじゃないですよ。自分では、愛しいって意味でなら使います。だから、主に人間相手ですね。

でも、その可愛いと、一般的にカワイイと言われているキャラクターなんかのカワイイは、根本的に何かが違っている気がするんですよね。だから、サンリオのキャラクターとか、ディズニーのキャラクターのもつカワイらしさって、実際のところ、人の心の中でどういう作用を引き起こすものなのかなと思って・・・すごく不思議なんですよね。

いえね、スキかどうかは嗜好の問題なので、わたしが全く感心を持てないカワイイものを大好きと思う人が沢山いらしても、それは全然構わないし、反対に、みなさんがカワイイと思うものを、わたしが好きじゃなくても、それは放っておいて欲しいと思うんですよ。だから、妥当か妥当じゃないかってことを問うているのじゃないのですよ。

そうそう、そういえば、異性に媚びる人って、同性に嫌われる傾向があるように見受けられんですけど、そういうのも、是非を問われれば、非じゃないですよね。好きか嫌いかと聞かれれば、たしかに好きじゃないですけど、別に良いんじゃないかと思うんですよ。その人の勝手っていうか・・・それが、その人の個性ですよね。で、そういう人は、その媚を好む異性と、くっ付くんでしょうから、とても理に適っていますよね。だから、そんな人たちに対して、何の文句もありませんけど・・・媚をうる異性に惹かれる人の心理には興味が沸きますよね。媚を売る人の気持ちは、容易に想像できますが、媚を好む人の気持ちは、正直、今ひとつ良くは分からないので、知りたいという気になっちゃいますね。

つまり、カワイイを知りたいのは、そういうことなんです。「そんなもの、全然カワイくないのに、なんでカワイイっていうの?」っていう、疑問の形をとった非難ではなく、純粋な興味として、キャラクターなどをカワイイという時の、カワイイの意味を知りたいと思うのです。

わたしが、もう一つ、カワイイを使う場面としては、他人の洋服選びなどに付き合う時に、似合っていると思ったら「うん、カワイイんじゃない」と言いますね。この時は、決して「愛しい」の意味で可愛いを使ってはいませんが、かといってキャラクターがカワイイというのとも、ちょっと違う気がします。なんというんだろう・・・ほんと「似合ってる」の要素が一番大きなカワイイかな。ん~・・・そういうカワイイも、ありなわけですね(^^;。

チャーミング・・・チャームがある・・・つまり魅力がある・・・誰かが魅力を感じたモノは、すべからくカワイイと表現されるに相応しいのかもしれませんね。少なくても、その誰かさんにとってはカワイイでいいのかもしれませんね。

となると、人が魅力を感じるものなんて、それこそ多種多様なんですから、いろんなカワイイが存在しなきゃ、むしろオカシイのかもしれません。でもって、カワイイと言われるキャラクターは、より多くの人に魅力があると思われているモノってことなんでしょうね。ほ~~、そういうことかぁ。

あっ・・・でも、可愛くないけど魅力があるものもありますね。いや、そういうのも、魅力を感じている人には、やっぱり可愛いのかもしれない・・・可愛くないところが可愛い・・・要するに、多くの人にカワイイとは思ってもらえないだろうけど、そこが私には可愛いって感じになるのかな。

ああ~、ぐるぐる回ってバターになりそう。こういう、馬鹿な遊びは、いい加減に止めなきゃね(^^;。

自分が全く魅力を感じないものが「カワイイ~~~っ!!」って言われているのを目撃したら、「へぇ~、あなたはそう感じるのね」ってことでスルーしていけばいいだけの問題なんだと思うんですけど、どうも「何故、これがカワイイのか」を分析して、共感できなくても納得したくなっちゃうんですよね。やっぱり、潜在的に「こんなものが可愛いといわれてなるものか!」っていう、自分の価値観の押し付けがあるんでしょうかね。だとしたら、わたしの心が狭すぎるってことですね(爆)。

本日の予定・・・久しぶりの観劇(^^)

2007-12-22 11:04:22 | Weblog
今日は、今から、友人と友人の芝居を見に行ってきます。一緒に観にいく友人は、中学一年からの友だち。そして、観にいく芝居に出演しているのも中学一年からの友だち。えれぇ~腐れ縁だな(爆)。っていうか、小学校からの友だち(出遭ったのは保育所の頃、お互い二歳とか三歳の世界(^^;)であるKちゃん以外、わたしの友達って、ほとんど中学からのツレなんだよね(^^;。

大人になってからだと、子ども博物館のスタッフとは、かれこれ20年近くの付き合いになるけど・・・友達というより仲間だしね、彼女たちは(^^)。あと、友だちって言えるのは、パソコン通信時代のニフティのアジア映画フォーラムの仲間かな。一時は、頻繁に集まって朝まで飲みながら語り明かしたり、一緒にツアーをしたり(爆)、ずいぶん濃い付き合いだったけど、今は、時々食事をしたり、あとは年賀状のやり取りをするだけになっちゃった人もいるし・・・一方的に友だちって言うと、「え?」って思われるかもね(^^;。

数年だけ、出版関係の人たちと、けっこう楽しい付き合いをして・・・仕事の後には、必ずお酒を酌み交わしながら、熱く本音で活字媒体の未来みたいなことも語り合って・・・その時は、かなり友だち感覚だったんだけど・・・仕事の縁が切れると、自然に連絡も取り合わなくなっちゃったなぁ。その中の一人は、残念な事に、亡くなってしまったんだけど・・・その時、残された奥様から頂戴した手紙の中に、今ではスッカリ有名になった『千の風にのって』の詩が入っていて・・・あれには、泣かされたなぁ。しばらくして、ものすごい話題になってビックリしたけどね。

でも、まっ・・・大人になってからの付き合いって、そういうパターンが多いよね。つまり、一時濃厚に付き合っても、継続はしないっていう・・・何かの終わりと共に、親交にも終わりがくると・・・。それがイケナイって言うんじゃないんだよ。それでいいんじゃないかと、わたしは思ってる。けど・・・中学&高校を共に過ごしたっていうのは、種類の違う絆なのかなと、そう思うわけです。

ちなみに・・・この時期になると、あちこちで賛美歌が流れるでしょ。するとね、しらず口ずさんでいる自分が居るのですよ。クリスチャンじゃないけど、中学高校の六年間、学校のある日は毎朝、礼拝で歌ってたもん・・・覚えているっていうより、身に染み付いているってことなんだよね。そういえば、今流行っている歌は、すごく気に入った歌でもサビの部分しか歌えなかったりするけど、昔よく耳にした曲って、別に好きじゃなかったものでも、一番くらいは歌えちゃったりするよね。十代の体験って、ほんと凄いのかもしれないと、今さらながらに思うであります。

けど・・・だからといって、けっして新しい出会いを拒否するものではないのですよ。パソコン通信で出遭った友だちとは、ほんとうにメクルメクような凄い時間を過ごさせてもらったし・・・これからオンラインで出逢った人たちとも、年齢や性別や環境を越えて、いい友たち関係を築いていけるんじゃないかと期待は持っています。もちろん、オフラインで出遭った人ともね。

で・・・ん?何の話だっけ・・・そうそう、今日は、今から、友だちとお芝居を観にいくの!ってことでした。なので、帰ってきてから日記は書けないだろうと思って、今のうちに、ダラダラ書きしちゃいました。ではでは、行ってきます!!

売るものを売る・・・が、セオリーなんだろうけど

2007-12-21 20:14:53 | Weblog
久しぶりに、昨日は日記をお休みしちゃいました。時間がなかったわけじゃないんです。六時半には家に帰ってましたから。でも、なんだか疲れちゃって・・・なんとなくダラダラとしてしまいました。

なんで疲れたかというと、理由はハッキリと分かっています。人疲れしたんです(爆)。昨日は、大阪で二件取材があったんですが、一人ではなく編集(っていうのかな)の方と、ずっと一緒だったんです。午前中に一件、午後に一件、その間に食事をし、移動も一緒で・・・初対面の人と、六時間くらい一緒にいたかな。もちろん、取材対象の方たちも初対面の人たちだし・・・そういうことで、人酔いしたわけです。

でも、ハッキリと言っておかなきゃいけないのは、ご一緒させていただいた方は、すごく好い人で、一緒にいる間は、ずっと楽しかったんですよ。関東の方だったので、主に東西の食文化や習慣の違いなどを話題にしながら、移動の間も、少なくてもワタシは楽しかったです。ただ、やっぱり、食事が駄目なんじゃないかと、自己分析します。もう、改善されたと思っていたんですけどね・・・人と食事を共にするってことが、そうとう長い知り合いとでも苦手だったのが・・・まだ、ちょっと尾を引いてるのかなと思いました。

でも、このこと、絶対にその相手の方に知られたくないですよね。だって、ほんとうに好い人だったから・・・こんなことを耳に入れて、傷つけたくないですよね。なので、絶対に彼女が見ることはないだろうと思うからこそ、ここに書けるわけですけどね(^^;。

では、昨日、お休みした弁解は、これくらいにして・・・今日の本題にいきましょう。でも、タイトルが全てで、それ以上、話は広がらないんですけどね(^^;。

いやね・・・昔、学校の帰りには必ず毎日本屋さんに寄っていたころ・・・よく思っていたことがあるんですよ。本屋さんって、売れる本しか売らないんだなぁって。だって、どこにいっても同じ本が売ってあって・・・売られている欲しかった本を一通り買ってしまうと、あとの欲しい本は、もうどの本屋にも売ってないや・・・って。

でね、わたしが、もう大人になってからかなぁ~。家の近く(歩いていける範囲)に、はじめて本屋さんが出来たんですよ。で、その本屋さんが、まあまあワタシ好みの本のチョイスをししている本屋さんだったんですよ。だから、それはそれは嬉しかったですよ。それこそ、朝昼晩と通いたいくらいでした。でも、その本屋も、数年で扱う本がガラリと変わりましたね。漫画と雑誌と参考書とハウツー本がスペースの殆どを占めるようになりました。それでも文庫本はソコソコ場所を確保されていましたが、単行本は、話題の本か、あるいはベストセラー作家さんものしか並ばなくなりました。ああ~、ここも売れる本しか置かない本屋になったんだと、かなりガッカリした記憶があります。

でも、それは当然ですよね。商売ですからね。それは、消費者の立場からでも、容易に推測できますから、理解して受け入れなきゃならんことだと思いました・・・なんだか、淋しくは感じましたけどね。

しばらくして、本を作って売る人たち(つまり出版社の人たちってことですね(^^;)と知り合って・・・ああ~、この人たちも本屋さんと同じなんだなと思いました。売りたい本と売れる本が違うジレンマと闘いながら、本を売る商売をしているんだなぁと思いました。素人考えに思うことはあるけれど、それを押し付けて彼らを責めちゃいかんと、そう思いました・・・うん。

けどね・・・本だけじゃなく、何でもだと思うんですけど・・・売りたいものがあるなら、それを売る工夫とか努力は、すべきなんじゃないかとは、今も思わずにはいられないんですよね。売れるものを売るのはいいんですが、それだけじゃあ、金儲けの醍醐味はあっても、売る醍醐味はないでしょ。売れる流れが出来た商品だけ扱ってるんじゃ、売るという仕事の楽しさがないじゃないですか。

それにね・・・やっぱり、自分が惚れ込んだものを売るっていうのもまた、売るの醍醐味だと思うんですよ。それは、トレンドを作るっていう戦略的面白さの部分じゃなく・・・もっと、情緒的な分野の事柄としてね。ああ~・・・そうなると、それはもうビジネスじゃなくなるのか・・・じゃぁ、別に、それはいいや・・・戦略的面白さでいいや・・・それでもいいから、売れるものを売るんじゃなく、自分が売ってやる的攻撃性をもって商売する楽しさを貪欲に求めて欲しいなと・・・それこそが、商売の醍醐味じゃないのかなと、そんなことをチラホラと考えたのでありました。

ああ~・・・でも、やっぱり、惚れたものを・・・イヤイヤ、それでは、怪しい新興宗教のツボ売り的なことと違わなくなっちゃうのか・・・あるいはネズミ講的会員販売のシステムの心理作戦と・・・あいやぁ~、ビジネスは、もっと冷静な判断でなされなければならないのかな・・・でも、自分が良いと思えないものをテクニックで売るってのも、犯罪的だよね・・・あれあれぇ~、どこに着地していいか、分からなくなっちゃった(爆)。

プロの心得・・・かな(^^;

2007-12-19 23:42:17 | Weblog
動画で、美容整形の施術を見たんですよ。眼瞼下垂の手術だそうですから、美容整形とは言わないのかな・・・それに、そんなに大規模な手術ではないのだと思います。でも、瞼の上を切開して、黄色い脂肪のような何かを、メスで切り取って・・・って作業を見ていると、正直、ちょっと気分が悪くなっちやったんですよね。学校で、蛙の解剖をしたのを思い出しちゃいました。人間を含む、すべての有機的なものが苦手だった頃の感覚が蘇りました。だって、命あるものって、みんな共通した気持ち悪さを持っているでしょ(爆)。

ただね・・・もし、わたしが医師という職業を選んでいたら、たぶん、わたし、こういう作業は得意だったと思うんですよね。

前に、別の話題で、仕事にすると自己防衛の為と慣れで、心に痛みを感じなくなるって話をしましたが、それとは微妙に違う話なんですよ。なんていうか・・・人の心の中には、プロスイッチというのがあって、それが入ると、心は自ずと強靭になりますよねって話なんです。だから、オフでは絶えられないような事でも、仕事となると、冷静に対処できるようになるでしょ・・・そういうことなんですけどね。

そういえば・・・わたしは、ほんとうに対人恐怖症の気があるんですが、それを誰も信じてくれないんでよね。というのも、仕事で人と接するときには、その対人恐怖症が、まったく顔を出さないですから。肩書きや役職を背負って人に合う場合、それはワタシじゃないですから、わたしの抱えている対人恐怖症も、現れてこないんですよ。

そういう、オンオフの差が、わたしの場合、いくぶん大きいのかもしれませんが、みなさんだってあるでしょ?ありませんか?

よく「人によっとて態度を変える」ってことを、すごく悪いことのように言いますが、わたしは人によって態度はキッチリ変えますし、状況や立っているポジションによっても、自分自身をカメレオンのように変えますよ。誰と接してしても、どんな状況にあっても、まったく対応を変えないほど、我がままでも子どもでもないですから。もちろん、すごく卑しく感じられる「人によって態度を変える」ってのもありますから、「人によって態度を変える」ことを快く思わない気持も分からなくはないですけどね。

おっと、何の話でしたっけ・・・けっきょく、わたしの大好きな言葉「覚悟」って奴に辿り着いちゃうのかな、また(^^;。要するに、プロであるってことは、腹を括るってことなんだろうなと、今だ、何事にアマチュアな分際でおこがましくはありますが、そんなことを思ったのでありました。