OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

読者、観客、受け手の感性も凄いってことだよなぁ~

2023-02-25 09:11:11 | Weblog
NHKの「浦沢直樹の漫勉neo」という番組が大好きで、いつも見ています。漫画家志望でも、漫画マニアでもないので、あまり専門的なことは分からないけど、それでも、漫画家さんたちの精神的な部分のお話、技術的な拘りや工夫についてのお話を聞かせてもらえるのは、とても面白いし有難い番組だなぁ~って思っています。

今回は、島本和彦さんの制作を見せて頂く回だったのですが・・・顔を書く時のペンについて「いろいろ試して日本字ペンが使い良くて長く使っていたけど、私の場合、日本字ペンだと線が単調になって色気が出ないと感じて、Gペンに戻した。Gペンの太くなったり細くなったりする線が色気になる」というようなことを仰っていて・・・いや~、プロってやっぱり線一本、それを産み出すペン一本にも、すごく拘ってらっしゃるんだなぁ~、素人には、そんなの全然分からんよぉ~・・・って思ったんですが・・・

はて、そうなのかなと・・・素人には分からないのかなと・・・。たしかに多くの読者は、理論的なことは理解していないかもしれないけど、感じてはいる・・・その感じているということが・・・読者が感じているということが、何より重要なんじゃないかなと・・・

ずいぶん前のことですが、『アメトーク』という番組の「キングダム芸人」の会で、原泰久さんの『キングダム』を熱烈に愛する芸人さんたちが、いろんなエピソードを紹介してくださっていて・・・『キングダム』は、連載当初あまり人気が出なくて、原さんが師匠の井上雄彦さんに相談したら「主人公の黒目を大きくしろ」とアドバイスしてもらい、それを実践したら人気が出たっていうのを聞いたんですよね。で、その時は、なんとなく、そのエピソードを読者の感性の単純さと、それを理解してコントロールするプロの仕事、みたいな感じで受け取っていたんですけど・・・

いや、違うんじゃないかと・・・読者こそ、その微妙な感覚を確実に感じ取っているってことじゃないかと・・・しかも、一人二人の感性か鋭い特別な読者が感じるのではなく、とても多くの人たちが、鋭敏な感じる力をもっていて、それを刺激してくれる、満足させてくる作品を求めている・・・ってことじゃないのかなと・・・


わたしが若い頃夢中になった漫画やアニメの中には、最初は人気がなくて、その後、人気が爆発したものが少なくありません。『宇宙戦艦ヤマト』しかり『機動戦士ガンダム』しかり、萩尾望都さんのたしかあれは『トーマの心臓』だったかな、わたしは大好きだったけど、毎週、巻末連載(噂では、読者投票で連載順が決まる。巻頭カラーは当然、一番人気の作品)だったので、いつ強制終了になるのかハラハラしていましたっけ。だから、どこかで自分以外の読者・視聴者を「分かってない奴らだ」と、クソ生意気にも信じていないところがあったんですが・・・

コンセプトが魅力的でも、伝え方のコツを外していたら、受け取ってもらえないということなのかなと。受け取らない読者や視聴者が悪いんじゃなく、受け取る人たちを理解していないから伝わっていないってことなのかなと・・・受け取る側には、ちゃんと感じる力はある、しかも微妙なところまでちゃんと受け取ることができる感性をもっている・・・だからこそ、その微妙な部分に、ちゃんとフィットさせられなきゃ、人気というものには繋がらない・・・のかな。

もちろん、伝わらないことの責任を、すべて伝える側だけに押し付けるのもフェアじゃないですけどね。

受け取り手たちの感性・・・拘りや問題意識や悩みのポイントって、本人の状況だけじゃなく、環境の要素も大きいと思うので、求められるものはどんとどん変化するから、正解はたえず変化すると思うし、伝わらないから間違っているというのも違うと思う・・・少し前なら、あるいは少し後なら、突き刺さるように熱烈歓迎されることが、今は完全スルーされるなんてこともあるだろうとは思う・・・

一方、人が普遍に感じる喜びのポイントとか、求めてやまないものっていうのもあって・・・そういうのは、時代に関係なく、受け手の年齢や性別、環境にも関係なくあるだろうなぁ~・・・とも・・・

ああ~、話がぐちゃくぢゃになって収集がつきません・・・強制終了します(^^;。

車、二題

2023-02-24 07:54:57 | Weblog
前回、マルチタスク的作業の反省を綴りましたが・・・テレビをONにしながら、パソコン操作しながら、なんていうのも、まさにマルチタスク的ですよね。まずはそこから改めようと、最近は、パソコンをテレビに接続して使っています。もともとは、電子書籍を読むのに、できるだけディスプレイ画面を大きくして、目の負担(そして何より頭痛の種)を減らそうという目論見だったのですが、ディスプレイ画面をテレビとパソコンで共有したら、マルチタスク的使用が出来なくて不便・・・あっ!!必然的に、どちらかを選ばざるを得ないっ!!いいじゃん!!となったわけです(^^;。

けど・・ふと、若い頃は・・・ワープロ、のちにパソコンで何かを書いている時、思考スピードを押さえるために、音楽なりテレビ番組なり、何か注意をそらすものが必要だったなって、思い出しました。わたしの脳内はシッチャカメッチャカで、次々と芋ズル式に思考のポイントが移行していくので、キーボードを打つ速度がついていけないんですよね。書いていることは、いつも今考えていることの何個か前のテーマになっちゃう。脳内マルチタスクですよ。だから、書いていることに集中するために、外部からの刺激を入れて思考スピードを抑制する・・・ふむ・・・そんな風だったなぁ~と、思い出しました。今や、見る影もなく、思考スピードどころか、思考そのものがストップしてますけどね(涙)。

と、これは余談で・・・今回は、車に乗っている時にふと思ったことを二つばかり(^^)。

まず一つは・・・他所の車の後ろを走る、なんていうのは、当たり前にあることですが・・・わたしの場合、前の車が、センターラインに寄り過ぎて走っていたりすると、無意識に、反対の路肩側に寄り過ぎた走り方をしがちなんですよね。でね・・・反面教師って、もしかしたら逆の極端に誘導しがちなのかもなって思ったりしました。テーゼに対するアンチテーゼ的な?たからジンテーゼまで持っていかないと心は不安定なんだよね的な?ヘーゲルの弁証法は全く理解してないので、変な例えかもしれませんが(^^;。

もう一つは・・・レンジ君が、また故障してしまいました。旧車とまではいかず、まだ中古車レベルではありますが、そこそこ古い外国車なので、しょっちゅう故障するのは覚悟の上、それも含めて可愛くて仕方ないわけですが・・・それでもその都度の出費は頭が痛いし、なにより気分的に凹みます。ただ、今回は軽傷で、なんでもエンジンについている温度計の故障で、「エンジンがとても冷たいのでガソリンをたくさん送るようにと判断したものだから、燃料タンクからどんどんガソリンが送られて、エンジン回りが濡れてボトボトになり、いわゆるエンジンがかぶった状態になった」みたいです。なので温度計を交換するだけで、無事、退院できそうです。費用もそんなにかからなさそうです・・・ほっ。
で、思ったんですよね・・・温度計一つで、あの大きな車が走れなくなる。細部って、大切なんだなぁ~・・・って。
小指あたりを怪我した時などにも感じますよね。小指位、使えなくても大したことないって思いがちだけど、使えなくなったら、こんなに不便なモノなのかって。まるで存在を主張しない謙虚なモノでも、ちゃんと大切な役割を担って、日々それを果たしてくれているから、つつがなく暮らせているのだなと。
そうはいっても、どうしてもどの分野でもスターに目が行きがちですけど、ときどき、こういうことがあって、縁の下の力持ちたちに対する感謝を思い出させてくれますね(^^;。

以上、なんのことはない、車のお題、二つでした。

日常のマルチタスク的作業の仕方を改めたいけど・・・

2023-02-22 18:09:59 | Weblog
自分の今までの生活を振り返ってみて、そんなに忙しくしていたことなどなかった気がするのだけど・・・何故か、不必要に、セカセカと作業をする癖がある。

たとえば・・・車を運転していても、一人だと、赤信号の度に、何かしらの用事をしている。別に、目的地に着いてから(帰宅してから)しても良いことなのに、赤信号中という手持無沙汰な時間を何かしらで利用しようとしてしまう。

たとえば・・・コーヒーを淹れている時、お湯を注いで珈琲豆が膨らむ僅かな時間、一分にも満たないような時間でも、その間に、何か珈琲を淹れる以外の一作業をしようとしてしまう。

一事が万事、そんな風なのだ・・・

じゃあ、それで作り出した時間に何をするかといえば・・・ただ、ぼぉ~~っとしている・・・まったくもって意味が分からない!!

運転中の赤信号の待ち時間、珈琲を淹れる時の蒸らしの時間・・・これらは決して、無駄な時間ではない。ほんとうは、疎かにしてはいけない作業工程の一部だ。そこで、他のことに気をとられていたら、その作業から得られるはずのものを、自ら捨ててしまっていることになる。一見、効率よく、要領よく動いているようで・・・その実、なにもかもを中途半端に終わらせてしまっているということだ。それでは、ほんとうのことは何も得られない。

実際、目が回るような忙しい生活をしている人には、マルチタスク的作業が出来ることは好ましいと思う。そうでなければ、必要不可欠な作業を時間内に終了できなくなるかもししれないし・・・

でも、わたしのように、暇がありすぎて、何して過ごせば時間が潰せるだろと悩んでいるような人間にとっては、一つ一つの作業は、それだけにじっくり意識を集中させて・・・そうしなければ得られないものを味わうのが好いに決まっている。それこそが贅沢な時間の過ごし方と言えるのでしょ?ねっ!

でもねぇ~・・・そう思っても、性分なのか、身についた癖なのか・・・過程を楽しむっていうのが苦手で・・・つくづく心の貧乏性だなぁ~と、自らを憐れむのでありました。

繰り言に辟易とするでしょうが・・・

2023-02-20 15:12:49 | Weblog
最近、ブログに何かしらを書き込んでいる途中で「あれ、これ以前にも書いたこと、あるかしらん」と思う頻度が高くなっている。「年配の人と話していると、何度も同じ話を繰り返し聞かされてゲンナリする」というのは、若者たちからよく聞かされることで・・・だものだから「ああ~アカンアカン」と、書きかけていたものを消去することシバシバだ。と、次に、同じようなことを感じたとき、「そう思って書かなかったことかも・・・いや、もうすでに何度も書いたことかも・・・」と悩み始め、結局、そのまま書いたり書かなかったり・・・

でもね、そういうこと、気にしないで、たとえ同じことでも、何度も書けばいいとも思うんだよね・・・以前想ったことでも、今また思ったのなら・・・というのも、もう何度か書いたことかも(^^;。

これは、確実に以前にも書いたことだけど・・・脚本家の橋田寿賀子さんが、「大切なセリフ、伝えたい台詞は、最低でも三回は役者さんに言わせる」と何かで仰ったか、それを聞いた方がどこかで仰っていたのを聞いたことがある。書いた者からすれば強い思い入れがあるから、ズンと重く感じられるセリフでも、視聴者にすればさして印象に残らず流れてしまうかもしれない、だから三回ぐらい繰り返して確実に伝わるようにするとうようなことだったと思う。そう・・・受け取り手が「何回も同じこと書いてるなぁ」なんと思ってくれたら、それはとても有難いことだ。愚にもつかない内容なのに、ちゃんと覚えていてくださっているわけだから・・・ね。

それに・・・何度も書いてしまうというのは・・・ネタが枯渇している、感性に成長がない、ということの現れではあるけれど・・・同時に、私自身を強く顕わしてもいるのだ。

わたしの卒論のテーマは『ティリッヒの人間実存の理解について』だったが、その執筆の過程で、ティリッヒの主要著書である『組織神学』で使われている単語の頻度について調べた。彼の思想は、もちろん、文章で語られているわけだが、単語の使用頻度を見るだけでも、彼が何に拘り、何を重要視し、何を伝えたかったのかが分かるからだ。

繰り返し使う、繰り返し語る・・・そこには、ちゃんと意味がある。使う人にとっての意味があるのだ。それは、時には他人にとってはどうでもいい拘りかもしれない。繰り返し聞かされることに辟易とするかもしれない。けれど・・・語る人にっては・・・繰り返してしまうだけの意味が、あるのだ・・・