OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

言葉に出来ない・・・なんて、それは逃げなんだ

2011-12-25 21:03:51 | Weblog
自分でも
しょっちゅう使っていた
言葉に出来ない
っていう表現

とても大切なことだから
上っ面で語っちゃいけないことだから

奥深くて
自分の表現力ではとても追いつかないから

言葉に出来ないと同時に
言葉にしちゃいけないんだと

けど

言葉による表現を志すものであるなら
それだけは言ってはいけなかったのかもしれない

宗教画や宗教音楽は
権力者の要望に応えて創られた商品ではあったろうけど
絶対に表現できないものを表現したいという
強い信仰、あるいは愛、あるいは野心、あるいは衝動が形になったものでもあった

音楽家も画家も
そんな風に挑戦してきた
決して表せないものを表す努力をしてきた

ならば
言葉で表現する者が
何より大切なものを言葉で表現することを放棄するなんて
あってはならないことだったのかもしれない

ただ
言葉で表せないものを言葉にしようとするとき
襲い掛かってくるものに打ち勝てるか

その拒否に
その憎悪に
食い殺されずに持ちこたえられるか

また
その作業に
それだけの価値があるのか

たぶん打ち勝つことなどできない
持ちこたえることなどできない
そして、そんな行為に何の価値もない

それこそが望んでいることなのかもしれない

藍那のクリスマス

2011-12-25 20:57:16 | Weblog
彼女が子どものころ
お風呂で話して聞かせた
サンタさん四次元人間説

けっこう大きくなるまで
本気で信じていたのだと聞かされた
気に入っていたよと褒めてもらった

そういえば彼女は
パラレルワールドの話も好きだった
案外、SF的発想を楽しむ子だった

自分自身で
その発想をどんどん広げて膨らませて
それを形にしてくれたら楽しいな

そんなことを夢見ていた

無題

2011-12-21 06:11:14 | Weblog
人は理由が欲しい
大切な人や自分に起こったことの意味が欲しい

でも理由なんかない
意味なんてありはしないんだ

知性はそれを知っている
だから理性はそう忠告する

けれど
それが頭で分かっていても
人は理由が欲しい
この出来事の意味が知りたいんだ

だから
理由をこじつける
無理に意味をもたせてみる

また
そんな人の気持ちにつけこむ連中もいる
前世の因縁だの
因果応報だの

それで人の心を操ったり
商売にして金儲けしたり
時には好意で付込んでくる者もある

それは
なんとも馬鹿馬鹿しく
なんとも破廉恥なことだけど
人の心の動きを本能的に知った行為だ

だって
納得できないことを体験したものは
誰かを責めたいんだ

特に自分を責めたいんだ
お前のせいなんだと
お前が悪いからこんなことになったのだと
厳しく罰せられたいんだ

きっと
それしか楽になれる方法がないんだ

無題

2011-12-16 11:56:14 | Weblog
個人的には
一番最初に知らせておかなければならない相手
頼らなければならない相手
古くからの友人たちに
わたしは、藍那のこと知らせずにいた。

彼女たちを前にして
わたしは何を話せばいい
どう振舞えばいい

ただただ取り乱して泣き喚くか
でなければ何も心のうちを吐露しないか
その中間はない
けれど、そのどちらも今は出来ない
だから、会わない・・・話さない・・・

それを分かった上で
彼女たちは待ってくれている

ただ
死ぬなと
心を失うなと
そう伝えてくれる

それを母に話したら
母が泣いていた。

けれど
そう、そうなんだ
わたし、万が一、こんなことがおこったら
ことさら意志をもって死のうとしなくても、自然にコトキレルと思ってた、自分が
そうでなければ、正気じゃなくなっていると思ってた

なのに、毎日、普通に暮している
朝がきたら起きて、食事もして、トイレなんかにもいって・・・
一瞬一瞬、自分が呼吸している、生きてる、そのことが不思議でならない
そんな自分が許せない
藍那に申し訳ない

母は繰り返し言う
仕方ない、諦めろと

でも、何を諦める?
何を諦める?
藍那を諦める?
そんなこと、できないよ
そんなこと、できないでしょ。

無題

2011-12-14 06:36:22 | Weblog
お葬式の日の朝
山科から連れ帰っていた
藍那の愛猫のてんが脱走した。

てんは室内猫だし
この家にも、まだそんなに慣れていない
少なくても、この地域のことが分かってるはずもない
帰りたいと思っても帰れないかもしれないと
家族総出、大騒ぎで家の回りを捜索したけれど見つからなかった。

外界への興味もあったろうけど
家の中のタダならぬ空気が怖かったのかもしれない
もしかしたら、山科の部屋に帰ろうとしているのかもしれない。

ふと
藍那が連れて行ったのかもしれないと思った。
藍那、それはあかんよ、と思った。
けど、てんには悪いけど、もし、そうなら、藍那も少しは淋しくないかもとも思った。

藍那は、ほんとうに、てんを可愛がっていた。
あの我が侭な子が、自分の楽しみを後回しにして、てんの世話をしていた。
少しは親の気持ちが分かるようになった、なんて生意気なことも言っていた。

結局、夜になって、家の中が静かになったころ
てんは、何事もなかったかのような顔で戻ってきた。

藍那は、てんを連れて行かなかった。
藍那は、そんなことをする子じゃなかった。

今、日々の生活の中に、てんが居てくれることで、どれだけ救われているだろう。
ハンサムで、我が侭で、手がかかるけど、憎めない可愛い子
まるで、藍那みたい。

けど、てんは藍那じゃない。

それでも、手を焼かせてくれる、甘えてくれるのが、有り難い。
何より、触れることができること、抱きしめることができることが有り難い。
触れると、温かくて柔らかいことが有り難い。

目に見えないものが大切だというけれど
愛とか絆とか、目に見えないもので人は支えられているというけれど
この目で実体を見ることができること
実際に触って感触を得ることができることが
どんなに有り難いことか・・・。

藍那に触れたい
もう一度、あの子の体を感じたい。

無題

2011-12-13 14:55:58 | Weblog
もう一つ
自分で自分を分かっていなかったと
気づいたことがあります。

孫に対する想いです。

わたしは
自分の孫を抱きたいなんて思ったこと
一度もありませんでした。
の、つもりでした。

藍那には
親の経験をして欲しいとは思っていたので
子どもをもうけて欲しいとは確かに思っていましたが

それは決して
自分の孫を欲しがっているわけではないと思っていました。

けれど
もう、藍那の子どもをこの腕に抱くことはないと考えると
孫というか、藍那のこともが抱きたかったと
ものすごく抱きたかったと
ほんとうにほんとうに抱きたかったと気づきました。

そういうわたしの気持ちを察して
裕太が、とても辛そうです。
彼女もいないくせに
なるべく早く、お母さんに孫を抱かせてやりたいと思っているようです。
でも、お姉ちゃんが産む孫と
俺の奥さんが産む孫とは
同じように可愛いにしても、ちょっと違うんだということが分かるんでしょう。
彼の気遣いが、不憫でなりません。

けれど、裕太には家族をもって欲しいと
以前より、強く思うようになりました。

彼も、藍那同様、我が侭な生き方をすることを決心しているので
結婚とか、子どもをもつとかということには
いくぶん慎重な気持ちでいるようだし
わたしも、それは彼が自分で決めればいいことだと思っていましたが

彼には、従兄弟姉妹もなく
唯一の姉を失った今
わたしたち両親が亡くなった後のことを思うと
わたしが生きている内に
生涯の伴侶を得て欲しい
できれば、子どももたくさんたくさん産んでもらってほしいと
そう思うのです。

一人っ子のわたしは
彼らの姉弟の関係が不思議で羨ましかった。
なのに、裕太に、こんな思いをさせることになるなんて。

無題

2011-12-13 14:36:50 | Weblog
藍那が幼稚園のころのこと
きっと先生に教えられたんでしょうね

おじいちゃんやおばあちゃん
しんちゃんもおかあさんも
みんな、藍那たちのために
いっしょうけんめい働いてくれてるんしょ

って、言ったことがあったんですよね。
でも、それに対して、わたしは
「ううん、お母さんは、自分の為にお仕事してる」
って、答えちゃったんですよね。

大きくなってから
あれはショックだったと、藍那に言われました。
でも、今は分かるとも言ってくれてました。

けど、それ以外に、わたしがいつも彼女に言っていたのは

お母さんは
君たちのために生きることはできないけど
君たちのためになら一瞬の迷いもなく死ねる

ってことでした。

なのに
わたしは、藍那のために死んでやることが出来なかった。

それに
想像するのすらイヤだと思いつつも
万が一、こんなことが起こった場合は
きっと、どこで何をしていても
それを感じ知るに違いないと信じて疑わなかったのに
まったく何も感じるとことができなかった。
その瞬間にも、わたし能天気に、しょうもないことで笑ったりしていたんだ、きっと。

子どもたちのためには生きないといいつつ
今となれば、少なくてもここ数年は
ひたすら藍那に我が侭な生き方をさせてやりたいがために我武者羅に働いていた気がします。
もう、頑張る意味が見出せない。

子どもたちの為なら死ねるといいつつ
死ぬどころか、気づくことすらできなかった。
子どもたちの為には生きないといいつつ
藍那がいなければ生きる甲斐すら見つからない。
ほんとに、わたしは、自分のことが全く分かっていなかったのだと知りました。

ありがとうございます

2011-12-06 12:15:53 | Weblog
まずは
藍那のこと、好きでいてくださった、みなさん
ほんとうに、ありがとうございます

わたしが
我が侭をいって・・・
誰にも会いたくないからといって・・・
無理やり家族葬にしてもらったのですが

それでも
たくさんのお友達が来て下さって
お通夜の夜は
朝方まで、入れ替わり立ち代り来てくださって
こんなにも沢山の方に思っていただいていたなんて
我が子ながら羨ましいと思うほどで

その後も
藍那の為に、いろいろと考えてくださって
ただただ、ありがたくて・・・

ほんとうに、ありがとうございます


それから
わたしのことを気遣ってくださる友人知人のみなさんにも
心から、ありがとうございます

でも、いま、わたし
どうしても皆さんに会えなくて
お話もできなくて

訪ねてきてくださる方にも会わず
お電話にもでず
メールやコメントにもお返事せず
もちろん、山猫軒も閉めたままで

みなさんのお気持ちは
涙が出るほど
というより、実際、涙を流しながら
ありがたく思っていて
感謝しています

はがゆく感じておられると思いますが
どうか、勘弁してやってください
ごめんなさい