OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

人の可愛らしさ

2013-03-22 11:36:39 | Weblog
男性の魅力を表現するのに”少年みたいな”って言葉が使われますが、そこにあるチャーミングさって、実は子どもの持つ可愛らしさとは、ちょっと違いますよね。

けど、たまにお年寄りの中で、ほんとうに可愛らしい方がいらして……その愛らしさは、幼い子どものそれとヒジョウニ似通っている気がします。

幼い子どもやお年寄りに共通する魅力って何なのかな……どうしたって自分には手に入らない魅力であるように感じます(^^;。



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死の概念

2013-03-05 06:49:54 | Weblog
夫の母が亡くなった。

昨年末、甲状腺の未分化癌が見つかり、即、余命宣告。一応、週一の通院で抗がん剤治療はしてくれたが、ドクターの「どうせ無理だけどね」感が強くて、頭では仕方のないことと思いつつも、気持ちは腹ただしさを抑えるのが大変だった。なにかにつけ「うちは治る患者を治療する病院だから」と言い、夫は何度も呼び出されてホスピスを探すよう促された。たぶん、親身になってくださった担当の看護師さんの存在がなければ、わたしは途中でキレていたと思う。

義母は病院が大嫌いなのだけど、「みんなに迷惑をかけるから入院する」と言う。けれど、ゆっくり話を聞くと、やっぱり本心は病院は嫌だと思っているのが分かる。だから、できる限り在宅で見ようということになり、在宅ホスピスをしている医療機関を探し、在宅医療、在宅看護、在宅介護をそれぞれ手配した。

とはいっても、実際に家で介護するのは持病を抱えた義妹。彼女が、どれだけ頑張れるか……大きな不安を抱えての在宅ホスピスのスタートとなった。

余命宣告をされたとはいえ、母は自分でトイレにも行くことができ、少量ずつではあるが口から食事をすることもでき……最初は、義妹の負担も少なかった。ドクターからは、早めの胃瘻や気管切開を勧められたが、夫は「病気を治すためになら、多少辛くても痛くても我慢して治療を受けてもらいたいが、延命の為だけなのなら……」と躊躇い続けた。

在宅オンリーになって半月少し……トイレに行こうとした義母が転んで、それをキッカケに寝たきりになった。玄関脇の部屋を、母専用の部屋にし、そこに介護ベットを入れて、ヘルパーさんにも頻繁に来てもらうことにした。ケアマネさんは、何度も何度も足を運んで相談にものり、調整もしてくれた。どんどん様子が変わっていく義母の姿に不安を感じて、精神的に不安定になりがちな義妹の度重なる早朝のナースコールに、看護師さんはすぐに飛んできては対応してくれた。

それでも、義妹はついに限界を超えた。お世話が大変というより、精神的な不安に耐え切れなかったのだと思う。わたしは義母を私たちの家に迎えることを夫に提案した。けれど、夫はそれを渋った。一番大きかったのは、わたしと私の母への遠慮だと思う。けれど、それはあえて口にせず「あの人(義母)にとって、うちは自宅ではない。きっと病院より気を使かって落ち着かないと思う」と言った。それはそうなのだが、「今の義母さんの様子からみて、気を使って落ち着かない段階は過ぎてしまっていると思う。四年前、父を看取った経験からいって、自分の側で最後を迎えてもらうことは、子どもにとって慰めになる。だから貴方のためにも我が家に引き取った方がいい。病院の天井を見ながら逝かせるより、よほどいい」と説得したが、なかなか「うん」とは言わなかった。結局、ホスピスを探してみたのだが、どこも一ヶ月以上待たなければならなさそうだと分かり、やっと夫が決心をした。

わたしは、あいびーのKさんに連絡して、地域の在宅医療等について教えてもらい、介護についてはあいびーにお願いしたいと頼んだ。

その翌朝早く……義妹から電話があった。義母が逝ったとの知らせだった・・・


義母を引き取る手配をするつもりが、一気に通夜、葬儀の手配になった。何をしているのやら……

わたしたちは、この四年で四つの葬式を出した。そのうち二つが、夫の父と母。そして……

どうしてなんだ……という思いが、心の奥底から沸き起こってくる。意味などない、理由などない、考えても仕方ない……何度も、そう押さえ込むのだけれど、すぐにまた沸き起こってくる……

正直、火葬場は耐え難かった……けれど、申し訳ないが、思っているのは義母のことではなかった。気遣う裕太に、そっとそれを告白したら「当たり前や、しかたないことや」と言ってくれた……ありがたい……義母さん、ごめんなさい。


わたしは理屈屋だ。頭の中で概念的なことを捏ねくり回すのが大好きだ。だから、学生の頃は、クリスチャンでもないのに神学なんてものを専攻した。生や死について考え、ちょいと気の利いたフレーズを言葉に出来た日には、大いに悦に入ったりしていた。

けれど、今、思う。そんなものは全て虚しい。いや……客観的に考えて、無駄だとか、真実とは程遠いとか、そういうことを言っているのではない。ただ……現実の死と、死の概念は、まったく別の事柄だと知ったということだ。

世の中には、人を元気にする歌が溢れている。悲しみは人を優しくする、苦難が人を強くする……痛みは人を大きくする肥やし……乗り越えられない壁、抜けないトンネル、明けない夜はない。

たぶん、それはその通り。概ねその通り。けれど、中にはある……抜けないトンネル、明けない夜……明るい空の下に、そんなトンネル、そんな夜が、そっと消えることなく潜んでいる……わたしの命があるかぎり……