OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

限定の魅力(^^)

2008-01-31 23:32:50 | Weblog
人には、それぞれ好みとか拘りがあって・・・それはもう、本人さえ納得していれば、周りの人がどう感じようと、どうでもいいことなんですが・・・だから、批難しようとは思わないんですが・・・時々、「どうしてなのかなぁ」という興味が湧く事はありますよね。

今回は、「限定」ってやつに惹かれる気持ちは、どういうものなかのかなと・・・それに興味が沸いちゃいました。

客の購買意欲を掻き立てるワードとして、安さをアピールするものの外に、「限定」っていうのが、そうとう効果を発揮するっていいますから、この「限定」ってのに惹かれる人は、かなり多いんでしょうね。

でも・・・なんで「限定」は魅力的なんでしょう。「一点もの」というなら、まだ分かる気もするんですが、「限定」ってことは、量産でないにしろ、そこそこ数はあるわけでしょ。決して「わたしだけもの」ってことじゃないから、独占欲が満たされるわけじゃないし・・・ただ「数が少ない」だけのことに、どうして、そんなに魅力を感じるのかなあ。

希少価値ってことに惹かれるんじゃなく・・・「限りがある」ってことに強迫されるのかな。ああ~、う~ん、そうかも知れないぃ~。それなら、なんとなく、わたしにも分かる気がします。「この機会を逃したら、もう二度と・・・」みたいな感じとでも申しましょうか(^^;。

ほうほう、なるほど・・・って、勝手に納得しても、まるで見当はずれかもしれません。でも、こういうことを考えてみるの、案外、楽しいんですよね。変ですかね(^^;。

「エンジン」と書けない女(^^;

2008-01-30 19:50:51 | Weblog
体調・・・ちょっと崩れてきたかな。明後日、定期健診なので、元気でいたいんだけど(爆)。でも、こういう時って、ちょっとした騒音なんかにも、イラッとしちゃうんですよね。何事に関しても、自分が調子よくいっている時って、周りに対して鷹揚に振舞えるし、優しくなれますけど・・・自分のコンディションが悪いときには、それが全然出来ない。だから、自分が辛い状況あっても、他人を思いやれる人こそが、ほんとうに優しい人なんでしょうね。わたしには無理だぁ~っ!!

ぜんぜん関係ないんですが・・・わたし、「エンジン」って手書きするのが苦手です。「ン」と「ジ」と「ン」、似た字&同じ字が続くんだもん、手が混乱するんです。言い難い言葉と同じで、書き難い言葉って、あるんですよ、ほんとに。って、それ以上、何も発展しない話でした(^^;。

うう~・・・すみません、今日は、これにして失礼しますぅ~。

ルーツを探る・・・ってか

2008-01-29 22:39:45 | Weblog
MINI君の自動車保険の更新が近づいてきました。一番歳若い運転者が、21歳を越えたので、一気に保険料が五万円下がりました。嬉しいっ!!でも、それでも高い(涙)。

ただ・・・それで推測できるのは・・・21歳までの運転者の事故が、ものすごく多いんだろうなということです。ん・・・たしかに、その年頃の自分のことを考えると、酷い運転していたものなぁ。技術的なことよりも、気持ちが酷かった。どうとでもなれっ!!って、本気で思ってたもの。事故を起こしたら、その影響は、自分だけに留まらないってこと、頭では分かってたろうけど、心は分かってなかったんだろうな。

けど、今の若者は、わたしたちの若い頃に比べて、格段に良い子が多いと思うんですよ。ほら、テレビなんかで、アイドルの人たちの話を聞いていても、芸人さんたちの話を聞いてても、昔の人って当たり前に酷いイジメを受けてたみたいだけど、今の人たちって、みんな、驚くほど仲良しでしょ。今時の若者たちは、心根がいいんだぁ~って、ほんと感心して嬉しくなるもの(^^)。

とはいっても、それでもやっぱり、若さって事故に繋がる無鉄砲さがあるんだろうなぁ~。みんな、気を付けてくださいよぉ~。

で、今日は、起源を探るという話を。

もともと、語源には興味がある方で・・・なかなか整備が進まないけど、一応、HPには専用のプログも用意してるんだけど・・・先日、テレビで言葉の起源を探るバラエティー番組の再放送があって・・・ほぉ~って興味深く見たのですよ。

その番組で、有名な『ガッツポーズ』の語源を取上げていたんですが・・・それについては、ずっと前に、別の番組で解説しているのをみた覚えがあったんですよね。たしか・・・プロボクサーのガッツ石松さんが、タイトルマッチで勝利されたときにとったポーズが、ガッツポーズって名付けられたんだって。

でも、実は、それ以前に、ガッツポーズって言葉は公の場所で使われていたって言うんですよ。なんでも、ボウリングの専門雑誌で、ガッツポーズを特集していたらしいですよ。紙面には、たしかにハッキリと『ガッツポーズ』って記されていました。

ただね・・・番組スタッフが、その雑誌の編集者さんに、そのことを確かめたら、編集者さんは「たしかに、ガッツポーズという言葉を使ったのは、うちの方が早かったと思いますが、ごく一部の人の目にしか触れていませんし、世の中に『ガッツポーズ』を認識せしめたのは、やはりガッツ石松さんでしょう」と仰ってました。ふむ・・・素敵な対応であります(^^)。

でも、その編集者さんの仰る事は、単に謙虚で好ましいだけじゃなく、一理ありますよね。言葉を作り出したことはもちろん、世に広めたということも、その言葉の生みの親と呼ばれるに相応しい功績ですよね。

そうそう、最近では『どんだけ~』もそうですよね。『どんだけ~』の産みの親は、新宿二丁目の人たちでしょ。それをテレビで紹介して、そこそこ有名にしたのは『リンカーン』という番組ですよね。でも、爆発的に流行らせたのは、IKKOさんってことになるわけですね。それぞれの人に『どんだけ~』という言葉に関しての功績があるわけですよね。

だから、そういうことを、後世になって検証するとなると、とっても難しいでしょうね。まっ、それが面白くもあるんですけどね(^^;。それで何なんだって?いや、ただ、それだけのことなんですけどね(^^;。

権力に恐れ入る(^^;

2008-01-28 23:20:25 | Weblog
今日、車を運転していて、濃い紺色の制服を着た人を見かけたんです。で、一瞬「あっ!」と緊張して、その後すぐに「ああ~」と力を抜いたんです。そう、最初はお巡りさんだと思って警戒したけど、警備員さんだと気づいて侮ったわけですねぇ・・・なんて嫌な奴なんだ、アタシって(^^;。

自分では、決して、権力に恐れ入る人間ではないつもりだったんですよ。権力だけじゃなく、立派な肩書きだとか、財力だとか、社会的地位だとか、そういうものにも媚びない人間のはずだったんです。でも、どうやら違うかったみたいです(涙)。

もちろん、相手の正体を正確に見極めて、自分に、どういう影響を及ぼす存在なのかということを踏まえた上で対処する事は、悪いことじゃないです。それをしなきゃ、自分を守れませんしね。けどねぇ・・・なんか、セコイ奴だと、自分にガッカリしちゃったのでありました、はい(^^;。

争う声、錐のように心に刺さる・・・

2008-01-27 18:57:39 | Weblog
最近、ちょびっと不思議に思ったことが二つあります。両方とも、テレビのコマーシャルを見ていて思ったんですけど・・・一つは、化粧品のCMなどで、すごく綺麗な女性が口紅を塗るシーン。どの人もみんな、塗り方が美しくないのは、どうしてなのかなと。唇と口紅と手元、三点を漏れなく見せようとすると、ああなっちゃうのかな。美を魅せ付ける目的のCMだろうに、不思議だなぁと、そう思うのであります。それと、もう一つは、人型ロボットが登場するCM。人型ロボットって、何故だか皆、しずしず歩くでしょ。あれが不思議だっていうか、面白いなと、そう思ったのでありました。と、ここまでが枕です。ではでは、本題。今日は、ちょっと暗いです(^^;。

少し前になりますが、少年が自宅に放火した事件がありました。ちょうど、同じ頃に、アチコチで少年による凶悪な事件が立て続けに起こって、自宅は燃えたけど、死傷者が出なかったこの事件は、あまり取上げられずに忘れ去られていったのですが・・・わたしは、妙に頭に残って、なかなか忘れられないのであります。

たぶん・・・少年が自宅に火をつけた理由は、母と祖父が、毎日のように喧嘩しているのに嫌気がさして・・・というようなことだったと思うのです。それが、ものすごく心に痛くて・・・なんとなく忘れ難いのです。

そのニュースを聞いた数日後に、独り言みたいに「あの子の気持ち、分かるなぁ」と呟いたら、それを聞いていた夫が「そんなもん、分かるな」と言いました。そりゃぁそうなんですけどね・・・でも、なんていうか・・・胸が締め付けられる気分がするのですよね。

なんていうか・・・親しい人同士の争う声を聞くのって・・・ほんとに辛いんですよね。それに、親しい人が親しい人の悪口を言うのを聞くのって、とっても悲しい。それが、妥当な悪口であっても・・・とても、とても悲しいです。

よく、離婚の相談をされた人が「子どもの為に我慢したら」とアドバイスしていますが・・・わたしは、毎日、子どもの前で喧嘩したり、母親が子どもに父親の悪口を聞かせたり、父親が母親を罵ったりするのを聞かせるくらいなら、離婚した方が、子どもの為かもと思ったりします。

それは、親子でも同様で・・・親子だから、必ずソリが合うというわけでもないので、関係がこじれそうなら、ある程度の物理的距離を取った方がいいと思います。もちろん、逃げずに解決できれば、それにこしたことはないと思うのですが・・・距離をとるという事も、時には必要かと思います。

夫婦だから、親子だから、兄弟だから、友だちだから・・・だから、仲良くしろといっても、出来ないこともある。だとしたら・・・無理に一緒にいて争いを繰り返すより、距離をおくことを選んでもいいのではないかと、そう思わずにいられません。

それほど・・・親しい人同士のいがみ合う姿は、回りにいる人の心も、傷つけると思います。

なんてね・・・ふぅ~・・・・・・・。

異性の力

2008-01-26 18:47:03 | Weblog
やったー!!CD-ROM、見つけました。で、オフィスを再インストールして、無事に・・・たぶん無事に(^^;、不具合が解消されたと思います。ああぁぁ~っ!!うっれっしっいっ!!

でもね・・・自分で解決できなかったのは、やっぱり悔しいです。しかるべき処に問い合わせるほうが、絶対にスムーズにトラブルが解消できるのは分かっているのだけど、出来るだけ自分で何とかしたいから、それが出来なかったことは、めちゃくちゃ悔しいです。けど、まっ、それが、わたしの実力ですから・・・仕方ないですね(^^;。

ところで、完全なる雑談ですが・・・最近、車では、いつも同じCDを聴いています。来月にライブに行くので、その予習です。CD自体も、とっても気に入ってますし、聴いているとライブへの期待も高まって、たいそう楽しいです。けど、そのせいで、いつも聞いているFMを、まったく聴かないので、そのあたりは「ちょっと、どうなのかな」と思ったりはしています。

わたしは、音楽感性が貧困なので、自分で色んな素敵な音楽との出会いを作っていけないのです。なので、ラジオなどで、聞くべき音楽をある程度押し付けてもらうと、狭い狭い間口が、少しは広がるので・・・なので、ラジオを聴く事は、わたしの音楽ライフにとっては、かなり重要なのです。でも、好きな音楽に夢中になっちゃうと、情報収集&間口の押し広げが疎かになるので、そこのところはバランスを取りたいなと思いつつ・・・やっぱり、好きに引っ張られてしまう今日この頃です。

ということで、いよいよ今日の話題に。ふざけた様に聞こえるかもしれませんが、けっこう本気で話します(^^;。

いきなりですが・・・男性にとっても、女性にとっても、異性の存在って、かなり大きいと思うんですよ。異性に好かれたい、モテタイと思うことから生じるパワーって、かなりのものだと思うんですよ。

だとしたら・・・男が成長するためには女が男に何を望むかってことが、そして女が成長するためには男が女に何を望むかが、非常に大きな力になると思うのですよ。だから、男が馬鹿な女を望めば、女は馬鹿になっていくし、女が優しいだけの男を望めば、男は優しいだけで頼りない男になっていくと思うんです。

もちろん、全員がそうなるわけじゃないし、極端に変化するわけじゃないとは思うけど、そういう傾向は現れてくると思うのですよ。

だからね・・・男性には、ほんとうにカッコイイ女性を求めて欲しいなと、そう思うのでありますよ。そして、女性にも、イケメンだとか金持ちという意味じゃなく、ほんとうにカッコイイ男性を求めて欲しいなと思うんですよ。

でも・・・現実には、あまりそうはならないようなんですよね。男性も女性も、異性を、そんな風には求めないみたいなんですよね。どうしてなのかなぁ~。残念だなぁ~と、そう思う、今日この頃なのでありました。

頑張れ、まいボディ!!

2008-01-25 19:47:47 | Weblog
気持ち悪いぃ~と言われるかもしれないですが、わたしは毎夜、電気毛布を使って寝ています。布団に入るときの、あの冷たさが嫌で、ほこほこお布団に誘惑に負けてしまうのであります。

でも、もろもろ事情もあり、たまぁ~に、電気毛布を使わない夜があるのです。するとね・・・これがね・・・驚きの温かさをもたらしてくれるのですよ。もちろん、お布団に入る瞬間は、超寒いですよ。でも、しばらくすると、自分の体温でぽかぽかし始める。そして、夜中にふと目覚めたときとか、朝方に感じる暖かさは、電気毛布の比ではないのですよ。

電気毛布には、一見、何のマイナス要素も見当たらないでしょ。布団も同じ、中にもぐりこんで寝ている人間も同じ、その上、電気毛布には電気で作り出した温かさが加わるわけだから、絶対により快適なはずなんです。少なくても、より温かいはずなんです。

あれでしょうか・・・電気毛布に包まれていると、体が頑張らないんでしょうか。「もう十分に温かいんだからいいじゃん」って、自ら頑張って温まろうとしないんでしょうか。電気毛布に頼っちやって、怠け者になってしまうんでしょうか。

理由は分かりませんが、とにかく絶対に電気毛布を使わないほうが心地よい温もりをタップリと手に入れられるのですが・・・最初の、あの冷たさに我慢できず、今日もワタシは電気毛布に依存するのでありました。

あっ・・・布団に入ったら、その時に電気毛布のスイッチを切ったらどうだろう・・・そうしたら、好いとこ取りできるだろうか・・・いちど、試してみよう。

と、今日は本題から入って、枕ならぬ、尻尾話をちょいとばかし、付け加えます。って、要するに、愚痴を聞いてもらおうってだけなんですけどね(^^;。

ほら、障害福祉サービスの電子請求の為の簡易入力ソフトを壊してしまったかもって話をしたでしょ。あの話の続きです。

とりあえず、不具合の原因が、Internet Explorerのバージョンを「7」に上げたせいだと判明したところまで、お話しましたよね。で、バージョンを戻して、入力ソフト自体も総再ダウンロードしたけど、まったく改善されないって。

でね・・・その原因も、ついに判明したのです。結局、サポートセンターに問い合わせて分かったんですけどね。どうやら、エクセルのバージョンの問題だったようです。わたしとしては、エクセルのバージョンを上げた覚えはないんですが、どうやら「SP2」から「SP3」へバージョンUPしていたみたいなんです。で、ソフトが「SP3」に対応していないから、変になっちゃうということなんです。

でもね・・・IEの場合だと、「7」を削除したら、自動的に「6」に戻るんだけど、今度は、そう簡単にいかないんですよ。「オフィス2003」をアインストールして、CD-ROMからもう一度インストールして、さらに「SP2」をダウンロードして・・・ってしなくちゃいけないんですよ。

でも、オフィスをアインストールしてから、CD-ROMはどこだっけ、ということになり・・・ワードもエクセルもないと、今の仕事が出来ないからと、とりあえず、「復元」でアインストール前に戻してみたらば、復元は正常に終了したと出るのに、ワードもエクセルも立ち上がらず・・・それで、復元を取り消して、またアインストール状態に戻して、CD-ROMなしで何とかできないか模索し・・・わたしの午後は、これらの作業で消えてしまったのでした。そして、今、電子請求ソフトどころか、ワードもエクセルも使えない事態に陥っているのであります。ああ~、あした事務所でCD-ROMを見つけ出さなきゃ、大変なことになっちやうよぉ!!と・・・これだけ愚痴っておきたかったのでありました(爆)。

捨てられた花

2008-01-24 19:07:35 | Weblog
山猫軒に飾っていた花が、ずいぶん草臥れてしまって・・・しかも、黒い小さな虫も付いてしまったので、ゴミ箱に捨てようと各テーブルから集めてきました。でも、完全に枯れていないのにゴミ箱に捨てるのが、なんだか忍びなくて・・・ふと思い立って、勝手口から外に出して、軒下に花瓶ごと置いておいたのです。酷い例えですけど・・・戦場で致命傷をおった仲間を、手にかけて楽に逝かせてやる勇気もなく、放置したまま逃げたって感じす。

で、今日は、ゴミの収集日だったので、もうスッカリ枯れているだろう外に放置した花を、一緒に捨てようと見てみたらば・・・わたしが見捨てたその花たちが、そこに置いた時より生き生きと、その場でチャンと咲いていたのですよ。

なんだか、涙ぐんじゃいました。何故だか分からないけど、すごく恥ずかしい気がして・・・でも、それ以上に、すごく嬉しくて・・・ばかみたいに、涙ぐんじゃいました。ほんと、馬鹿ですね(^^;。

違和感に拘る

2008-01-23 22:53:08 | Weblog
何が正しいかとか、何が良いのかって、なかなか分からないでしょ。わたしは、よく分からなくなります。

恐ろしいのは、自分の信じていることこそが正しいと、少しの揺らぐことなく思っていた時が、後から振り返ると、一番悪魔的な状況だったなと感じられることだったりしますし・・・ほんと、正しいことって、よく分かりません。

でもって・・・後になって考えたときにも、比較的後悔が少なくてすむのが、「違和感」という判断基準に従って決めたことだったりします。

そういえば・・・コピーなどを量産して、納品前に、ざぁ~っと文章をチェックする時にも、キーは「違和感」だったりします。最終チェックって、ほとんど流すようにしか見ていかないんですが、間違っている箇所に差し掛かると、微妙な違和感を感じるんですよね。間違っていると気づくのではなく、何気に違和感を感じる。そこで、立ち止まって、よく見てみると、間違いが見つかるんです。不思議と、真面目に一生懸命、一字一句読んでいくより、この方が、間違いを見つけやすかったりするんですよね。

と、これは、ひじょーに荒っぽい喩えですが・・・善悪の判断のようなことに関しても、この「違和感」が一番信じられる気がするんですよね。「なんか違うな」って感じてしまうことには、どんなに正しそうに見えても、何か抜け落ちているものや隠されているものあるんじゃないかと思います。よく見ても、よく考えても、それが何だか見つけられないけど、それでもやっぱり「なんだか居心地が悪い」と感じるなら、そのことには警戒心をもった方がいいように思います。

決して、熟考することを否定するわけじゃないんですよ。感覚だけでいいとも思っていません。特に、自分の好き嫌いだけで判断するのは困った事だと思います。でも、頭にだけに頼っても、辿り着けないもの、知り得ないもの、感じ取れないものがあるなぁと・・・それは、ヒシヒシと感じるのでありました・・・って、頭が悪いからですかね(^^;。

距離感に関する勝手神経質(^^;

2008-01-22 23:56:10 | Weblog
かつて、わたしには神経質な部分があった。キレイ好き系の神経質ではなく、距離系とでもいえばいいだろうか・・・人との距離に関しての拘り的神経質さがあった。

けれど、ふと気がつけば、その神経質さが、次第に薄くなってきている気がする。もちろん、以前に好まなかったものは、今でも好きではない場合が多い。でも、一瞬「ヤダ・・・」と思っても、次の瞬間には「まっ、いっか」と思っている。

それが良いことか悪いことかは分からないが、ずいぶん生きやすくなったことは確かだと思う。

きっと、衛生面での神経質さは、年をとっても、あまり変わっていくものではないのだと思う。自分のことではないので、よくは分からないが・・・多分。でも、距離の取り方なんてモノに対する神経質さなら、相手がいくら間合いを詰めてきたとしても、こちらの感じ方で対応できるものなのだと思う。実際的な距離も、精神的な距離も。

と・・・自分は、出来ているつもりになっているけど・・・わたしに相対する人は、もしかして、非常に不快な思いをしているのかも(^^;。冷たい人だと思われることは、実際、冷たい人間なので、不満に思う資格もないのだけれど・・・相手の人が、拒否されているとか、阻害されていると感じてしまって、それで悲しく思っていたとしたら、それは申し訳ないことだなと思う。別に、相手の人に落ち度があるとか、嫌いだとかということではなく、一方的に此方が、距離感に関して独特の勝手神経質を持っているだけなのだから。

おお~、久しぶりにギリギリだ!!読み返さずに、UPしちまいますぅっ!!