OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

花咲く季節

2020-04-25 13:12:13 | Weblog
お庭の植物たちが、次々に花を咲かせ始めています。

 低いですが、藤です(^^)。

 牡丹です。

 サツキです。

 タンポポは、少し前から咲いてます(^^)。

本当の私って、どんな人?  人酔い編

2020-04-18 18:57:31 | Weblog
ずっと抱えている劣等感があります。それは"体力がない"ことです(^^;。もちろん、他にも苦手なことはたくさんありますよ。記憶力が悪すぎて語学が出来ない、リズム感がなくて踊れない(歌うのはOKなんですが、ダンスはもちろん手拍子もダメなんですよね、体でリズムをとるのが)、楽器の演奏が苦手、その他、たくさんたくさんできないことがあって、それらすべてに関して「わたしってダメだな」って思いますが・・・意外に、本気で気になっているのが"体力がない"ってことなんです。

子どもの頃に、子ども会で山登りしてしんどくなりました。学校の騎馬戦で人にもまれて過呼吸になりました。友人たちとお寺参りにいっても、山頂のお寺だと皆についていけなくて迷惑をかけました。「わたしって根っからの怠け者で頑張れないからこんなことになるのかな」って、なんというか・・・後ろめたい気持ちがずっと心の底にあったんですよね。

でも、低血圧で貧血だし、免疫疾患が疑われると言われて・・・体力がないのは怠け者だからではなく体質のせいなのかと少し安心したものでした(^^;。

それで、ついでにと言っては何ですが、気になっていた「人見知り」「人酔い」についても調べてみました。それも、体質の問題なのかなと・・・そしたら、意外に性格的なことが多く取り上げられているんですよね・・・でも、その性格の特徴が、何一つ自分に当てはまらないんですよね(爆)。

わたしが「人酔い」をするのは、親しい人ならだれもが見かけたことがあると思います。人酔いだけでなく、電車で長時間立っていても立ち眩みのような状態になるのですが、要するに自律神経のバランスが崩れ、血圧や心拍数が下がってしまうという「血管迷走神経反射」っていうやつ・・・気のせいではなく、ほんとうにわたしにはよくあることなのであります。

それから「人見知り」。これはに関しては・・・わたしにはオフとオンがあって・・・たとえば、講演など人前でお話する時は、演者という役柄をオンにして*/、むしろ恍惚とお話しできます。たとえば、ライターの仕事で初めて会う人にお話を聞く様なときは、ライターという役柄をオンにすれば、人見知りの欠片もなくなって、積極的にお話することができます。たとえば民生委員という役柄で、初めてのお宅を訪問する時も大丈夫です。でも、オフになり、素の自分でいる時には、知っている人であっても話すのがつらくなります。人と接すること自体が苦しくなります。

このオフ・オンが、わたしという人間を読み解く大きなカギかもしれませんが・・・

でも、わたしとしては、"本当のわたし"は、人見知りで、実際にひどく人酔いをする人間なのです。

で・・・じゃあ、人見知り・人酔いする人は、どういう性格の人が多いのかというと・・・言いたいことが言えない(話をするのが苦手)、注目されるのが苦手、マイナス思考、自分に 自信がない、人の評価を気にする、なにかと自分を他人と比較する、傷つきやすいなどなどというのが出てくるのですが、自分ではその真逆の性格だと思っています。長年、自己にこだわって自己分析にいそしんできましたが・・・嫌味なほど自信過剰な野郎です、わたし(爆)。

なら、どうして人見知りして、都会に出れば人酔いするのか・・・性格とは無関係なところに問題があるのか・・・それとも、ほんとうの"本当のわたし"は、さっき羅列したような性格なのか・・・いや~、どう考えても、それはないよ(^^;。

この日記の始まりが、劣等感がありますって話でしたが・・・苦手な項目が多々あったとしても、トータルで自分のことは大好きですし、世間さまが下さるであろう客観的評価にくらべてはるかに高い自己評価を主観的に下しているのは確かです(爆)。

以前、爪の周りの皮を毟る癖の話をした時にも、同じことを言っていたと思うのですが・・・体や行動の個性から説明される性格と、自分が感じる自分の心根が、あまりにもかけ離れているんですよね・・・いったい、"本当のわたし"はどっちなんですかね・・・

わたしとしては、わたしの感じているわたしが本物で、心理学的な解釈の方を再検討いただきたいな(劇爆)。

小さな悪戯が増えているように思われますが・・・

2020-04-15 10:30:27 | Weblog
しばらく前から、母が畑仕事の道具がナイナイと言っています。もともと、あまり整理整頓するタイプではないので、よく何かをなくしてはナイナイと騒ぎ、しばらくしたら見つかる、なんてことがよくあったので、またそういうことだろうと、軽く受け流していましたが、ここのところ、あまりにも頻度が増えてきて、ちょっと認知症の心配をしそうになりました。でも、昨日、近所の方からも、ここのところモノの紛失があると聞かされ・・・ふむ・・・

実は、数日前、居間から外を見ていたら、家の前の道で遊んでいる子どもたちが大きなショベルを手にしていたんですよね。子どもの砂遊び用のそれではなく、農家が使うシッカリしたもので・・・その子どもたちは農家の子じゃないし・・・しかも、そのショベルはうちのに似てるけど・・・もしそうだとしても、まっいっか、後で返しておいてくれれば・・・と、思ったんですよね・・・

で、今朝も、外に出ていた母が、慌てて家に入ってきて「かぼちゃの苗のポットの数が減っている!!」と・・・

証拠もないのに疑って、濡れ衣を着せるのは罪深いことなので慎むべきなんですが・・・

わたしは、退屈した子どもたちのイタズラなんじゃないかと思うんですよね。金銭目的の窃盗ではないし、悪意のある嫌がらせでもないし・・・やっている方は、なんの悪気もなく、軽い気持ちの面白半分でやっているのではと・・・子どもの頃って、ピンポンダッシュとか、そういうこと、やっちゃうものでしょ(^^;。

昨夜は、家の前の公園に、中学生か高校生くらいの男の子たちが集まって騒いでましたが・・・みんな、落ち着かないし、何していいか分からないし・・・みたいな心理状態なんじゃないかと、勝手に想像するんですよね・・・

それで、母には、そういうことなんじゃないかと思うから「大事なものは、なるべく道から見えないところに、ちゃんとなおすように」と伝えました。「こういう時期だから、多少のことは仕方ないと思いましょう」と。

実際のところのことは分からないんですけどね・・・でもまあ、誰もが多かれ少なかれ、普通ではいられない時だと思うので・・・多少のことは、大らかに大らかに受け止めましょうと・・・我が家では、そういう方針に決定しました(^^;。

失った感情の一つ "悔しさ"

2020-04-06 11:15:46 | Weblog
大切なものを失う度に、自分の中の何かが一緒に消えていく、そんな気がしていますが・・・

最近になって「あっ、そういえば、すっかり失くしてしまっている」と気づいたものがあります。それは「悔しい」という感情です。

わたしが何より「悔しい」と感じるのは、感動を与えてくれる作品に出会ったときでした。それは、小説でも音楽でも絵画でも舞台でも、対象は何であってもよいのです・・・出会った時に「面白い!!」と感じたら、「スゴイっ!!」と感動したら、体の芯から沸々と「悔しいっ!!」という気持ちが溢れてきたものでした。

それは涙が出るほどの喜びを伴った、身をよじるほどの嫉妬・・・悔しいは、私にとっての最高の賛辞なのでした。

でも、考えてみれば、もう長らく"悔しい"と思ったことがない・・・

それは、素晴らしい作品に出会っていないからではなく・・・私自身が、何かを産み出したい、何か創り出したいと思っていないからなんだと思います・・・

悔しいという感情は、相手をライバル視していないと生まれないと思うのです。客観的に見れば、とんでもない身の程知らずであっても、本人は同じ土俵に立っているつもりだからこそ悔しいと感じる。つまり、わたしはもう、何かを創りたい人ではなくなってしまっているのか・・・

口では、何かをしたい、何かしなくちゃ・・・なんて言っていますが・・・一番大切なものが逝ってしまったのかしら・・・それとも、心の深いところに籠っているだけなのかしら・・・

2020-04-03 18:10:26 | Weblog
WOWOWで放送されている『CONTACT ART~原田マハと名画を訪ねて~ 』を見たんですけど・・・第二回での放送で、ギュスターヴ・クールベの『波』にコンタクトしていたんですよね。波・・・波かぁ・・・

でもって・・・写真の絵は、もちろんクールベのものではありません。我が家にある絵です。買ったのは私です。お金を出したのは親ですが(爆)、「これが欲しい」と言ったのは、たしか中学生の頃の私です。

ちなみに、何処で買ったかというと・・・画廊ではないのですよね。なんと地元の、だから田舎の、家具屋さんです。たしか「中学生になったし、鏡台を買ってあげよう」と親に言われて連れていかれた地元の家具屋さんで、なぜか家具の間に置いてあったこの絵に、一目ぼれしたのでした。

原田さんは、クールベの『波』について語られる中で「波しか描いてないのをつまらないと思う人もいるかもしれないけど」というようなことを仰っていましたが・・・わたしが、我が家の「波」に惹かれたのは、波しか描かれていないからこそでした・・・

以来、この絵は、ずっとわたしの側にあります。ほんとうに、ずっと・・・。そして、今も、わたしはこの絵が大好きです(^^)。

この絵より、ずっと後になりますが・・・やけに気に入ってしまったけど、どうしたって手に入らない絵がありまして・・・仕方ないので、画集を二冊買い、一つをばらしてその絵のページを取り出し、額に入れて飾っている絵があります。フランシスコ・デ・ゴヤの『砂に埋もれる犬』です。

ゴヤの『砂に埋もれる犬』は、誰もが認める名画だと思うのですが、我が家の「波」も、わたし的には、それに匹敵するほど愛しい絵画なのです(^^)。人の好きって、そういうものでしょ(^^;。