夏といえば、生命力がスパークしているようなイメージだけれど、動物にしても植物にしても、命あるものたちの様子は、必ずしも元気溌剌ってこともない・・・むしろ、夏枯れの様相だったりする(^^;。
要するに、夏の暑さは、生き物にとって、冬の寒さに負けず劣らず過酷だってことかな。ずっと暑い熱帯地方の動植物は多様で豊富みたいだから、暑さに罪があるわけじゃないのだろうけど・・・四季のある地域の命は、春や秋といった程よい気候を好むんだろうね。
そう・・・そうなの・・・秋も、春に劣らず、けっこう命が元気な季節なんだよね。季節イメージとしては、春の緑に対して秋は茶色だったり、春の新芽に対して、秋は落ち葉だったり、必ずしも活気があるとは言いがたい淋しいものばかりだけど、実際には秋って「実がなる時」だし、春以上に生命力に満ち溢れた季節なんだよね。
とはいっても・・・何故か、春的な生命の息吹を、秋に感じるのを嫌だと思っている自分がいる。たとえば、デジカメをもって散歩にでかけ、花の写真を撮る時に、プランターで咲き誇っている、鮮やかで色とりどりな大輪の花を避けてしまう。理由は、色鮮やかな花は「秋らしくない」からだ。秋には、秋らしい風情が欲しい。それ以外のイメージは、いらないと拒否している。実際に、今咲いているのに、それが春っぽい花や、夏っぽい花だと、見ないことにしてしまう。秋なんだから、あくまでも「秋らしくなきゃ駄目」と、思っている。
でも、じゃぁ、秋らしいって何なんだよってことになるよね。「女は女らしくしろ」なんて言われたりしたら、ものすごい形相で「わたしはわたし。勝手なイメージを押し付けないでっ!!」なんて怒り狂うくせに、せっかく咲いている花に対して「秋らしくないから駄目」って何なんだよ!!ってことになるよね。
今、旬な安倍さん談義でいくなら「日本人らしい」ってことも、何だろうってことだよね。着物着て、ちょんまげ結って、天婦羅と刺身食って、何かあったら腹切りすれば日本人らしいのかよってことだしね。
「らしさ」って、けっこう大切だなとは思ったんだけど・・・本当に大事なのは「らしさ」の出所なんだと思う。どんな土壌が「らしい」と感じられるものたちを産出し、全体的な「○○のイメージ」を形作ったのか・・・出来上がった形より、それを産んだ土壌が、ほんとうの「らしさ」の在り場所なんじゃないかな。それを見ることが出来たら、押しつけにならない「らしさ」が分かるんだろうな。
要するに、夏の暑さは、生き物にとって、冬の寒さに負けず劣らず過酷だってことかな。ずっと暑い熱帯地方の動植物は多様で豊富みたいだから、暑さに罪があるわけじゃないのだろうけど・・・四季のある地域の命は、春や秋といった程よい気候を好むんだろうね。
そう・・・そうなの・・・秋も、春に劣らず、けっこう命が元気な季節なんだよね。季節イメージとしては、春の緑に対して秋は茶色だったり、春の新芽に対して、秋は落ち葉だったり、必ずしも活気があるとは言いがたい淋しいものばかりだけど、実際には秋って「実がなる時」だし、春以上に生命力に満ち溢れた季節なんだよね。
とはいっても・・・何故か、春的な生命の息吹を、秋に感じるのを嫌だと思っている自分がいる。たとえば、デジカメをもって散歩にでかけ、花の写真を撮る時に、プランターで咲き誇っている、鮮やかで色とりどりな大輪の花を避けてしまう。理由は、色鮮やかな花は「秋らしくない」からだ。秋には、秋らしい風情が欲しい。それ以外のイメージは、いらないと拒否している。実際に、今咲いているのに、それが春っぽい花や、夏っぽい花だと、見ないことにしてしまう。秋なんだから、あくまでも「秋らしくなきゃ駄目」と、思っている。
でも、じゃぁ、秋らしいって何なんだよってことになるよね。「女は女らしくしろ」なんて言われたりしたら、ものすごい形相で「わたしはわたし。勝手なイメージを押し付けないでっ!!」なんて怒り狂うくせに、せっかく咲いている花に対して「秋らしくないから駄目」って何なんだよ!!ってことになるよね。
今、旬な安倍さん談義でいくなら「日本人らしい」ってことも、何だろうってことだよね。着物着て、ちょんまげ結って、天婦羅と刺身食って、何かあったら腹切りすれば日本人らしいのかよってことだしね。
「らしさ」って、けっこう大切だなとは思ったんだけど・・・本当に大事なのは「らしさ」の出所なんだと思う。どんな土壌が「らしい」と感じられるものたちを産出し、全体的な「○○のイメージ」を形作ったのか・・・出来上がった形より、それを産んだ土壌が、ほんとうの「らしさ」の在り場所なんじゃないかな。それを見ることが出来たら、押しつけにならない「らしさ」が分かるんだろうな。