OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

「今日は〇〇をしよう」と思える朝

2022-03-30 07:44:06 | Weblog
ここ数か月、母のネガティブな問いかけに、わたしまで心が折れそうになっていた。もう自分は何もできない、自分には何の価値もない・・・それが悲しい言葉になって漏れ出てきたり、怒りになって投げつけられたり。最初期の頃は、いろいろと言葉をつくして慰めたり励ましたりしていたが、だんだん返事するのも億劫になっていた。そもそも、それが励ましであろうと、母の言葉を否定するようなワードをつかえば、確実に怒り出すのだもの。みんなで自分を騙している、自分を嫌っている、自分を邪魔に思っている・・・駄々っ子のように寝転がって両手をバタバタさせて叫び続けたこともあった。

月に一回、主治医の検診を受ける時以外、ずっと自宅で、家族(主にわたし)とだけ接しているから、どんどん煮詰まっていっているのかも・・・そう思い、「デイサービスに行ってみる?」と聞いてみた。今までにも「少しは人と会わせた方がいいのかも」と思って、檀家で順番に担当しているお寺掃除、一年前までは母がやっていたお寺掃除に、「私が行くとき、一緒に行ってみる?」と聞いたことがあるが、何度聞いても「いかん」と言っていたし・・・知り合いと一緒のお寺掃除がいやなら、知らない人ばかりの知らない場所に行くデイサービスは嫌がるに決まっていると思ったが、食いつき気味に「行く」と言った。そして、すぐに「それなんや」と聞いた・・・おいおい(^^;。一応、デイサービスについては説明したが、「分かった?」と聞いたら「分からん」とのことだが、行きたいという気持ちは変わらないようだった。

とはいっても、行きたいからといってすくに行けるものではない。とりあえず、地元の包括支援センターに電話したら、市に介護認定申請をしてくださいと言われる。その段取りはよく知っていたけど、包括支援センターとの連携みたいなことが大切なのかと思って連絡したが、ぜんぜんそんなことはなかった。出来ることは自分でやるのが基本のようだ。包括支援センターは、よく分からない、自分で出来ない、そういう方を支えるためにあるようだ。長らく民生委員をしていて、逆に包括支援センターの存在が私の中で大きくなり過ぎていたようだ。自分で、市のホームページから申請書をダウンロードし、記入し、郵送した。申請してから手続きが完了するのに一か月以上かかるそうだし・・・郵送してから一週間はたつけど、まだ何の連絡もない・・・まぁ、そんなものか。

そんなおり・・・ここのところ天気も良かったし・・・母がもぞもぞ動き出した。何か大きな音がするぞと思ったら、パジャマのまま外に出て、畑の土の上に座り込んでいる。「何してるの」と聞くと「草引きする」という。「一度、家に戻って、着替えようか」と部屋に戻し、野良着に着替えさせて外に送り出す。この日は三時間ほど草引きをしていた。

その次の日も、やっぱりパジャマのまま外に出ようとしているのを見つけ、慌てて着替えさせて庭に送り出す。この日は、丸一日、庭で草むしりをしていた。次の日には、「外に出る時は、これに着替えてね」とカゴに野良着を入れて、入り口付近に置いておいたので、自分でそれに着替えて外に出ていった。その日も、一日中、作業をしていた。

そして今朝。さっきのことだ。起きてきて「おはよー、ええ天気やなぁ」というので「そやねぇ~」と答えると、「今日は、畑をかじくわ」と言った。しっかりとした口調だった・・・

デイサービスが利用できるよう、手続きも進めていくつもりだが、やっぱり、母にとって一番いいのは、庭いじり、畑仕事のようだ。もう、野菜を育てて出荷するようなことは無理だが、文字通りの"土いじり"を楽しんでくれればと思う。朝起きて、今日はあれをしようと思えることの幸せ・・・文字で読んだりして、頭では理解していたつもりだけど・・・目の前の母の表情を見て、マジで泣きそうになってしまった・・・・

ブログサービス「teacup.」が終了するそうです

2022-03-29 18:23:27 | Weblog
GMOからのメールが届いた。「長年にわたりご愛顧いただきましたteacup.ですが、2022年8月1日(月)13:00をもちまして、サービスを終了させていただくこととなりました。」とのことだ。

ふむ・・・無料のブログサービスだし、終了すると言われたら文句も言えない。「goo blogならインポートツールを使って簡単にお引越しができます」と、おすすめお引越し先として、この「goo blog」を紹介してくれているし・・・むしろラッキーなのかも(^^;。

ただねぇ~・・・パソコン通信を利用し始めて以来、何度こうして"捨てられた"だろうと、我が通信ライフを振り返ってしまい、ちょっと"おセンチ"になってしまっているのでありますよ(^^;。ただ利用していたサービスが終了するだけなんだけど、ほんと毎回、捨てられた気分になるんだよね。でも、パソコン通信から数えると30年以上だもんなぁ~・・・そりゃあ変わっていくさ・・・「その変化によく付いてきたね」と自分を褒めてあげたい・・・でも、なんか、今も心はパソコン通信から巣立ってない自分を感じます(^^;。

で、じゃあ、どうするか・・・なんだけど・・・お引越し、面倒だなぁ~。この十年は、ほとんど書けなくなっているから、移転しても将来性はあまりないし・・・今まで書いたものだって、わざわざ引っ越しするほどの内容でもないし・・・静かに消えていく・・・それもまた好しかな・・・

ちなみに、そう決めた場合、消滅するブログは6つ・・・「夢日記」「旅日記」「プチ幸せ日記」「君へ」「A SCRAP」「一切合切言葉考」です。十年前までは、呼吸するのと同じように、書くことが自然な行為だったから、書いても書いても書くことがあったんだよね。他人様が読みたいかどうかは別ね(爆)。ただ、わたしが書きたかったんだよねぇ~。このブログの基になるパソコン通信のパティオでも、ほとんど毎日、長文をUPしていたものでした(^^;。

ふむ・・・利用しているブログの全てを纏めているniftyの㏋を一応、ご紹介しておきます。そんな心優しい方がいらっしゃるとは思えませんが、消えるなら、その前に少し覗いてあげようかなと思われたら、そこから上記消滅予定ブログに飛んでくださいまし(^^;。

わたくしが利用しているniftyのHPのアドレスは http://p-oberon.my.coocan.jp/index.htm です。

ああ~、ブログが消滅したら、このHPのページも作り直さなきゃね。作り方、もう覚えてないぞぉ~(爆)。

揺れて揺られて・・・

2022-03-24 07:59:23 | Weblog
ある日、ふと自分の人生を振り返り、しみじみと「わたしってなんてラッキーガールなんだ」と思う。奇跡的な幸運に恵まれたり、素敵な出会いを数々経験し、あんな体験もこんな体験も・・・「ああ~楽しかったな」「面白かったな」・・・自分はなんて幸せな人間なんだろうと天に感謝する。

けど、ある日、ふと自分の人生を振り返り、しみじみと「なんと悲しみの深い人生だったろう」と涙する。大河ドラマほどのスケールはないが、腕のいい脚本家なら朝ドラくらいには仕立ててもらえる程の苦労エピソードがあるなと。

きっと、誰しもがそんな感じなんだろうなぁ~・・・

そこで、啓発人や、宗教家や、とにかく人を前向きに生きるよう指導したい人たちなら、「物事は見方によって様々に姿を変える。何をどう見て、そこからどう学び、これからそれをどう活かすかはあなた次第」って励まし導いてくれるんだろうけど・・・わたしは、そういうのいいや・・・

日によって、マイナス思考になったり、プラス思考になったり・・・幸せな気分の日もあれば、不幸のどん底な気分の日もあり・・・ふわりふわり揺れて揺られて、そのまま自然にフェードアウトしていければいいなって思うのでありました・・・(^^;。

どうしたもんだかね・・・

2022-03-23 12:45:10 | Weblog
共産主義と社会主義の違いもよく分かってないし、マルクスの『資本論』だって最初の数ページしか読んでないような人間なんですが、漠然と""貧富の差のない世界をめざしている""んだろうなって理解しています。だとしたら、ものすごく素晴らしいことのように思うんですが、今、世界に現存する社会主義の国って、なんだか思っているのと違うなぁ~と、なんだかどころか随分違っているなぁ~と。

じゃあ、なんで違っちゃってるんだろうと考えると・・・稚拙な考えですが、人間という生き物の欲望を甘く見ちゃったのかなと。というか、理想を掲げて多くの人のもつ当たり前の欲望を押さえつけて、逆に一部の人の欲望が暴走しちゃってる感じかなぁ~なんて・・・ぼんやり思ったりはするのですが・・・

なんていうか・・・結局、思いの行きつく先は"人間って生き物の我欲ってやつはとてつもない怪物だな"ってことになりますかね・・・

でも、そんな怪物を心に飼っている我々でも、一応、貧富のない社会は理想だと、心から思うことはできるわけで・・・それはもう、本気で思うわけで・・・思うけれど、いざとなったら欲望を捨てるなんて不可能なことで・・・結局は、間をとってとか、折り合いをつけてとか、そういうことしかできないのかなと・・・

そう悩みだすと、ぐっと存在感を増すのが"教育"なんですが・・・それが"道徳教育"って感じになると、どうも胡散臭くなる。なぜ胡散臭く感じるかというと・・・短期に行えば"強要"、長期に行えば"洗脳"な感じがするからかなぁ~・・・とにかく、自分の自然な感情を、時代の正義に基づいて、無理やり矯正されている感じがするんですかねぇ~・・・これは、「ありの~ままの~自分」を肯定すべきというのが流行りの時代にはそぐいませんよね。

じゃあどうするんだと・・・国家による統制もなく、道徳による締め付けもなく、欲望まみれのありのままの自分たちの集合体で、貧富の差のない社会なんて、あり得ないじゃないかと・・・ありえないですよね、どう考えても。

ああ~、人間って嫌だ! ほんとうに醜い! どうしようもない生き物だよ、マジで!!!

でも、好いところもあるんだよね・・・可愛いところもあるし・・・尊敬できるところだってないことはない・・・

あぁあ~・・・ほんと、どうしたもんだかね・・・どうしようもないんだけどさ・・・でも、思うよね、どうしたもんだかね・・・

悲しいこと記念日

2022-03-12 08:21:43 | Weblog
昨夜、テレビで、日本アカデミー賞の授賞式が放送されていた。わたしは、文学賞でも映画賞でも賞を取るタイプの作品とはことごとく相性が好ましくないので、特に見ようとは思わなかったのだが、夫が見ていたので、なんとなく視界には入ってきて・・・それでふと思った「なんで今日という日に授賞式を設定したのかな・・・」と。

声を大にして言うが、わたしは決して悪質なクレーマーではないっ!! 自分とは違う他人の感じ方や考えは尊重しようと努力するタイプだと思っている。だから、アカデミー賞を非難するつもりはない、でも、ただ、どうしてわざわざこの日にするのかな・・・と思った。朝からずっと、色んな番組で"忘れない"と言い続け、追悼の特集を流し続けるテレビ局が、なぜ夜には、こんな晴れがましい番組を放送するのかなと。まったく思いが至っていないのか、あるいは励ましの気持ちでもってあえての選択なのかも・・・きっと番組に関わっている沢山の人の中には、実際に被害を受けた方や、被害をうけ今も心に傷をもつ人が身近にいる人は少なくないはずだから、やっぱり"あえて"なのかな・・・

ただ、思うんですよね・・・悲しいことの記念日に、他の人の嬉しそうな顔って、なんだか切ないものだって・・・

幸せな人を、笑っている人を、妬むとか、恨むとか、怒るとか・・・そういう感情とは違うんですよ。ただ、なんというか・・・切ないなって・・・ふと思ったりする・・・なと・・・

とはいえ、きっと365日、どの日も誰かの"悲しいこと記念日"なんだろうと思います。大きな歴史的な出来事から個人的な些細なことまで、大昔の事からついこの間のことまで、無数の悲しい出来事があって・・・365日、きっとその悲しみで埋め尽くされているんだろうなと。

だとしたら・・・仕方ないですね、自分以外の誰かの"悲しいこと記念日"に、いちいち付き合っていたら、笑える日がなくなっちゃう、おめでとうって言える日がなくなっちゃう。それなら、一人ひとりが精いっぱい楽しく今日を生きること、今日を笑顔で過ごせるよう努めることの方がずっといいですね。

というわけで、日本アカデミー賞に選ばれた皆さん、おめでとうございます。これからも、素敵な映画をいっぱい見せてくださいね(^^;。