OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

己を棚上げして怒りきらなければできない事・・・

2020-07-26 10:54:03 | Weblog
世に「この国はっ!!」とか「我が国の(あるいは大国の)為政者ときたら!!」と怒る声が溢れている。八つ当たりや責任転嫁のような雑言もあれば、真剣に世を憂いて苦言を呈しているものもあると思うが・・・とにかく、そういう意見が出てこなければ、世の中は良くも悪くも変化していかないのだろうと想像する。

けれど、わたしは、そういう意見を口にするのが苦手だ・・・意外と思われるかもしれないけど(^^;。

それは決して、権力に媚びているからじゃないことは弁解させてほしい。なんというか・・・ただ・・・自分がその立場になったらと考えたら、どんなに無能に見える人の言動を目の当たりにしても、それより正しく、正しくとまではいかなくても適切に対処できるかと考えると、とてもとても無理だなぁ~っと思ってしまって、批判の言葉を飲み込んでしまうのだ。

若い頃に書いていた自分の文章などを振り返ると、常に断定形だったように思う。だって、正しいことというのはたった一つで、それは揺るぎないものだから、自分も含め、誰もがその正しさに従うべきと思っていたから。でも、年を重ねると、正しいことなんて無数にある、というより正しいことなんてないのではないかと思えるようになってくるのだ・・・

そしてある時から、わたしは"選択"という言葉を、よく使うようになった。何が正しいかなんて分からないから、その時々に、何を選ぶか、自分で決めるしかないと思うようになったからだ。そして、困難にあっても果敢に選択し、その選択に責任をもつ大人こそがカッコイイと・・・

でも、それもやがて・・・果敢に選択し責任を持つなんて言葉はかっこいいけど、実際に責任なんて取れないでしょ、と、身もふたもない現実に打ちのめされてしまった・・・

だから・・・他人にも大きな影響を及ぼす決断をする立場にある人たちのことを、とやかくいう勇気がなくなってしまったのだ。何を選択しても、切り捨てられる人、切り捨てるつもりがなくても漏れてしまう人が出てくる。何をしても必ずマイナスの要素はあるし、全員に支持される選択なんてない。みんなが幸せなんて、目指すべき理想であはあるけど、現時点ではあまりにも非現実的だ。特に、社会全体が大き災いの中にある時には、被害を最小限にというのが精いっぱいの方針にならざるを得ない。当然、救われない人がたくさん取り残される。それでも悩みに悩み、罪悪感やら無力感も抱えながらも、決断して多くの人にその決断を実行させる立場の人たちを非難したくないと思ってしまうのだ。

けど、だからといって、決定権を持つ人たちの選択を無批判で受け入れる社会は、絶対に好い方向には向かわない。絶対という言葉は使いたくないが、こればっかりは絶対だと思う。「いやだ!」「違う!」「NO!!」それが言えない集団は、絶対に良くはならない。

批判というのは諸刃の剣だと思う。批判された人を傷つけるだけではなく、批判した人も傷つく。というか・・・そういう批判が、本来の批判だと思う。問題に真剣に向き合っている人の判断を批判する時は、少なくても、相手と同じくらい真剣にその問題に向き合おうという姿勢が必要なのだと思う。その上で、ちゃんと批判ができなきゃいけない。

わたしが批判が苦手なのは、相手が自分より地位が高いからでも、権力やお金を持っているからでもなく、少なくても、自分よりその問題に真剣に向かい合っているだろうと思うから・・・つまり、わたしはその問題に、それほど真剣に向き合ってはいないという後ろめたさからなのだけれど・・・それぞれの人には、それぞれの人の居場所ですべきことがあるのだろうと思う。わたしは、権力の中枢にいないのだから、彼らと同じだけのことをしようと思ったとしてもできない。ならば、自分のいる場所で、せめて違うと思うことは違うと、嫌だと思うことは嫌だと声をあげるというのが、わたしに出来ることなのかもしれない。謙虚さを逃げ口上にして、批判さえもしないというのは、何も考えずわあわあと騒ぎ立てている人よりも卑怯な行為なのかもしれない。

とはいってもなぁ~・・・やっぱり、批判するというのは苦手だな。少なくても、代案の一つくらいは添えて批判したいものだけど、それが出来ないからなぁ~。考えすぎはよくないというのは、まさに、今の、わたしの状態なのだと思う・・・・


日本初のフィリピン映画のガイドブック『熱中!フィリピン映画』はいかが(^^)

2020-07-22 19:10:01 | Weblog
またまた、懐かしの亜細亜映画フォーラムからの話題です(^^)。馳さんの直木賞受賞を喜ぶ記事をブログ(同じものを連携しているフェイスブックとツイッター、それからミクシーにも)Upしましたが・・・時同じくして、ミクシーに、よしだまさしさんの「日本初のフィリピン映画のガイドブック『熱中!フィリピン映画』なる本を作りました。 徹頭徹尾、フィリピンの娯楽映画に関する文章で埋め尽くした個人誌です。 興味のある方は、以下のサイトをご確認ください」という記事がUpされました。もちろん、すぐに注文させていただきましたよ!!なにせ、我らが師父たるよしだまさしさんの本ですから(^^)。

とはいえ、わたし、亜細亜映画フォーラム時代には、一度もよしださんのことを師父と呼んだことはないんですよね。そう呼んでいいのは、ちゃんとした亜細亜映画ファンだけだという、わたしの勝手な思いがありまして・・・ミーハーなレスリーファンであるわたしなんかが、よしださんのことを師父と呼ぶんなんて恐れ多いという気持ちがあったもので(^^。それに、結局、オフ会などでも、よしださんにお会いすることはなかったので、お顔も存じ上げないですし・・・

と、ここで急に不安が・・・師父で間違いなかったかな・・・似たような違う呼称かも・・・いや~、たぶん間違いないと思います(爆)。それから、これからお話する情報は、記憶違いやら勘違いやら、いろいろあるかもしれません。なにせ、大昔の事というのもありますし・・・何より、誰からもちゃんと聞いたことはないけど、みなさんの話を聞きかじっているうちに、たぶんそうなんだろうなと思ったことですので(^^;。

で、そのわたしの推測では・・・よしださんは亜細亜映画フォーラムを創設した方たちのお一人なんだろうということです。とにかく亜細亜映画、とくに功夫関連の映画のことに詳しくて・・・他にも、古本の収集の関してはただ者じゃない人らしいと・・・

それから、馳さんの『ゴールデン街コーリング』という本に登場する吉村という人物のモデルなのではないかと・・・

で、たぶんSF小説に関しても造詣が深くてらっしゃるはずです。恥ずかしながら、わたしもSF小説に関しては、いささかの愛をもっているのですが・・・その知識と理解は、とてもとても足元には及ばないと・・・。随分前に、よしださんが栗本薫(もしかしたら中島梓)さんについて書かれていたことが、あまりにも「そう、そうなんです!!ずっとなんだなぁ~って思っていたこと、ズバリそういうことなんです!!」って感激したことがありましたっけ(^^)。

えっと・・・とにかく、そのよしだまさしさんの『熱中!フィリピン映画』、もしご興味がありましたら、是非とも、よしださんのHP『ガラクタ風雲』からお問い合わせください。


語りたがる自分との付き合い方・・・

2020-07-20 12:50:01 | Weblog
わたしが、自分という人間を観察していると、「こいつは、つくづく"語りたがり屋"だな」と、ため息が出る。どうでもいいことに取りつかれ、そこに隠された重大事を掘り起こさんと考え込み、その思考の過程を「どうだ」と言わんばかりに語りたがる。

とはいうものの、実はそんな自分がそんなに嫌いではないというか・・・苦笑いしつつも、そんなわたしこそが"わたしらしい"と思っているので、そこを否定してしまうと、自分を愛せなくなってしまうのだよね(^^;。

ただ・・・そういう自分の愚かしさというのには、悲しいかな、少し前から気づいてしまってはいる・・・

なんていうのかな・・・擬人化の罠とでもいいましょうか・・・っていう表現が、すでにその愚かしさを具現化しているのだけど・・・

わたしの行為に限らず・・・美しく描けば描くほど、掘り下げてその意味を深く問えば問うほど、実はその対象そのものをないがしろにしてしまっている、そんなことが世に溢れているように思えて・・・

花はただそこで咲いている・・・鳥はただそこでさえずっている・・・人はただそこで暮らしている・・・そこに必要以上の意味付けや飾り立てた表現が必要だろうか・・・

なんていっていたら、芸術といわれるものすべてを、哲学の根本を、否定することになってしまうのかな・・・現実世界より、はるかに好きなんだけどな、それらが作り出す世界が・・・

わたしは、目につく全てのものについて意味を問いたい、そして語りたい、そういう性癖の持ち主だ・・・でも、その愚かしさと醜さにも気づいてしまった・・・どうしたらいいのかな・・・悩ましい限りだ・・・やっぱり、仙人になりたい・・・(^^;。

馳星周さんの『少年と犬』直木賞受賞

2020-07-18 10:48:26 | Weblog
今朝も、日課である、知人のブログチェックをした。と、馳星周さんの「ワルテルと天使たちと小説家」というブログで、受賞のお祝いメッセージに感謝する文言を見つけた。「あれ? 馳さん、何か受賞されたのかな」とネット検索したら、なんと直木賞を受賞されていた。あいや~・・・何度もノミネートされてらっしゃるから決して意外ではないけど・・・いや~、おめでとうございます(^^)。

馳さんは、わたしにとって特別な人だ。いや、正確に言うと、特別な人たちの一人だ。

とはいっても、馳さんと直接会ったのは二回くらいかな・・・メールのやり取りも二回くらいかな・・・たぶん、馳さんは、わたしのことなど覚えてらっしゃらないだろう。ちょっと袖すり合う程度の出会いがあっただけで、有名人と知り合い面するというのもカッコ悪いのだけど・・・それでもやっぱり、馳さんを含む彼らは私にとって特別な人たちなんだよな・・・

馳さんと出会ったのは、ニフティのパソコン通信の亜細亜映画フォーラム。フォーラムに参加したでの頃に、ちょうど馳さんが『不夜城』を出版されたようで、フォーラムの参加者の皆さんが、しきりと受賞がどうのこうのとおっしゃっていたっけ。わたしは馳さんのことも『不夜城』のことも知らなかったから、ちんぷんかんぷんだったけど、作家になりたての方がいて、その人はフォーラムの皆さんにとても愛されていて、応援されているんだというのは分かった。

しばらくして大阪オフ会があり、直接お会いする機会があったのだけど、その時は吉川英治文学新人賞が決まって間もない頃だったと記憶している。フォーラムの皆さんが自分の事のように喜んでいらしたのを思い出す。フォーラム古株の方の中には、「本屋に行ったら、そっと一番目立つところに『』不夜城』を移動させてた」なんておっしゃっている方もいたっけ・・・だから、馳さんの受賞と聞くと、その時のこと、そしてそれ以降の私の亜細亜映画フォーラムどっふりで過ごした年月の思い出が一気に押し寄せてくるのだ!!

保育所で知り合いそれから半世紀以上の付き合いのある友人、中学で知り合いこれまた半世紀近くの親交のある友人たち・・・彼女たちは、私にとって、本当に特別な存在だ。学校を卒業し、社会に出てしまえばから、そんな友人はもう絶対にできるはずがない、そう思っていたけど・・・パソコン通信で出会った仲間たちと過ごした日々というのは、それ以前にも、そしておそらくこれからも、決して経験できない特別な時間だった。

とはいえ、亜細亜映画フォーラムの中でも、馳さんたちがいらした功夫好きなメインメンバーの方たちと、わたしがいたチャラい張國榮部屋とでは、あまりにもカラーが違い、映画について熱く語り合うというような仲ではなかったけれど・・・それでも、わたしにとってフォーラムの皆さんは、どの方も、とてもとても大切な存在なのだ。だから、直木賞を受賞するような有名作家さんだから特別なのではないというのは弁解させてほしい。

あの頃、同じ時を過ごした皆さんお一人お一人が、それぞれの場所で幸せに過ごしていてくださると嬉しいと、心から思う。

そして、吉川英治文学新人賞受賞の時には、何もわかっていなくて何の応援も出来なかったお詫びに・・・そんなものもう必要がなくなった大作家さんに恐れ多くはありますが・・・微力すぎる応援ではあるけれど、こうして貧ブログで受賞について触れさせていただきたく思います・・・・(^^;。

とにもかくにも、馳さん、直木賞受賞、おめでとうございます。

陰口のススメ

2020-07-13 12:00:45 | Weblog
中山千夏さんが子役時代に共演したスターさんたちとの思い出を綴られた著書を読んだのですが、「舞台の出演者の大人たちが演出家の自宅に招かれて、その場にいない共演者の悪口を言っているのを不快に思ったけど、今考えると、それは演出家がワザと設けたガス抜きの場だったのではないかと思う」というようなことが書かれていたと思うんですが・・・

その幼い日の中山さんの感覚、わたし、とってもよく分かるんですよね。わたしも、そういう子でしたから。っていうか、今も、そういうところありますから。とはいっても、けっこう自分のことは棚に上げてって感じではあるんですけどね(^^;。

ただね・・・ガス抜きの必要っていうのとは違うんですが・・・誰もが、こういうネットを使った発信ができるようになった時代だと・・・ご本人の知らないところで、ご本人が知ったら嬉しくないようなことを書いちゃうことがあるでしょ・・・そのことをどうしたものかなって思うんですよね・・・それって陰口になるのかなと・・・

ほら、わたし、本や映画やお芝居の感想とかもUPするでしょ・・・そしたら、ほめてばっかりじゃいられないじゃないですか・・・いや、いられないことはないんですが・・・やっぱり、感じたことは、そのまま書きたいじゃないですか・・・そうしたら、作り手さんたちが見たら嬉しくないことも書いちゃうでしょ・・・ね・・・

以前、お芝居の感想を書いたら、出演者のお一人からコメントを頂いて、めちゃくちゃ焦ったことがあるんですが・・・なんていうか・・・書いたことに嘘はないというか、感じたことを正直に書いてはいるんですが、そのことで作り手の人たちを傷つけたくはないんですよね。だって、観る者と創る者、その創作物に費やした労力や思いが比べ物にならないでしょ。たとえ私がツマラナイと感じたとしても、作り手の人たちは、本当に真剣に一生懸命作って披露してくださっているわけで・・・その努力に水を差すようなことって・・・やっぱりしたくないじゃないですか。

でも、それを受け取った人たちにも、それぞれの思いというのがあって、対象が公に披露されたものであるなら、その受け取ったものを投げ返すというのは許されるというか・・・時には、投げ返すことで、発信した人たちに還元できるもの、応援できることもあるわけで・・・わたしも、多少は何がしかの発信をすることもあって・・・その時に一番悲しいのは、批判より無反応だったりするし・・・創作物の発信するということは、批評批判をうける覚悟があるとみなされだろうし・・・

それに、やっぱり、何かに出会ってどう感じたかというのは、感じた人にとってとても大切なことで・・・それを自己表現として発信することは許されてもイイことだと思うし・・・

ああ~・・・でも、やっぱり、わたしは、褒めていないものが作り手の目にとまるのは心苦しくて・・・でも、たとえただの自己顕示欲であっても、私の感性の発露として否定的な感想も発信したいけど、相手の耳には入って欲しくないというか・・・

よく、相手の意見に反対することは、相手の人格を否定することとは違うっていうでしょ・・・それと同じで、作品の評価と、その作品の作り手への評価は、全くの別物でなんだけど・・・我々の国民性って(話が大きくなりましたが)、そういうところの区別が苦手ですよね。意見に反対されたり、行動を批判されたり、作品を評価されなかったりしたら、その一つのことだけでなく、自分という存在そのものを拒否されたような気分になる・・・それこそが一番の問題なのだけど・・・とりあえず、目先のことに関していうなら・・・わたしの本や映画や芝居に関する否定的な感想は、どうか、関係者の目にとまりませんようにと祈るばかりなのでした(爆)。



ローカルな古い地名が消えていく

2020-07-08 09:51:20 | Weblog
今朝、夫を最寄りの駅まで車で送っていこうとしたら、途中の三差路で消防車に止められました。なんでも、この先の道が土砂崩れで通れないので迂回してくれとのことです。あらまぁ~・・・。

で、その土砂崩れを起こしたあたりというのが「きゅうのしば」っていう所なんてですが・・・今やもう、使われなくなった地名なんですよね。調整区域なら、もしかしたら登記簿とかにはまだ残っているかもしれませんが・・・我が家でも子どもたちは分からないでしょうね「きゅうのしば」って言われても。しかも、わたしでも「きゅうのしば」を漢字では書けない・・・いったい、どう書くんだろう「九の柴」とかだろうか・・・

それに・・・以前話したと思うんでしょうが…子供の頃から、ずっと「ほんこさん」といっていた集まりが、「報恩講」だったというのをずいぶん年を取ってから知ったということもありますし・・・土地の名前も、訛や省略や愛称化やなんやかんやで正確ではない可能性もありますしね・・・

随分前に、京都で古い地名を廃止して、数字の何丁目という表示に統一するとかしないとかで、住民が猛反対したってことがありませんでしたっけ。その後、京都の西陣を取材したとき、案内してくださった方が「名刺の住所には西陣って書いてるけど、行政区としての西陣は存在しない」っておっしゃっていましたっけ。でも、西陣の人は西陣に誇りを持っているから"西陣"を使うって。

こんな風に、京都などメジャーな地域では、地元の人の意識も高いですし、資料なども多くて、少なくても記録としてはしっかりと残されていくと思うのですが、我が地元のようにローカルでマイナーなところでは、いつのまにかどんどん昔の呼び名が消えていきます。

まあ、消えてしまってもどうということもないんですが・・・なんとなく、記録できるものなら記録しておきたいな・・・きっと、その名前で呼ばれるにあたっては、それなりの意味があったに違いないと思いますし‥・ねえ(^^)。

介助が必要な人、誰が助けるべきなのか

2020-07-07 09:41:25 | Weblog
今日は、朝から母の運転手として農協の直売所に、トマトとジャガイモを持っていきました。その際、わたしは運転手に徹し、出荷する野菜を直売所に届けたら、あとは駐車場で母を待っています。直売所で販売するために必要な諸々の作業は一切しません。でも・・・ふむ・・・

農協の直売所も、どんどんシステムが変わっていきます。どんどん機械化が進み、管理が厳しくなっていきます。そうでなくても、そういう変化に戸惑っていた母ですが、高齢による理解力の低下などが加わり、今は、直売所のスタッフの皆さんの助けなしには何もできなくなっています。皆さんは、親切に、母のフォローをしてくださっています。

でも、朝の忙しい時など、スタッフさんたちも母にだけかまけているわけにはいかず、「娘さんにやってもらって」と言われるようなことも増えてきました。きっと「そこまで(駐車場まで)きてるんなら、身内が世話しなさいよ」と思われているのだなと感じます。もっともな感情だと思います。

ただ・・・わたしは、できるだけ母に、わたし以外の人に助けてもらってほしいと思うのです。何から何まで私が母の世話をするのは簡単ですが、それが母の為になるとは思えないからです。お寺の檀家の当番なんかでもそうですが、わたしがそばに居て世話する、あるいはわたしが母に代わって役割を果たせば、人に迷惑をかけることもないわけですが・・・ふむ・・・

今、わたしはとても揺れ動いています・・・正直、悩んでいます。人に迷惑をかけず、母の世話は自分一人で頑張るべきか、他の人に迷惑をかけているという負い目を感じながらも皆さんに助けていただきながら少しでも母に社会との関わりを持ってもらうようにするか・・・

野菜の出荷に関しては、家の周りに無人直売所を作って、母の野菜を置いておくことも考えました。母の社会との関わりという点では、少し後退することになりますが、作ったものを買ってもらえるという社会性は維持できるし、管理も母が全て自分で出来るし、いいんじゃないかと。でも・・・農業倉庫の備品が次々に盗まれるようなことがあったり(「返してください」という張り紙をしていたら、いくつかは戻ってきました、嬉しかった!!)、それが落ち着いたと思ったら、玄関先に置いてあった乳製品の宅配BOXから牛乳が盗まれるようになったり・・・人の善意をしんじていないと出来ない無人直売所は、この地域ではもう無理なのかなと・・・悲しい限りです。ただ、盗まれてもいいから、そうした方が、みんなのストレスは減るかなとも思わなくもないです。盗まれた分は、わたしがこっそりお金を補充しておけば、母は気持ちよく販売できるかなと・・・ふむ・・・

超高齢化社会が、ただ「人がなかなか死なないから高齢者だらけになった社会」じゃ嫌じゃないですか。長生きすることが幸せじゃない高齢化社会なんて、高齢者にも高齢者と暮らす家族にも、それを支える社会にも嬉しくないじゃないですか。でも、実際のところ、「長生きしたいな」「年を取るのが楽しみだな」という状況じゃないと思いませんか。何を変えなきゃいけないんだろう・・・何をしなきゃいけないんだろう・・・高齢者を支える側としてはもちろん、近い将来に自分自身が周りの人のお世話にならざるを得ないと考えると、ほんとうに悩ましい限りです・・・