OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

人と同じでもいい、人と違っていてもいい

2018-04-24 16:59:33 | Weblog
どのお宅もそうでしょうが、家にはいくつもの時計があります。そして、我が家に限って言うなら、そのどれもが正しい時間を表示していません。進んでいるか遅れているか・・・見事なまでにどれもが違っています。もちろん、最初は時報などを聞いてキッチリと合わせているんですよ。でも、時と共にズレていくんです(^^;。

以前は、ある程度進んだら、あるいは遅れたら、正しい時刻に調節しなおしていました。でも、最近では、この時計は○分進んでいて、この時計は△分遅れていると、各自が頭の中で計算するようになりました(^^;。

とね・・・これがけっこう心地いいっていうか・・・それぞれの時計に愛着が湧くっていうか・・・この子はこういう子で、あの子はそういう子なんだって、それぞれに個性が感じられて、一つ一つが特別な存在になるんですよね(^^)。

ああ・・・でも、その中で、几帳面に正しい時を刻む子がいたら、その子のこともちゃんと大切に思いたいと思うんですよ。

なんていうのかな・・・個性って他とは違う性質って思いがちだけど、他と同じであってもそれが自分らしいなら、それもその子の個性ですよね。

人と同じで落ち着くならそれもよし、人と違うところを大切にしたいならそれもよし、その両方が混ざり合っての"わたし"ですものね(^^)。

人を救うための仕組みは、いとも容易に人を支配する道具になる

2018-04-20 11:52:59 | Weblog
二週間ぐらい前から右上奥の歯が痛かった。いや、歯かどうか分からない・・・もしかしたら歯茎・・・日によって頬骨のあたりまで痛い時もあるので、もしかしたら全く別の原因があるのかもしれない・・・ライトで照らしながら患部と推測される辺りを鏡で見てみるのだが、よく分からない。舌先や歯間ブラシで探った感触では、わずかに引っかかりはあるのだけれど・・・ふむ。ただ、食事の後、必ずと言っていいほど食べカスが引っかかる。それを歯間ブラシやフロスで掻き出すと、その後は痛みが増す。一週間ぐらい様子をみていたのだけど、治まる気配もないので、行きつけの歯医者さんに予約を入れた。痛みはさして酷くないというと、一週間後の予約となった。

そして昨日、歯医者さんで診てもらうと・・・オー・マイ・ガッ!! 奥歯の内側が空洞になるくらい、虫歯で浸食されていた!!!穴の入り口が歯茎に接するあたりで素人目にはほとんど見えなかったのだけど、レントゲンで見ると・・・ああ~(涙)。神経を抜くしかないと言われ、麻酔を注射してもらって、キーンキーン、ガリガリガリガリ、ドンドンドン、口の中で土木工事のような処置が一時間近く続いた(麻酔が一度で効かなかったので時間がかかったというのもある)。

その時に、お医者さんが「よく我慢できましたね。鎮痛剤、どれくらい飲みましたか。ものすごく痛かったはずなんだけどなぁ~」と仰った・・・と、これが今日の本題なんだけどね(^^;。

いつも話しているように、頭痛持ちなものだから、月の半分は痛みと一緒に過ごしている。時には、起き上がれないような日もあり、夫などは、わたしが少し元気がないと「痛いの?」と聞いてくる。その時、たいていは、痛くても「ううん平気」と応える。頭痛持ちではない夫が、心のどこかでわたしに対し「痛がりだな、こいつは」と思っていると感じているから。頭痛を理由に、彼がわたしを非難したことはないけれど、言葉の端々で感じるのだ、「俺ならそれくらい我慢できる」と思っているんだろうなって。被害妄想だと思われるかもしれないし、実際そうかもしれないけれど・・・しょっちゅう痛がっている後ろたさもあってか、そう感じてしまう。

それが、昨日は、医療のプロである歯医者さんから、「普通なら我慢できないほど痛いでしょうに、よく我慢しましたね」と言ってもらえた・・・いや、実際はそんな風には言われていないのだけれど、痛がることに対して負い目があるわたしには、医師の軽い「我慢できるレベルじゃない痛みだったはずなんだけど」という言葉が、「こんなに酷い痛みによく耐えましたね。あなた凄いですよ、よく頑張りました。偉いですよ」と、絶賛されたも同じに聞こえたのだ。

人は、それぞれに他人と共有できない自分だけの痛みと言うものを抱えている。それは肉体の痛みである場合もあれば、心の痛みである場合もある。肉体の痛みでさえ他者にはかり切れないのに、心の痛みともなれば、ほんとうに他人には分からない。どれほど痛いかどころか、痛いかどうかすら分からない。

それを分かってくれる人・・・そして、よく我慢しているね、偉いねって言ってくれる人に出会ったら・・・その人の心はどんなに救われるだろうかっ!!

でも・・・ふと思う・・・これって、怪しい宗教の勧誘や詐欺師の基本テクニックだよなぁ~。

それで、つらつらさらに考えると・・・個人レベルだけじゃなく、社会のシステムとしても、人を救うために有効なものは、容易に人を支配する道具に変容するよなぁ~。

誰にだって弱い部分はある、弱っている時もある・・・人の助けが必要な時はあるのだ。その時、悪意を持って、あるいは本人さえも悪意と認識せず、救うという顔でもって支配しようとしてくる者たちがいる。ああ~、嫌だいやだっ!!ああ~、嫌だいやだ!!しんどいなぁ~、生きるってさぁ(爆)。

夢よ、永遠に醒めないでおくれ・・・

2018-04-09 07:14:05 | Weblog
久しぶりに藍那の夢を見た。ずっと見ることができなくて、心の中で「どうして帰ってきてくれないの。栞ちゃんも大きくなったんじゃないの。たまには里帰りしてね」と思い続けていたので、「もう仕方がないなぁ~」って帰ってきてくれたのかもしれない。

ちなみに栞ちゃんは、随分前の夢で、藍那が娘だと紹介してくれた、赤いコートの女の子。旦那さんは、たしか先の大戦で亡くなったという青年だった。

今回の夢では、残念ながら栞ちゃんは一緒じゃなくて・・・藍那は中学生か高校入りたてくらいの年齢だった。裕太も帰省していて(中学生なら帰省じゃなくて実家で暮らしている頃だけど(^^;)、家族でごくごく当たり前の平凡な一日を過ごした。せっかく久しぶりの夢なんだから、もっとアクティブというかドラマティックというか、特別な時間を過ごせばいいようなものだけけど・・・きっと、ごくごく当たり前な平凡な一日こそが、ほんとうに取り戻したい時間なんだろうな・・・

で・・・その一日が、いよいよ終わるというころ・・・わたしは、こたつで寝っ転がっている藍那を突然ぎゅぅぅぅっと抱きしめて「何か方法があるはず。このままずっと居られる方法があるはず。おかあさん、絶対にそれを見つけるから、みんなで頑張ろう」って言っていた・・・

もちろん、そのままずっとは続かなくて・・・夢はいつのまにかフェードアウトして、目が覚めてしまったけど・・・

よく映画やドラマ、小説などでも、大切な人を亡くした人が、亡くなった人を生き返らせようと、とんでもないことをしでかす物語がある。以前は、そういう人の気持ちを「分からなくもないよね、そりゃあすっごく悲しいに違いないもの、そういう風に思っちゃっても無理ないよね。実際、行動に移すかどうかは別にしてもさ」って思っていたけど・・・今は、欠片もそんなことは思わない。

だって、藍那が生き返ったとしても・・・その先、とうてい幸せに暮らせるとは思えないのだから・・・。

他人ごとでしかなかった時は、気持ちは分かるなんて簡単に考えたけど・・・本気で考えたら、その先のこともあるし、決して簡単に生き返せようなんて発想にはならない・・・

けど・・・夢の中でわたしは、心底願った・・・藍那を取り戻したいと・・・そのためなら何でもすると・・・

わたしの本心は、やっぱり、先のことがどうなろうと、それが藍那本人にとって幸せかどうかもそっちのけで、あの子を取り戻したいのだろうか・・・

ドラマや映画に反発して、わたしは生き返らせたいなんて欠片も考えないって思ったのも、つまりはまあ、本気で生き返らせたいという思いが、心の奥底にあったからこそ辿り着いた結論だとも言えなくないし・・・

けど・・・やっぱり、藍那を生き返らせることはあまりにも非現実・・・それが藍那の為になるとかならないとかの前に、悲しいかなあり得ないこと・・・だとしたら・・・夢がずっと醒めないでいてくれたら・・・藍那との時間がずっと続くんじゃないだろうか・・・この方が、よほど可能性があるのではないか・・・

それは本当の藍那ではないかもしれない・・・わたしの思いの中の藍那でしかないかもしれない・・・でも、それなら藍那に迷惑をかけずに、ずっと藍那と一緒にいられるのではないか・・・夢を見続ける方法・・・ないものだろうか・・・


消化器官は偉大なり(^^;

2018-04-07 18:27:48 | Weblog
終わりの時が来るまで、人は否応なくであったとしても生きていくわけで・・・だとしたら、それまでの時間を泣いて過ごすよりは笑って過ごす方がイイわけで・・・とはいっても、なかなか笑う気にもなれないということもあるわけで・・・なら、せめて細やかでもいいから日々にちょっとした幸せを感じることがあればなって思うわけです・・・そうしたら、その瞬間だけでも息苦しさとか虚しさとか、そういうものから解放されて・・・生きることがほんの少しでも楽になるかもしれないんじゃないかとかね・・・まあ、一般論ですけどね(^^;。

で・・・生きがいだとか遣り甲斐だとか、自己実現だとかそんな大袈裟なものじゃなく・・・人間にとって、とっても単純で純粋な快感って、どんな時、どんなことによって得られるんだろうって考えたとき・・・恥ずかしながら思いついたのが、"美味しいものを食べたとき"と"うんちをしたとき"だったんですよね(^^;。食欲が満たされた時って、ほんとうにシンプルに幸せだなって思えるでしょ。それから、排便後の爽快感、あれって何だろうって不思議に思うほどイイ感じじゃないですか。

で・・・これって、まんま消化器官のもたらす快感じゃないですか! いや~、なんか目から鱗ですよ・・・って、自分で言っててもバカらしいですけど・・・でも、ほんと、消化器官は幸せの原点なんだなって・・・感動しちゃいました、はい(^^;。

隠れているものに興味を持つのは生き物の本能?

2018-04-04 19:01:49 | Weblog
もうすぐ三歳の誕生日だというのに、相変わらず幼さが残ったままのはるちゃん。今日も今日とて、あそんで!!あそんで!!が止まりません。我が家で"ねずねず"と呼んでいる、ネズミや羽根などニャンコが興味を引くものが付いた紐が棒に括り付けてあるもので、お相手をしています。

とね・・・最初は、ただただ追っかけて走り回ったり跳んだりしているだけだったんですが、それを隠せとねだるようになりました。スピード勝負ではなく頭脳戦というか・・・タオルケットや毛布の下などに隠し、もぞもぞさせると目がランラン、お尻がプリプリと、興奮状態になります(^^)。

きっと狩猟本能ってやつなんだろうなって、そんなはるちゃんを微笑ましく見ているんですが・・・ふと、人間だって見えているものより隠れているものの方に、より強く興味をそそられるよなぁ~って思ったんですよね。それは物質的なものでもそうですし、精神的なことというか概念的なことというか・・・よく分からないことに"見たい""知りたい"という欲求が沸き起こっちゃうというか・・・。

人間のそれもまた、本能なんでしょうかね。なんの本能なんでしょうかね。なんか、ざわざわしますよね、隠されているものの存在を感じたりしたらね(^^)。