OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

ちょっと真面目に、定額給付金の話

2008-10-30 18:58:44 | Weblog
定額給付金?全世帯に3万いくらかくれるって?絶対に有り難いと思わないだろうお金持ちにも支給するって?素人目には、あまり意味がなさそうに思うんだけど・・・玄人さんがプランたてたんだよね・・・何か期待できるんだろうか。

ほんと素人考えだけど・・・小さいながらも事業をしている身としては、「今を乗り切る資金を貸してくれ」って、それを一番強く思うんだよね。「金をくれてやるよ」みたいな支援の仕方って、正直、失礼な気がするし・・・どうせ、たいした金額はくれないわけだしさ。

厳しい言い方だけど、っていうか、一番は自分に向って言っているんだけど・・・商売のセンスのないものは、ビジネス界で淘汰されていって当然だと、それはそう思うのよ。

けどね・・・今みたいに、大きな流れに翻弄されるような形で、実際には決して業績が悪くない会社が潰されるみたいなのは、国が何とか支援して阻止すべきだと思うのよ。だって、そういう企業こそが、一番の国の資産でしょ。国民の財産でもあるわけでしょ。

だから、緊急貸付枠みたいなのを作って、予想の範囲をこえた今の状況のあおりをくっている中小零細企業に、この騒動が収まるまで持ちこたえるための資金を貸し出す、しかも金利なしくらいで貸し出す、そういうことをして欲しいと思うんだよね。

その際、銀行は信じられないから、銀行を窓口(手続き係)にして、日銀が直接貸し付けちゃうくらいのね・・・あるいは自治体が窓口になって、国が直接貸し付けちゃうみたいな・・・そういうのをやって欲しいと思うんだけど・・・そういうのって、やっぱり素人の馬鹿げた考えなのかな。

なんていうか・・・最近、麻生さんのセレブ感覚の批判が花盛りだけど・・・力をもっている政治家さんたちの殆どが、庶民の心理を理解していない気がするんだよね。

ほら、海外支援なんかの場合でも、日本って心理戦略が下手でしょう。ものすごくお金を使っている割には、相手に感謝してもらえない下手なやり方をするじゃない。それが個人単位でおこなう善行なら、そういう態度は素敵だと思うよ。良いことは隠れてしろっていう考えは、とっても素晴らしいと思う。けど、国の場合は、それも一つの駆け引きだし、戦略でなくちゃいけないでしょ。そういうところが弱いっていうか、甘いっていうか・・・人の心を掴む努力もテクニックもお粗末だと思うんだよね。で、その不細工さが、今回は、国内に向って発動されている気がする。

こういうことって、きっと、金額が問題じゃないと思うのね。っていうか、金額なんかの数字も含めて、心理対策だと思うの。国民に、どれだけ安心感を与えられるか、どれだけ頼り甲斐があるところを見せられるか、そういうイメージ戦だと思うの。

だってさぁ、何兆円使ったって、各家庭に配られるのは数万円。そんなの、何に使ったかも分からないうちに消えちゃうよ。「有り難いなぁ」感、「助かったなぁ」感、ほとんど感じてもらえないと思うよ。もちろん、配ってくれるなら貰うけどさぁ(爆)。

取られるのは、たかが数円でも忌々しい。けど、貰う場合は、数万円でも、たいして嬉しくない。そういう人の心理、ぜんぜん分かっていないと思う。それから、そんな風にして配られたお金が、どんな風に使われるか、あるいは使われないか、そういうことも分かってないと思う。

少し前に、心理学の事、いろいろ悪く言ったけれど、ここは一つ、心理学に頑張ってもらって、もう少し、政治に心理学的センスを持ち込んでもらうようお願いしたいね。

ほんと、マジで、政策にセンスがないって思うよ、政治家さん。そして、ブレーンの皆さん。努力してらっしゃるとは思うけど・・・努力の方向、間違ってないかい?再検討、して欲しいなあ。

本末転倒にならぬように(^^;

2008-10-29 22:10:27 | Weblog
あまり気持ちにフィットしていない内容なのだけど、最近、書き込みをお休みする事も多かったし、今日は休みたくないという気持ちから、かなり無理やりに書いた文章が飛んでしまった。手元が狂って、キーを打ち損じ、あぁ~・・・

一度は書き直そうと思ったのだけど・・・このアクシデントは、ある種の教訓になっているのかもと思って、思いとどまった。

続けるってことには、拘りたいと思っているのだけど・・・そのことが目的になると、それは違うってことなんだよね。

たとえばね・・・とても素晴らしいものとされている「愛」って、人を自由にすると同時に、人を縛り付けるものでもあるでしょ。ううん、好きな相手を束縛するってことじゃないよ。そうじゃなくて、人は、自分が好きなものに自分を縛りつけたいと思うじゃない、そうでしょ。

たとえば、ペットを飼うって、ものすごく面倒なことでしょ。食べ物の世話、排泄の世話、散歩・・・ペットを飼うと、旅行もできなくなっちゃう。でも、その面倒さも含めて、人はペットを愛するでしょ。

それと同じように、何かに拘って、それを継続させるってことには、束縛とか拘束とか、自由を奪われる部分、少なくても無理しなきゃいけない部分は絶対にあって・・・それは、ブログを続ける事にも、きっと当てはまってくると思うのだけど・・・

だから、わたしも、そういう無理は、むしろ楽しみたいっていうか、それも含めて・・・って思ってはいるんだけど・・・

けど、だからといって、続ける事が目的になっちゃ、やっぱり、それは違うと思うんだよね、うん。だから?だから、さっき書いたものは、きっぱり捨てると・・・それだけの話で、ここまで引っ張りましたです、はい(^^;。

曹操が好きになったキッカケって・・・

2008-10-28 15:11:59 | Weblog
一昨日、無事、父の四十九日の法要を済ませることが出来ました。何も特別なことはしていないのですが・・・何だか、とても疲れてしまいました。やっぱり、精神的なものでしょうか。自分の意識としては、驚くほど淡々としているんですが・・・。

ところで・・・藍那にパンツを買ってもらいました(^^;。そんなにデリケートな肌をしているわけでもないんですが、どうも、肌とパンツの相性に恵まれなくて、それを藍那に相談したところ、彼女がワタシの為にパンツを選んで買ってくれました。それが、なんだか、お母さん、超ウレシかったのであります。何がそんなに嬉しいのか、自分でも良く分かりませんが、なんだかスゴク嬉しいのであります、はい(^^)。

で、本題ですが・・・ジョン・ウー監督の『レッド・クリフ』が、いよいよ公開間近ということで、偉仔や金城君の露出が増え、なんとも嬉しい限り・・・なんですが、どうも喜びきれないものが、わたしの中でモヤモヤとしているんですよね。

理屈では「そうなるよなぁ~」って納得しているんですが、心が「やだやだぁ~」って、そう言っているのであります。

その一つは、「ミッション・インポッシブルⅡのジョン・ウー」って言われる事。まあね・・・そりゃぁ、そうなるとは思うんですよ・・・でもねぇ~、でもさぁ~、やっぱ、わたしにとっては、どこまでいったって、ジョン・ウー監督は「『男たちの挽歌』の呉宇森」なんだもん!! っていうか、『男たちの挽歌』に関わった人は、呉宇森監督に限らず、スタッフもキャストも、永遠に特別な存在なんだなぁ、わたしにとって。だから、無茶を言っているとは思いつつ、彼のことは「『男たちの挽歌』の呉宇森」って言って欲しい、言って欲しいのでありますよ。

で、もう一つは、曹操のこと(^^)。実は、わたし、曹操が大好きなのでありますよ。けど、あの時代の物語って、どうしても劉備玄徳や諸葛孔明や関羽サイドから描かれるから、曹操って悪者、そうでなくても敵役になるわけで・・・あまり、カッコよく描かれていないことが多いんですよね。特に、娯楽性の高い、つまり面白くて人気が出る作品になればなるほど、曹操は悪く描かれるんですよね。

で、今回の『レッド・クリフ』も、そのような気配が。ああ~、とっても悲しい・・・です。張豊毅(チャン・フォンイー)、頑張っておくれ!! って、何をどう頑張るんだろう(^^;、しかも今から(爆)。

それにしても・・・ふと思ったんですが・・・わたしは、どうして曹操が好きになったんでしょう。絶対に、何か、キッカケがあったはずなんです。ドラマを見たとか、映画を見たとか、漫画を読んだとか、小説を読んだとか・・・何かの出逢いがなきゃ、好きになりようがないわけで・・・わたしを、曹操に惚れさせたキッカケを是非知りたいんですが・・・どうしてもそれが思い出せないんですよね。

好きになってから、いろいろ本を読んだりして「ああ、やっぱり、そういう人だったんだ・・・好き」って、愛を再確認していくわけですが・・・そのあたりになると、記憶はあるんです。でも、始まりが思い出せない。もし、それが思い出せたら、三国志に興味をもちかけた人には、それを押し売りしたいと思うんですが・・・ん~ん、何だったんだろう!!誰か、教えてくれ!!!

苦手、なんだけど・・・・・・

2008-10-25 13:42:31 | Weblog
東京辺りでは、文化の秋らしく、映画祭花盛り。「アタシは見にいけないよぉ~」と思うと、無いモノねだりで、いっそう映画への想いがつのりますなぁ。でも、どうしても、懐かしい名前にばかりに惹かれてしまう・・・そこに、自分の感性の老い、あるいは疲れを感じます。読書に関しても、音楽に関しても、その他のアートに関してもなんですが、加速度的に新しい出逢いを億劫がる傾向が強くなる今日この頃・・・ひじょぉ~に情けないなぁと思う次第です。もっともっと貪欲でありたいんですけどね(涙)。そうそう、黎姿(ジジ・ライ)、引退するんですってね・・・また一人、懐かしい名前に会えなくなりそうで・・・淋しい限りです。

ところで・・・仕事の資料として、広告業界関係の本を読んでいるんですが・・・やっぱり、わたし、苦手ですぅ~、広告(^^;。

わたしが若い頃から、電通とか博報堂に勤めている人って羨望の的だったし、今でも広告業界っていったら花形の職業の一つだと思うんですが・・・やっぱり、どうも相性が悪いみたいです、わたしとは(^^;。

何ていうんだろう・・・政治家に通じる胡散臭さとでも申しましょうか・・・あまりにも現実社会の利得とか、人間どもの生々しい欲望と、ストレートに繋がりすぎているのが・・・そういうものから目を背けたい甘ちゃんのワタシには厳しすぎるんでしょうかね。

何事に関してもそうですが、目的だけをああだこうだしている間は美しくいられるんですけど、それを現実のものにしようと、具体的な手段を考え始めると、絶対に美しくあることは不可能になっちゃうんですよね。

そういう意味じゃ、政治も広告も、人間を、その醜い部分まで全てひっくるめて引き受けている仕事なんだということになるのかもしれませんね。覚悟のない人間には、務まりませんね。

あっ・・・けど、苦手だと思っていたものも、使い方というか、付き合い方というか、角度を違えれば良い仲間になれる可能性もあるとは思うんですよ。

前から言っていると思うんですが、宗教学とか哲学とか思想系の学問に惹かれていた学生時代、わたしは心理学が大の苦手だったんですよ。っていうか、正直、心理学のことを、馬鹿にしきっていました。何とも中途半端な「学問もどき」だねって(^^;。

実は、今でも、個々人の心の問題に関しては、心理学的アプローチより、哲学的アプローチの方が好きは好きなんですよ。だって、心理学だと言われると、なんだか人は、より客観性があるように、つまり、言われたことが科学的真実であるかのように思ってしまうでしょ。それよりは、どこまでいっても曖昧である哲学の方が、猶予があって好ましいと思うんですよね。

ただ、人が暮らす環境を作っていく上での、都市設計とか、空間設計とか、物作りとか、そういう産業の部分では、心理学って大いに有効だと、最近は思うようになっていて・・・ここのところ、心理学に対するワタシの拒否感って、ものすごく薄まっているんですよね。

そうそう、先日、関西ローカルの番組で、渋滞解消の為の心理学ってのをやってたんですよ。たとえばね・・・二本の道が出合う場所って、それぞれの道を走っていた車が合流するわけですから、当然のことながら渋滞ポイントになりますよね。けれど、道が合流しても、車線の間に低い柵を設置して、お互い相手が見える状態で少しの間だけ並走させ、その後に柵を取り除けば、渋滞は格段に少なくなるんですって。それは、ドライバーたちに自分が置かれている状況を見せ、理解させることにより、ドライバーたちが自発的にベストな合流のタイミングを選択するようになるからなんですって。

つまり、こんな形で、心理学が実際に自分の生活の中で役に立っていると知れば、心理学を認めないわけにはいかない・・・っていうか、参りましたって頭をさげなきゃ仕方ないなって思うわけです(^^;。

だから?だから・・・いずれ、広告に関しても、その役割を正しく理解して、素晴らしいと思える日がくるかなと・・・そんな風にも思うのだと、そういうことなのであります、はい(^^)。

写真は、今ポストです。昔懐かしい円柱のポストのある風景を見た後で、今時のポストのある風景を見たら、意外に、これはこれで味があるなと感じたのでした(^^)。

外見は大切です! (←お前が言うか)

2008-10-23 14:51:11 | Weblog
昨日は、バスから見た風景の話でしたが、今日は、電車から見た風景のお話です。

電車の窓から外を見ていると、景色の他に、人模様なんかも見えてきます。とはいっても、通り過ぎていく電車の中から見ているだけですから、そんなに複雑なシチュエイションは分かりません。せいぜい、服装や一瞬の表情などから想像を膨らませる程度ですけど(^^;。

で・・・先日、電車から見えたものは・・・

まずは、茶髪&サングラス、黒と豹柄を組み合わせたファッション、申し合わせたように似た格好のお嬢さんが二人、ホームの奥に座り込んで、煙草を吸っている姿。オバサンの目から見れば、けっして素敵とは思えない彼女たちなのだけど・・・彼女たちは、あれで十分に満足しているのかな。それとも、何かしらの葛藤があるのかな。ちょっと心の中を覗いてみたい気分になりました(^^;。

次は・・・おおっ!!イケメン君。しかも、センスフル。これは、なかなかに女泣かせなお兄ちゃんではありませんか!! こんな子、関西にもいるんだ(爆)。

次は・・・あいや~!!これもまた、いいんじゃないかい。決してイケメンではないけれど、すごくお洒落さん。しかも、関西には珍しく、やりすぎてないお洒落さん。これは、わたし的には、イケメン君よりポイント高し(笑)。

そして・・・ふむふむふむ、本日は、男子が大漁ですな。今度は、ちょいと年輩のお兄さん、いやオジサン(^^;。若い頃は、カッコよかったんだろうなと思わせる容姿で、服装もそれなりに気を使っている感じ。ただ・・・なんだか、ちょっと残念。何だろう・・・何かが足りない。顔やスタイルも、そこそこイケてるし、ファッションもそこそこイケてるだけに、惜しい感じで残念。こういう人に、ちゃんとしたスタイリストさんが付けば、きっとキラッと光る男前になるんだろうな。でも、まっ、タレントさんでもないのに、スタイリストは付かないし・・・仕方ないかな。それにしても、勿体無いなぁ。

基本的に、「道行くイイ男」なんてものには目を奪われない、自他共に認める野暮天女なんですけど・・・この日は、やけに「イイ男」っていうか、男性のファッションに気を取られてしまいました。

というのもね・・・実は、数日前、仕事で、信じられないほど服装に構わない男性に会ったんです。自慢じゃありませんが、わたしも相当に服装には構わない方なんですが、そのワタシが唖然とするほど、服装に構わない人に(爆)。で、正直、その時、わたしはとても不愉快に思ったんです。侮られている・・・というのでもないんですが・・・なんだろう・・・とにかく、すごく不愉快だと感じたんです。それで、今さらなんですが「服装って大切」とか思っちゃったんです。だから、この時も、やたらに男性の服装が気になったんだと思います。

わたし同様、裕太も身を構わない子なので・・・ん~、ちょっと注意しなくちゃいかんですかね。彼の場合、彼女ができると、彼女の為に頑張る傾向があるので、母親が注意するより、早く、彼女を作って欲しいもんですね。本人にセンスがなくても、彼女がセンスフルな子なら、彼を何とかしてくれるでしょう(爆)。

今日のレコード・・・Oscar Peterson Plays Count Basie
 参考 http://www.amazon.co.jp/Oscar-Peterson-Plays-Count-Basie/dp/B0000046R9

先頭を行くものは、後ろが見えない

2008-10-22 19:27:23 | Weblog
昨日はまた、バスに乗って電車に乗って、取材に行ってきました。自分の車で出かけるの大好きだし、電車で出かけるのも(混んでなきゃ)大好きだし、基本的に遠方への取材は大歓迎なんですが・・・どうも、バスだけは苦手です。バスという乗り物は決して嫌いじゃないんですが・・・あの揺れが、どうも駄目みたいなんですよね(^^;。

でも、昨日のバスでは、ちょっとしたシンキングテーマを得ましたですよ。とはいっても、毎度のことながら、大したことじゃないですけど・・・バスが渋滞にはまってしまったおかげで、小学生の登校班が歩いている横をトロトロと並走することになって・・・見るともなしに子どもたちの様子を眺めていて、ちょっと考えごとなど致したと・・・そういうことであります。

で、考えたテーマは「先頭とシンガリ」であります。

というのも、目撃した登校班では、一番年長らしき女の子が先頭で・・・シャキシャキと歩くその様子は、頼り甲斐があるお姉ちゃんって感じだったんですが・・・その後ろを歩く下級生たちが、ちょこまかと早足で歩いている様子を見た時・・・なにか違うかも、という疑問が沸き起こってきたのであります。

先頭を行くものは、当然のことながら、みんなを率いる役割なんですから、リーダーシップが取れないといけないでしょうし・・・突然のアクシデントにだって、素早く対応できなきゃいけないだろうし・・・けっこう特別なポジションだとは思うんですが・・・でも、考えてみれば、先頭って「後ろが見えないポジション」なんですよね。

この「後ろが見えない」ってことは、けっこう重要ポイントで・・・このポジションに、あまりにも突出している人を据えるのは、案外、好ましい事ではないのかもしれないって・・・そんな風に、思えてきたんですよね。

つまり、登校班で言えば、皆より足が速すぎる人は、先頭に適さないんですよ。だって、その人に皆が付いていくの、大変過ぎますもの。

じゃあ、先頭を行く人が、絶えず後ろを気にして、皆のペースを考えながら歩みを調節すればいいと、周りの人は簡単に言うかもしれませんが、それはそれで先頭の人が大変でしょ。

だから、先頭を行く人は、勇気や責任感は十分以上にあるけど、本人の自然な歩みに関しては、集団のみんなとあまり違わない人が良いんですよ、きっと。

だから、突出した人は、先頭じゃなく、シンガリを務めるのが向いているんじゃないでしょうかね。日ごろは、能ある鷹がごとく爪を隠して、ゆったりと全体を見渡しながら一番後ろを歩いている。でも、何かの時には、さっと動いて、的確な指示をだし、みんなを誘導してくれる。そういうのが良くないですかね。

なんだかね・・・最近、この「シンガリ」を任せられるように人材が少ない気がするんですよ。意外に、先頭を走れる人は、どんどん輩出されているんじゃないかと思うんですが、シンガリを務められる人には、なかなかお会いできないようなね・・・そんな気がするんですよね。

残された者への気遣い?

2008-10-20 20:03:15 | Weblog
今日は、出掛けてしまってから、仕事の延期の知らせが入り・・・オイオイって感じだったんですが・・・でも、まっ、それは「そういうこともあらぁな」って思えるわけで・・・ただ、帰りのバスで、どうも気分が良くなくなり・・・てっきり、車酔いかと思っていたら・・・どうも、そうでもなさそうで・・・ちょいと、今も苦しいです(^^;。

で・・・帰ってきてから、しばらく横になっているとき・・・父の夢を見ました。昔の夢とかではなく・・・今の夢で・・・つまり、だから、復活していました。でもって、夢の中のワタシは「ええ~っ!!」って驚きながらも、「じゃあ、また介護だなぁ~」って、段取りを考えてました。ふむ・・・わたしの中に、父に対して何か、やり残したと思っていることがあるのかな・・・。

だとしても、現実の日々は、どんどんと過ぎていくわけで・・・今の時期は、四十九日の段取り期間です。で・・・必要事項の打ち合わせをしている時、母が、ふと言いました。「四十九日が終わったら、ちょっとホッとできるかな。次は百日か。これが役目やから、大変でも一つ一つ務めていかんといかんと思ってとやっているんやけど・・・案外、何もすべきことがなくなったら、どうしてイイか分からんなるかなぁ」。

それで、気付きました。この法要の段取りって、亡くなった人の供養だけじゃなく、残された人のサポートの役割も果たしているんだなって。

実は、通夜・葬式の時は、逆のことを考えてたんですよね。残された者に悲しむ余裕も与えないイベントって、いったい何なのかなって。これは、いったい誰の為のイベントなのかなって。

でも、悲しむ余地を与えないっていうのも、一つの思いやりなのかもしれないし・・・その後の、七日ごとの内輪の法要、そして七の七日(四十九日)の節目の法要っていうのも、残された人たちが、現実の中で起こったことを受け入れていく、リズム作りみたいなことなのかなと・・・。

なかなか深いですな、仏教も。やっぱり、だてに長く続いてないかもしれません。

でも・・・いつも言っているように、仏教にしても、キリスト教にしても、もっと今の社会に出来る事があると思うんですけど・・・それがどうも、うまく作用していないように見えますね。決して、直接的に政治に関わって欲しいなんて思いませんが、宗教は宗教でなきゃ出来ないアプローチで、社会に貢献できるはずだと思うんですけど・・・なんだか、世界三大宗教のうちの二大宗教、宝の持ち腐れしている気がしますね。残りの一つのことは良く知らないのだけど・・・そっちはそっちで、どうなんでしょうね。

ん?なんだか、話が飛躍してしまってますか?ですよね(^^;。ん~・・・また少し、横になることにしますです、はい(^^;。

磨くって、良いこと?悪いこと?

2008-10-19 23:21:25 | Weblog
さっき、お風呂で、顔をゴシゴシ洗いながら思ったんですけど・・・磨くって、良いことなんでしょうかね。悪いことなんでしょうかね。

本来、洗顔って、ゴシゴシするものでしたよね。磨くっていうか、摩擦を利用するっていうか・・・とにかく、ゴシゴシして汚れを取ってましたよね。

でも、最近では、それは駄目だって言われているでしょ。ゴシゴシしたら、肌を傷めてしまうから、そっとそっとって。

確かにねぇ~・・・ゴシゴシ擦れあって摩擦を起こすのは、良いことじゃないイメージがありますよね。たとえば、経済摩擦とかでも(おおっ、デッカイ(^^;)。

でも、ダイヤも磨かなきゃ只の石ころと同じってこともありますよね。昨日の兄弟姉妹の話もそうですけど・・・やっぱり、擦れ合って、削れ合って、美しくなっていくものもありますよね。

ふむ・・・結局、行き着く先は、ケース・バイ・ケースってことになっちゃうのかな。なんだか、みんな、そうなっちゃいますけど・・・でも、それが尤もなことなのかもしれませんね、ケース・バイ・ケース(^^;。

お姉ちゃんはつらいよ

2008-10-18 19:49:53 | Weblog
今日の午前中は、尼崎で仕事の打ち合わせでした。思ったより早く終わったので、午後から、山猫軒を開店させることができました。月曜日も、終日、取材の予定なので、少しでも時間が取れれば、店は開けたいと思っていたので、嬉しかったです。やっぱり、細々とでも、守っていきたいものがあるものね・・・(^^)。

ところで、その、尼崎からの帰路は、JRからバスを乗り継ぎ、ちょっと離れたバス停で降りて、家まで歩いたのですが・・・その徒歩での帰り道の途中のことです。

小学校の低学年くらいのお姉ちゃんが、幼稚園くらいの妹を連れて、道を歩いていました。ぬいぐるみを抱いた妹は、何か気に入らない事があったのか、あるいはただ疲れてしまったのか、歪んだ顔で牛歩状態です。それに愛想をつかせた感じて、お姉ちゃんが、徐々に歩みを速めます。当然、妹は、取り残されます。

と、お姉ちゃんが、近づいてきたワタシに気付きました。お姉ちゃんは、慌てて妹の方を向き、「○○ちゃん、こっちやでぇ~、はよ、おいでぇ~」と言いました。その言い方は、妹を気遣ったものというよりは、わたしを意識したもののように、わたしには感じられました。つまり、小さいながらも、彼女の心の中には「姉は幼い妹の面倒みなければならない」という強い思いがあり、「今、自分は、それを放棄しようとした」という後ろめたさが生まれ、それを、通りすがりのオバサンに見つからないように、急いで『良い姉』を演じようとした・・・ように見えたわけです。

でも、それが、妹には逆に作用してしまって、姉ちゃんの呼びかけを切っ掛けに、妹は本格的に「おぉ~ねぇぇ~ちゃぁぁぁ~ん~~・・・びぇ~」と泣いてしまいました(^^;。

と、近くの畑で野良仕事をしていたオバサンが、「あらあら、お姉ちゃん、妹を泣かしたらあかんやん。お姉ちゃんやねんから、ちゃんと見たげな」と言い出しました。

わたしは一人っ子なので、このお姉ちゃんの立場を経験したこともないし、妹の立場になったこともないわけで・・・二人の女の子の、どちらのことも、リアルには理解してあげられないんですが・・・でも、それでもなんだか、これはお姉ちゃんが可愛そうだなぁって思いました。

もちろん、妹には妹の事情と思いがあるわけですけど、たぶん、泣いている彼女は、自分の気持ちを正直に表現できていると思うんです。それが「悲しい」でも「辛い」でも「悔しい」でも、それを素直に表現できてる・・・それは、とっても救いのあることだと思うんです。

でも、お姉ちゃんは、おばさんに注意されて、それを理不尽に思っていたとしても、それに反論できず、じっと堪えて「姉」を務めなきゃいけない・・・それが、この歳の女の子には、ずいぶん重い荷物だなって思うわけです。

とはいっても、そうして人は育っていくわけですからね。逆からみれば、あるい長い眼でみれば、お姉ちゃんの今の大変さや悔しさは、のちのちの彼女を素敵にしてくれるものなのかもしれませんけどね(^^)。

とにかく、そんな場面を目撃しつつ・・・やっぱり、「一人っ子」より、色々大変なことのある「兄弟姉妹がいる子」の方が、実のある体験ができるんだろうなと思ったのでありました。

キツイ坂は小股で登れ!

2008-10-16 21:17:31 | Weblog
お風呂上りです(^^)。

これが、若いお姉ちゃんの口から出たなら、なかなかに色っぽいのですが、たっぷりと歳食ったオバサンの梅干口からだなんて・・・申し訳ないっす(笑)。

とまぁ、最初にお詫びしておいて、話、進めますね(^^)。えっとですねぇ~、そんなこと、どうでも良いとお思いでしょうが、わたしは、いつも、お風呂は仕舞い湯に入るんです。別に、良妻賢母的発想でやっているわけじゃなく、遅く帰ってくる夫の食事の用意をするので、どうしてもそうなってしまうんですよね。だって、お風呂に入ってから、食事の用意するの、嫌でしょ。

なのに、今日は、こんなに早く・・・まだ、夫が帰宅していないのに、お風呂、入っちゃいました。

もちろん、それには理由があります。明日の筋肉痛を防ぐためなのであります(爆)。

実は、今日の午前中は、写真取材に出かけていたんです。某有名観光地を、カメラ片手に、ぶらぶらと約四時間、被写体を求めて歩き続けました。あっ、「四時間くらい、大したことないじゃないか」って、今、そう思いましたね!! そう、もし歩き回った場所が平地なら、四時間くらい、いくら体力のないワタシだって平気です。でも、今日、行ったところは、とっても起伏が激しいところだったので・・・日頃から、歩き慣れていない軟弱者には、超キツかったのでありますよぉ。だから、もうヘロヘロになってしまったであります。

でもって・・・そろそろ、ジワジワと筋肉痛の気配がしてきたので、慌ててお風呂に入り、脹脛さん&太ももさんを、優しくモミモミ、マッサージしてあげたのでありました。

でね、その起伏の激しい場所を歩いた時に思ったんですが・・・傾斜がキツイ坂では、歩幅は小さく・・・それが、登り道の鉄則ですね。もちろん、スピードも、ユックリにした方がいいとは思うんですが、とにかく、歩幅を小さく、それが一番の坂対策だと思いました。

わたしなんて、自力がないくせに、根気もないので、辛い事は早く終わらせたいと、ついつい大股で歩こうとしてしまうんですよね。でも、急がば回れっていうか、適材適所ならぬ適行動適状況っていうか・・・大変なときこそ、ゆっくりと少しずつ進む、そういう当たり前のことを、ちゃんと出来なきゃイカンと、足の筋肉痛と共に、心がそう痛感いたしましたです、はい(^^;。