OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

引っ張られないように!!

2011-03-31 13:55:05 | Weblog

景気の悪い話をします。ご勘弁ください、先に、謝っておきます(^^;。

ずっと体調がすぐれません。倦怠感に関節の痛み、そして吐き気・・・多分、毎度の春病だと思います。「大丈夫?」と気遣う夫に、「今年は少々キツ目で迷惑かけるかも」と警告発言したら、「もしかしたら、震災のあれと違うの?」と言います。「スピッツの草野さんの?それはない・・・そんなに繊細じゃないし優しくもないもん」と応えると、「そんなん自分じゃ分からへんもんやん。彼だけじゃなく、体調壊している人、多いて聞くで」とのこと。いやいや、マジでそれとは違います・・・ストレス性障害とは症状が違いますもんね。

わたしの場合は、むしろ低血圧とか、更年期障害とか、そういうのとマルっぽカブル症状です。なので、五十肩同様、治るまでは付き合っていくしかしかたないかなと思っているのですが・・・もしかして膠原病の発症になだれ込んでいくと嫌だなと、常にその不安があるのが、少々うっとおしいのであります(^^;。

なんですが・・・ストレス性障害のような、はっきりとした症状でなくても・・・もしかしたら"なんか変な感じ"と思われている方、いらっしゃらないでしょうか。"なにか引っ張られるような感じ"とでも言いましょうか・・・ふわっとした不安感と、例えじゃなく実際になにか足元が頼りない感じで微妙に下に引き込まれるような感覚のような・・・そんなものがないでしょうか。

今までに、何回かお話ししたことがあると思いますが・・・わたし、今までに、二度、そういう感覚を味わったことがありました。で、その二度とも、そんなに親しくない人の訃報に接した時でした。そのうちお一人は、顔も知らない人でした。

だから、大切な人や親しい人を失くした痛みや悲しみとは違う感情なんだと思います。いえ・・・感情というよりは、やっぱり感覚といった方がいいかなぁ~。とりあえず、共感とか共振とか・・・そういう言葉が思い浮かぶんですが・・・それほど強いものでもなくて・・・やっぱり、もっと曖昧で漠然とした感覚なんですが・・・明らかに負の方向に向いていることだけは確かなんですよね。

で・・・何が言いたいかと言うと・・・人の心って、まだまだ不思議な動きをいっぱいするんだなって思うわけです。自分でも、よく分からないまま、何か好ましくない方向に引きずられていくようなこともあるようだなと思うわけです。理由や、そうなる仕組みが分かっていれば、対策もたてやすいと思うんですが、まったく意味不明に落ちていくようなこともなくはないということだと思うので・・・そういう自分の心の動きを、はやめに察知して、本格的に引きずられる前に、チョンと方向を変えてやるみたいなことをしてあげて欲しいなと、そんなことを考えたのでした。早く気づくと、ほんと、チョンで向きが変わると思いますので(^^)。

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タイミングなんだなぁ~(^^;

2011-03-29 17:21:41 | Weblog

見た映画の感想など、つらつらとUPさせていただくことも多いんですが・・・自分で思うんですよね・・・お前の評価の基準ってなんなのさって(^^;。

もし、読んで頂いていたとしたら、きっと「これが駄目で、これがOKなの?」って思われることが少なくないと思うわけです。「何をもって良いとか好いと言っているのか、よく分からないな」って。

弁解じゃないですが、評価が厳しくなる要因として、「振られている旗による」ってことは、あると思うんですよ。ギャラの高い俳優さんを多く出演させて大作感を醸し出しているものとか・・・社会的な問題を取り上げています的なニュアンスが感じられるものとか・・・そういうのに対しては、こちらも「それなりのものを、作ってらっしゃるってことですよね」という構えをしてしまいますからね。

それに対して、見るからにB級感が満載なものだと、こちらも気楽に楽しませてもらおうという姿勢で臨みますから、よけいな粗捜しやなんかせず、素直にその世界に没頭できたりしますよね。

また、すごく好きなタイプの映画だったりすると、欲が出て批判的な言葉が多くなってしまう場合もありますよ。すごく気に入っているし、すごく評価はしているんだけど、だからこそ「もっと」という思いが出てきて、ついつい厳しいことも言っちゃうってこともね(^^;。

けど、そういう明確な要因がなく・・・単純に、自分のコンディションというか、気分というか・・・もっと言っちゃうと虫の居所のせいだけで、評価が厳しくなったり、甘くなったりすることもあるんですよね。意図して厳しくしたり、甘くしたりしているわけじゃないんですが・・・見る側の心の状態によって、同じものを見ても楽しめたり楽しめなかったりするわけで・・・必然的に、評価もそれに左右されると・・・そういうことがあるわけですよね。

つまり・・・やっぱり、出逢いなんですよね。いつ出会うか・・・それに尽きるんですよね。人と人との出逢いもそうですよね。いつ出会うか・・・つまりは、縁があるかどうか・・・人との繋がりって、ほんとそれに尽きるなぁって・・・そう思う今日この頃なのでありました。

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それが彼の自然な姿、個性なんだなぁ~

2011-03-26 14:44:14 | Weblog

わたし、新聞読まないし、あまりニュースも見ないし・・・社会人としての勤勉さに欠ける人間なので、古館さんがキャスターをしておられる報道ステーションも、ちゃんと見たことがないんですが・・・今回の震災後に、たまたま見かけた瞬間、彼がとっても巧いフレーズでコメントを言ってらしたんですね。

いつも言っていますが、わたし、自分自身のポリシーとして、“悲しいことや辛いことなどを表現するときは出来るだけ言葉を盛らない”ように心がけています。プラスなこと、たとえば何かがとってもキレイだと伝えたいときや、何かがスゴク美味しいと伝えたいときや、嬉しいことがあったこを報告したいときなどには、いくらでも素敵な表現をすればいいと思うんですが、マイナス方向のことを伝えるときには、絶対に巧いことを言おうとしないように努めています。で・・・それは、本来、わたし個人の姿勢のことであるべきなんですが・・・他者のそれに関しても、出来れば悲しいことを伝える際には、巧いフレーズなんか使わないで欲しいと思っていました。

だから、古館さんの巧い表現を耳にした瞬間、「こんな時にも、この人は」って、心の中で非難したんですよね。でも、少し落ち着いて考えたら・・・まさにこんな時、古館さんが自分を賢く見せるために、あるいは自分の技術を見せびらかすために、意図して巧いことを言われたとは考えにくいですよね。きっと、巧いことを言おうとおもって言った言葉ではなく、自然に出た言葉が、巧いフレーズだったってことなんでしょうね。

彼は、話術のプロですから、わたしたちが普段使わないような言葉も含めて尋常じゃない数の言葉や組み合わせを日常的に使ってらっしゃるわけで・・・しかも、咄嗟に口をついて出てくる形容詞のバリエイションの豊かさを認められて人気が出た方なのだし・・・わたしが勝手に「巧いこと言いやがって」と思ったのは、彼にとっては極々自然なことだったんでしょうね。

と・・・古館さんを例に挙げさせてもらいましたけど・・・わたしが、常日頃、いろいろと非難がましく感じる多くの他の人の表現の仕方は・・・その人にとっては、一番自然で自分らしさの顕れる表現であるのかもしれないってことでもあるわけですよね。そうだとしたら、自分の価値観で裁くのはお門違いなわけで・・・自分とは違う個性を尊重できなくちゃ駄目じゃないですか、ねっ。

好き嫌いは、お互いに仕方がないと思うんですよ。好みじゃないものを、無理やり好きにはなれません。でも、少なくても裁いちゃだめだと・・・そう反省したのでした。自分だって、決して万人受けする個性の持ち主じゃないわけだし・・・自分とは違う個性を容認してもらえなければ、大変に生きづらいことになっちゃいますからねぇ~。

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繰り返されるには理由がある

2011-03-25 17:10:42 | Weblog

先日、音声日記でも話したんですが・・・近所に、ほんとうに頻繁に自動車事故がおこる場所が、数箇所あるんです。その中で、素人でも理由が分かるところも何箇所かあります。見通しが悪いだとか、長い直線の後の軽いカーブだとか、Uターンしてコンビニに行こうとする人が多い信号だとか。けど、見通しはいいし、目立つような特徴はないし、どうして事故が多いのか分からないけど、事故が頻発する場所があるんですよね。

でも、それって、きっと素人に分からないだけで、ちゃんと理由はあるんだろうんと思うんです。なんていうか・・・事故に限らず、繰り返されるということには、何かしら理由があると。

と考えていると、芸人さんでも小説家さんでも音楽家さんでも、一発屋ではない人たちにも、何かしら理由があるんだろうなと。それを、人は才能と呼ぶのかなと。いや、才能とも微妙に違う気がしますが・・・それでも、確実に何か理由はあるんだろうなとそう思うんですよね。

じゃあ・・・言葉などで、まちがった使い方なのに定着してしまうものにも、何か理由があるのかなと。言葉って、時代に合わせた変化があるわけですが、多くがその時限りの流行で終わりますよね。でも、中には、本来の使い方を押しのけて、新しい使い方として定着するものもあるわけで・・・そこには、やはり理由と言うものがあるに違いないと。でも、その理由って何なんだろうと、そんなことを考えてしまいました。

というのがね・・・今日、とあるお店に行ったら、けっこう年配で上品そうな店員さんが、コンビニの店員さんやファミレスの店員さんの接客用語として有名な、でも言葉の専門家や美しい日本語を愛する方たちからは不評な言葉の使い方をしていらっしゃったので・・・これは、もしかしたら、この使い方の方が生き残っていくのかもと思ったんですよね。でも、それが何故なのか、分からないなぁ~と思って・・・でも、わたしには分からないけど、そこには必ず理由があるんだろうなと思って・・・その理由を知りたいなぁと・・・そう思ったのでした。

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悼む気持ちを、どうすれば・・・

2011-03-24 12:34:04 | Weblog

こういう時期に、悲観的なことや後ろ向きなことは、外に向かって発するべきじゃないと・・・そう思うんです。明るいこと、元気になれること、前向きなことをこそ発信すべきだと。

けどね・・・少し前にUPした、梅の花の写真を見ながら・・・ふと、思い出したんです。ある年の春のことを。その年の春、桜が咲き出す頃、とっても悲しい出来事があって・・・満開の桜の花の下で、わたしは咲く花を恨みました・・・こんなに悲しいのに、それでも春は来るのか、桜は咲くのかって・・・。

それにね・・・その時、わたしの悲しさに共感してくれる人、というか、わたしと同じように、あるいはわたし以上に悲しんでいる人たちは沢山いらしたのだけれど・・・わたしは、その方たちと一緒に悲しむことが出来なかったんです・・・なんていうか・・・我がままですけど、一人で悲しみたかった・・・んです。

で・・・何が言いたいかというと・・・

日本中で、ううん日本だけじゃなく世界のあちこちでも、心を一つにして復興を支えようという、大きな動きに感動しています。そして、これならきっと、すごい勢いで被災地は復興していくんだろうなとという確信を持っています。

ただ・・・被災地が復興を果たしても、失った命は決して蘇ってこない。突然に大切な人を失った人たちは、否が応でもそれを受けとめて生きていかなければならない。だとするなら・・・そのためには・・・なんていうのか・・・悲嘆にくれる時間というか・・・悼む時間が必要なんじゃないかと・・・そんな風にも思うんですよね。

ゆっくり悲しむ余裕もないほど、残された人たちの生きるということが大変な状況で・・・そういう中でも、励ましあいながら生き抜いていくことに頑張るってことが、耐え難い悲しみで壊れそうな心を支えているのかもしれないのだけれど・・・頑張りすぎることへの懸念というものが・・・ふむ、どうなのかな・・・と。

決して、復興に向かう気持ちに水をさそうというのではないのですよ・・・それはもう、決して。ただ・・・もし・・・悲嘆にくれる時間が必要な人がいらしたら・・・少しの間、そのままそっと悲しませてあげられるといいなって・・・そして、少し落ち着いたら、少しずつでも歩き出してもらいたいなと・・・。いつか必ず笑顔を取り戻して欲しいけど・・・しばらくは笑えなくてもいいんだよって。

つらい時、忙しく体を動かすことで気を紛らわせること、よくありますし・・・無理やりにでも笑うことで、少しずつ本物の笑いを取り戻せるってこともありますし・・・頑張ることや無理することを否定はしていないんですよ。けど・・・どうしても頑張れない時は、頑張らないでいいと思うし・・・無理できないときは無理しないでいいと・・・励ましてくれている人たちは、みんなそうな風に思いつつ・・・それでも頑張ろうとしか言えなくて・・・きっと、その頑張ろうの言葉は、被災者の人たちに対してというより、自分たちに対しての叱咤激励なんじゃないかと・・・なんか支離滅裂ですが、そんな風に思ったのでした。


伝えることの難しさ・・・

2011-03-22 12:38:37 | Weblog

ニュース雑記帳の方で、偉そうに政府だとかマスコミだとかの伝え方にイチャモンつけたので、そのフォローというか(^^;・・・とはいっても“伝える”って難しいって話を、ちょこっと。

もちろん、巧く伝わらないのは伝える側の責任だと思うんですよ。特に、そういうことを仕事にしている人たちなら、伝えて何ぼなわけですからね。

けど・・・受け取る側って、ほんとに自分の都合のいいことしか受け取らないんですよね。聞きたいことしか聞かないんですよね・・・そりゃぁもう、見事なほど、恐ろしいほど。

たとえば・・・Bさんが「Aさんには、こういう駄目な所がある。でも、こういう良い所もある。だから、Aさんには、こんな風に接すると、Aさんの良いところが引き出されると思う」というような手紙を、AさんとソリがあわないCさんに送ったとしますよね。当然、Bさんが言いたかったことは、手紙の最後部分、Aさんへの接し方についての提言なんですが・・・この文を読んだCさんは、Aさんのことが嫌いなわけですから、もう最初のAさんの欠点として挙げられている部分しか目に入らないんですよね。それで「そう!!Aさんって、そういうところがある!!だから駄目!!Bさんも、そう言っている!!」ってことになっちゃうんですよね。しかも、ひどい場合は、Cさんから「BさんはAさんのことを、こんな風に駄目だと言っていた」という話が広まることすらあるんですよね。

しかもこの場合、困ったことに、Cさんは、故意にBさんの言っていること歪めて受け止めた認識がないんですよ。自分が聞きたい部分だけをピックアップして、他をスルーしてるんですが、スルーした自覚すらない場合が殆どなんですよね。

だから・・・ほんとうに・・・伝えるって難しいわけです。一対一でも難しい、親しい数人のグループ内でも難しい、ましてや何万人、何億人に伝える立場の人の難しさったら尋常じゃない。けど・・・そういう仕事に携わる人には、あえて苦言を呈してでも、伝えることを工夫していって欲しいと、そう思っているのでありました。

 

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我が家の梅

2011-03-20 10:34:55 | Weblog

明日は春分の日ですね。

我が家の梅の花も、ちらほらちと咲き始めました。

わたしが生まれる前から、我が家の庭で、春になると花を咲かせてきてくれた梅。

自然の持つ力・・・さまざまな姿が・・・こんなにも優しく美しくもある・・・のですよね。


音沙汰

2011-03-19 07:13:07 | Weblog

一週間も音沙汰なしで・・・関西に住んでいるはずだけど、もしかして、などと知り合いに余計な心配をかけてしまいそうで・・・こういう態度も大人気ないなと・・・それで・・・まあ、特に書くべきこともないのですが・・・音沙汰だけしようかと・・・

数日前から、いつもの頭痛に悩まされていました。数錠残っていたイミグランもさして効かず、しかもその数錠飲みつくし、その後は痛みと吐き気でゲエゲエ言っていたのですが・・・新しい薬を早急に調達する気になれず・・・無意味に痛みに耐える数日を過ごしました。

いつも言っているように、決して優しい人間ではないんです。自分の痛みには敏感なくせに、他人の痛みには、どうしてこれほど共感できないのかと、自分でも怖くなるくらい冷淡な人間なんです。けど・・・それでも・・・自分だけが安易に痛みから逃げるのは卑怯な気がして・・・

まったくもって馬鹿馬鹿しい発想です。わたしが薬を飲まずに頭痛を我慢したからといって、何かが好転するわけでも、だれかが喜ぶわけでもなく・・・というよりは、むしろ物理的にも精神的にも身近な周りの人に悪影響をあたえる愚行でしかないのです。だから、ただ自分が、根拠のない罪悪感から逃れたいが為の自己満足でしかないのです・・・ったく・・・なんてバカなんだ・・・

昨日、やっと頭痛が治まったかと思うと・・・こんどは、なんとも言えない倦怠感と吐き気にみまわれて・・・いったい、自分の体がどうなっているのか・・・我ながら呆れてしまいます。こんな時に、役立たずにも程があるでしょう。

わたしの脳の中で、多少なりとも思考することのできる部分が、わたしのすべきことを主張しています。心を冷静に、行動を理性的に・・・まずは、とにかく、いつもどおり普通に日常生活を送りなさい・・・それが、あなたのすべき一番のことですと。よけいな罪悪感や、過剰な正義感や、余計なお世話の同情など、一切不要なのだと。何も、実際には動く気もない人間の、そんな独りよがりの感情など、ドブに捨ててしまえと。いや、ドブに捨てれば、ドブが汚染されてしまうから、自分で勝手に自分の内側で処分しろと。

すると、わたしの頭の中の、わずかな善人の部分が訴えます。何も出来ることはないなんて、どうしてそんなことを思うの?きっと、お前にだって、出来ることはあるよ!たとえば、ミュージシャンの人たちは音楽で、スポーツ選手はスポーツで、芸人さんなら笑いで応援するとか言ってらっしゃるじゃない・・・総じて知名度のある人は、その影響力を利用して物資や義援金集めをしてらっしゃるじゃない・・・誰でも、自分の得意なもの、持っているものを使って、何か出来ることがあるはずなんじゃないの?

じゃあ・・・わたしが使える持っているものって何だろう・・・書くこと?そう?

けど・・・この一週間・・・それが一番できなかった・・・。どうしても出来なかった・・・。テレビで見て感じたことを言葉にする?気遣う言葉や励ます言葉を書く?かつての経験を語る?なぜか、どうしても、それらの言葉が出てこなかった・・・

役に立ちそうな情報を集めて発信するようなことはしたいと思わなくなかったけれど・・・情報の精査作業と、正誤の判断に自信がなかったので、それも出来なかった・・・

それで結局は・・・昨日は、原稿を一つあげて東京に送りました。今日は、あいびーの情報公開のための調査があります。嫌になるほど、普通に、普通に暮しています・・・それが、今の、わたしの精一杯という・・・たいへん、情けない状態です。

こんな時に、相変わらず、自分の気持ちだけに精一杯な書き込みで・・・心苦しくはありますが・・・とりあえずの音沙汰ということで・・・ご勘弁願います。


実物より良く見せることは・・・

2011-03-10 19:35:23 | Weblog

数日前、テレビで、映画の予告編を作る人たちの裏話&苦労話を紹介していました。で・・・予告を作る人たちの心得というか、心意気としては、“予告編は本編より面白くなくてはいけない”ものだそうです。そりゃあそうですよね・・・だって、予告編って、本編を見てもらうための宣伝なんですもの。

CMや広告って、紹介するものが食べ物なら、本物より美味しそうに紹介できなきゃ駄目ですよね。風景なら、実際よりも雄大に、あるいは美しく、あるいは情緒豊かに見えなきゃ駄目ですよね。道具なら、さも便利で使い易そうに感じさせなきゃ駄目ですよね。つまり、今風の表現で言うなら“盛ってなんぽ”、それが宣伝ってものですよね。

ただ・・・盛るのはいいとしても、嘘はイカンと思うのですよ。けど、どこまでが盛りでどこからが嘘なのか、その境界線って、とっても曖昧ですよね。

その映画の予告編の裏話で・・・トム・クルーズをトップスターに押し上げた、あの『トップガン』、当初の予告編は戦闘機が主役だったけれど、前売りの売れ行きが思わしくなかったために、急遽ロマンスの香りを加え、イケメンとしてのトム・クルーズ押しのものに作り変えて、女性客を呼び込んだ言っていましたが・・・これは盛りなのか嘘なのか、どうなんでしょう。

とりあえず、予告編を見て映画館に足を運んだ観客が、映画に満足して帰ったなら、それはOKということになるかとは思いますが・・・けっこう紙一重なんじゃないかなと思います(^^;。

わたしなんぞも、仕事で何かを紹介する文章を書いたりするわけですが・・・その時、紹介するモノの本質を捉えた文章を書くことより、読んだ人が良い印象を抱くような文章を書くことを求められます。露骨にいうなら、そのもの(商品)に誘導することを求められます。ストレートな広告でなくても、記事というのは実質的には広告であることが多いので、それは当然のことではあるのですが・・・書きながら、自分で“なんだかなぁ~”と思ってしまうこともシバシバです。

ちょっと飛躍しますが・・・オシャレというのも、基本的には実物より良く見せるための盛り、あるいは嘘とも言えますよね。それを、より戦略的にして、ビジネス等に取り入れているのが、印象学のようなものなのだと思うのですが・・・これも、考えてみれば、プチ詐欺ですよね。

っていうか・・・わたしたちの言動のほとんどは、自分にとって有利に物事が運ぶように、盛ったり嘘を付いたりばっかりなんですよね。ありのままなんて、アリエナイことなんでしょうね。

ただ、まっ、それこそが私たちの本質ともいえるわけで・・・基本、お互い様なことだし・・・そういう駆け引きを楽しむ術も、私たちは知っているわけで・・・決して否定できるものではないのですが・・・ときどき、ちょっと疲れてゲンナリしちゃう時があるんですよねぇ~。そういう社会から脱落したいなって、そう思う時があるんですよね。

っていうか・・・盛らなくても、偽らなくても、キレイなものがあるって・・・そう思うのは、愚かですかね(^^;。

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無駄なことはすべきじゃない?

2011-03-07 15:01:18 | Weblog

時々、言ってると思うんですが・・・わたし、ひねくれ者ですから、“努力は必ず報われる”とか“強く願えば必ず思いは叶う”とか、これっぽっちも信じていません。

どんなに強く願っても叶わないことなんて当たり前にあるし、誰よりも努力している人が報われないことだって数え切れないほどあると思ってます。ついでに言えば、どんなにイイ物を作っても売れないなんて日常茶飯事、何かに秀でた素質をもっていてもそれが花開かないことの方が多いとと思っています。

けどね・・・人が何かをするときに、結果だけを求めているかといえば、決してそうじゃないと思うんですよ。いえ、過程が大事だって話じゃないんですよ・・・いや、もちろん、それもありますけど・・・結果が伴わなくても、せずにはいられないってこともあるだろうと・・・そういう“せずにいられない”ことに巡り合うってことの方が、結果を得ることよりも重要なんじゃないかと、そう思うんです。

でもね・・・そういうものに、そうそうは出会えない現実があったりする・・・けどね・・・どうして出会えないのかと考えたとき、もしかしたら結果まで考えるからじゃないかって、そう思えたりもするんですよ。つまり、結局は、世にはびこる結果至上主義に阻害されて、“せずにいられない”こととの出会いに気づけないでいることが多いんじゃないかと。無意識レベルで、結果が得られないだろうことに一生懸命になるのは愚かしいことだと、いろんな出逢いをなかったことにしているんじゃないかと。

だからね・・・子どもには夢中になれることが多いけれど、大人になると夢中になれることが減ってしまうんじゃないかと・・・。たとえば・・・蟻が列をなして移動しているのを見ていても、生物学者じゃない自分にとって、何も生産的なことはないと計算してしまい、たとえちょっと気を惹かれても、そのままジッと見続けたりはしないみたいな(^^;。

で、何が言いたいかというと・・・ここ数年言いつづけていて・・・先日もまた溢していた「何にも夢中になれないのぉ~」という自分の愚痴に対する、わたしなりの模索の一つなわけです(^^;。先日は、かつて夢中になっていたものにしがみ付くのではなく、新しい夢中スタイルを見つければいいのじゃないかっていう方向性を打ち出したわけですが・・・それとは別に、よりシンプルに、より日常的に、ちっちゃな拘りを拾っていく中で、閉じ込めてしまったものが解き放たれるかも・・・干上がったものに潤いが戻るかも・・・カチカチに固まってしまったものが解されるかもと、まっ、そういうことも考えられるかなと。

なんてことを、頭で考えてる時点で、すでに心が貧しいんですけどね・・・それもまた、わたしらしいっちゃあ、わたしらしいわけで・・・こういうところも否定せずに同行二人的に進んでいきたいものだと・・・そんな感じなのでありました(^^;。

 

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