OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

お茶が美味しく入れられません(涙)

2007-01-31 19:26:57 | Weblog
お茶のテイスティング・ブログ(なんて大げさなものじゃないけど(^^;)を作っていることからもお分かりいただけると思いますが、わたしはお茶が大好きです。そう、珈琲屋なのに(爆)。

けどね・・・どうも、お茶が上手に入れられないの。お茶っ葉は勿論、ティーバックでさえ、どうも巧く入らない。熱々の時には、まだ誤魔化せるんだけど、冷めてしまった時に、下手さが如実に現れるので・・・猫舌のワタシは、お茶を呑むたびに、自分のお茶の入れ方の下手さ加減を思い知らされているわけです(涙)。

それで居直ったというわけでもないんだけど・・・上手に入れなきゃ、美味しくならないお茶ってどうなの?と・・・あっ、居直ってるっていうか逆ギレしてる、わたし(^^;。

よく、本当のサービスっていう話で「高級レストランだからといって、客に恥をかかせるのは一流のサービスとは言えない」なんてことを話すんだけど・・・技術がないと美味しくならない素材ってのも、本物じゃないんじゃない?

いや~・・・それは、やっぱり違うな。だって、サービスというものは、それ自身が「心地よさの提供」を目的としたものだけど、お茶は、あくまでも素材の提供だもんなぁ。それをどうするかは、やっぱりこっちの問題か・・・だなあ。

あっ・・・でも、昨日の、大人&子どもという視点で見ると、あれだね、子どもって素材そのものでいればいい存在だけど、大人って素材+サービス精神を身につけてなくちゃいけないね・・・おっと、話が横道逸れまくり(^^;。

ん?なんの話だっけ・・・そうそう、努力せずに、気軽に、美味しいお茶が飲みたいという、怠け者の本音をポロリしたのでありました。

大人になりました・・・ってか(^^;

2007-01-30 20:27:44 | Weblog
ここのところ、同じトーンで話しているので、我ながら、少しツマラナイです(爆)。やっぱり、思慮深い話があれば(←あるのか?)、おちゃらけた話があり、社会的な話題があれば、ひじょ~に個人的な話があるというように、立ち居地が定まらない方が楽しいでしょ、読んでくださる方達も、書く本人も(^^)。

けど、今日もまた、ここのところ続いているタイプの話で・・・ふむ、まことに申し訳ないです。けど、まっ、仕方ない・・・正直がモットーですから(^^;。

と言っておきながら、かなり矛盾することを言いますが・・・最近、自分の心に素直な判断って、出来なくなってきたなぁ~と思うんですよね。とはいえ、それが悪いことだと思ってるわけでもないんですけどね。良い意味で「こんなワタシでも大人になれたってことかな」と思ったりしてますし(^^;。

たとえばね・・・不二家さん事件が起こって、大手スーパーなどでは、軒並み不二家商品を扱わなくなったようなんですが・・・それを聞いたとき、思ったんですよね。わたしが、個人商店の店主なら、たぶん、それはしないだろうなって。けど、もし大きなスーパーやデパートの責任者なら、やっぱり不二家商品の取り扱いは控える判断を下すだろうなと。なぜって・・・自分の判断が自分にしか影響を及ぼさないなら、わたしは自分の感情にしたがって決断したい。けど、自分の判断が自分以外の人にまで大きな影響を与える場合、自分の美意識とか自分の価値観、ましてや自分の感情で決められないこともあるよなって思うわけです。つまり、そういうことが、わたしともあろうものが大人になってきたのかなと思う由縁であります。

だから、今は、とにかく中庸ということを心がけていますよね。以前は、極端をこよなく愛し、平均的とか平凡ってことを毛嫌いしてたのに、えらい替わり身でしょ(^^;。

たしかに、中庸には凡庸の意味もあって、それには今も抵抗がありますが・・・今は、その美しさも分かるようになりましたから。ある種、己を虚しくして他に尽くすような気持ちもなければ、中庸にはなれませんしね(←わたしには最も難しいことだ(^^;)。諦めるのじゃなく、無視するのじゃなく、許す気持ちもなくちゃいけないし(←これも、わたしには超困難だ!!)。中庸って、単に多数派に媚びるとか、事なかれ主義に走るってこととは違って、それによって実現させたいハッキリしたビジョンがあってハジメテできる我慢の部分もあるんだと思いますよ・・・うん。

だから、目先のカッコよさではなく、一見泥臭く見えても、超ぉ~洗練されてる中庸を目指そうと思うようになったと・・・そのことが、わたしも大人になったよなぁと思う理由なのであります(爆)。

心裏腹

2007-01-29 23:55:48 | Weblog
急転直下、今日、レンジ君が、我が家に帰ってきた。バッテリーがダメで、交換するまでは動かないのだけど、それでも我が家に居るということが奇跡のように感じられる。

実際、数日前の警察からの電話は、ほとんど「諦めてくれ」という意味の内容だったし・・・そもそも、届け出た時から「こういうケースの場合、車を取り戻せる可能性は極めて低い」と言われていたし・・・。それに、同じ相手から、似たような被害を被っている人たちの車は、どうやら戻ってはいないみたいだし・・・本当に、この展開は、ありえないほど幸運なことのようだ。そもそもの発端が多いに不運な出来事なのだから、幸運と言ってしまうのには抵抗あるけどねぇ~(^^;。

おっと、簡単に、ここ数日の展開を説明しておこう・・・っていっても、ものすごくシンプルなんだけど・・・N署から、実質「覚悟をきめてださい」電話がかかってきた翌日、つまりN署の刑事さんが容疑者の拘留されているF署に出向き、事情聴取する予定の日の前日、またN署から電話があり「相手方の弁護士から、すぐにでも車を返したいから、連絡先を教えて欲しいという電話があった」と聞かされる。その電話の主が間違いなく弁護士であることは、N署の方で調べてくれていたので、「どうぞ、教えてください」と頼み、連絡を待つが、その日には連絡がなかった。翌日、つまり事情聴取の当日の朝、またN署から連絡があり、N署としての対応の仕方の説明をうけ、我々はまた弁護士からの連絡を待つ。と、今度はすぐに弁護士からの連絡があったが、弁護士本人は東京出張中で直接対応できないとのこと。そのかわり、何某というものが車を返却するから受け取って欲しいだって。もし、車がボコボコに傷ついていたとしても、それを相手に補償せよとか弁償せよといって、さらに彼らと関わりあうつもりもなかった我々としては、何の条件も付けず、それを了承する。と、今度は仲介役の何某から連絡があって、本日、七ヶ月ぶりに、レンジ君は我が家に帰ってくることになったのだ。幸いなことに、少なくても外見は、そんなに傷んでなかった。ずいぶん汚れてしまってはいたけど・・・。

で、ここからが本日の本題(^^;。この七ヶ月、我が家でこの話題が出る度に、わたしはずっと、前向きな発言をしていた。「なんか、わたしは、戻ってくる気がするねんなぁ~」みたいなことを、ことさら明るく言っていた。それに対して、ダンナは、いつも絶望的なことを言っていた。常に、期待してはいけないというスタンスだった。

が、こうなってみて、お互いに本音というものを告白し合ったら、なんと、彼もワタシも、心と言葉が全く逆だったということが判明した。わたしが、心からレンジ君との再会を信じていたのは最初の数ヶ月だけで、その後はN署のN刑事さんから言い渡しを受けるまでもなく、もう二度と会えないという覚悟を決めていた。が、ダンナの方は、わたしが最悪の事態にガッカリしないようにと防波堤を張っていただけで、ずっと好転する予感を持ち続けていたそうなのだ。

ふむ・・・分からないものだねぇ~・・・人の心って、その人の言葉からは・・・ねっ(^^;。

名刺、作るべきかなぁ・・・

2007-01-28 18:44:38 | Weblog
最近、名刺を持ち歩かなくなった。不便なことも多い。知り合った人と、アドレス交換をしようと思っても、名刺がないと、その場で手書きでメモを作らないといけないわけで・・・結局、それが面倒で、ついつい相手の方の名刺だけ頂戴して、後日、こちらから連絡することになっている。大変、失礼なことだ。なんだけど、でも、最近、わたしは名刺を持ち歩いていない。

なぜかと言うと・・・作り直しが面倒になったから(^^;。何か新しいことを始めるたびに、肩書きが増える。それを、その都度、付け加えていくことに、なんだか疲れてしまったのだ。名刺自体も、肩書きだらけ、連絡先だらけ、ホームページなどのアドレスだらけで、まるでスマートじゃないし(^^;。

じゃあ、いっそ、プライベート用に、肩書きなしで、名前とメールアドレスを一つだけ記したシンプルなものでも用意するかとも思ったけど・・・だんだん、それもどうでもいい気分になってしまった。

このままで、いいとは思っていない。実際に、不便だし。けど・・・もう少しだけ、このままで居ようかなと思っている。名刺がない、肩書きが何もない、そんな状態・・・もうしばらく、味わっていたい。

ふむ・・・この感情、昨日書いた「堕落」の状態と、もしかすると無関係ではないかもしれないなぁ~。

何か志を持っている時、一番大切で大変なのは、その志を、どう実行するか実現させていくかっていうことなのだけど・・・わたしは、自分がリーダーになって引っ張っていくというような遣り方が好きではないのだ。ましてや、絶対に、カリスマと呼ばれるような人にはなりたくないと思っている。

それは、重荷を背負うのが嫌だということではなく・・・わたし以外の人が祭り上げられるとしても、やっぱりそれは嫌なのだ。つまり、強いリーダーシップでもって人々を牽引していくというような形が、そもそも良くないと思っているのだ。

けど、それが無理なのかもしれないと思うようになって・・・それが、わたしのジンワリとした絶望に繋がっているのかなと。ふむ・・・。

でも、本当に、わたしの志とは、誰かを、ましてや人々を、どこかに導きたいというものではないからね。モーセが、ユダヤの民を約束の地に導こうとした時のように、辿り着くべき場所をハッキリと意識したりはしていないからね。わたしはただ、一人一人の人が、自分の心を今より少しだけ豊かにしようとして欲しいと、そう思っているだけだから。

素晴らしき世界も良い、立派な理念もいい・・・けど、それよりも、一人一人の人が、自分の頭で精一杯に考え、結論付けたことを尊重していきたいと・・・そう思うからね・・・ふむ。

でも・・・ああ・・・やっぱり、名刺、作るべきなのかなぁ。

堕落

2007-01-27 22:08:52 | Weblog
今日、突然、雷に打たれたみたいに思ったの・・・わたし、堕落しちゃってる!!って。なんで、突然、そんなことを思ったのか、自分でも分からないんだけど(^^;。

で、何が堕落したかって言うと・・・意識かな。何のっていうと・・・何のだろう(^^;。

とにかく、今のワタシって、自分のことしか考えてないんだよね。しかも、なんだか、毎日毎日、物質的とくに金銭的な心配事に追われてる(涙)。

でも、思春期の頃から大学生の頃あたりまでって、本気で「人という種の未来」みたいなことを考えて、何とかしたい、何とかしてみせるみたいなことを思っていたし。

仕事始めてからは、それこそ本気で「社会の在りよう」みたいなことを考えて、何とかしたい、何とかしなくちゃと思ってた。

なのに、今は・・・まったくもって、今のワタシときたら・・・いつから、こんな風になっちゃったんだろうか・・・情けなし。

何か大きな挫折があったからとかではないんだよね。ジワジワとした挫折はあったけど・・・大きな壁にぶつかって粉々になったとか、険しい崖から落ちてボロボロになったとか、特段そういったこともなく、いつの間にか意識も気力も無くしてしまったのかな・・・情けなし。

これが更年期ってことなんだろうか・・・いやぁ~、なんか違う気がするな。やっぱり、堕落だな。ふむ・・・目を醒まさなきゃいかんなぁ(^^;。

バックステージ、覗き見たいか見たくないか

2007-01-26 22:10:37 | Weblog
朝の番組で「ひな壇芸人」を取上げていた。彼らの苦労や工夫、野心などが語られていた。わたしは、なかなか面白く拝見した。が、番組に出演していたアナウンサーさんの一人が「解説して欲しくなかったなぁ~」と言っていた。ふむ・・・なるほど、そういう意見も、たしかにあるだろうな。

そういえば、ジャッキー・チェンさんの映画の最後に用意されているNG特集への批判が、昔から根強くあるが・・・その理由は「舞台裏の苦労を見せてはいけない」というものだったと思う。きっと、華麗なアクションでも、素敵なラブシーンでも、それを作るための苦労や工夫を見せられたら、見る側が興ざめするということだろう。真冬に真夏のシーンを撮っていても、まったく寒いそぶりを見せない、それがプロの仕事だということだろう。確かに、確かに、それは理にかなった意見だと思う。

けれど、今は、皆が発信者になれる時代だ。大昔の、大スターさんはトイレなど行くはずがないと本気で信じられていた頃とは違う。出来上がったものを、ただ見せられるだけでは飽き足らず、それがどのように作られているのかにも興味を持つ人が増えてきているのも、決して不思議ではないと思う。かくいうワタシも、その一人だし。

これは、決して、芸能人のプライベートを覗き見たいというようなデガバメ的興味ではないとは思うのだけど・・・見せるために作られたものではない部分まで見たがるというのは、やっぱりワイドショー的興味なんだろうか。なら、努力して控えないといけないなぁ。

でも、作る側が、それを望んで公開してくれるなら、喜んで見せてもらっていい?やっぱり、見せる側も、見たがる側も、自制が必要な事柄かなあ・・・どおかなぁ。

でも、たとえば、職人さんの仕事風景なんかも、すごく面白いでしょ。出来上がった作品からは、沢山の喜びをもらえるけど、プロセスを見せてもらうことからは、ものすごく沢山の学ぶべきことをもらえるんだよね・・・ふむ・・・悩むなぁ。

1月25日分 「犯罪とは・・・」

2007-01-26 09:51:17 | Weblog
昨日分、今頃UPです(^^;。夕べは、パソコン、使えなかったので・・・。なので、ちょい、軽めに・・・とはいっても、内容は重いですけど。

日記で、その都度、経緯はお話してきた我が家の愛車レンジ・ローバー君横領事件。少し前に、犯人が逮捕されてるんですが・・・我が家の件を担当している警察から、どうも立件できずに釈放になる可能性大だと連絡がありました。その逮捕は、我が家の件ではなく罪状も別なもののようなのですが、我が家の事件も同様の扱いになる可能性が高いと・・・そう言われました。

刑事さんが言うには、民事で裁判すれば、必ず勝てる案件だろう。が、車の返還請求が通っても現物がなく、損害賠償を請求が通っても、相手方に支払い能力がなければ、結局、裁判費用が余分に掛かっただけということになるかなと・・・。

民事の話はさておき、なぜ、犯人、被疑者って言わなきゃならないかなを罰することが出来ないのかというと・・・本人が「最初から横領するつもりで車を預かりました」と認めない限り『犯意の立証』が難しいからなんですって。で、本人は、どの罪状に関しても、犯意を否定しているみたいです・・・ふむ。

お人よしな事に、ずっと犯人たる青年の将来を案じていたのだけど・・・なんだか、どうしようもないなぁ~という気持ちになってきました(^^;。

それにしても・・・刑事事件として扱ってもらえるって、相当大きなことじゃなきゃ、ダメなんだなぁと・・・それも驚きっていうか、不思議っていうか、正直納得できない気分は残りますね。

一番最初に、派出所に相談に行った時「あんたが信じて預けた業者やねやろ。自分で、なんとかしてもらわな、しゃあないなぁ」と言われたのと、態度は違うけど基本姿勢は一緒だということですよね。

けど、その時にも言ったけど、知り合いの車好きに「頼むわ~」と預けたわけじゃなく、認可をうけて業務している業者に預けての事件なのに、まるで仲間内の喧嘩の仲裁は出来ないみたいな対処をうけてるわけで・・・これってどうなのと思わずにはいられませんね。

でも、こういうトラブルまで、警察が手厚く解決しようと思ったら、われわれは、もっともっと税金を支払って、警察とか検察とか裁判所の人員やら何やらを充実させなきゃいかんのかな。とても、現行の組織では、手が回らんのかな。

けど、そんな気持ちの時に、スピード違反の取締りとか、シートベルトの取り締まりをしているのを見かけると・・・やっぱり、なんだかなと思っちゃう。交通事故は、ものすごく深刻で大きな問題ではあるけど・・・「車を横領した人間に、何も出来ないくせに、スピード違反の取り締まりは出来るのかよ!!」とか、理不尽に憤慨してしまうワタシがおりますですねぇ(^^;。

植物二題

2007-01-24 23:01:32 | Weblog
光の中で揺れる編

夜中、車で走っていて、側道から国道に入ろうとしたとき、国道の歩道脇に生えている植物が目に入った。車のライトが、風に揺れる植物に反射した為だ。この植物が、風にそよいでいなかったとしても、ライトは彼らを照らしたと思う。が、きっと、わたしは彼らに気づかなかったに違いない。彼らが揺れることによって、光を躍らせたから、それでワタシの気が惹かれたのだと思う。揺れるって、かなり自己主張になるんだなぁ・・・ここに居るんだ!!とアピールすることになるんだな。ということは、ドッシリと動かずして自己を主張できる存在って、相当なもんなんだ。でも、まっ、そういう主張を必要としない域までいってる存在は、もっと凄いよなぁ(^^;。

花の落ち方編

とても似た花なのに、椿と山茶花では、花の散り方が全く違う。たしか椿は、武家社会文化の流れをくむ関東では嫌われると聞いた・・・花が斬首されたようにコロリと落ちるからだ。それに対して、山茶花は、普通にハラハラと花びらが散っていく・・・と言われている。
言われていると言ったのは、我が家の山茶花は、少し趣の違う散り様をするからだ。決して、椿のようにゴロン&ポトンとは落ちないが、ハラハラとも散らない。そのままの場所で、周りの葉っぱに引っ付いたまま、ベチヨッと朽ちていく。正直、かなり醜く・・・椿がある種の潔さを持っているのに対して、ものすごく往生際の悪い散り方をするのだ。
だから、どっちがいいとも言いがたいが・・・ふむ・・・。

と、今日はこれだけ・・・明日は早いし、もう寝よう(^^;。

おたがいさま・・・本当に、おたがいさま?

2007-01-23 17:58:52 | Weblog
少し前だけど、少々関わりのある人に、迷惑をかけられるようなことがあった。が、きちんとした態度で、詫びと共に頼み込まれたことなので、わたしも納得して了承したし、遺恨は全くない。

と、今度は、わたしの方が、その人に迷惑をかけるような事態が発生した。いやらしい言い方だが、正直、迷惑の程度には大きな差がある。が、それでも迷惑をかけたことには違いはないわけで・・・プライドの高いワタシにとっては、かなり気ずつない状況になった。謝るのが嫌ということではない。それは、むしろ、全然平気。それより、なんていうか・・・自分が相手に風下に立っているようなこの感じが、傲慢なワタシには我慢ならないわけだな(爆)。

そんなワタシは、無意識に自分の安いプライドを守ろうと、心の中でこんな弁解をしていた・・・「おたがいさまじゃないか」と。うわっっ!!こわっ!! なんて危険な発想なんだろう。

「おたがいさま」という発想、それ自体は決して危険ではない。いや、むしろ好ましい考え方だと思う。人は誰でも、誰にも迷惑をかけずに生活していくことなど出来はしないのだから、迷惑をかけたりかけられたり、助けたり助けられたり、支えたり支えられたりしながら、お互いがお互いを、そして自分自身を、許し許され生きていくしかないと思っている。

けど、先に貸しを作ったものが、それを盾に「あたがいさま」と発想するのは、それは全くお互いさまの精神に反することだと思うのだ。そこには、許す側の自由意志がない。「おたがいさま」は、ポイントカードで貯めていくポイントとは違うのだ。ためれば、自動的に「1回許される」が獲得できるというようなものではないのだ。なのに、わたしは・・・なんて卑しい発想をしたんだろう(涙)。

プライドが無駄に高い奴は、許すことは平気で出来ても、許されるということが受け入れられないことが多い。だから、何があっても、自分は決して許してもらわなきゃいけないような立場じゃないと思い込めるよう、カッコ悪い工作をしちゃったりするわけだ。その方が、よっぽどカッコ悪いのにねぇ(^^;。

連想映像

2007-01-22 21:07:44 | Weblog
ボール型ライトが揺れている。天井から吊るタイプの丸型のライト。他にも沢山あるのに、一つだけが揺れている。

いつもなら「何故だろう」という発想になる。何故揺れているのだろう、しかも何故一つだけ揺れているのだろう、そう考えるのが、わたしの通常の脳内回路だ。が、きょうに限って、そういう発想が生まれなかった。

その代わり、予知夢を見るかのように、そのライトが落下して砕ける映像が浮かんだ。その後、次々に、別の揺れていなかったライトも落ちて破壊され・・・その後、浮かんだ映像に関しては、この場で話すには、あまりにも不穏当なので控えることとする。

たぶん、キーになるのは、やっぱり言葉だと思う。たぶん、起点は「危険」という言葉。そこから、いつものように次々に連想ゲームをしているのだけど、いつもと違うのは、わたしの意識上では、言葉ではなく映像だけが現れたということ。

ふむ・・・きっと、風邪のせいだ。それで、言語中枢での作業が、映像の方に繋がったのだ・・・そうに違いない。なんて、うっそぉ~っ!! 風邪のせいなのは間違いないが、単に思考回路が麻痺しただけだろう(爆)。

というわけで、今日は、ヨレヨレでボケボケなワタシなのでした(^^;。