明日が、年末調整で作成した書類を、各関係市町村と税務署に提出する期限の日です。で、今日は朝から、プチプチと電卓を叩いていたのですが・・・ある数字の並びになると、どうも打ち間違えてしまう自分の癖に悩まされました。たとえば「×××73××」という数字だと、わたしの場合、何故か手が「×××37××」って打ちたがるんですよね。分かっていて注意しているんですが、それでもやっちゃうんですよね。どうしてなのかなぁ~、我がことながら理解できません(^^;。
ところで、突然ですが“信念の人”って好きですか?わたしはねぇ~・・・なんだか苦手なんですよね、融通のきかない信念の人が。
もうずいぶん昔のことになっちゃいましたが、たしか中学生の頃、『塩狩峠』という映画と『小林多喜二』って映画を、比較的短い期間に続けて観たんです。
『塩狩峠』は三浦綾子さんの小説を映画化したもので、恋人の影響でクリスチャンになった国鉄勤め主人公が、その恋人との結婚式の日に暴走列車に乗り合わせてしまい、わが身を車輪の下に投げ出して列車を止め、大惨事を防いだ物語だったと思うんですが・・・たしか、これは学校で見せられたと記憶しています。
『小林多喜二』は、最近『蟹工船』で再注目されている小林多喜二さんが、軍国主義が色濃くなっていく時代の中で厳しい共産主義者弾圧をうけ、警察の激しい拷問の末に命を奪われた経緯を描いていたと思います。これはたしか、西宮市の子ども向けイベントかなにかで市役所で見せられた気がします。
両方とも、尊敬に値する人物を描いた映画なんですが、かなり暗く、しかもちょっと残酷なシーンもあり、中学生に見せるのはどうかとも思うものなんですが・・・とにかく、当時のわたしは、大人たちにそれを見せられたのです。
で、これらの映画を観て、わたしが強く思ったことは、大人たちの期待に反して「自己犠牲だとか信念だとか、そういうやたらと素晴らしいものはウザイ」ってことだったんですよね(爆)。
なんていうのかな・・・強い信念をもっている人って、なにかと行き過ぎるような気がするってことかな・・・だから、塩梅が良くなくて、ショッパイって感じかな。
だってね・・・信念の人の周りにいる人たちって、けっこう迷惑していること、多いと思うんですよ。回りが見えていなかったり、斟酌してくれなかったり、とにかく融通がきかなくて、急がば回れ的な判断が出来ないものだから、周りの人に我慢させたり、面倒かけたり、心配かけたり泣かせたりしていること、多いと思うんですよね。
だからね・・・本当に信念を通したいなら、むしろ清濁併せ呑む人間になれ、大方のことに対してちゃらんぽらんであれって、そう思うんです。どうしても譲れない大切なことって、そう多くはないでしょ。だから、最終的にそこを貫くためには、たいていのことは適当に流されていればいいって、そう思うんですよね。
とにかく、まっ、捻くれた人間なので、普通なら感動すべきもので文句たれちゃいますが・・・なんか、信念によって不幸になる人を見るの、すごく嫌いなんですもん。それによって周りの人が泣いているのを見るの、もっと嫌ですし。
それに対して、芯の部分はものすごく強固で熱くて、でもそれを取り囲んでいるものはふわっふわっで、印象はかなりテキトーな感じなんだけど、実は何ものにも支配されず流されていないってのが、わたしにとってのヒーローの条件なんですよね。
って、オチがない話でしたが・・・中学の頃のことを思い出しつつ、そんなことを確認したのでありました(^^;。
ところで、突然ですが“信念の人”って好きですか?わたしはねぇ~・・・なんだか苦手なんですよね、融通のきかない信念の人が。
もうずいぶん昔のことになっちゃいましたが、たしか中学生の頃、『塩狩峠』という映画と『小林多喜二』って映画を、比較的短い期間に続けて観たんです。
『塩狩峠』は三浦綾子さんの小説を映画化したもので、恋人の影響でクリスチャンになった国鉄勤め主人公が、その恋人との結婚式の日に暴走列車に乗り合わせてしまい、わが身を車輪の下に投げ出して列車を止め、大惨事を防いだ物語だったと思うんですが・・・たしか、これは学校で見せられたと記憶しています。
『小林多喜二』は、最近『蟹工船』で再注目されている小林多喜二さんが、軍国主義が色濃くなっていく時代の中で厳しい共産主義者弾圧をうけ、警察の激しい拷問の末に命を奪われた経緯を描いていたと思います。これはたしか、西宮市の子ども向けイベントかなにかで市役所で見せられた気がします。
両方とも、尊敬に値する人物を描いた映画なんですが、かなり暗く、しかもちょっと残酷なシーンもあり、中学生に見せるのはどうかとも思うものなんですが・・・とにかく、当時のわたしは、大人たちにそれを見せられたのです。
で、これらの映画を観て、わたしが強く思ったことは、大人たちの期待に反して「自己犠牲だとか信念だとか、そういうやたらと素晴らしいものはウザイ」ってことだったんですよね(爆)。
なんていうのかな・・・強い信念をもっている人って、なにかと行き過ぎるような気がするってことかな・・・だから、塩梅が良くなくて、ショッパイって感じかな。
だってね・・・信念の人の周りにいる人たちって、けっこう迷惑していること、多いと思うんですよ。回りが見えていなかったり、斟酌してくれなかったり、とにかく融通がきかなくて、急がば回れ的な判断が出来ないものだから、周りの人に我慢させたり、面倒かけたり、心配かけたり泣かせたりしていること、多いと思うんですよね。
だからね・・・本当に信念を通したいなら、むしろ清濁併せ呑む人間になれ、大方のことに対してちゃらんぽらんであれって、そう思うんです。どうしても譲れない大切なことって、そう多くはないでしょ。だから、最終的にそこを貫くためには、たいていのことは適当に流されていればいいって、そう思うんですよね。
とにかく、まっ、捻くれた人間なので、普通なら感動すべきもので文句たれちゃいますが・・・なんか、信念によって不幸になる人を見るの、すごく嫌いなんですもん。それによって周りの人が泣いているのを見るの、もっと嫌ですし。
それに対して、芯の部分はものすごく強固で熱くて、でもそれを取り囲んでいるものはふわっふわっで、印象はかなりテキトーな感じなんだけど、実は何ものにも支配されず流されていないってのが、わたしにとってのヒーローの条件なんですよね。
って、オチがない話でしたが・・・中学の頃のことを思い出しつつ、そんなことを確認したのでありました(^^;。