最近、正直に言うと、山猫軒に対する愛が薄らいでいた。あいびーが、他のメンバーのおかげで順調だということもありーの、内職が忙しいということもありーの、加えてココ数週間は、裕太の結石騒ぎに、藍那の引越し騒動で、週の半分ぐらいを臨時休業にしなくちゃならなくて、なんとなぁ~く「そろそろ、もうイイか・・・」なんて思い始めていた。
そもそも、山猫軒を作ったのは、子ども博物館の同窓会館として機能させようという思いからだった。就園前の幼い子どもたちを預かっていた子ども博物館としては、子ども達が巣立っていってからも、お母さんたちや子ども達のサポートが何らかの形で続けられればと思い、いつでも訪ねてきてもらって、せめて愚痴を言ったり、悩みを吐き出したりする場所にでもなれればと思ったのだ。
けれど、その役割も、そろそろ終了した気配だし・・・あまりに臨時休業が多いのも良い事じゃないし、これからのことを本気で考える時期にきているのかなと。もちろん、子ども博物館の卒業生だけじゃなく、山猫軒で知り合えた方たちも居てくださるし・・・実際に、最終的な決断を下すと言うのは、なかなか自分の中でも難しいんだけど・・・でも、考えなくちゃいけないかなぁ~などと思っていた。
けど・・・今日、ものすごく懐かしい人が尋ねてきてくれて、また気持ちが、ググッと押し戻されてしまった。その懐かしい人とは、子ども博物館の初期メンバーと、彼女のお嬢さん。彼女が、初めて子ども博物館に来た時には、まだ赤ちゃんだったお嬢さんの大学進学が決まり、その挨拶に来てくれたのだった。で、かなりシッカリと話し込んだ・・・ふうむ。
やっぱり、山猫軒は、必要かもしれない・・・・
以前には、よく話していたと思うんだけど・・・山猫軒を始めて、わたしは「教会」の意味を知ったんだよね。中学から大学まで10年間通った学校がミッションだったこともあって、尊敬できる人にクリスチャンが多かった。けど、わたしには、まったく人格神を受け入れる素養がないので、彼らがどうして神とやらを信じるのか、それが全く理解できず、彼らの気持ちが知りたいと大学で神学を専攻した。そこで、神論やらキリスト論、精霊論なんかを学んで、心の底からの共感はないまでも、頭ではソコソコそれらを理解できたと思う。ただ、いくら勉強しても、頭でさえ理解できなかったのが教会論。なぜ、信仰において、人が人とツルム必要があるのか、それがどうしても分からなかった。っていうか、ますます反発すら感じた。特に、一神教であるキリスト教は、神と我という一対一の関係が重要視されるのに、なぜそこに教会なんてものが介在するのか、卒論を書き終わっても納得していなかった。
それが、OBERONを立ち上げ、子ども博物館をはじめ、山猫軒の必要性を感じた時に、はじめて「あっ、教会って、そういうことか・・・」と思い至った。いくら精神性を尊んでいたとしても、人にはシンボルは必要だし、器も必要だし、横の係わりというのも必要なんだと知った。その、記念すべき・・・っていうか、そんな大切なことを教えてくれた恩人みたいな山猫軒のことを、わたしは、こんなに粗雑にしていたんだなぁ~と思うと・・・う~ん、恥じ入った。
大事にしなくちゃ、山猫軒。お世話になります、山猫軒。これからもヨロシクです、山猫軒さまぁ~!!
そもそも、山猫軒を作ったのは、子ども博物館の同窓会館として機能させようという思いからだった。就園前の幼い子どもたちを預かっていた子ども博物館としては、子ども達が巣立っていってからも、お母さんたちや子ども達のサポートが何らかの形で続けられればと思い、いつでも訪ねてきてもらって、せめて愚痴を言ったり、悩みを吐き出したりする場所にでもなれればと思ったのだ。
けれど、その役割も、そろそろ終了した気配だし・・・あまりに臨時休業が多いのも良い事じゃないし、これからのことを本気で考える時期にきているのかなと。もちろん、子ども博物館の卒業生だけじゃなく、山猫軒で知り合えた方たちも居てくださるし・・・実際に、最終的な決断を下すと言うのは、なかなか自分の中でも難しいんだけど・・・でも、考えなくちゃいけないかなぁ~などと思っていた。
けど・・・今日、ものすごく懐かしい人が尋ねてきてくれて、また気持ちが、ググッと押し戻されてしまった。その懐かしい人とは、子ども博物館の初期メンバーと、彼女のお嬢さん。彼女が、初めて子ども博物館に来た時には、まだ赤ちゃんだったお嬢さんの大学進学が決まり、その挨拶に来てくれたのだった。で、かなりシッカリと話し込んだ・・・ふうむ。
やっぱり、山猫軒は、必要かもしれない・・・・
以前には、よく話していたと思うんだけど・・・山猫軒を始めて、わたしは「教会」の意味を知ったんだよね。中学から大学まで10年間通った学校がミッションだったこともあって、尊敬できる人にクリスチャンが多かった。けど、わたしには、まったく人格神を受け入れる素養がないので、彼らがどうして神とやらを信じるのか、それが全く理解できず、彼らの気持ちが知りたいと大学で神学を専攻した。そこで、神論やらキリスト論、精霊論なんかを学んで、心の底からの共感はないまでも、頭ではソコソコそれらを理解できたと思う。ただ、いくら勉強しても、頭でさえ理解できなかったのが教会論。なぜ、信仰において、人が人とツルム必要があるのか、それがどうしても分からなかった。っていうか、ますます反発すら感じた。特に、一神教であるキリスト教は、神と我という一対一の関係が重要視されるのに、なぜそこに教会なんてものが介在するのか、卒論を書き終わっても納得していなかった。
それが、OBERONを立ち上げ、子ども博物館をはじめ、山猫軒の必要性を感じた時に、はじめて「あっ、教会って、そういうことか・・・」と思い至った。いくら精神性を尊んでいたとしても、人にはシンボルは必要だし、器も必要だし、横の係わりというのも必要なんだと知った。その、記念すべき・・・っていうか、そんな大切なことを教えてくれた恩人みたいな山猫軒のことを、わたしは、こんなに粗雑にしていたんだなぁ~と思うと・・・う~ん、恥じ入った。
大事にしなくちゃ、山猫軒。お世話になります、山猫軒。これからもヨロシクです、山猫軒さまぁ~!!