OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

働き者のおばちゃんには恐れ入ります、マジで(^^;

2008-08-31 12:49:12 | Weblog
あ~、だるいぃぃ~・・・かったるいぃぃ~・・・何もしたくないぃぃ~・・・

いつも、基本、怠け者なんですが・・・今日は、いつも以上に気力が萎えていて・・・何をする気にもならなくて・・・ものすごく、投げやりな気分です・・・はぁぁぁ~~・・・。

そんなワタシにとって、怠けることを知らない働き者の人って、驚異の存在なんですよね。うちの父や母も、そんな働き者の一人ですが・・・たとえば、小さな定食屋のおばちゃんで、「もう何十年も、一日も休んでへんわぁ~」と豪快に笑う肝っ玉母ちゃん、そういう方たちはマジで凄いっていうか・・・恐れ入ってしまうんですよねぇ、その生き様に。

もともと、わたしは物凄く傲慢な気質ですので、あまり人に対して、恐れ入ることがないんです。どんな学歴の人でも、どんな職歴の人でも、何億円何兆円規模のプロジェクトを成功させた人でも、世紀の大発明をした人でも、どんなお家柄でも、どれほどの収入や資産があっても、超人気者でマスコミに持て囃されている人でも、それだけで恐れ入ることは、まずないですね。っていうか、たとえ傲慢な気質でなくても、その人を良く知る前から、肩書きだとか実績だとかだけで恐れ入って仰ぎ見るって・・・その方が変じゃないかって、わたしは思うんですけど・・・それって間違ってます? 努力や実績を評価することはあっても、恐れ入る必要はないじゃないですか、ねぇ。ちゃんと知り合えば、おのずと尊敬できる面も見えてきて・・・その時に始めて恐れ入ればいいわけで・・・って、思ってるんですが、おかいしですかね、そういう態度は。

あっ、もちろん、わたしだって、営業上の都合で、相手の肩書きや実績に恐れ入ったフリをして、持ち上げて煽てることくらいは、何の躊躇いもなくやってみせられる『一人前の腐った大人』ですから、仕事を円滑に進める為に恐れ入って見せている人は嗅ぎ別けられますよ(爆)。けど、けっこう本気で肩書きや実績に恐れ入っている人が多いように感じられて・・・なんだか、残念な世の中だなぁと思うことも多いんですよね。

という意味では、周りの人を恐れ入らせて、自分は立派だと喜んでいる貴方、注意した方がいいですよ。貴方の周りには、貴方の本当の姿など全く見ようともしないで貴方の肩書きや実績だけに恐れ入っている薄っぺらい奴らと、自分の都合や仕事の為に太鼓持ちに徹している連中ばかりなのかもしれませんよ。

あれ・・・今日のワタシ、かなり毒舌だな。やっぱり、この気だるさが、わたしの中の何かを狂わせているのかな(^^;。

でも、実際、わたしなら、相手のことを認めてなきゃ、あえて相手が嫌がることは言いません。大切に思っていない相手と真剣に対峙するなんて面倒ですから、あたりさわりなくしか付き合いません。もしかしたら、誰からも嫌な言葉を投げかけられない人は、誰からも認められていないのかも・・・そういうことだって、ありえると思いますよ。

それにね・・・取材等で、色んな方をインタビューしていても思うことなんですが・・・思わず恐れ入りたくなるような肩書きを持っている人でも、中身が本当に恐れ入らせて頂きたい充実したものをお持ちの方なら、むしろ相手を恐れ入らせないものなんですよ。これは、ほんとうに、そうなんですよ。尊敬の念、敬愛の念は起こってきますが、そういう立派な方は、決して他人を恐れ入らせないんものです、はい。

って、かなり話が脱線しましたが・・・つまり、ほとんど何ものにも恐れ入らない超生意気なワタシが、唯一思わず恐れ入ってしまう存在、それが『働き者』さんたちなのである・・・と、それだけの話なのでありました(^^;。

と、最期に、ぜんぜん話は変わるのですが・・・数日前、『Zガンダム』の中で、カミーユが、ヤザンのことを「ただ強いだけだ」って言った台詞を、何の脈絡もなく、突然思い出し・・・妙にハマッテイマス(爆)。ずっと、この表現は褒め言葉じゃないと思ってたんですよね。ニュータイプの方が上っていう思い込みが、そうさせていたのかな。でも、考えてみれば、物凄い褒め言葉じゃねえか!って、思い始めたんですよ。ただ強いだけ・・・すごい、すごいですよ、絶対。ん?何が言いたいのか分からないって? そうですよね、わたしも分からないや(^^;。

維持するのって大変ですよね・・・当たり前のことですが

2008-08-30 15:19:08 | Weblog
昨日は、またまた面接に行ってきました(^^;。少し前、「面接受けたところとは、どうも縁が繋がらないんだよねぇ~」と愚痴った時に受けにいったところからは、その後、一件お仕事を頂き、原稿の納品も済み・・・どうなのかなぁ~、順調に今後に繋がるかなぁ~・・・って感じです。もし、これが繋がれば、わたしの『面接全負神話』も崩れてくれるんですが・・・どうでしょうね(^^;。

でもって、今回も、一応、感触は良かったんですよ。今回は、先方が、新しい分野に手を広げようとしておられるらしく・・・そのお話を聞いていると、僭越ながら、お手伝いできることもありそうな感じで・・・。基本的に、そういうの大好きなので、ちょっと期待してしまっています。だって、新しく始めるって、すごくワクワク感がありますものぉ~、ねっ(^^)。でも、まっ、大きく期待していると、大きくガッカリしますし・・・ガッカリする可能性は、今までの経験から考えると、非常に大きいわれですから、ワクワクするのも程ほどに、これからも淡々と営業活動に勤しもうとは思っております。そういう自己防衛も組み込んでおかないと、余分に疲れちゃいますしね(^^;。

でもって・・・昨日の朝は、交通手段としてJRを使ったんですが・・・西宮名塩駅で、わたしが乗ろうとした電車がですね、オーバーランをしたんですよ。それを見て、正直、なんか妙な汗をかきました。だって・・・福知山線ですしね・・・思わず心の中で、運転手さんに「気にしなくていいよ!リラックス!!」って、呼びかけてしまいました(^^;。あの福知山線の事故以来、日勤教育などのプログラムも見直されたと聞きますが・・・それとは別に、運転手さんたちにオーバーランへのプレッシャーが増えたんじゃないかと思うし・・・だって、実際、利用者の一人であるワタシが、たった数メートルのオーバーランにも、こんなに過敏になるんですもの・・・当の運転手さんたちには、もっと重いものが圧し掛かるだろうなって・・・。

とはいっても、彼らはプロですからね。プロとして、当然、そういうプレッシャーにも対応できなきゃ駄目だとは思うんですよ。なんでも「いいのよ、いいのよ」って、甘やかしや安易な同情を押し付けるのは、むしろプロに対して失礼だとも思うんですよ。でもね・・・一瞬にして、色んなことが脳裏を過ぎり・・・そう思わずにいられなかったんですよね。

きっと、その時、電車に乗っていた人たち、ホームにいた人達・・・みんな何事もない顔をしていたけれど・・・心の中では同じことを思い出し、同じようなことを考えたんじゃないかなって思います・・・ふむ。

けどね・・・少し、話は広がりすぎちゃうかもしれないですけど・・・たとえば、電車の運行に関して・・・線路を安全な状態で維持していくのだけでも、ものすごく大変なんだろうなって、今のわたしは思うんですよ。

今のわたしっていうのは、つまり、父が入院して、家の周りが雑草だらけになっているのを、唖然として眺めているワタシってことなんですが・・・こんなに狭い庭でも、維持するには、それなりの手間をかけないといけないんだって知ったわけで・・・ましてや、線路の維持って、ものすごく沢山の人たちの時間と労力が必要なんだろうなって。

きっと、線路だけじゃないですよね。車体だって駅だって、他にも、わたしたちの分からない沢山のことが、多くの人の努力で維持されて、電車は走っているんでしょうね。

もちろん、それらのことは全て、鉄道に関わっている人たちの仕事で・・・彼らは、それで収入を得ているわけだし、プロなんだから・・・「大変でしょう」なんて安易に言うのも、逆に馬鹿にした話なのかもしれないけど・・・少なくても「何事も、簡単に維持できるものなどない」ってことだけは確かですよね。

ン?何の話だっけ・・・頭の中が混乱しています(^^;。今日は、これくらいにしておきましょう。とりあえず、自分の平常心を維持しろよってことですね(爆)。

写真は、何年か前の父の日に、父にプレゼントした葡萄の苗が育って、今年も実をつけている様子です(^^)。

マンガの選び方や読み方、教えられたいですか?

2008-08-28 16:46:08 | Weblog
京都精華大学マンガ学部の吉村和真准教授が「マンガを読むなと言っても隠れて読むだけ。今の30代もマンガで育った世代です。マンガ読者の先輩として、後輩にマンガの選び方などを教える。そんな親子関係をつくっていけばいいのではないでしょうか」という提言をされているとか。ふむ・・・なるほどねぇ~。

おっしゃっていること、すごく分かる気はするんですが・・・どうしても、「教える」っていう一言に、わたしは過敏に反応して、嫌だなって思っちゃうんですよね(^^;。

もっと詳しく、このご意見を紹介すると・・・大人もマンガを読むようになってから約40年の時が流れ、今やマンガが当たり前のよう生活の中に溢れており、もはやマンガを読むか読まないかを子どもたちが自分で選択する環境にはない。だから、今の子どもたちは、日本語を覚えるように、マンガを自分の意識の中に取り込んでいく。でもって、こういう無自覚の刷り込みは、子どもがマンガの登場人物をモデルに、他人を評価するようなことに繋がるのではないかと、それが恐ろしいっていうことみたいです。

もちろん、マンガにもそれなりの芸術性があるし、良い影響を及ぼす可能性もなくはないけれど・・・悪影響も見逃せないので、大人が子どもにマンガの選び方や読み方を教えろと・・・そういうことを仰っているのだと思います。

でも・・・ふむ・・・やっぱり、わたしは嫌だな、子どもたちに、マンガの選び方や読み方を教えるのは。

わたしはね・・・人が人に教えるのって「技術」の分野の事柄に限られると思うんですよ。それと、法律のように「人が作った決まり」のようなものは、教えなきゃ伝わらないかな。それから「あったこと」の伝承もそうですね。そういう意味じゃ、文字や計算は人のつくった記号&ルールだから教えてもらわないと駄目だし、歴史なんかも教えてもらうといいのかなって思います。だから、学校で教えていることの多くは、別に教えることを否定しないんですが・・・

けど、感性の事柄については、絶対に教えちゃ駄目だと・・・だから、マンガもそうですが、たとえば読書なんかも、教えられるのには抵抗したいと思うんですよ。いくら読書の習慣が好ましいものでも、その本が良い本でも、人に読むことを強制されて本を読むのは駄目って思いませんか。知識として読む必要があるものなら別ですけど、感性を遊ばせる、つまり楽しむ為に本を読むのなら、自分が読みたいと思って読まなきゃ、読む意味がないと、わたしは思うんですよ。

もちろん、環境が何気に薦めるのは好いですよ。読む前に、その本が好い本だなんて、誰にも分からないわけですから、「好きな人が読んでいたから」とか「家の本棚に並んでいて気になったから」とか、環境の助けがあるのは、とっても良いことだとは思うんですけど・・・選び方や読み方を教わるなんて・・・心底、ゾッとしてしまうんですよね。

昔の職人さんや芸人さんは、技術的な事柄だって教えなかったっていうでしょ。「見て盗め」ってね。わたしは、そういう伝え方の方が好きですね。だから、子ども達が見習いたくなる、子どもたちが盗みたくなる・・・大人が、そういう魅力をもった大人になる方が、教えるより、ずっと好いんじゃないかと思うんですけどね。

たしかに「教える」って、お互いに手っ取り早いんで、短期的対策としては評価すべき点もあるかと思いますが・・・手っ取り早いことには、危険もいっぱいですから・・・急がば回れってことで、「教える」に逃げないことをオススメしたいなと、わたしは思うんですよねぇ~。

コンテストの意義をテレビ番組を見て見直しました(^^;

2008-08-26 16:29:45 | Weblog
またTVネタです(^^;。

銘酒誕生物語だったかな・・・番組名は忘れましたが、蔵元さんを紹介するような番組みたいでした。で、わたしが見たのは、沖縄の泡盛の蔵元さんを取りあげたものでした。

一つは、戦争で失われた沖縄のクース(古酒)復活に尽力した蔵元さんのお話。もう一つは、かつてお父様が作っておられた泡盛を復活させた二代目さんのお話。どちらも、とっても感動的でしたが・・・特に、後者の物語の中で、『賞』というものについて、自分の考えを改める機会を得たので、そのことについて書かせてもらおうかなと・・・

ざっと内容を説明しますと・・・二代目さんは、お父様との仲が、そんなにヨロシクなかったそうなんですよね。しかも、お父様は、二代目さんが幼い頃に、家族の生活を支える為に泡盛作りの方法を「樽売り」に変えられていて、蔵を継いで欲しいというような話もなかったと。(ちなみに「樽売り」というのは、独自の銘柄酒を生産するのではなく、契約したところに樽ごと販売する方式のようで・・・よくは分からないのですが、収入は安定しているけれど、酒造りの自主性、つまり面白みがないみたいです。)で、二代目さんは、自分なりの判断で就職して働いていたようですが、ある時、お母様から「継いでもらえないか」と言われたそうです。で、二代目さんとしては「継いでやる」気持ちで戻ったけれど、お父様は相変わらず「別にオレは継いでくれとは言っていない」という態度で、二人は殆ど会話もしなかったそうです。二代目さんは、お父様に自分を認めさせたいお気持ちもあったんでしようね・・・なんとか自分の力で家業の業績を上げたいと考え・・・樽売りをする前に、お父様が作っておられた『春雨』という泡盛を復活させることを決意したのだそうです。そして、お父様の力を借りないで、自分一人で試行錯誤を重ね、自分なりの『春雨』を作り上げたのだそうです。けれど、それを販売店等に持参し、販売して貰えるよう頼んでも、「そんなものは知らない」という理由で、テイスティングもしてもらえず、企画書を床に投げつけられるような日々が続いたんだそうです。そんな時、目に入ったのが、沖縄県主催の泡盛コンテスト。「これなら、誰もが平等に審査を受けられる」二代目さんは、そう思って、このコンテストにかけたそうです。ここで、まったく相手にされなければ、もう泡盛つくりは諦めようと・・・その覚悟で、コンテストに望んだそうです。その結果・・・ご本人は「偶然でしょうが」と謙遜されていましたが・・・金賞を獲得したのだそうです。それで、世の中の人に『春雨』を認知してもらえるようになり、販路も開けたのだそうです。

なるほど・・・実績も、後ろ盾もないモノが、世間に認知してもらうための手段としてのコンテスト・・・そして賞・・・「重要なんだ」「必要なんだ」って、始めて思いました(^^;。

なぜか、わたし、コンテストとか賞ってものが、嫌いで仕方なかったんですよね。なんていうんだろう・・・審査を信用していないって部分もあるのかもしれない・・・審査にあたって、主催者側の意図であるとか、審査する側の好みであるとか・・・なにかしらの偏りがあるだろうことが・・・世の偏りに組することができなったことの多い身としては、受け入れがたかったのかなぁと思います。

でも、そんなワタシの考え方って、あまりにもヒネクレ過ぎていますよね。偏りはあって当然だし、何かしらの意図が働くのも仕方の無いことだし・・・それでも、やっぱり、コンテストで賞を取ることによって、実績や後ろ盾のないモノが世に出る機会を得られるのだとしたら・・・どんどん、コンテスト、やって欲しいですよね。

考えてみれば、小説家さんなんて、多くの人がこのルートで世に出てらっしゃるわけですしね・・・

そっかぁ~、そうなのかぁ~・・・コンテストって、賞って、ものすごく大切なんだ、色んな人を救い、世の中の役に立っているんだって・・・今頃になって、やっと本気で、そう思うことができました。ったく、感性が鈍すぎますけどね、アタシ(^^;。

ちなみに、『春雨』の先代さんは、賞をとっても、息子である二代目さんを認めようとしなかったそうです。結局、二代目さんは、お父様から何も言葉をかけてもらわないまま・・・お父様が他界されて・・・でもね、お父様がなくなってから訪ねてこられたお父様のお友だちが、「君が○○君か。お父さんは、お酒を飲む度に、君の自慢をしておられたよ」って教えてくださったそうです。あまりにも不器用な方だったんですね、お父様。なんだか、古い日本の親父像、そのままって感じじゃありませんか(^^;。

ところで・・・もう一つの蔵元さんも、大変、ご苦労されたそうです。お爺さまが「いずれクース(古酒)の時代が来るから、どんなことをしても頑張ってクースを寝かせておきなさい」って仰ったらしいんですが・・・クースの時代はなかなか来てはくれず・・・出来上がったクースをもって、営業に回っても、時間と手間がかかるため高価になってしまうクースに対して「ウイスキーより高い泡盛が売れるわけない」と相手にしてもらえなかったそうです。その時、新聞社に勤めるお友達が、その話を聞いて「面白い」と記事にしてくれたのがキッカケで、苦労して守り続けられたクースが、やっと世に出ることができたのだそうです。新聞などの記事ってものにも、懐疑的な思いはあるのですが・・・その影響力が、好く働くこともあるわけで・・・こちらも、侮れないなぁと思った次第です。

コンテストの賞にしても、新聞の記事にしても・・・何事にも、良い面と悪い面があるわけで・・・わたしは、その好きじゃない部分だけを見て毛嫌いしていたわけですが・・・良い面を巧く活かしていくってことが、考えられなきゃ駄目なんですよね。

そうそう・・・少し、話は違うかもしれませんが・・・・先日、ある方と話をしていたら、その方が、こんなことを仰ったんですよね。「サッカーは駄目だ。あんなスピードでは、頭で考える暇がない。だから、あれは馬鹿のするスポーツだ。それに比べて、野球は考えるスポーツだ。野球は馬鹿にはできない」って。正直、オイオイって感じでしょ(^^;。

その方の好き嫌いに関しては、何も言うことはありませんよ。「野球は頭を使うクレバーなスポーツだから、僕は野球が好きだ」と思われるのなら、それに文句を付けようとは思いませんよ。でも、だからといって「サッカーは馬鹿のするスポーツだ。賢い人間は、みなサッカーを好まない」っていうのは・・・それは、どうなんですかね。

別に、わたしが野球よりサッカーの方が好きだから、イチャモンを付けているのではないのですよ。なんていうのかなあ・・・その方のサッカーへの評価が、ちゃんとした認識の上に立っていないだろうなというのが、容易に見て取れるのが残念だったんですよね。自分のサッカーへの理解度の低さを棚に上げて、自分の好き嫌いだけでサッカーというスポーツをこき下ろすのは、いかにも下品で・・・その方の言葉を投げ返すなら「馬鹿だ」と思えたんですよね。

けど・・・実際、そんな風に決め付けちゃうことって、多いですよね。わたしも、よくしてしまいます。で・・・上記の、コンテスト&賞が嫌いなことだとか、新聞記事への不信感とかも、それと同じことなんだろうなと・・・そう思った次第です。

好き嫌いの範疇をこえて何かを評論することって、真摯に取り組めば、ものすごく勇気のいる、重い作業だと思いますが・・・われわれは、それを、あまりにも覚悟なく、安易にしてしまうことがあると思うんですよ。本当は、好き嫌いでしか論じちゃいけない範囲の知識や理解度や覚悟でもって、偉そうに論評してしまうことが。でも、それは、できるだけ意識して、減らしたほうがいいですよね。その方が、お互いに気持ちいいですよね。と、そう思ったのでありました。

愛国心というより、自国に対する本物の自信を・・・

2008-08-24 15:41:04 | Weblog
いよいよ、今日は、北京オリンピックの最終日。張藝謀(チャン・イーモウ)監督曰く、男子マラソンが閉会式直前まで鳥の巣を使用するので、閉会式の為の「大がかりな仕掛けはできない」のだとか。別に、大がかりにしてくれなくてもいいので、今度こそ“スター大合唱”の中継だけお願いしますですよ。成龍(ジャッキー・チェン)、劉徳華(アンディ・ラウ)、孫燕姿(ステファニー・ソン)、莫文蔚(カレン・モク)、容祖兒(ジョーイ・ヨン)、謝霆鋒(ニコラス・ツェー)、周華健(ワーキン・チョウ)、孫悦(スン・ユエ)、汪峰(ワン・フォン)が歌う『遠方的客人請○留下來』、なんとしても放送して下さい!! で、できますることなら、陳奕迅(イーソン・チャン)、周杰倫(ジェイ・チョウ)、王力宏(ワン・リーホン)といった、参加が噂されている方たちも、ぜひぜひ見せてくださいまし。ミーハー者は、ひとえにそれだけを願っております(爆)。

個人的には、開会式の時に批難されていた口パクもCGも、チャン監督の言う「演出」として受け入れられるんですよね、わたしは。ただ、多民族国家を表すパフォーマンスが、漢民族の子どもたちだけで行われたというのには、心がチクリと痛みましたけどね。きっと、全民族の子どもたちを北京に集められないとか、事情もあったと思いますが・・・この部分は、ただのパフォーマンスであってはいけない部分だと思うので・・・うん・・・ちょっと悲しかったです。(でも、これこそが現実という意味では、象徴的でもありましたが・・・)

それと・・・これは少数派の意見になるかもしれませんが、「羅針盤」とか「紙」とか「活版印刷」とか、中国の四大発明の誇示に関してこそ「どうしてチャン監督?」って思ったんですよね。わたし的には「中国の偉大な歴史や文化」って、今さら一生懸命にアピールしなくても、世界中の誰もが十分に知っているし・・・今の中国に対してどういう考えを持っているかとは別に、彼らの歴史や文化のことは、ちゃんと尊敬しているのに・・・って。

けど・・・実際にオリンピックの競技が始まって・・・あの異常熱狂の応援を見ていると・・・ああ~、チャン監督は、あのパフォーマンスを、外国の人たちに向けて「どうだ!中国って、こんなに凄いんだぞぉ!」と自慢する意図でつくったのではなく、中国の人にこそ、自分たちの「礎」「源」を意識して欲しかったのかなと思ったりしました。

なんていうか・・・あの熱狂を見る限り、今の中国の人たちの中にある自国に対するプライドは、まだ本物じゃないような・・・そんな気がしたんですよね。だって、ホスト国として、ゲストをむかえ持成す余裕がまったくないわけで・・・それって、つまりは自分たちの核に、しっかりとした自信がないってことなんじゃないかと・・・わたしは、そんな風に感じたんですよね。

考えてみれば、今の中国は、とても新しい国で・・・一時は、中国四大発明なんかを生み出してきた過去の歴史を否定したりもしていて・・・わたしたちが抱く、四千年の歴史を持つ中国とは、別の国なんですよね。かといって、完全な新興国じゃない分、プライドの処理が難しくて・・・色んなジレンマの中でモガイテイル国なのかなと・・・。

で、チャン監督のあのパフォーマンスは、そういう中国の人に対する「自分に自信を持とう」という呼びかけなのかなと・・・。ほんと、自分にちゃんとした自信のない者は、個人でも国家でも、他者に優しくなんて、なれませんからね。

とはいってもね・・・日本だって、メダルメダルって騒いで・・・夜のニュースでは、「今日、日本が獲得したメダルは○個です!」とか言っちゃって・・・オリンピックの精神である「オリンピックは国家間の競争ではない」という意識に乏しい態度ですけどね(^^;。

わたしの思う「本物の自信」「本物のプライド」って、相対的ではなく絶対的なんですよね。この世に「絶対」なんてものはないとは思っていますが・・・「本物の自信」「本物のプライド」って、どっちかっていうと絶対サイドに属するものだと思うんですよ。つまり、他者との比較から得られるものじゃない。誰かを負かしたり、ましてや誰かを貶めて得られるものじゃない。だからこそ、「本物の自信」「本物のプライド」を持っている人は、自分以外の人のことをちゃんと認めるし尊敬するし、周りのもの全てに優しくなると思うんですよね。

と言う意味で・・・今のような愛国の形ではなく・・・本物のプライドを、中国の人たちに取り戻して欲しいと思います。それだけのものが、あなたちの国の歴史や文化にはありますと・・・声を大にして言いたいなぁと、そう思ったのであります。

なんていいながら、今日の閉会式では、明星たちを映してくれ!!と、それだけを願う、ミーハーなワタシなのでした(爆)。

美辞麗句に引いてしまうこと、ありませんか?

2008-08-21 14:52:33 | Weblog
昨日、藍那が帰ってきました。無事、じいちゃんの状態の報告が出来ました。無事っていう形容詞が相応しいかどうか、ちょっと疑問ではありますが・・・ホッとしています。

ところで・・・少し前に放送されたフジTVの『27時間テレビ』、録画していたものを、やっと見ることが出来ました。リアルタイムでも、ちょこちょこ見ていたのですが、全篇通して拝見しました。裕太が「ひょうきん族世代の人は、もっと面白いんやろうなぁ~」と言っていたのは正解だと思います・・・懐かしさと共に、今も頑張って「あほ」をしている大御所芸人さんたちに感動しました。

きっと、こういう番組の作り方、こういう馬鹿馬鹿しい芸風が、下品で嫌いだという人も多いと思います。「ただ騒いでいるだけで中身なんか何もない」「これは悪ふざけであって芸じゃない」と仰る方も。たしかに、その意見は否定はしません。でも・・・わたしは、嫌いじゃありません。さらにいうなら・・・わたしは彼らを尊敬できます。

わたしと同じ意見の方たちは、きっと、最期のBIGINの歌に、泣かされたでしょうね。わたしは、マジ泣きしてしまいました。BIGINさんてば、「あほ」の意味、よぉ~解ってはる・・・(感涙)。でもって、その歌に対する、たけちゃんの言葉も、胸に沁みましたね・・・お笑いの道、人が見ているほど簡単なもんじゃないんですよね。

で・・・今日の本題。テーマは「褒める」。でも、本題といいつつ、あっという間に、終わってしまいます(爆)。

あのね・・・評論家と言われる人たちの中にも、エッセイストさんたちでも、それから巷のブローガーさんなどでも、対象物を、ものすごく仰々しく褒める人って、いらっしゃるじゃないですか。

「すんごく気に入ったんだろうなぁ。好きなんだなぁ~」って、その人の主観を感じさせるというよりは、理詰め&素晴らしい形容詞を多用して、客観性を持たせつつ褒めちぎる方。そいう方の記事を見ていると・・・わたし、どうしても、引いてしまうんですよね。正直、褒められた側も「いやいや、それほどでも・・・」「別に、そんな深い意味は・・・」って、困惑するんじゃないかと思うんですが・・・そんなことないですかね。あれだけ褒められれば、嬉しいもんですかね。

問題集や試験問題に取上げられた小説や詩や評論を、書いた本人が解いてみると正解しないって話も聞きますし、絵画や音楽も含めた芸術作品に関して、立派すぎる解説に作者が苦笑するしかないって話も聞きますが・・・だからといって、そういうのを全否定するするつもりはないんですよ。

問題にする場合は、あくまでもセオリーを学ぶサンプルとして作品が採用されているだけで、最初から鑑賞を目的にしていませんし、鑑賞を目的にした場合なら、そこから何を感じるかは、受け手に一任されていると思うので、作者の意図と違う感想をもっても、それは全く構わないとは思うんです。

ただ・・・それが「正解」だという論調になると・・・ちょっと待てと思ってしまうんですよね。難しい言葉や、美しすぎる形容詞を使って、その作品がいかに特別なものであるかを論証しようとしているのかなと感じると、それは違うんじゃないかと思ってしまうんですよね。

いやいや・・・きっと、あの仰々しい褒め言葉は、押し付けが目的ではなく・・・感想や解説の形をとった、書き手の自己表現に他ならないんだろうなぁ。うん・・・そう思って接すれば、居心地の悪い褒め表現にも、納得できるかもしれない。うんうん、きっとそうなんだ・・・そうに違いない・・・あれは、あくまでの書き手の自己表現の形なんですね・・・うん、了解しました(←一人で納得(^^;)。

君がいるだけで・・・

2008-08-19 16:53:39 | Weblog
昨日の朝、裕太が電話をかけてきた。用件は「来週まで帰れそうにない」ということだったが、じいちゃんの容態を伝えると、急遽、やりくりして、その日のうちに帰ってきた。とりあえず、裕太には伝えることが出来た・・・ホッ。あとは、藍那なのだけど・・・この前、彼女が病院にいった時は、じいちゃんの体調が奇跡的に良くなった時で、ドクターからも「調子をみて、自宅に帰ることも考えましょう。インターフェロンは自己注射できるので、娘さん(わたしのこと)に注射してもらいながら、一ヶ月でも二ヶ月でも家で過ごしてもらいましょうね」という話になっていたので、きっと藍那は安心しているだろうと思うだけに・・・う~ん、電話しづらい。裕太に意見を求めると「そら、早く知らせた方がええよ」と言うのだけど、「けど、電話やと必要以上にビックリするでしょ」と聞くと、やっぱり「そやなぁ・・・」とのこと。そう・・・そうなのよ・・・

で、昨日は、裕太を連れて病院に。一昨日、スイカが食べたいと言っていたので、小さく切って冷やしておいたスイカを持っていき、裕太が介助して、じいちゃんに食べさせた。じいちゃんは、一口食べては、裕太に「(おまえも)食え」と言う。すると、裕太が「うん、食うわ」とスイカを自分の口に運ぶ。そしてまた、じいちゃんに一口食べさせると、じいちゃんは「(裕太も)食え」と言う。裕太は「うん、美味いな」と言いながら、また一つスイカを食べる。二人は、そんなことを数回繰り返していた。わたし相手では、ありえない光景だ。

スイカは水分が多く、お粥も食べられない父でも、なんとか食べられるのだが、それでも、すぐに咽始める。じいちゃんと裕太の宴は、すぐに終了してしまった。

それにしても・・・父は、藍那や裕太には、特別な顔をみせる。わたしや母には、苦しい顔しか見せなくなった最近でも、藍那や裕太が顔を見せて、軽く冗談など言うと、実に嬉しそうに笑う。たとえば、藍那が「じいちゃん、藍那の子どもの顔、見たいでしょ。なら、元気にならな」と言うと、嬉しそうに「そやなぁ~、見たいなぁ~」と微笑む。さらに藍那が「けど、藍那が結婚したりしたら、じいちゃんは淋しいやろ」と聞くと、もっと楽しそうに「そやなぁ~、淋しいなぁ」と笑う。やっぱり、孫は、ほんとに特別な存在なのだろう。

ちなみに、父は、わたしの夫に対しても、わたしや母には見せないような嬉しそうな顔を見せる。生さぬ仲だけれど、ずいぶん長く一緒に暮らしてきた“息子”なのかな・・・わたしには分からない感情があるみたいだ。

わたしは、父に何の親孝行もしなかった。旅行に連れていってやることもしなかったし、高価なプレゼントをすることもなかったし・・・でも、この家族を彼にプレゼントできたのは、何よりの親孝行だったと思う。わたしが何をしなくても、藍那と裕太と、そして夫が彼の家族として居る・・・それが、彼に幸せをもたらしたと思う・・・思う・・・うん、そう思う。

程よくイラッ!

2008-08-17 15:47:26 | Weblog
写真は、南天の紅葉です。今朝、夫が「ツクツクボウシが鳴きはじめた。秋が近づいてる」って言ってましたが・・・南天も、秋の準備をしているんでしょうか。自然の変化に鈍い人間には、とても秋なんて感じられませんが、虫や植物は、確実に秋を感じ始めているんですかね。

えっと・・・昨日のプライベート同窓会では、一箇所で粘って、ずいぶん騒ぎました(^^;。お店の方、お世話かけましたです・・・ごめんなさい。おかげさまで、その時間だけは、日頃抱えている諸々のことを全て忘れて居られました。楽しかった(^^)。みんな、ありがとね。

そうそう・・・わたしたちが、そのお店に入った時、すでに満席に近い状態ではあったのだけど、開店時間から間もない頃ということもあって、店内は程よいザワメキに満たされているって感じでした。でも、それが、わたしたちが帰ろうかという頃には、どの席も宴たけなわって感じで、ものすごく賑やか。すぐ近くに座っている人の話し声も聞き取りづらいくらいになっていました。それで、みんな、さらに声を張り上げて話すから、三半規管がロックのコンサート会場にいるような状態になりかけました(^^)。でもね・・・それが、不快というより、面白かったんですよね。別々のものが、別々のまま、妙な調和でもってパッケージされている感じ。ほんと、面白いなぁ~って思いました(^^)。

帰りは、阪急電車+阪急バス&徒歩30分という、中高生時代に戻ったようなコースで家路についたのですが・・・考え事をしながら歩いていると、あっという間に家に到着しました。ただし・・・おかげさまで、一昨日のこむら返りが筋肉痛に変化して、今朝から、ちょっぴり右足を引きずっています。ほんと、歳ですねぇ(^^;。

ところで・・・今日の日曜日、帰ってくるかもしれないようなことを言っていた裕太が帰ってきませんでした。ふむ、どうしたものかな・・・。この前、子ども達が(別々に)帰ってきたときから、さらに父の状況が変化して・・・主治医から、あまり時間がないかもしれないと言い渡されているので・・・それを、彼らに伝えてやりたいのですが・・・これは、メールや電話では話しづらいなと・・・なので、帰ってきた時に話そうと・・・そう思っていたのですが・・・次、彼らが、いつ帰ってくるか分からないので・・・早めに、電話した方がいいかなと・・・。でも、めったに電話しないわたしが、彼らに電話すると、絶対に、ドキッとさせるし・・・かといって、知らせないうちに、時が来てしまったら、彼らは、もっと頻繁に逢い行かなかったことを絶対に後悔するだろうし・・・教えてくれなかったと、わたしを恨むだろうし・・・ふむ・・・

なんて、まさに、心の呟きを書いてしまいましたが・・・そろそろ本題に入りましょう(^^;。

以前、表面的な部分がとっても似ているけど、肝心な核の部分が全く似ていないと感じる方のブログを、これからも読み続けようか、もう訪問するのは辞めようか、迷っているとお話したことがあったかと思いますが・・・・実は、あれからも、一応、毎日、そのプログにはお邪魔していて・・・最近になってやっと、この方とは、とことん付き合っていこうと決心しました。(相手は、アクセス数が異常に多い、超人気ブローガーさんなわけで・・・こんな、わたしの決心なんて、どうでもいいっていうか・・・ハッキリいって、知ったこっちゃないことなんですけどね(^^;。)

なんていうか・・・彼の言葉で、わたしが必要以上にイラッとするのは、彼の書くものが、わたしにとって、すごく良い刺激だからなんだと気付いたんですよね。

わたしと意見を異にする人は他にも山ほど存在するわけですが、そういう人たちの発信に対して、わたしが反応しないのは、きっと、あまりにも価値観が違いすぎて、無意識に関わりを回避しているからだと思うんですよね。けど、彼の言葉は、わたしの中に、沢山の反論の言葉を溢れさせたり、時には考え込ませたりするわけですから・・・考えてみれば、得がたい刺激なんじゃないかと思うんです。

同意見ばかりの中では思考は停止してしまうし・・・かといって、あまりにも程遠い意見は心に届かないどころか耳に入らなくなってしまう場合も多いし・・・適度にイラッとさせてもらえるっていうのは、ほんとうに得がたい素晴らしい刺激なんですよ、きっと。

たぶん、そのブログ以外にも、程よい刺激だったのに、退けてしまった勿体無い素敵な刺激がいっぱいあるんだろうな。だから、これからは心して、程よくイラッと感じさせてくれるものを大切にしていきたいと思います(^^)。

プライベート同窓会(^^;

2008-08-16 14:48:44 | Weblog
今日は、プライベート同窓会の日です。なので、そろそろ出かける準備をいたします(^^)。

けど・・・わたしが出かけると、母が不安がるのですよね。その間に、何かあるんじゃかいかと。大丈夫だよと言いつつも・・・大丈夫である確信は何もありませんが・・・でも、まだ大丈夫ですよ、いくらなんでも・・・。けど、外出の仕事は、当分の間、控えたほうがいいのかな・・・。この状況だからこそ、稼がなくちゃいけないんですが・・・仕方ないですね。

とにかく、そういうことも暫し忘れて、今日は、友人たちとの時間を楽しむことにしましょう。みんな、ほんとうに古い友だち。よくもまぁ、今まで見捨てず付き合いを続けてきてくれたことです。

ただね・・・自分も含めて、みんなのことを考えると・・・やっぱり「もっと」という気持ちが拭えないんですよね。なんていうか・・・このままでいいの?自己実現、叶ってないんじゃないのって。この歳だからこそ、考えない?って。

人に言わせると、「みんなが、あなたみたいな執着を持っているわけじゃないのよ」ってことなんですけどね。だから、ほんと、余計なお世話・・・自分がそう感じているから、人も同じだと思うなよってことなんですけど・・・でも、ねぇねぇ、ほんとにそう?それでいい?それで満足?それで幸せ?

なんて話は、今日は絶対にしません(爆)。だって、確かに迷惑だものね。それくらいのことは、わたしだって分かっています。

だから、結局は自分のことなんだ。そう・・・自分のことなんだ・・・

けど、わたしも、ある意味、パワーあるよね(爆)。シビアに表現すると、成長してないってことなんだけど・・・思春期の悩みを抱き続けて四半世紀・・・だもの、確かに、ある意味、凄いですよ、わたし(笑)。