OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

初水仙

2010-02-28 11:51:51 | Weblog
写真は、我が庭の初水仙です。春ですなぁ~・・・。

で、今日は、今から、松尾貴史さんとG2による演劇ユニット「AGAPE store」の最終公演(活動休止するそうです)『残念なお知らせ』を観にいってきます。シアター・ドラマシティの出し物との相性はイマイチなのですが(爆)、コメディだということなので、ちょっと期待しています(^^)。

贅肉の価値

2010-02-27 19:12:16 | Weblog
マジでお腹の贅肉がヤバイことになってます。もちろん、お腹以外のところにも、もれなく全身に贅肉は存在しているのですが、特にお腹がヤバイです。

けど・・・贅肉って、なんで存在するんでしょうね。いや、「君が食べすぎなんだよ」とか、「世の中が飽食の時代だからね」とか、まともな返事はしないでくださいよ。それじゃあ、面白くなりませんからね。

会社など、大きく膨れ上がった組織に対しても、贅肉がついてしまったという表現を使いますが・・・贅肉って、成功とか幸せの罰なんでしょうか・・・罰とまでいなくても警告とか。

なんて話をしている間に、ダイエットしろってことですけどね(爆)。

笑えない理由は何?

2010-02-26 18:37:32 | Weblog
ここ半年、けっこうお芝居を見るようになりましたが、基本的に笑えるものが好きです。映画や小説の好みと同様、高尚なのはちと苦手だったりします(^^;。

深く思索を廻らせるというのは、意識して頑張らないと出来ないことだと思うのですが、笑いなんて、日常の生活のそこここに転がっているものですから、とても簡単なことのように思えます。

もちろん、笑いにもセオリーがあって、笑える言葉の組み合わせ、タイミング、間、笑える表情、状況など、既存の笑いを細かく分析して再現する、あるいは再構築するなんて、技術的な探求も可能だとは思いますが・・・本来は、そこここに転がっている笑いこそが本物だと思うし・・・だから、笑いは、とても簡単なことなのだと思うのです。

けれど、本来、簡単であるはずの笑いなのに・・・時々、素晴らしいお芝居ができる立派な役者さんのコミカルな演技に、どうしても笑えなくて首を捻ってしまうことがあります。

どうして笑えないのか、自分でも不思議で、何度も繰り返して見てみたりもするのですが・・・間も悪くない、表情も悪くない、台本もちゃんと作られている、なのにやっぱり笑えなくて、どうしたものかと困ってしまうのであります。

ただ、それでふと思ったのは・・・笑いは立派であってはいけないのかなと。それ以上のことは、いまだ全く分かりませんが・・・少なくても立派であってはいけないのじゃないかと、現時点ではそんな風に思っているのでありました。

存在を認められた音

2010-02-25 18:10:20 | Weblog
昨日、帰りの電車の中で、変な音を聞いたのです。

危険な音ではありません。特に大音量でもありません。キュイッキュイッと、プラスティックを勢いよく擦り合わせたような音で、何回も何回も聞こえるのです。終わったかと思うと、またキュイッキュイッ。結構しつこく鳴っていたのです。

で、その違和感のある音を聞きながら・・・音にも“存在を許された音”と“存在を許可されていない音”があるなって思いました。

存在を許された音なら、それが爆音であっても、まるで何の音もしていなかのように当たり前に受け入れられます。けれど、存在がまだ認められていない音は、それが微かなものであっても、人は不快に思い警戒します。

認められていないのに、認められたように空間と時間に滑り込んでくる音・・・ふむ、そういうものが、物語の切っ掛けになりそうでありますね(^^;。

今日は、読書感想文と、映画の感想文と、お芝居の感想文を書いたので、よかったら、そっちも覗いてみてくださいましね。

『読書感想文』
http://blog.goo.ne.jp/rotten-a

『映画鑑賞感想文』
http://blog.goo.ne.jp/rotten-b/

『観劇日記』
http://oberon-l.at.webry.info/

ばあちゃんとアニメ

2010-02-23 11:47:24 | Weblog
家族団欒の時間といえば、やっぱり夜ですよね。我が家では、もう子どもたちが家にいないので、団欒できる家族は母と夫とわたしの三人。しかも、夫は帰りがとても遅いので、主に母とわたしで団欒することになります。

でも、少し前から、母がすぐに自分の部屋に行って、一人でTV見ようとするようになったので、「どうして?」と聞いたのです。そうすると「あんたの見ているTVは何がなんや分からんから」と言うのです。と言われても、別に、わたし、むつかしいTVは見ていませんよ。主に地上波のバラエティーです。なのに母は「よく分からん」と言います。「何を言うてんのや、何で笑ってんねや、ぜんぜん分からへん」と言います。

なので、最近は、CSで再放送されている昔の時代劇や家族ドラマを録画しておいて、団欒の時間には、それを見せるようにしています。と、母はとても幸せそうです(^^;。

けれど、夫が帰ってくると、母はソソクサと自分の部屋に引っ込みます。夫が休みの時もそうです。別に二人は仲が悪いわけではありませんが、生さぬ仲の二人が一つ屋根の下で暮らす母なりの気遣いなのでしょう。わたしも、そうしてもらった方が、夫が気を使わなくて嬉しいと思っています。外から帰ってきて、家でも妻の親に気を使うのでは、休まるときがないですものね。

で、ですね・・・あれは、夫が家にいた日なのかな・・・母は一人、自分の部屋で『風の谷のナウシカ』を見たのだそうです。「よく名前を聞くアニメやし、マンガやったら簡単かと思って」挑戦したようです。でも結果は「まったく分からんかった。マンガって難しいなぁ~」とのことでした(^^;。

でも、ほんと、アニメって難しいですよ。基本、SF的ですし、普通じゃない世界を描いていることが多いので、素地がないとイキナリでは分からないと思います。わたしたちの世代は、すでに子どものころからアニメが生活の中にありましたから、いくら歳をとっても、たぶん母のように「分からない」とは思わないと思うんです。けど、母たちにとって、アニメは、子守代わりに子どもに見せておくもので、自分たちが楽しんで見た経験がありませんから、ほんとに理解しづらいのだと思います。

けど、母のアニメに対する「子ども向けに作られたものなのに分からない」という困惑は、なかなか新鮮でした。言われてみれば「そうだろうな」って思えることなのですが、自分にはない感覚なので、面白かったです。

けれど、これが世代の違い、子どものころの経験の違いなんでしょうね・・・そこをお互いに理解しておかないと、相手のこと、変に誤解してしまうの、当然ですよね。なあんてことを思ったのでありました。

無為にして化す

2010-02-22 15:18:40 | Weblog
タイトル、特に意味はないです。なんとなく書いてみたかっただけなのです(^^;。

そうそう、一昨日かな?地上波で『樅の木は残った』を放送していましたね。田村正和さんが原田甲斐・・・へぇ~(^^;。大昔、『樅の木は残った』がNHKの大河で取り上げられたとき、当初のキャスティングでは、原田甲斐は市川雷蔵さんの予定だったんですよね。でも、雷蔵さんの体調がすでに随分と悪くなってしまっていて実現しなかったんですよね。雷蔵さんの原田甲斐・・・ああ~、いいかもしれませんねぇ~。そういえば、正和さんは眠狂四郎も当り役にされているし、一般的には雷蔵さんとイメージが重なるところが多いと思われているのかな。でも、わたしが感じる雷蔵さんの良さと、正和さんの良さは、まったく別物だなぁ。だから、正和さんの原田甲斐、ちょっと違和感がありますが・・・どうだったのでしょう(^^;。

それにしても・・・この『樅の木は残った』は、伊達騒動を扱った山本周五郎さんの小説で・・・本来、すごい悪者と思われていた原田甲斐を、自分を犠牲にして伊達藩を守りきった超忠臣として描いているわけですが・・・そういう発想って、どこから生まれるんでしょう。

『樅の木は残った』に関して言うなら、たまたま見た映画に山本周五郎さんが発想を得たってことだったと思うのですが、なら、その映画は何から発想を得たんでしょう。

伊達騒動と共に三大御家騒動といわれている加賀騒動なんかは、謀反人にされた大槻伝蔵が冤罪だったっていうのは、比較的分かりやすい話じゃないですか。しかも、身分の低い彼が先代藩主に取り立てられバリバリ改革を推し進めた経緯から、ドラマも作りやすいですし、その先代の側室であった真如院と恋仲だったというスキャンダルで陥れられたのもセンセーショナルで、物語作りの創作意欲を掻き立てると思うのですよ。けれど、伊達騒動の原田甲斐を救済しようと最初に発想した人は、なに切っ掛けにそれを思いついたのか、ものすごく興味深いです。

疑問の余地のない極悪人だからこそ、反骨精神で正義の人にしてやれと発想する。それもありだと思いますが、一番そうであって欲しい思うのは「歴史本を読んでいて、何か違和感を感じたから」かな。そんな始まりだったら、ほんとうに面白いなと思うんですよ。

けど、一番嫌だなと思うのが「なんか面白くしたいから」ってことだったりします。いえ、そういう好い加減さ、本来は嫌いじゃないんですよ。けどね・・・いつも言っているように、歴史上の人物には、子孫の人や、関係者の人がいるわけで・・・その人たちのことを考えたら「なんか面白くしたいから」ってことだけで、人一人が悪者にされたり正義の人にされたりしたら堪らないやって、そう思うのであります。

などと、雑談が長くなりましたが、そういう時のパターンで、本文、めちゃ短いです(^^;。

あの~・・・よく「説明責任」とか聞くじゃないですか。政治家に対してが多いかな。最近も、鳩山さんの「ママから多額のお小遣いもらっちゃってました事件」とか「小沢さんの全く意外ではありません“政治と金”事件」とかでも言ってましたよね。

とね・・・わたし、いつも、その説明を求められている事柄より「説明責任」って言葉に、微妙に引っかかるんですよね。いえ、別に、熟語として間違っているとか、そういう高度な言語学的話じゃないですよ・・・なんだろう、ぽわんと「納得できる理由って、たいてい嘘だよね」とかね・・・そういう風なことを思ってしまうわけなんです。

事実って、なぜか人を納得させられないんですよね。

感情的には納得できますよ・・・真実の力って感情にストレートに訴えかけますから、相当に極悪なことじゃないかぎり「そうなんだよねぇ~。駄目ってことになってるけど、結局はそういうものなんだよねぇ~」って、どんなことでも案外ストンと納得できちゃいます。だからこそ、理屈上納得できることって、ほとんどないってことになるでしょ。なのに、説明責任説明責任って言っても、無駄じゃないのって思っちゃうんです。

けど、ということはつまり・・・実際に起こっていることに正義なんてないってことになるのかな・・・なんて、ちょっと世を斜めに見たくなっちゃったと・・・そういうお話なのでありました(^^;。

宣言します!春病近しっ!!

2010-02-21 12:56:27 | Weblog
昨夜、夫に宣言しました。

数日前から、全身がダル痛いし、気分が不安定です。
きっと、毎度おなじみの“春病”が芽吹き始めているのだと思います。
これから二、三ヶ月は、意味なく不機嫌になることも多いと思いますが
またかと諦めて我慢してくださいっ!!

この宣言、人が聞くと自分勝手で非常識に思われるでしょうが、長年の試行錯誤で、かなり良い春病対策だと、わたしは思っているのであります。

春病は、とても微妙な症状です。鬱病というほどは落ち込まず、寝込むほど体調は崩れず、精神的にも肉体的にも“病気の一歩手前”っていうあたりでフラフラと数ヶ月を過ごすのです。

同時期に世の中では花粉症が猛威を振るっており、見た目からして大変そうな人たちが溢れている中で、こういう微妙な状態でグズグス文句をいうのは躊躇われます。その後ろめたさがストレスになり、よけいに気が滅入るという、悪循環になります。

だから、わたしは、宣言することにしたのです。

だれでも春は体調を崩しやすいのだ!
しかも、わたしは血圧が低い!
さらに、免疫系の持病も持っている!
なんなら、更年期をプラスしよう!
だから、春病が人よりキツメでも、それは致し方ないことなのだ!
なんとなれば、周りの人たちは、仕方ないことだと諦めなさい!!
わたしの機嫌が悪くても
それは貴方に対して何か良くない感情を抱いているからではないので
気にしてはいけません!
わたしがダラダラゴロゴロとだらしなく過ごしていても
数ヶ月は、見て見ぬふりをしていなさい!
すべては春のせい!!
みぃぃ~~~んな春が悪いのです!!

そう宣言してしまうことによって、安心して機嫌悪く居ることができ、ダラダラゴロゴロすることができます。周りに迷惑をかけないように頑張ろうと無理をして、逆に症状を悪化させることを防げるのです。

ちなみに・・・宣言された夫は、何気に悲しそうな顔をしていました。ああ~、またあの時期がやってきたのか・・・と思ったのでしょう・・・可愛そうに(^^;。

恋は盲目(^^;

2010-02-20 17:47:15 | Weblog
最近、お風呂でお腹のマッサージをしています。痩せていたときから、なぜかお腹だけはプックリしている幼児体型だったのですが、それがそのまま全体的にもプックリし、本格的な中年腹になってきたので、さすがにちょっと情けないなぁと思って、お風呂でグリングリンと我流マッサージしてます。とね・・・最近、お通じが良いのですよ。ダイエットにはなっていませんが、腸を中心に体調には良いようです、お腹のグリングリン・マッサージ・・・って、落ちのない話ですが(^^;。

あっ・・・最近、ふと思ったんですが・・・イケメン俳優さんや、キュートな女性タレントさんのファンの方って、自分が贔屓にしている人を悪く言われること決して許さないという人が多いですよね。けど、演技派といわれている人のファンの方は、好意的でない批評に対しても比較的鷹揚ですよね。この差って、いったいどこから生まれてくるんでしょうね。

それを考えていて、一つ思いついたのは・・・見目麗しい人のファンの方って、程度の差はあれ擬似恋愛をしているのかなって、そんなことを考えました。好きのなり方が、恋に近いんじゃないかって、ね(^^)。だとしたら、好きな人のこと、少しでも悪く言われたら、とっても嫌な気分になるというのも、よく分かりますものね。

などと、埒も無い話ばかりしてしまいましたが・・・今日は、本の感想文を一本UPしたので、よかったら、そちらを覗いてみてくださいまし。本の感想というよりは、こちらの日記に近い内容でありますし、はい(^^;。

『読書感想文』
http://blog.goo.ne.jp/rotten-a

躾だと言いつつ虐待しているような批判の仕方

2010-02-18 17:15:28 | Weblog
昨日も京都でした。交通費が出ないお仕事だったけど、体調がイマイチだったので車で行きました。ただ、高速道路料金を節約したら、けっこう時間がかかってしまって、かえって疲れたかもです(^^;。

車だと、時間を正確に計算できないので、当然、行きは早めに家をでました。そうしたら、幸いなことに予定通りに到着できて、必然的に時間をつぶさなくてはならなくなりました。

で、街をぶらぶらしていたら、能面の二人展をしていたので、入ってみました。二人展って、面白いですね。それぞれの作家さんの個性が際立ちますね。で、何も分からない者が見ても、それなりに好みがあるのだということも分かりました(^^)。

でね、中に二面だけ、作者不詳の古面があったのですが・・・それがねぇ~、なんともはや味があって、良かったのですよ。作者不詳ですし、古いだけで良い物だとは限らないわけですが・・・それでも、わたしには、なんだかグッとくるものがありました。これって、単なる時間のなせる業なんでしょうかね(^^;。

それと、なぜか一面だけ、第三の作家さんの面があったのですが・・・それも、すごく好きでした。だから、いろいろ質問もしたかったのですが、あっというまに時が過ぎていて、約束の時間に遅れそうになっていたので、疑問は疑問のままに残して、会場を後にしました。ほんと、あの第三の作家さんって、誰なんだろう・・・。

ところで・・・企業には、大きなところでも、小さなところでも、苦情係というか相談窓口というかトラブル対策室みたいなものが設置されているでしょ。あいびーのように、超ちいさな法人でも、一応は設置していますものね。

それって、もちろん必要なものだとは思うんですが・・・世の中のリスク・ヘッジ姿勢の傾向を見ていると、つくづく寒い世の中だなぁ~って思いませんか。だって、みんな、責任回避対策に必死ですもん。でもって、その背景には、人を責めることばかりに夢中にになっている人々の姿が見えますものね。

大人に対しても、子どもに対しても、企業や政府などに対しても、有効な叱り方(批判の仕方)ってあると思うんですけど・・・今の世の中の、なんだか「躾だと言いつつ虐待している」ような批判の仕方ばかりに思えませんか?なかなか、成熟した世の中は、到来しないものですよねぇ・・・はぁ~。

怒りのツボ

2010-02-16 18:54:50 | Weblog
確定申告、朝一で出してきましたよ。八時半から受付ってことだったので、ちょうどの時間に行ったらば、税務署の人が受付会場のシャッターを開け始めたところで・・・すでに待っていた三人の人の後に続いて、シャッターを潜るようにして中に入りました。だから、西宮税務署今年度受付第四番目でありましたよ、わたし。凄いでしょう(^^;。

いつもは、ごった返す最終日に行くので、確定申告といえば流れ作業みたいにポンポンポンと書類に受付印を押してもらうだけのイメージだったんですが、初日だと人も少なく、ゆっくりチェックなんかしてもらっちゃって、なんだか勝手が違いました。でも「あたし、もう、出したもんねぇ~」っていう、誰に対してというわけでもない優越感も感じました。バカみたいですね(^^;。

ところで、先日、母が、とある寄り合いから帰ってきまして・・・その寄り合いで、ずいぶんと揉めたと愚痴っておりました。けど、母の話を聞く限り、それで何で揉めるのか、わたしには全く分かりませんでした。ただ「人の拘りどころって其々だな」と思うだけでした。

とはいっても、基本的に、人と人との間に生まれる感情の機微がよく分からぬ人間です(^^;。特に分からないのが仲間はずれとかイジメってやつで・・・そもそも仲間はずれが何なのか、イジメが何なのかさえ、正直、よく分からないのです。そんなワタシは、自分で意識しないうちに、誰かを仲間はずれにしていたり、イジメていたりするのかな。少なくても、わたしの方は、仲間はずれにされたことも、イジメられたこともないですが・・・。

あっ・・・でも、よく考えたら、仲間はずれは、けっこうされているのかも。けど、わたしの方で、それを「放っておいてくれている」「尊重してくれている」と勝手に思い込んでいるから、仲間はずれが成立しないだけなのかも(爆)。

けど、実際、そういうもんなんじゃないでしょうかね。仲間はずれだって、イジメだって、加害者な立場の人と被害者な立場の人、両方がそうだと認識しないと成立しないもんじゃないですかね。

それに・・・自分を嫌っている人と、わざわざ無理して付き合う必要もないので、仲間はずれってむしろ歓迎したいことだと、わたしは思うんですよ。そうなるとイジメも成立しないですしね。逆に、自分が嫌いな人とは、わざわざこちらから濃い関わりをもちたくないから、仲間はずれにするとかイジメるといった積極的な行動も面倒だし、当たり障りなく付き合えばいいと思うんですが・・・そういうのって、冷たい考えですかね。

そんなの気にしなきゃいいのにって思うことに力いっぱい拘って憤怒している人や、そんなのどっちでもいいじゃんと思うことに拘って一歩も譲らずムキになっている人をみると・・・どうしてそんなに一生懸命に熱くなれるんだろうと不思議な気がします。

なんて言っていると、なんだか余計な仕事がいつのまにか増えたりもするんですけどね。大方のことに、まあまあ「いい」じゃないですかぁ~って態度で接していると、「いい」こととして収めるための仕事が出来ちゃったりしますからね。けど、それで「いい」ことになるなら、それで「よし」かなと思っています。ちらやんぽらんな人間の存在価値って、そんなところにあるのかもしれませんしね(^^;。

あっ、そうだ!!今日も、映画の感想文、短いですが四つほど書きました。よかったら、そっちも覗いてみてやってください(^^)。