OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

叔父の葬儀にて・・・ある三姉妹の姿

2006-10-15 23:15:24 | Weblog
今日は、叔父の葬儀だった・・・

今日、見送った叔父は、母の姉のダンナさん。母には、兄が3人(?)、姉が2人、妹が1人いるのだけれど、二番目の姉のダンナさんだった。

ちなみに、父には、異母兄が2人(?)、異父兄が2人(?)、父母とも同じ姉が1人いたけれど、みなさん、すでに他界されている。2人の叔父は、わたしが生まれたときには、すでに他界されており、あとのお2人も、わたしが小学生の頃に亡くなった。叔母も数年前に亡くなり・・・叔父叔母の連れ合いの方たちも、みなさん亡くなっているので、父方の叔父叔母で存命の人は、いなくなってしまった。父は、末っ子なので、仕方がないことかとは思うけれど・・・父は、淋しいだろうなと思う。

それに比べて、母の兄姉妹は、幼くしてなくなったと聞く兄と、一番上の姉、数年前に亡くなった兄以外は、みな、それなりに元気にしている。今日も、屋根から落ちケガをして入院している長兄を除く全員が、夫と子どもたち(といっても、皆、もうイイ歳だ(^^;)を連れて、参列していた。

もちろん、叔母の身内だけではなく、亡くなった叔父の親戚や近所の方たちなども、大勢集まってくださり、かなり華やかな葬儀だったが・・・未亡人になった叔母と、母と、母の妹にあたる叔母、姉妹三人が並んで話している姿に、わたしは、なんとも言えないものを感じた。葬儀の席には、相応しくない形容詞かもしれないが、微笑ましいというか、どっしり安定しているというか・・・これが、血と時の太い絆かな、などと思った。

となると・・・いつも言っていることだが・・・藍那と裕太の世代になって、ガクンと濃い親戚関係の人たちがいなくなるのが、何気に不安だったりする。とにかく、わたしが一人っ子だし、うちの子たちには、従兄弟従姉妹が1人もいないのだ。

とはいっても、じゃぁ、わたしにとって、従兄弟従姉妹が、そんなに大きな存在かと言われれば、まるでそんなことはない。今日でも、顔を見ても、お互い全く分からないこと甚だしいって感じだった(爆)。叔父や叔母たちにしても、子どもの頃は、正直、ただただウザイ人たちだと思っていた。この人たちは、たまに合うだけなのに、叔父だ叔母だというだけで、なんでこんなに当たり前な顔をして、わたしに干渉してくるんだろうと嫌っていた。従姉妹従兄弟たちにしても、騒がしい奴らだと思い、大人たちに「一緒に遊べ」と言われても、迷惑なことだと思っていた。

けど・・・たとえ、付き合いがなくても、たとえ顔すらわからなくても、従兄弟従姉妹が、こんなにも大勢(母方たぶん15人、父方は現在5人かな)いるということは、ものすごく幸せなことなんじゃないかと思った。子どもの頃には、反発も感じたけど、叔父や叔母たちがいてくれることも。

人付き合いが思いっきり苦手人間としては、こういう集まりのあとは、薬なくしては頭痛が酷くて寝むれないという困った現実もあるのだけど・・・こういうストレスも含めて、親戚があるというのは、ある種の財産なのじゃないかと思った。そう、母たち三姉妹の姿を見て、そう思った。