OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

忍び寄る老いと死・・・

2010-04-30 18:16:37 | Weblog
とりあえず、今日が期限の原稿は納品しました・・・ほっ(^^;。
とはいえ、当分続くのですけどね、ちょっとハードな書き物仕事・・・とほ。

でも、それより・・・従姉が亡くなったとの知らせが・・・
明日が通夜、明後日がお葬式だそうです・・・

もう、ずっと闘病生活が続いていたのだけど・・・
やっぱり、なんというか・・・ふむ。

一昨年には、実父と義父を続けて亡くし
その後も、友達のお母さんやお父さん・・・次々に訃報が届いたりして・・・
友人たちとは「そういう年頃(親を見送る年ごろ)なのかな」と話していたのですが・・・

今年になって
自分より年若い元スタッフが亡くなり・・・
年は上ですが、今日また同世代の従姉が亡くなり・・・
すでに、自分たちの世代にも、死の影がさすようになったのかなと感じています。

もちろん、老いは日々に感じています。
特に、肉体的な部分で感じています。
女性の場合には、ある時を境に
生き方すら変わってしまうような内なる肉体の変化もあることだし・・・
その日も決して遠くはないのだろうと思っています。

ただ・・・まだ死にたくない・・・まだ死ねない・・・
自分自身の遣り残したことなど、実はどうでもいいのですが・・・
残していく人の負担が重くならないような準備が整わなければ死ねない・・・

そうは思っても、お迎えが来てしまえば逆らえない・・・
それが、唯一すべての人に平等に訪れる、死という定めなのですよね・・・

日本人ですか?

2010-04-28 20:58:08 | Weblog
今日は、京都の宇治で取材でした。で・・・一通りの取材を済ませて、カメラをもって何となく歩いていたら、突然、中年の男の人に声をかけられました。いえ、ナンパじゃないですって(^^;。だって、いきなり言われたことが・・・「日本人?」ですから(爆)。

はぁ?って思いつつ、「はい、日本人ですけど」と答えたら、もう一度「日本人?」って聞かれて、こちらももう一度「日本人です」って強めに答えたら、「ふ~ん」と言って去っていきました、そのオジサン。いったい、なんだって言うんでしょう。

ちなみに、わたし、たぶん、その時、外国人に間違わせる要素、何もなかったと思うんですよ。見た目、普通のアジア人ですから、中国の人や韓国の人をはじめアジアの国の人と思われても不思議はないっちゃあないですが・・・日本に居て、わざわざ日本以外のアジアの国の人に間違われるほどの個性は持っていませんもん(^^;。

しかも、ジーパンはいつものLevi's501。白のインナーに、薄めのジャケットという、かなり日本に溶け込んだカジュアルな服装。それで一人で黙々と宇治の街中を歩いている中年女性のどこに、日本人であることを疑わせる要素があったんでしょうね。

そいえば、以前、何度か「ロシアの血とか混ざっている?」って聞かれたこともありましたっけ。それも妙な話で・・・ロシア的要素、まったくないんですよ、わたしの外見(^^;。なので「どうして?」って聞くと、その何度かの全てのケースで「ううん、ロシアっていっても、ほら東の方で・・・」「シベリア?」「それで、もっと内陸で・・・」「えっ?なら、モンゴルとか中国でよくない?」「あっ、そうかも・・・」って展開になったんです。ね、ほんと奇妙でしょ。わたしの外見って、なにか微妙に変なのかな(爆)。

一つ思い当たるとしたら・・・日光に弱いせいで、多少、顔がピンクに腫れはじめていたので、ちょっと日焼けしかけた白人さんっぽくは見えたかもってことかな。

今日は、とても天気がよくて・・・外で一時間もウロウロしたら、毎度のことながら顔が腫れ始めたんですよね・・・因果な体質です。これから夏に向かって、取材のお仕事は極力減らし、もっぱら室内で書くようにしないといけませんね・・・とほほ。

というわけで、明後日締め切りの仕事が二本あって、明日明後日は、キリキリ書かなきゃ間に合いません(^^;。顔の腫れを治めて、さあさあ仕事仕事っ!!

それにしても・・・あのオジサン、わたしが外国人だったら、どうしたかったんだろう。やっぱり、語学目的のナンパだったんだろうか・・・それとも、何か詐欺的行為を企んでいたんだろうか(爆)。

『生声日記』
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田植えの準備

2010-04-26 18:32:13 | Weblog
写真は、種籾の消毒です。
薬剤、使ってます。

無農薬指向の世の中で
遅れているといえば遅れているのですが
我が家の農業の主体は、あくまでもばあちゃん
わたしたちは補助しかできないので
彼女の慣れ親しんだ方法で頑張ってもらいます。
農薬使っても機械使っても
それでも農業って決して楽な仕事ではありませんしね。

それにね・・・
農薬使っていたら駄目で
無農薬なら素晴らしいっていうのも
実は単純すぎる考え方だなと思わなくもないのですよ。

医療の発達は奨励するのに
どうして農業に使う薬は一まとめに悪者にするのかってのも疑問じゃないですか。

農薬も品種改良も機械化も
あまりにも重労働過ぎる農作業を
少しでも楽にしてくれるものだったんですよね。
農業従事者に、大昔の農業に戻れというのは、あまりにも酷いでしょ。

でも、だからといって“食の安全”を蔑ろにしていいわけじゃない。
じゃあ、どうすればいいのかな・・・じゃあ、どうすればいいのかな。

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結果が全て・・・

2010-04-25 19:21:41 | Weblog
というわけで・・・昨日は、お芝居を見に行ったわけですが・・・その時、客席に座っていて、思ったことです。

誰にとっても嬉しいことではないですが・・・いろいろと事情があって、開演時間を過ぎてから会場に入ってこられる観客の方がいらっしゃいますよね。そういうのって、すでに着席してお芝居を楽しんでいる他の観客の一人としては、ただただ迷惑なだけですが・・・たとえば自分が演者や関係者だった場合、理由によっては迷惑というより嬉しいかもしれないって思うんです。

もちろん、遅れて入ってこられたこと自体は、どうしたって嬉しくないですよ。けれど、もしその理由が、やむをえない事情があり、本来なら見ることができないはずだったのだけど、どうしても見たいと無理をして、がんばって遅刻してでも見に駆けつけてくださったのだとしたら・・・その気持ちと努力に対しては、感謝したくなりますよね。遅れるなら見るななんて、絶対に思いませんよね。

でもね・・・たとえば舞台上から、遅れてきた観客が見えたとして・・・その人の遅れてきた理由なんて、分かるはずありませんよね。単にルーズなだけの、だらしなくて無神経な人なのかもしれないし・・・いろんなリスクを覚悟してでも駆けつけてくれた人かもしれない。怒っていいのか、喜べばいいのか・・・判断できないですよね。

このように、世の中で起こることの多くは、その背景が見えず、結果しか分からないわけで・・・となれば、結果でしか判断されなくても、仕方ないことなんでしょうかね・・・。

先日、とある金融機関の担当者さんに、わたし共の期待に応えられなかったことを、詫びて頂いたとき、わたしは言ったんですね、「頑張ってくださったことは良く分かっているので十分です」って。けど、その担当さんは「いえ、結果が全てですから、怒ってください」って仰ったんです。

でも、やっぱり、わたしにとっては、結果以上に過程が大切なんですよね。一生懸命頑張って下さって、経過報告も、依頼に応じられない理由の説明も、しっかり心を尽くしてしてくださったことに感謝したいんです。

以前、複数の中古車販売店さんと車の買取の交渉をしたとき、わたしが提示額の低い業者さんを選んだことに、高い査定をだした業者の担当さんは「どうしてですか、納得できません」と仰いました。わたしは「過程が大切」ってことを話しましたが、どうしても理解していただけませんでした。「金額以外、何があるんですか」って。たしかに、車を買うのではなく売るわけで・・・売った後に、たぶんお付き合いはないわけで・・・なのに、人柄だとか何だとかは関係ないといえば関係ないのですが・・・わたしは、人に対して誠意を尽くして接する人は報われて欲しいと思うので、一番親身になってくれた方に、うちの車を買っていただきました。

結果は、ほんとに大切です。お金も、ほんとに大切です。でも、それが全てではないし、一番でもない・・・やっぱり、過程が大切だと、わたしは思うのでありました。

ちょっと急いでいるので、読み返さずにUPします。読みづらいかと思いますが、勘弁してください。

ハヤト(ガンダム)とか長さん(太陽にほえろ)に惹かれるお年頃

2010-04-24 18:35:16 | Weblog
もう、タイトルが全てで、補足することもないんですが・・・(^^;。

以前、『機動戦士ガンダム』から『Zガンダム』になって、ハヤト君の成長が尋常じゃないと、そうお話したことがあると思います。まだ若いのに体は貫禄あるオヤジ体型になってるし、ニュータイプがゴロゴロ出現して活躍する中で悲しいかな相変わらずのオールドタイプだし・・・一見、何もカッコいい要素はないように見えるのだけど、器がマジで尋常じゃなく大きくなってるんですよね。『機動戦士ガンダム』の頃のハヤトって、アムロにライバル心をもっていて、嫉妬したり苦悩したりしていたわけですが・・・『Zガンダム』のハヤトは、他人と自分を比較してどうのこうのとか、他人が自分をどう見ているだろうかとか、そういう袋小路からはしっかりと抜け出していて、静かな情熱をもって自分のすべき事をなす素敵な大人の男になっているんですよね。

若い頃のわたしは、そういうハヤトの魅力が、いまいち分かっていなかったけど、年をとればとるほど、「ハヤトくん、何て素敵な男に育ってくれたの!」と、うるうるしちゃうくらいなんですよ(^^;。

でね、それと似たような感じで・・・最近、『太陽にほえろ』の長さんも嵌りはじめてるんです(^^:。わたしにとってボスは別格中の別格ですが、その他にも歴代新人刑事たちに、山さん、ゴリさん、殿下と人気キャラが居並ぶ中・・・地味な長さんはどうしても人気ランキングで下位になっちゃうでしょ、ねっ。けど、最近、CSで大量に放送されている色んな時代の『ほえろ』を見返していると、ボス以外では、長さんが一番素敵かもって、そう思えてきちゃっいてるんですよ・・・いえ、ほんとマジな話。

特にね・・・先日、放送されていた「俺を撃て!山さん」の回。メインは、俺を撃てといっているボスと、撃てと言われている山さんなんだけど・・・わたしは、長さんの台詞で、大泣きしちゃいました(^^;。

妻と子どもが死んだのはボスのせいだと、ボスを逆恨みしている犯人が、山さんの息子を人質に取ったり、爆弾を仕掛けたり、あの手この手で、山さんにボスを殺させようとするんです。やっと犯人を確保しても、大切な人を失っている犯人は自暴自棄になっていて、死刑になろうとどうなろうと、とにかく山さんにボスを殺させれば満足と思っているから、脅してもすかしても爆弾の場所を白状しない。どんどん爆破時間は迫ってくる。もう、爆破をとめるには、山さんがボスを撃ち殺すしかないのか・・・というギリギリの状況の中で、犯人の取調べをしていた長さんは取り乱し、犯人に掴み掛かるんです。それでも自供しない犯人を前にして、我に返った長さんは、犯人に自分の拳銃を渡し、土下座して「すまん。寺田、止めさせてくれ、頼む!そんなに刑事が憎いのなら、俺を殺せ。さぁ、俺を殺せ!殺してくれ」って泣くんです。その涙がもう・・・ほんとに胸を打つんです。

もちろん、他の刑事さんが言ったとても、それは感動の場面だったとは思うんですが・・・下川辰平さんの長さんの、にじみ出る人柄の良さっていうのかな・・・それはもう、芝居を越えていたなって思います。それに気づいてから、改めて長さんを見ていると、さりげない場面でも、随所に現れているんですよね・・・優しさや思いやりが縁の下の力持ち的に。こういう人こそがカッコいいんだ・・・こういう人にこそ惚れたい・・・そう思うんですよね、ほんと。

でも・・・こういう感じ方って、わたしが年を取ったってことなのかな。でも、それでも好いです。年をとって、ハヤトや長さんの魅力が分かるようになったのだとしたら、年をとったことが嬉しいし・・・年をとった自分が愛しいし、誇らしいですもん、ええ。

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表現したいこと・・・

2010-04-23 15:17:25 | Weblog
音声日記で、すこし呟いたんですが・・・まったく思考が広がらなかったので、文字の日記では話題にしなかったのですが・・・広がらないまま、それでも考え続けているので・・・っていうか、これもまた、定期的に嵌っている課題であるわけなので・・・記録として、文字にもしておこうと思った次第です。

よく、若い役者さんや、若いミュージシャンさんが、自分たちのことを「表現者」と言い表しているのを耳にしますが・・・彼らは、いったい何を表現しているのでしょうね。役者なら、与えられた役柄ってことでしょうか・・・いや、それだけでもない口ぶりだと思うのですが・・・普遍的な人間という存在だったりするのでしょうか。それとも・・・ふむ・・・。

実は、わたしも自分のことを「表現したい人」だと感じているんです。残念ながら、表現できていると思えたことは一度もないので、「表現者」だとは名乗れませんが・・・「表現したい」と渇望している人間であると感じているのです。でも、にも関わらず、その自分が“何を”表現したいのか、それが分からないんです。

表現するための道具としては、“言葉”が一番合っているのかなとは思えるようになってきたのですが・・・でも、なら“言葉”を使って“何を”表現したいのか、それが分からないんですよね。それが、一番、肝心なことなのに(^^;。

表現したいものが分からないのに、「表現したい」気持ちだけが、ふつふつと煮えたぎるって、一体どういうことなんだと、自分でも不可解なんですが・・・きっと、表現したいものがないわけじゃなく、意識上に上ってこないだけなんだろうと推察しています。

人事のように考えると、きっと“自己表現”ってやつが、一番妥当なんじゃないかと思います。つまり“自己”を「表現したい」のだろうって。っていうか、正直、若い頃には「それしかないだろう」って、頭から思い込んでいました。人が生きるって、そもそも自己を表現するってことだろうって。でも、なんだかね・・・そうじゃなくはないんですが・・・それだけなのかなとも思うんですよね、最近。って言うか、年配の方は分かってくださるんじゃないかと思うんですが、年を重ねるごとに、自分のことがどうでも良くなってくるんですよ、何故だかよく分かりませんが。でも、だからといって「表現したい」という欲望は、どうでもよくなってはいない。むしろ、落ち着いた形で、さらに強く意志している自分を感じるんですよね。だとすれば、望んでいる「表現したい」ものは“自分”というだけでは不十分なのかもしれない・・・。

こうやって、ブログなどを書いていると・・・もっと、せつな的な感情なのかなと思うこともあるんですよ。今感じた喜怒哀楽的なことっていえばいいのかな。Twitter愛用の皆さんなら、そういう感情は、とてもよく理解くださるんじゃないかと思いますが。ただ・・・せつな的な感情表現をしたとしても、それだけで終わってしまえば、満足できないだろうことは、自分でも分かっているんですよね。それが入り口であってもよいと思うけど・・・そこで終わっては、わたしの「表現したい」は満足できないだろうなと。だとすれば、わたしの「表現したい」は、どこに行き着けば満足できるんだろう・・・。

音楽のもつ影響力を実感した大物ミュージシャンの方たちなどは、影響力を与えられてしまった自分たちの責任として、「愛」とか「平和」とか、今の時代ならプラス「環境問題」などに関するメッセージを表現して、世の中の役に立とうとしていらっしゃるようですが・・・わたしの「表現したいこと」も、そういうところに帰結するんでしょうか・・・どうも、違うような気はしているんですよね。

映画を見ていると、昨日感想をあげた『原爆の子』の新藤監督や、今日感想をあげた『ジャス大名』の岡本監督には、ご自分の作品に、しっかりとしたテーマを持ってらっしゃいますよね。岡本監督などは、娯楽性が高い作品を撮られるのに、同時にかなりの社会派監督でもあるわけで・・・ご自分の「表現したい」ことが、はっきり分かっていらっしゃるんだなぁ~と、まことに羨ましく拝見します。けど・・・わたしには、そういう拘りたいテーマも、特にないんですよね。

信仰をもっている方たちは、自分を介して、神の意思だとか、宇宙の真理だとか、自然からメッセージを伝えたいと思っているのかな・・・なんとなくですが、そんな気がするのですが・・・わたしには、それほど大きなものを感じ取る力はないですしね・・・。

この年になるまで、「何をされているんですが」と職業を聞かれても、「まぁ~、なんとなく色々と」というような曖昧な返事しかできない、目的もテーマもない生き方をしてきたので・・・一種の自己防衛本能でもって、「人生をかけて自分を表現しているのだ」なんて、顔が真っ赤になるような気取った台詞を吐いたりもしていましたが・・・っていうか、不安な自分をなだめるために、自分自身にそう言い聞かせてきましたが・・・最近、それも逃げだなって思うわけです。

だから・・・ふむ・・・わたしは、何を表現したいんだろう・・・

与えられた時間内で、それを意識上に昇らせることができるんだろうか。もう、あまり時間もないというのに・・・意識したとたんに、タイムリミットなんてことなったら、なんとも悔しいことだなぁと思うのであります。でも、まっ、それならそれで、仕方ないとも思ってるんですがね(^^;。

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一緒に笑う・・・

2010-04-21 17:08:26 | Weblog
いつも聞いているラジオ・FM802で、DJのお姉さまが、別々の場所にいて同時に同じ歌を歌うようなことなんて滅多にないことだと思うけれど、ラジオの前では大いに有り得ることだと思うと仰っていました。

そうなんですよね~・・・ラジオって、メジャーなメディアなのに、身近に繋がっている感を感じさせてくれる媒体なんですよね。

けど、考えてみれば、テレビだって同じですよね。バラエティー番組を見ながら、わたしが大口あけて大笑いしている・・・そのとき、きっと、日本中で同じように声をあげて笑っている人が、たくさんたくさんいらっしゃるはずなんですよね。

映画は映画館で見るのが一番だとは思いつつも、自分の世界に篭りたい気持ちが勝ってしまうワタシは、ついつい自宅鑑賞になってしまいがちなんですが・・・映画によっては、たくさんの人と一緒に見たいものもあるわけです。たとえば、ジャッキー・チェン映画なんて、一人で見るより、大勢で、わぁ~とか、うぉ~とか、大騒ぎしながら見る方が絶対に楽しいんですよね。ジョン・ウーの映画でも、鳩が飛び立つ瞬間、みんなで「きゃ~」って一緒に笑いたいわけです(爆)。

つまり、楽しいことって、一人より二人で体験した方が、より楽しく感じられるんですよね、きっと。

となればね・・・テレビで、楽しい番組を見ているときも、自分以外にも同じ番組を見ているだろう人たちをリアルに感じられる想像力があれば、より楽しいんだろうなって思ったわけです。

番組製作側が足した笑い屋さんの笑いに煽られるより、自分の想像力で、本当に自分同様、テレビの前で大笑いしているだろう人を感じられたら・・・バラエティー番組が、今の何倍も面白く感じられるような気がするんです。そんなことないですかね・・・あほな考えですかね(^^;。でも、ちょっと本気で、そんなこと、思いません?

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偽善は白ける?

2010-04-20 14:15:46 | Weblog
写真は豆の花です。可愛いでしょ。野菜の花って、ほんと可愛いです。観賞用に手を加えられ洗練されていないところが、愛しいじゃないですか、ね。実際の生き物としての必要は、観賞にとって余分だったりするんですよね。でも、そのワサワサした余分が命なんでしょうね(^^;。

ところで・・・有名人のじゃなく、一般の人のブログなんかを見るときって、楽しい記事がお好みですか?それとも、愚痴とか弱音とか満載のグロイくらい本音な記事がお好みですか?

知人のブログや、テーマがハッキリしている何かに特化したブログでなく、知らない人の雑感をつづった記事を読むとすれば・・・読む人は、そこに何を求めているのかなって思って・・・。

わたしの場合、頭で考えると、陰な記事は嫌だと思います。愚痴とか、弱音とか、悪口とか・・・たまになら良いけど、そればっかりのブログなんて、読んでいて気分が悪くなると思います。だから、毎日、楽しいことや嬉しいことをみつけて報告してくれるブログの方が、ずっとずっと素敵だなって思います。

でも・・・頭ではそう思うのだけど、愚痴とか弱音とか悪口ばっかりのブログも、なんか癖になる魅力をもっている場合があるんですよね。逆に、影の無い素敵なブログには、すぐ飽きがきちゃったりして・・・。それって、いったい、どうしてなんでしょう・・・ね。

本音度っていうか・・・本気度っていうか・・・結局、嘘じゃない真実が人を引き付けるんでしょうかね。それは、嘘がベースのフィクションの場合だって同じで・・・嘘だから書ける本当が描かれていれば、人はその嘘の虜になるのかなって・・・そんなことを思います。

やっぱ、偽善は白けるってことなのかな・・・でも、偽善もまた、人という生き物の真実ではありますよね(^^;。

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「・・・」を多用する理由

2010-04-19 16:48:28 | Weblog
写真、変な植物でしょ。水仙の葉っぱに花はタンポポ。けど、そう、見たとおりなんです。花の終わった水仙の根元のタンポポが咲いたんです。案外、ものごとは単純ですね(^^;。

ところで・・・わたしの文章には、とても「・・・」が多いです。皆さんには、読みづらいと思うのですが・・・これが、わたしにとっては、一番自然なんですね。

いつも言っているように、わたしは熟考してから書くことをしません。なんとなくのテーマ、タイトル程度の課題を思いついたら、即、書き始めます。書きながら考える・・・というより、一文書いている最中に思いついたことを次の文にし、その文を文字にしている時に思いついたことをその次の文にしているという感じです。

だから、「・・・」は、そのまんま「ん~と考えている時間」を表現しています。いや、考えていると言ってしまうと、ちょっと違いますね。むしろ「ぽっと頭が空白になる時間」かもしれません。でも、それは「頭が真っ白になる」みたいなことではなく、考えていることが言葉に変換される前の準備時間みたいなものです。

ほんとうは、そういう部分は端折って、すっきりした文章にする方が、読んでくださる方に親切なのだと思うのですが・・・あえて、ライブ感を大切にさせていただこうと思うのです。もともと、あまり大したことは書いてないわけですから、せめてリアルな書き手を感じていただけたらと思います。

とはいえ、見返したら「・・・」ばかりの日もあるので、減らす努力はしています。あまり見苦しくない程度に、ライブ感を活かしていきたいと思うので、どうか愛想をつかさずに、お付き合いくださいまし(^^;。

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