OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

旅にでたい・・・

2008-09-30 15:09:13 | Weblog
少し前に体調を崩してから、どうも具合がスッキリしません。特に、痛いとか苦しいということはないんですが・・・まさに「すっきりしない」という形容詞がピッタリな状態です。みなさんも、そんなことないですか。季節の変わり目ですし、台風が近づいていますし・・・気圧が肉体と精神を虐めます(爆)。

となると、一番に影響を受けるのが「感じる力」です。まず、それが弱ってしまいます。それでも無理やりな感じで、ここ3日ほどは日記も書いてみましたが・・・昨日はついに、時間がタップリあったにも関わらず、何も書くことができませんでした(涙)。

でもって・・・こういう時はジタバタせずに、「流れるまま」に限るわけです。チョロチョロと滴る、感性の僅かな源泉に身をまかせ・・・これがいずれ小川になり、やがて河川になり、いつかは海に注ぐ事を信じて・・・流されるに限るのであります・・・なんて大袈裟な(^^;。

というわけで・・・まいど煮詰まったときの「徒然書き」であります。

まずは、その感性について。これは、「今を楽しく生きる」という刹那的なアプローチでも、「生きるとは何ぞや」みたいな思索的アプローチでも、『生きる』ということに密接に関わる事柄であるのは、間違いないなぁと・・・こんな感性が枯渇している時でも・・・いえ、こんなに感性が枯渇しているからこそ、そう思うのであります。

とにかく・・・感じることが出来なければ、生きている実感がないのであります。楽しい、面白い、嬉しい・・・できれば、そういうことを思いっきり感じて、生きていることを実感したいのですが・・・痛いとか、苦しいとか、辛いとか・・・たとえ、そういうことでも、感じていれば、自分に対して、生きているっていうことの証しになるんですが・・・感じる力そのものが減退していると、嬉しいことも悲しいことも、漠然としか感じられなくて・・・ほんと、生きている実感が湧かないのであります。

と言いながら、次は、ものすごく生きている感溢れる、食の話題です。今日の朝、スーパーに行ったら、特売のミンチカツが売られていました。できたてホカホカで、とっても美味しそう!!しかも、特売だから安い!! 思わず、購入してしまいました。でも・・・ガブリと食べた瞬間、おもいっきりガッカリ。ぜんぜん美味しくない。所詮、出来合いの品って味でした。けっこう、評判のスーパーなのになぁ・・・ほんと、ガッカリでした。

そうそう、話は跳びまくりますが、さっき、テレビで保険のコマーシャルをしていたのですが、その中でオペレーター役のタレントさんが「ご主人様なら」と言ったその台詞回しが、まるでメイド喫茶のメイドさんの「ご主人さま」みたいで、なんだか面白かったです。ん~ん・・・それだけです(^^;。

そうそう、テレビといえば、朝の情報番組で、X-JAPANのYOSHIKIさんが、相撲協会に対して腹を立てているらしいという話題が紹介されていました。たしか昨日は、YOSHIKIさんの方が、横綱を待たせているのにダラダラ動くは、土足で神聖な場所を荒らすは、とんでもない失礼をして、関係者に叱られたと言われていた気がするんですが・・・YOSHIKIさん的には、それは全くの誤報で、むしろ失礼だったのは相撲協会の関係者の方だったとか。実際のところがどうなのか、それは知りませんし、特に興味もないのですが・・・とりあえず、その話題を聞き流しながら、どっちにしろ「弁解しなくちゃ理解してもらえない」とは思いました。武士道的美学でいくと、たとえ誤解されても、弁解は見苦しいって思うじゃないですか。でも、弁解しないと、絶対に誤解は解けないし・・・黙っていても、分かってもらえるなんて、ありえないことですよね。それでも弁解はしたくないって思う、高倉健さんが映画の中で演じる役柄みたいな人もいるかもしれませんが・・・それって、本人がそれでよくても、周りが辛かったりしますよね。だから、違うことは違うと、それはハッキリ言っていくのがよいと、そんなことを思ったのでありました。

あと・・・また、いきなり飛躍しますが、DVDの時代も、もうすぐ終わるんだなぁって・・・次は、ブルーレイの時代なんだって・・・なら、その次は、何なんだろうって、そんなことを、昨夜、お風呂の中で考えたりしました。オーディオマニアの人の音質追求もそうですが・・・どこまで、美しさを追求すれば、人は満足を感じるんでしょうね。正直、その美しさって、必要なものではないですよね。けど、追い求めてしまうんですね。登山家が山に登る理由が、「そこに山があるから」であるのと同じようなことなんでしょうかね・・・音質や画質の美しさの追求も。

ああ~・・・旅に出たい・・・

今日のレコード・・・ジョージ・ベンソン『シェイプ・オブ・シングス・トゥー・カム』
https://www.shop.kotenha.com/ec-classic/pc/package_details/index.php?package_id=3200021609&PHPSESSID=671eff481a6326e09aca1220106296e9

欲張りの美しさ・・・そんなもの、あるのかしらん(^^;

2008-09-28 22:10:25 | Weblog
WOWOWで『東京フレンズ』を放送していたので、何となく見ていたんですけど・・・真木よう子さん、今と、まったく雰囲気が違うんですね。たった二年前の映像なのに・・・髪型のせいですかね。わたしは、断然、今の彼女が好みなんですが・・・彼女自身は、きっと、二年前から、あんまり変わってはいらっしゃらないんじゃないかと。とすると、やっぱり、女優さんのお仕事って、人柄や役者さんとしての実力より、イメージ勝負なんですかね。そりやぁ、人気商売ですもの、そうなりますかね。

なんてことを考えると、ほんと、ファンっていうか、人の心ほど、残酷なものはない気がしますね。人気商売を自分の職業に選ぶ人は、それを覚悟でやってらっしゃるとは思うんですけど・・・どうか、翻弄されずに、自分の心を守ってあげて欲しいと思います、はい。

という話とは、全く関係ないんですが(^^;・・・ストイックな人って、とっても美しいんだけど、同時に何かうざったいんですよね。そう感じるのは、わたしが天邪鬼だからでしょうかね(^^;。

そもそも「犠牲」って奴が、わたしは超嫌いなんですよ。何かを得るには、何かを犠牲にしなくちゃ仕方ないってことは、これだけ長く生きていると、否応なしに思い知る事ではあるんですが、それでもやっぱり出来るだけ犠牲は避けたいと思います。ましてや、誰かを犠牲にするとか、自分が犠牲になるとか、そんなことは、可能な限り無くしたいと思っています。自分のエゴも、他人のエゴも、共に通せる世の中ってのが、わたしの理想ですから。実現不可能確実な理想ですけど(爆)。

具体的な例を挙げながら話すと、もっと伝わりやすいんですけど・・・今、思いつくのは、差しさわりがあるものばかりだったりします(^^;。とにかく・・・欲張りの美しさ、何とかそれを追求していきたいと思います。一歩間違えば、最悪に醜くいことになっちゃうんですけど・・・きっと、あると思うんですよ、美しく欲張りである道もね。あ~、やっぱ、わたしって、誰よりも理想主義者なのかもしれないなぁ(爆)。

肉体的痛みの中で創作を続けられるか

2008-09-27 15:36:25 | Weblog
精神的痛みって、時には創作の原動力になったりするでしょ。けど、肉体的な痛みは、創作活動を妨げるって、わたしは思うんですよね。

わたしの場合は、創作なんてレベルの活動はしていないけど、たとえば、このブログの記事を書くってことだけでも、体調が悪いときは辛いもの。それが本格的な創作活動となれば・・・ん~、わたしには絶対に無理って思うんですよ。

けど、たとえば・・・その痛みの先に、自らの死を意識したりした場合は・・・わたしのような弱虫の怠け者でも、もしかしたら頑張れるのかな。

わたしは、父に彼の状態を告知する事を選択しなかったのだけど・・・自分自身に関しては、告知してくれるよう、子どもたちに頼んでいます。とはいっても、告知を受けた上で、立派に振舞う自信は全くないのですよ。きっと、落ち込んだり悲しんだり絶望した姿を見せて周りの人を辛がらせたり、八つ当たりの我がままをいって困らせたりはすると思うのだけど・・・それでも、そういう状況にある自分が、どうなるのかを知りたいと思うので、告知してくれと言っています。

ただ、せっかく「そういう状況にある自分」を体験しても、その体験を何かに昇華する作業が自分に出来るかと考えたとき・・・ふむ・・・精神的なものより、肉体的な部分で、無理かもって思うんですよね。ものすごく痛かったり、ものすごくダルかったり、体が辛い状態にある中で・・・ん~、わたしなら、何も出来ないかもしれない、とっても残念なことだけど。

そういう意味でも、肉体って疎かにできないなって、最近、思います。若い頃は、精神性こそが最も重要なものなんだと思っていたんですが、今は、肉体あってこその「わたし」だと思っています。

あっ、そうそう。少し脱線しますが・・・一般的に、外見っていえば肉体的特徴のことで、内面っていえば精神的な部分のような捉え方をしますよね。でも、肉体にも外見と内面があり、精神的なものにも外見と内面があるって、思うんですよ。

たとえば、容姿的なことが肉体的な外見だとすれば、持病みたいなことが肉体の内面。で、人当たりとか第一印象みたいな、他者が構築するイメージみたいなものが精神の外見で、よく付き合わないと分からない面が精神的内面、みたいな(^^;。

ん~、何の話でしたっけ。とにかく、体は大切にしなくちゃって、そういうお話でした、はい。

今日のレコード・・・ROBERTA FLACK『KILLING ME SOFTLY』
http://www.ticro.com/search/R00000955/no_sub/detail/
http://www.amazon.co.jp/Killing-Me-Softly-Roberta-Flack/dp/B000002J5U
http://www.youtube.com/watch?v=4mpqXu0z3wU
http://www.youtube.com/watch?v=Zqss0y3I12o

「名前&数字」と「無償の愛」の二本立て(^^;

2008-09-26 19:32:28 | Weblog
昨日は、ついにダウンしちゃいました。え?ダウンなんて表現が古いだろうって?仕方ありません、人間が古いですから(^^;。正直、今も調子は悪いんですが、横になってさえいれば樂なんですよね。なんだか、ちょっといつもと勝手が違うんですが・・・まっ、いろいろありますよね、これだけ生きてたら(爆)。皆さんも、季節の変わり目、体調には気をつけてくださいね。休めれれば、まだ良いんですが、休めない環境の方もいらっしゃるでしょうからね。

で・・・今日の話題は「名前&数字」と「無償の愛」。

まず「名前&数字」からいきます。車で知らない場所に出かける時、つくづく思うのは、『小さな交差点にも、是非とも交差点名の表示をお願いします』ってことなんですよね。わたしは、カーナビ派ではなく地図派なんですが、地図と実際の場所の両方に交差点名表示があると、とっても便利。道に迷う確立が、ずんと減るんですもの。けど、意外に表示されてなくて・・・けっこう、近くまで行っているのに、迷っちゃう事、あるんですよね。

でね・・・その交差点名なんですが・・・概ね住所や近くの施設に由来していると思うんですが、味気のある名前と味気のない名前がありますよね。郵便配達などに便利だとかで、住所表示が簡単なものに変更されるようになって、どんどん味気のある住所が減ってきているようですが、その地域の歴史ドラマを想像させるような名前は、素敵だと思いますよね。

とは言っても、数字表示などにも、確かに便利なところはあるんです。なんていうか・・・数字だと、関係性が明確になりますものね。たとえば、一丁目の横には2丁目があるだろうと容易に想像がつくみたいな・・・そういう便利さが、数字表示にはありますね。だから、もちろん良さもあるんですが・・・やっぱり、味気ないのは味気ないですよね。

でも、関係性が明確っていう部分では、苗字なんてのは数字以上に関係性を顕著に表していませんか。昔の人の名前の付け方は、個人名の方でも、関係性が見えやすいですし・・・ふむ、奥深いなぁ~、名前って。伝える情報量の含み方が、なんだか尋常じゃない気がしてきましたよ(^^)。

と、名前と数字の話はここまで。堀下がらなくて、スミマセンでしたです(^^;。

で、次は、無償の愛の話を。

あのね・・・無償の愛って、すごく立派なもののように言うじゃないですか。何も求めない愛で、本当の愛の形なんだみたいな。でもね・・・わたし、無償の愛だって、ギブ&テイクの要素をもっていると思うんですよ。

たしかに、無償の愛は、相手に何かをして欲しいとか、何かを貰いたいだとか、そういう直接的要求はしないわけですけど・・・でも、愛することによって、ものすごく沢山のことを得ているわけで・・・それを、誰よりも無償の愛を注ぐ側は知っているはずで・・・それを「わたしは何も求めていない」と勘違いするのは、有償の愛よりエゴイスティックだと思うんですよ。

無償の愛って、わたしの感覚では、超ナルシスト的行為なんですよ。だって、自己完結行為ですからね。相手に手出しをさせず、自分の中だけで充足してしまうわけですからね。それって、すごくエゴイスティックじゃないですか。それを、無償の愛の実行者は自覚すべきだと、わたしは思うんですけど・・・その感覚、オカシイですかね。案外、みなさん、共感してくださるんじゃないかとも思うんですけどね(^^)。

と・・・今日は、こんなところで、勘弁してあげましょう(爆)。毎度、ぐだぐだ話にお付き合いくださって、ありがとうございました。

偽善者・・・

2008-09-24 20:37:42 | Weblog
今日は、午前中に写真のみの取材を済ませ、午後から社会保険事務所に行きました。父母の年金の処理です。三時間、待たされました。社会保険事務所の方たちも、お昼休みなし(きっと交代でお昼は取ってらっしゃるでしょうけど)で頑張っておられるのですが、それでも間に合わないようです。ふ~・・・待つって、何もしていないのに疲れるんですよね(^^;。

ところで・・・ふと思い立って、ここしばらくの自分の日記を読み返しました。なんだか、とっても偽善的で、ゾッとしました。まったく良い人じゃないのに、妙にイイ人ぶっている自分・・・大嫌いです。

でも・・・特に、嘘は書いていないんですよね。なのに、何が、実際のわたしと、文字の上に顕れるわたしを、ここまで引き離しているのかなぁ・・・すごく不思議なのでありますよ。

写真は、金属ゴミを処理している風景です。信号待ちの間に、車の中から撮ったので、見晴らし悪くて、スミマセン。

出逢いのタイミング

2008-09-23 14:31:42 | Weblog
我が子が幼稚園の頃は幼稚園児が気になったし、我が子が中学・高校の頃は学生服の子どもたちが気になって仕方なかった。それより前、自分が妊婦の頃は、世の中に、こんなにも妊娠している女性が多いのかと驚くほど、お腹の大きい人が目に付いた。って話は、けっこう、よくしているんですが・・・人って、自分の状況と類似した風景や事柄には、過剰なほど反応するものなんですよね(^^)。

でね・・・最近、わたしか、妙に目に付くなぁと思っているのが、霊園(たぶん)のCMなんです。年輩の男性がバスに乗っている場面から始まり、そのバスが止まって、男性がバスから降りるまでを描いています。男性の妻らしい年輩の女性が、途中まで隣に座っているバージョンや、孫らしい少女や、息子らしい男性も、途中まで同乗しているバージョンがありますが、最後は必ず、年輩の男性が一人になって、一人でバスを降りていきます。つまり、その男性が、亡くなった方ということなのだと思います。

なかなか雰囲気のあるCMで、よく出来ているのではないかと思いますが・・・きっと、数年前のわたしが見ても、さして感じるものもなかったろうなと思うんですよね。これもやっぱり、「今の自分の状況と合っている」から、受け取るものが沢山なんだろうなって。

だから・・・出逢いのタイミングって、大切だなって・・・つくづく思いました。どんなに素敵な人とでも、どんなに素敵な本や映画や絵や音楽とでも、どんなに素敵な仕事とでも・・・とにかく、相手がどうであれ、こちらの受信機が作動していなければ、せっかくの出逢いもスレ違いに終わってしまうんだろうなって思います。

もちろん、そうでなきゃ、毎日、ものすごく多くの出会いを経験している私たちの感性は、パンクしてしまうでしょうけどね(^^;。

で・・・この、出逢いのタイミングが、かなりの頻度で絶妙である人のことを、わたしたちは「運が良い人」って言っているんだろうなと思いました。ということは・・・運の良さも、ある程度は自分次第ですよね。感度良好な心でいたいもんだと・・・そう思うのであります。

とはいっても・・・ほんとうにシンドイ時には、感度は低く設定しておかないと耐えられませんけどね(爆)。

訳分かりません

2008-09-22 23:53:58 | Weblog
ゴル江ちゃんの引き取り先、悩みましたが、人柄で選びました。客に有益な情報なら、自分に不利なことでも伝える。他社の悪口は言わない。そういうところを評価しました。

それを、最高額を提示していた会社の査定員さんに伝えたところ、「訳が分からない」と言われました。五万円も高い額を出すと言っているのに、何故・・・理解できないそうです。

そうでしょうねぇ~、彼には、理解できないでしょうね。だからこそ、こういう結論に至りました。

彼に、商取引が金額だけで決まるものじゃないことを伝えたかったと言えば大袈裟ですが・・・ほんとうに、そういう気持ちはなくはないです。また、最終的に人柄で選んだ会社の査定員さんにも、彼の姿勢が、いつもではないにしろ、報われる時もあると自信をもって欲しいとも思っています。そのための、マイナス五万円です。

とはいえ、我が家にとって、五万円は非常に大きいですから、迷いましたよ。こういう、わたしの個人的な美意識とか価値観で、我が家の家計に損害を与えるわけですからね。五万円あったら・・・ああ~、やっぱり、馬鹿な判断だったかな。

けれど、きっと、この選択でなければ、わたしは必ず後悔したと思います。うん、そう思います。わたしの気持ち、関係各位に伝わったかな。今、分かってくれなくてもいいので、いつか、分かってくれると嬉しいな・・・と、思います(^^;。

写真は、ジャングルみたいですけど、家の前の公園の草むらです(^^)。

切り取る・・・

2008-09-21 21:19:29 | Weblog
ん~・・・今日は、ほんとに、何もネタがないんですよね・・・。それが意味するものは、今日という日に特筆すべき出来事がなかったということではなく、わたしの感性が楽しむ力を発揮できなかった一日だったということで・・・かなり残念なことなんですが・・・まっ、そういう日もあるさと・・・わたしにおいては、かなり度々あるさと(爆)、悪い悟りを啓きまして・・・今日は、写真のみ、掲載します。

これは、中古車販売店の査定員さんたちが、ゴル江ちゃんの査定をしてらっしゃる間、子どもはくぶつかんの玄関先に座って、ぼんやり空を眺めていた時、わたしの目に映っていた風景です。

十人十色

2008-09-20 23:24:38 | Weblog
車を一台、手放すことにしました。

我が家は「車は乗り潰す派」で、途中売却の経験はなく、今回始めて、買取査定というものをしてもらいました。ネットで「中古車 見積もり」と検索し、データを入力して見積もりを出してもらうサイトを利用したのですが、速攻で各社から連絡があり、ちょっとビックリしました(^^;。

それにしても・・・同じ、中古車買取を商いにしている会社でも、それぞれ個性が違うんだなと感心しましたですよ。

ネット検索をした二時間後には、我が家に到着していたA社の方は、とってもお若い方でした。とにかく熱心、とにかく一生懸命、そして・・・とにかく強引です。A社は、最初に電話を下さった方も、若さが滲み出た話し方をする人で、正直、わたしは若干引き気味だったんですが・・・それは、その方個人のキャラではなく、会社の雰囲気を反映したものなんだなと思いました。

次にいらしたB社の方も若い方でしたが、A社の方よりは、少しお兄さんかな。おっとりした雰囲気をもった方で、自社に不利なことでも含めて、いろいろ教えてくださいました。A社の査定の時には説明してもらえなかったことも聞かせてもらいましたし、A社の提示金額をきいて「その金額を保証してもらえるなら、それは良いお話だと思いますよ」とアドバイス下さいましたし、わたしがA社の方の強引さの愚痴を漏らすと「庇うわけじゃないんですが、A社の営業さんの気持ちは分かります」と、中古車買取の最前線で働くプレッシャーなども話してくださいました。もちろん「僕も、こうして来させていただいた限りは、是非とも売っていただきたいと思っています」と、本部との交渉も頑張ってくださいましたが、金額だけを考えると、結果としてはA社の金額には達しませんでした。「お人柄だけなら、貴方に引き取ってもらいたいのだけど」と、わたしが言うと、「でも、やはり、最後は金額ですよね」と、ちょっと困ったような顔で微笑まれました。

夜になって来られたのは、関西では有名な大手中古車屋のC社さん。若手の営業さんに、先輩が付き添ってこられました。非常に手際が良く、説明もクリアーで、大手の安心感満載。提示金額は一番低かったですが、その安心感を上乗せすれば、土俵には上がってもらえるかなって感じでした。ただ「あまりに高い見積もり」に対しての懸念を口にされたのが、若干のマイナスポイントでした。客観的な情報提供なのだとは思うのですが、やはり同業他社のことですからね~・・・。その点、やっぱり、B社の方は人柄が群を抜いてましたね。

そういえば、カリスマセールスマンの人って、バリバリな感じより、お人よしな感じの人が多いという、意外な話を聞いたことがありました。なんでこの人がと思うような、おっとりした人なのに、異常な売り上げをあげたりしているって。なんだか、少し、その意味が分かった気がしました。B社の方は、まだその域には達していなくて、人柄が成績に結びついていないようですが、頑張り続けいらっしやったら、きっとそのうち報われるんじゃないかと・・・希望も込めて、そう思ったのでありました。

ただ、全社共通して仰るのが「即決してもらえませんか」ということです。でも、それは無理なんですよね、わたしの場合。だって、他の会社の方にも、見積りして頂くお約束をしてしまっているから。約束は違えられないでしょ。わたしがそれをいくら説明しても、そこのところは、あまりよく分かってもらえません。

きっと、業界的には、些細なことに拘る変なオバサンに思えるんでしょうが・・・やっぱり、約束は守らなくちゃ駄目でしょ。馬鹿かもしれませんが、わたしは、そこに拘ります(^^;。

写真は、「ちょうちょさんはキャベツが好き」です。キャベツが、青虫さんに食い荒らされている様子です。ほんとに、蝶々はキャベツが好きならしく、他の野菜より虫が付きやすいのです。

躓きを知った世代の魅力

2008-09-19 16:18:23 | Weblog
最近の企業取材では、世代別にインタビューを取ることが多いんですが、それで感じたことをお話しますね(^^)。

わたしが行っているインタビューに答えてくれる人と言うのは、どの世代の人でも、その企業さんが「コイツ」と選んだ人たちなので、若手さんもベテランさんも、それぞれに魅力的な方たちです。でも、その中でも、30代・40代あたりの方たちには、20代の若者にはない魅力があるなぁって感じています。

それで、あえて彼らの魅力の共通点を探してみると・・・たぶん「躓きを知っている」ということなんじゃないかと思い至りました。

大きな挫折や失敗とは限らないんですが・・・入社以来、あるいは社会人になって以来、ただガムシャラに真っ直ぐに進んできただけじゃなく・・・その間に、いくつかの乗り越えなければならない谷や山が、心の中にあった人というのは、やっぱりそれなりの魅力を手に入れるんだなって思いました。

「顔のシワ」や「手のシワ」を、つるんとキレイな顔や手より素敵だと言ってくれる人が居ますが、「心のシワ」も素敵なんだなって思います。

写真は大阪シリーズ。活気のある現役ビル群の中の廃ビルです。