OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

皮膚ガン・・・怖くないよね

2013-06-25 13:06:49 | Weblog
なるべく静かに暮らしたいのだけれど
この一か月は、色んなことが起こったし、慌ただしかった。

毎度、愚痴っているけれど
人と折衝して、作成した書類にサインしたりハンコ押したり
そういう種類の作業はは"不得意ではないけど嫌い"だ。
だからそういうことがズッ~と続いたこの一か月は
自分でも弱虫で情けないなと思うけれど、ストレスフルだった(^^;。

そもそも、そういう一ヶ月の始まりの頃に
義妹を入院させるという、ちょっとした出来事があった。
妹は統合失調症・・・今までにも、何度か入退院を繰り返している。
そんな妹が、5年前に父を亡くし、またこの春に母を亡くし
当然のことながら心と体のバランスを崩すだろうことは十分に予測できた。
今回の入院のことだけでなく
今後の彼女の生活のことも含め
わたしたちがどう支えていくのか・・・
そのことを具体的に考えなければならないことを思い知らされた。

そして、慌ただしい一ヶ月の締めには
母の皮膚ガンの診断だ・・・ふむ・・・やっぱ、これってキツいよなぁ。

最初は、イボだと思っていた。
もう何ヶ月も前から、頬にプツッと膨らみができていたのだけど
若い女性ではないし、さして気にもせず放置していた。
けれど、少しず育ってくるし・・・
ある日、知り合いに「そんなイボが実はガンだったってことあるよ」と言われ
「気持ち悪いし診てもらうわ」と、珍しく本人から進んで近所の内科に行った。

イボなら皮膚科だろうと思われるだろうが
さしたることもないだろうが念のため程度に思っていたので
多少のことなら何でも処置してくれる地元の内科でいいだろうと。

実際、高齢者に多いイボだと言われ、その日のうちに切除してもらった。
数日消毒に通って、やっと抜糸という日に、「悪性だった」と言い渡された。
そうとは思ってなかったので、十分に取りきってないから
大きな病院の皮膚科で再手術してもらうようにと紹介状を渡された。

そして昨日、紹介された総合病院へ。
けれど、そこでも「うちでは手術できる医師がいないから」と言われ
少し遠い大きな病院を手配してもらうことになった。
この金曜日に、その病院に行く。

最初はガンと聞いても気楽にしていた母だったが
「行くとこ行くとこ、うちでは出来ないって言われたら、そんなに大変なことなのかって憂鬱になってくるなぁ」と言っている。

わたしも「皮膚ガンは、そんなに怖くないよ」と平気なフリをしているが
正直、やっぱり気持ちよくはない・・・早く、処置して欲しいと思う・・・ふう。

廻る命を感じるのは・・・

2013-06-20 18:03:02 | Weblog
紫陽花が咲き始めました。
周りから少しずつ咲きます。
全部咲くには時間がかかります。
待ち遠しいなぁ~(^^)。

ところで・・・
紫陽花などは
冬の間も茎部分を地上に保ったままですが
花の時期が過ぎれば
いつのまにか完全に姿を消してしまう植物って多いですよね。
野の花の多くはそうですよね。

けれど
翌年には必ず同じ場所に芽を出し花を咲かせる・・・
それって、樹木や紫陽花のように冬の間も存在感を維持する植物より
ずっとずっと儚いんですが
だからこそ逆に、強い生命力っていうか・・・
繰り返される命の営みの力強さを感じますよね。

太陽も
夕方には西に姿を消し
世界は暗黒の夜を迎えるけれど
翌朝には必ず東から姿を見せることから
再生のイメージで崇められたと聞きますが

消えている時間が半日ではなく一年の殆どの時間で
姿を見せてくれるのは、ほんの数週間である野の花たちの方が
よりドラマティックに感じられます。

けど・・・
去年の花と今年の花・・・
同じ花と言えるんだろうか・・・
命をどうとらえるかで・・・その応えは変わってくるんでしょうね・・・



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悔いのない人生≠意義のある人生

2013-06-12 08:33:03 | Weblog
今月末、裕太が東京へ引っ越す。
もちろん何の当てもなく、気持ちだけで強行する東京行き。

最初に話を聞かされた時、迷わず即答で「行ってこい」と言った。
もちろん、今もその気持ちに何のユラギもない。

母(裕太には祖母)は、意外にも寂しがっている。
そんな人ではなかったのだが・・・年のせいか、それとも・・・
とにかく、裕太も「あんなに寂しがるとは思わんかった」と言うほど寂しがっている。

それでも、裕太には迷わず思うように行動して欲しいと思っている。
一瞬たりとも悔いのない時間を過ごして欲しいと思っている。

ただ・・・
悔いのない時間とは
必ずしも何か有意義なことをしている時間である必要はないと思っている。

テレビを見ながら何も考えずガハハと笑っている時間も
友達と酒を飲んで騒いでバカやっている時間も
ただゴロゴロと寝そべってダラけている時間でも
本人がそれを悔いなければ
文字通り”悔いのない時間”を過ごしているということだと思う。

悔いのない人生なんていうと、やけに大げさだけど
決してそんなに切羽詰ったものである必要はない。

傍から見れば
ちゃらんぽらんで無意味なものに見えたってかまやしない。

大切なものを大切にし
自分の時間を楽しんで生きる・・・それだけで十分だと、わたしは思う。

そして君には、それが自然に出来てしまう才能が与えられていると、母は思う。
好きに生きよ、思うように生きよ、一瞬たりとも悔いのない人生を生きよ。


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ミョウガの森

2013-06-05 16:26:49 | Weblog
母がミョウガを植えました。
昨年?一昨年? 家で食するためではなく、販売するために植えました。

とね、今年も、何もしないでもビョンビョン芽が出て
今や、背丈30センチくらいの林になってます。
いや、ほんとに茎がスッと真っ直ぐ伸びたミョウガが乱立してる感じは
とっても背が低い杉林のようなんですよ。

なんでも筍みたいな感じで地中に根が張って
随所から新芽が出てるらしいんですよ、母が言うにはね(^^;。

でも、ほんと、小さな虫たちが、このミョウガの森に入り込んで見上げたら
きっと、わたしたちが杉の林で空を見た時と同じ感じになると
わたしは思ったんですよ(^^;。

ということは、なんていうか・・・
そんな森を、はるか上空から見下ろしている人間って
神様みたいっていうか・・・
すごし視線を持っているんだなって思ったんですが・・・

よく考えてみれば
神様みたいに俯瞰して見下ろせる視線の私たちって
森の中で這いつくばって蠢いている虫さんたちが
当たり前に見ているものや感じているものが
まったく見えてないし感じられないでいるってことなんですよね。
彼らにすれば、おめぇ~ら何にも知らねぇ~なって感じですよね(^^;。

だから・・・
神様も、わたしたちと同じで・・・
わたしたちに見えないもの、いっぱい見てるけど
わたしたちが見ているものは何も見えてないし
わたしたちが感じていることを何も理解してないのかなとかね(爆)。

ただね・・
もし、わたしたちが彼らの世界を知りたいと思えば
いろんな方法でもって、彼らに近づくことはできますよね。
努力することはできますよね。

神様は、そんな努力、してくれてるのかな・・・

まっ、神様と自分たちを同じに考えるのが、根本的に違うでしょうけど
ってか・・・わたしは、そもそも人格神の存在を信じてませんけどね(激爆)。

という文章なのに
何故か写真はミョウガの森じゃない・・・
今から写真を撮りに庭に出るの・・・面倒だったんだもん・・・あは。



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