OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

自分探し?

2009-04-30 18:47:44 | Weblog
「自分探し」って言葉、よく使いますよね。自分探しの旅に出るとか・・・。

でも、その意味するところって・・・ものすごく良く分かるような気もするけど・・・じゃあ、どういうことって言われると、分からなくなっちゃうような・・・

そもそも、我々にとって「自分」ってものが何なのか・・・それが不明ですからね。

あのね・・・年々感じるのは「存在の根っこって、『ひとっところ』なんだろうなぁ」ってことなんですよ。「同じ大海から生まれでた」って言ったら、海から命が生まれたっていう生物学的っていうか物理学的っていうか、そういう進化論っぽい感じになっちゃうかな・・・でも、もっとイメージとしては、意識の事柄として・・・個体って、大海の飛沫みたいな感じで存在するのかなって・・・そんな風に思えるんですよね。

けどね・・・子どもの頃から、ずっと、わたしの中には「それじゃツマラナイ」って気持ちがあって・・・大部分は、他者と同じもので出来上がっていても、ほんの一部分でも、決して他とは重ならないものがあり・・・それが「自分」ってものじゃないかと思っていたんですよね。いや・・・思っていたというより・・・そう、ありたかったんですよね。だから「違う」ってことに、すごく拘ってきたし・・・「特別である」ってことに執着してきたんです。

けど・・・はたして、そんなものがあるのかと・・・個体差は、あくまでも、成分の配合の違いであって・・・他にないものが我にあり、我にないものが他にあるなんてのは、幻想なんじゃないかと・・・

そうなれば、自分探しっていうのは、その配合をデータ化することに他ならないのかとか・・・それとも、成分を自分なりに調合して、納得の配合を自分の上に実現する事が自分探しなのかとか・・・ふむ。

自分探しをしている皆さんは、いったい、どんな自分探しをしてらっしゃるんでしょうね・・・案外、自分を映す鏡を探してらっしゃるってことだったりするのかな。

意味なくイライラする自分にイライラするですっ!

2009-04-28 21:10:18 | Weblog
はぁ~・・・なんで、消えるぅ?しかも、こういう時に・・・。虐め?わたしに対する嫌がらせ?

と憤っているのは、キーの打ち間違い一つで、書き込んだ内容が全部一気に消えちゃうという、あれをたったいまやっちまったからです(涙)。

で「こういう時」というのは、気分が、すごくダルシンドイ時ということで・・・あああああああっ!!マジで何もしたくねぇ~っ!!!!って、今、思ってます。でも、こうして書き込みなんかしているのが、まだ救いだな。

っていうか・・・言ってる事、完全に矛盾するんだけどぉ~・・・無性に、何かか創りたいです。創らなきゃ、自分が壊れてしまいそうなくらい創りたいです。けど・・・わたしって、創作者ではないんですよね。じゃあ、何だろう・・・記述者・・・描写者・・・ん~、とにかく、どっちにしろ、あるものをベースに飾ることしかできやしない。

けど・・・その飾り方がポイント。虚飾になるか・・・いや、止めておこう・・・この言葉こそが虚飾になってしまうから・・・

自分で言うのも何だけど・・・わたし、けっこう頑張ってる、うん。まっ、もともと、自分には甘ゝだから、頑張っているっていっても、みなさんほどは頑張れない怠け者だけど・・・それでも、わたしにしては頑張ってる。だから、わたしはわたしを偉いと、今、評価してあげてる。

けど・・・けど、違うの・・・それじゃないの・・・あたしは、それじゃないの!!なんて思ってるアタシは、子どもかよっ(^^;。

全然関係ないですが・・・不便をそのまま放置していては便利は得られないのは当たり前・・・不満をそのまま放置していては満足できないのも当たり前・・・でも、不便にしても不満にしても、ある程度は貯めなきゃ力にならなかったりするよね・・・だから?だから何だろう・・・そんなの、わかりゃしない。

全然関係ないけど・・・スーツとか制服に萌えるのって、どういう心理なのかな。わたし、自分が制服きるの大嫌い。なんか、縛られてる気がするでしょ。っていうか、幼稚園の時、服の上にスモック着たくらいで、児童・生徒・学生時代も社会人になってからも、制服をきた経験ないし・・・。けど、藍那のセーラー服姿とか、裕太の学ランとかには、萌え萌えだった。今も、時どき、意外な人がスーツを着こなしていたりすると、むふって思ったりする。それって、どういう心理?マジで、自分の気持ちが理解できないっす。フェチってのも、あれ、どういう心の仕組みから生まれるのかなぁ~。まっ、そもそも「好み」ってものがあるのが、不思議っていうか、深いよね。

だから?だから・・・なんでもない・・・ん~、とにかく、今日は、ただただイライラするのぉっ!!

頼るべきか、頼らざるべきか

2009-04-26 12:26:38 | Weblog
わたしには「専門家を頼る」ということに軽~いトラウマがあります。だから、専門家と言われる人たちを頼るのが、あまり好きではないのです。

まずは、税理士さんに対する軽いトラウマ。たしかあれは、わたしが大学に入りたての頃かな・・・うちの父が、何を思ったのか、突然、玩具店をすると言い出したのですが・・・商売をすると、確定申告がややこしくなるので、親戚筋から紹介された税理士事務所に勤務しているという知り合いに、その作業を委託したのです。もちろん、それなりの費用を出して。と、さっそくその年に、税務署から調査が入りました。

税務署の人には、知り合いに頼んだとはいえなかったので、娘であるわたしが、不慣れながら、帳簿も申告書類も作ったといったら、税務署の人は、すごく親切に間違いを訂正してくれて、帳簿のつけ方から、申告書の書き方まで教えてくれました。それで、次の年から、今に至るまで、我が家の確定申告は、すべてわたしが行ってきました。

もちろん、知り合いの税理士事務所に務めている人には、税務署から間違いの指摘があったことは伝えましたが、彼からは侘びの言葉も、もちろん返金もなかったようです。彼に言わせると、こちらが彼に渡した書類に不備があったから、そんなことになってしまったのだそうで・・・彼としては、大いに迷惑なことだったそうです。

次は、弁護士さんに対する、軽いトラウマ。あれは、わたしが裕太を生んですぐの頃・・・だから、二十代の半ばあたりのことでした。我が家が、ちょっとした不動産トラブルに巻き込まれ、民事裁判をしなければならなくなったことがありました。もちろん、当事者は両親なのですが、父は、こういう場合、絶対に表には出ない人ですし、母も弁護士さんとか裁判所とかは苦手だというので、一番に事情を知っている母をつれて、わたしが、これまた親戚に紹介してもらった弁護士さんに会いに行きました。

いつ、どんなことがあり、その時どういう話し合いをし、どういう書類を作ったかというようなことを、漏れなく、そして間違いなく伝えなければと思い、事前に母から聞き取りをして、年表風の資料を作り、それを持参しました。すると、それを見た弁護士さんが「これ、あなたが作ったの?」と聞き・・・それからひとしきり、説教が始まりました。その時、弁護士さんが何を仰りたかったのか、未だによく分かりませんが、ただ一つ、わたしに分かったのは、弁護士さんは、わたしが嫌いだということだけでした。あったばかりで、まだろくに話もしていないのに、なんでそこまで嫌われたのか分からないのですが・・・どうも「若い娘が生意気だ」ということのようでした。

そこで、家に帰ってから、母と相談し、今後、わたしは一切、弁護士さんの前に面を見せないことにしようと・・・そう決めました。家で下準備をして、事務所の近くまで母を送っていきますが、近くの公園などで、裕太を抱いて、藍那を遊ばせながら、母を待っていました。母には、とにかく「先生が頼りです」「先生のおかげです」と、彼を持ち上げるようにと指示し、母は、その通りにしたと言っていました。でも、裁判の結果は、和解勧告。なんだか納得できないまま、うやむやに終わってしまいました。けれど、当然、安くない弁護士費用は取られました。

あとは、あいびーを始める時と、始めてからの司法書士さんの使い方にも考えさせられるものがありました。税理士事務所勤務の人と、弁護士さんの話は、今までにしたことがあるかどうか記憶にないのですが、司法書士さんの話は、絶対に、一回は聞いてもらっていると思います。でも、まっ、流れとして、もう一度聞いてください(^^;。

司法書士さんに関しては、直接、何か、トラウマになるようなことがあったわけではありません。なぜなら、頼む前に、こちらで拒否しちゃったからです。NPO法人を立ち上げるとき、司法書士さんに頼むよう薦められましたが、自分たちで出来ることならと、自分たちで行いました。ちゃんとできました。NPO法人ーを始めてからも、何度か、定款変更の手続きをしなくちゃいけないことがあって、それも当然、自分たちで行いました。でも、スタッフが他の事務所の方から聞いた話によると、定款変更を司法書士さんに頼むと、その都度、五万円くらい掛かるそうです。どう考えても、我々がしなければならない定款変更程度の作業で、五万円は高すぎると思います。それで、ますます、専門家に頼むのは、極力やめようと、そう思うようになりました。

それから、これは、ごく最近のことなんですが・・・所有している共同住宅(アパート)を管理している会社から、「地デジ対応の為に工事が必要だから、一棟につき、二十万から三十万円を用意してくれ」と言われました。一棟につき、二十万から三十万円となると、馬鹿にならない金額です。「どういうことですか?説明して下さい」と言ったら、「アナログ波が完全に終了すると、もしかしたらデジタル派に障害がでるかもしれないらしいから、念のための対策をする」って言うんです。

「念のためって何?」って聞きますと、「もしかしたら大丈夫かもしれないけれど、もしかしたら、今、デジタル放送をちゃんと受信できていても、アナログ放送が完全終了したら、デジタル放送の画質が一気に悪くなるかもしれないらしい」って言うんです。「もしかしたらとか、らしいというような曖昧な情報だけで、出せる金額じゃないから、ちゃんと教えてください」って言うと、「わたしたちもよく分からないけど、入居者の人たちに迷惑をかけられないから、大家の責任として、ちゃんとしてくれないと、管理できない」って言うんです。

「いや、それ、絶対にオカシイです」って言って、わたし、総務省の相談センターに電話して聞いてみました。そうしたら「UHF地域で、デジタル放送受信の為に工事が必要になるケースは、2パターンあります。一つは、現在受信されているUHFの電波とデジタル電波の方向が違う場合です。でも、今、ご自宅で、デジタル放送がご覧いただけているということは、その点は大丈夫と考えて頂いて結構だと思います(そして、郵便番号でも、チェックして下さいました)。もう一つ、工事が必要になる可能性があるのは、アンテナの種類がデジタルに対応していない場合です。アンテナには全帯域型と、特定帯域型があり、全帯域なら問題はないのですが、特定の場合は、デジタルに対応していない場合がありますので、もしそうなら、デジタルに対応したアンテナに変えていただく必要があります。ただ、どちらにしても、今、デジタル放送が、ちゃんと受信できているのに、アナログ放送終了によって、今視聴可能なデジタル放送にまで支障がでることはありませんので、そういう理由で工事はなさらないでください」とのことでした。なので、それを管理会社に伝えて「だから、うちは工事しません」と伝えました。すると、管理会社は「国がそういうなら・・・」と言っていました。

管理会社に悪意があってのことでないのは分かっているし・・・もしかしたら、総務省の相談窓口では把握していない細かい事情とかがあるのかもしれませんから、今後も、もし本当に必要なら対応していくのが大家の義務だとは思っています、その場合には、素人にもちゃんと納得できる説明が欲しいと思っています。

我々も、管理会社も、よく分からない専門的な部分で、プロ(地デジに関してなら電気のプロかな)に、「必要なのだ」と言われてしまうと、ついつい言いなりになってしまいがちですが、プロの言うことであっても鵜呑みにしない姿勢は必要ってことですよね。

というような、もろもろの体験から・・・「出来ることは何でも自分で」というのが、わたしの基本姿勢になってしまったのですが・・・最近、不動産のことや、相続の事や、銀行さんとの折衝などで、つくづく思うことは、「さらに専門的なことになると、わたし程度の知識や度胸では、太刀打ちできない」ってことなんですよね。今までは、わたし程度の器の者でも、努力で何とかできる程度のことでしたけど、それ以上の事が起こってくると、どう考えても、自分だけでは力不足なんですよね。

となると・・・複数のプロを使い分けるってことしか、道はないかなと・・・そう思っているわけです。一人のプロに、あるいは一つの機関に、全面的に依存してしまっては、たぶんダメなんだと思います。セカンドオピニオンじゃないですが、いくつかの機関、何人かのプロからアドバイスを貰いながら、自分で選択していくってことしか、出来ることはない気がします。

精神力も社会性も商才も腕力もない、か弱~い女の子としては、頼りがいのある人に、全面的にシナ垂れかかりたい気持ちはあるんですが・・・それをしてしまうと、自分が駄目になりますしね。

というわけで・・・あまりに長文になりすぎて、読み返す気力がないので、そのままアップしますが・・・まっ、つまり、そういうことなんです、はい(^^;。

健康で長生きしたいという気持ち

2009-04-25 22:36:44 | Weblog
母が、TVなどで宣伝している、滋養強壮ドリンク(?)を購入しようかなと言い出した。わたしが、「いいんじゃない?」と答えると、さっそく取り寄せたらしく、今日、宅配便で届けられた。

それにしても・・・母は変わったなぁ~と、そう感じた。このドリンク、かなり値がはるのだけれど・・・母は、自分の為に、余分なお金を使うような人ではなかったから。今になって、自分の健康や、自分の未来に関して、欲を持つようになったのだと思う。

その原因の一つは、確実に父のことだろう。父が亡くなって七ヶ月・・・一時は、ガリガリに痩せていた彼女、確実に太ったし・・・自分の人生ってものを、やっと楽しみ始めているのだと思う(^^;。

あとは、わたしが介護事務所をしていることもあり、また父の介護の体験からも、「長生きするなら健康で」と思う気持が、より強くなったのかもしれない。

どちらにしても、母にとって、悪い変化ではないはず。自分で自分の体を労わり、健康に、そして幸せに、長生きしてもらいたいものだと思う。

知恵熱でます(^^;

2009-04-24 23:14:43 | Weblog
今日は、午後から、銀行さんとの話し合いがあって・・・二時間ぐらいでしたけど、がっつり話まして・・・その後は、なんだか疲れ果てて、仕事になりませんでした。ただ、お金の話をするってことじゃなく、ギリギリの話なので・・・だから、疲れて当然なのですが・・・毎日、大きなお金の話をしている人たちって、さぞかし疲れるだろうなぁって思いました。扱いなれると、普通のことになって、そんなに疲れないのかな。やっぱり、お金のことだとか、金額のことじゃなく、ギリギリのところで折衝するってことに疲れるのかな(爆)。

けど・・・まっ・・・なんか、どうにかなるんじゃないかって・・・ちょっと楽観視しています。具体的に楽観視できる要素は何もないし、何も約束してもらってないし・・・状況が好転したとは言い難いんだけど・・・人的部分で、今のわたしはラッキーなんじゃないかと思えるし・・・それは、精神的に、とっても大きいかな。

それから、居直ることを覚えた自分は強いなと・・・それも、感じていますね。自分では、そんなことないと思っていましたが、以前のわたしは、今よりずっと生真面目で・・・それで自分を追い詰めていたところありました。

もちろん、真面目であることは、すごく重要なことなんですが・・・時には居直ることもできないと・・・そう、潰れちゃうんですよね・・・うん。

山猫軒、花盛り(^^)

2009-04-23 19:41:30 | Weblog
今、庭に、たあくさんの花が咲いています。で、そのお裾分けで、山猫軒も花盛りです(^^)。ほんとうは、手折らないで、咲いている場所で愛でるのが一番なんですが・・・ごめんなさいね、お花さん。

けど・・・あたしも、ほんと、変わったものです。花を愛でることが出来るようになりましてものね。以前は、植物全般、気持ち悪く感じてましたもん。植物って言うより、命が気持ち悪かったですね。その生々しさが、図々しく感じられたりもして・・・植物が生い茂る中にいると、命の触手に絡めとられるような気分になったりもしたものです。そういう自分が、一番、ずうずうしい命なんですけどね(^^;。

そんな風に、自分の仲間である命に、よそよそしさを感じる一方で・・・共感ってものにも拘りが強かった・・・ったく、ただの勝手者ですよね(^^;。

そうそう、共感といえば・・・少し前にお話した、大昔のTVドラマの『赤影』さん・・・あのドラマの魅力って、ぜったいに青影くんなんですよね。子どもたちは皆、自分が青影くんになって、あのドラマに参加していたんだと、わたしは、そう思うんですよ(^^)。

ん?何の話をしようとしてたっけ・・・完全に、話そうとしていたことを忘れてしまいました。まっ、わたしには、よくあることですけどね。たいてい、話し始めたときと、話し終わるとき、テーマが違ってしまってますもの。だし・・・まっ、いっか(爆)。

今日は、ニュース雑記帳(http://blog.goo.ne.jp/rotten-go)にもUPしたし、育児掲示板(http://www1.ezbbs.net/21/oberon/)にも久しぶりにシッカリと書き込みしたので、よかったら、今日は、そっちを覗いてやってください(^^)。ではではぁ~。

ゲイリー、どうして?

2009-04-22 17:45:42 | Weblog
ええ~、桔平ちゃんの新作、ゲイリーが敵役なのっ!! うそっ!うそっ!見る!!あたし、見る!!見る見る!!!

『レイン・フォール』の宣伝は、結構そこここで目にしていて、軽く「へぇ~」って思っていたのだけど、ゲイリー・オールドマンが重要な役で出るなんて、まったく知らなかったよぉ~。

けど、ゲイリー、なんで出たんだろう、この映画。もしかして、新しい映画、撮るのかな。その資金を集めるためかな。

たしか、ゲイリー、以前に、そんなことを言っていた気がする。撮りたい映画を撮る為に、作品を選ばず、せっせせっせと映画に出で、お金を稼いでるって(^^;。今度も、その資金集めの一環でしょうか(^^;。

けどね・・・最近、つくづく思うんだけど・・・そういう生き方、わたし、嫌いじゃないです。っていうか・・・自分も、そういう方向でやっていきたと思ってるのですよ、マジで。

ほら、わたし、この歳になっても、「仕事」ってものに、ずっと迷っているじゃないですか。自分の人生に、仕事ってものを、どう組み込めばいいか、ほんと、よく分からなくってね。

人から相談されれば、けっこう、偉そうなことは言えるんですよ。けど、恥ずかしながら、自分がどうするかは・・・う~ん、未だ、覚悟が定まらないですもん。

「仕事」ってね・・・基本「お金を稼ぐこと」だと思っているんですよ。だから、どんなに一生懸命に働いても、寝ずに働いても、それで報酬を得られなければ、それは「仕事」ではないと、そう思っているんです。

でね・・・「お金を稼ぐ」っていうことは、お金を払ってくれる人を満足させることっていうか・・・少なくても、お金を払う人が欲しいと思っているものを提供することでしょ。わたしが作りたいものを作ることじゃないし、わたしがしたいことをすることじゃないわけですよ。

もちろん、世の中には、自分がしたいことをして、周りの人に喜んでもらえる人、自分が作りたいものを作ったら、周りの人が欲しいといってくれる人もいますよね。人気商品開発秘話みたいなので、「自分が欲しいと思うもの売られていなかったので、それなら自分で作ろうと思ったんです」って話も聞きますし・・・自分の趣味嗜好や価値観と、自分の生きている時代の趣味嗜好や価値観が一致していて、自然体で「仕事」が出来る人たちも、たくさんいらっしゃるようなんですが・・・

わたしの場合は、見事なまでに、わたしの「したいこと」では、お金にはならないんです。もしかしたら、「したくないこと」を基準に頑張ったら、大金持ちになるんじゃないかと思うほどなんです。

だから、生活費&したいことをするための資金のため、好きだ嫌いだなんていわずに、ひたすらお金を稼ぐ。そうして稼いだお金で衣食住の費用を賄いつつ、好きなことをすると・・・そういうスタンスしか、わたしにはないんじゃないかって、そう思うんですよね。

よく聞いて頂いている話ですが、わたしが、実家の家計を全面的に任されるようになって、その危機的状態にビックリして、遅ればせながら、今までみたいなお嬢さま的発想で、好き勝手していられないと気づき、形振り構わずお金を稼がなきゃいけないと思ったとき・・・最初に考えたのが「書くことでお金を稼げないか」ってことだったんですよね。とりあえず、唯一の特技でしたから、「書く」ってことが。

でもね・・・今でこそ、持て囃されるようになったアラフォーも、当時は、ただのオバサン扱いだったし・・・わたしみたいに、漠然と「書くの得意です」って言ってる、経験も実績もない中年女なんて、だれも相手にしてくれるはずがありません。ほんと、信じられないような低賃金で、内職のような仕事をもらうだけでも、ありがたいっていう日々が続きました。

でも、まっ、それが、ぼちぼちと次に繋がって、今では「ライターです」って名乗っても、他のライターさんに失礼に当たらないくらいのことは出来るようになったかなと思うんですが・・・そうなると、今度は、別の悩みが生まれてきちゃいました。

自分が一番得意なって部分はいいんですが・・・自分が一番大切に思っているもので「お金を稼ぐ」ってことの痛みを思い知らされるようになったんですよね。

職業人としてのライターが書く文章は、当たり前の話ですが「商品」です。つまり、お金を払う人にとって、払う金額に見合う価値があるものじゃなくてはいけない。裏返せば、わたしにとって、その文章に価値があるかどうかは、全く関係ないことなんです。

しかも、ここでも「自分のしたいことはお金にならない」というセオリーから、抜け出せず・・・当たり前のように「わたしが書きたいものでは全くお金にならない」という現実・・・むしろ、書きたくないようなものこそ、書けばイイお金になるという・・・んんんんん~ん・・・ジレンマの只中にいるわけです。

そこで、ゲイリー・オールドマンの映画作りが、わたしを励ましてくれるわけです。彼にとって、映画って、すごく大切なものだと思うんですよね。でも、その中で、彼はお金を稼ぐための映画出演と、自分自身の拘りをもった映画撮りを、キッチリ分けているってことですよね、きっと。

そっかぁ~・・・そういうことだって、出来るんだぁ~・・・そうなのね、ゲイリーー。

たしか、ジョニー・トー監督も、同じようなスタンスで映画撮っているって言ってましたよね。ただ、トー監督が、稼ぐ為に撮った映画と、趣味で撮った映画、わたしには、あまり変わって見えないっていう・・・そこが、笑っちゃうところなんですけど(爆)。

井筒監督だったかなぁ~・・・もう、ずいぶん前ですが、こんなことを言っていらしたと思うんです。監督として映画を撮らせてもらうためには、客を呼べる映画が撮れなきゃいけないから、アイドル映画だってなんだって撮ったけど・・・そういう映画を撮りながらも、自分の拘りとか、自分らしさとかは、映画の中に、しっかりと入れていくって・・・ン?井筒監督が、そんな器用で、そんな大人なこと、出来てたのかな・・・他の監督さんの話だったかな(爆)。とにかく、そういう方法もあると思うんですが・・・わたしには、ジョニー・トー型、ゲイリー・オールドマン型が合うように思うんですよね。

そうそう、ふと思い出しました。『東京ラブストリー』の原作まんがを描かれた柴門ふみさんが、時の人として持て囃されている時期に「今までから、ずっと私は私でした。それが、今、ちょうど時代に合ったんでしょうね。でも、時代が変わっても、やっぱり私はずっと私のままです」というような意味のことをおっしゃっていたと、柴門ファンの知り合いが言っていましたっけ。

すごく冷静な分析で・・・きっと、その通りだと思うんですが・・・わたしに言わせれば、柴門さんは、ずっと時代に合っていらっしゃる方なんだと思います。『東京ラブストリー』かドラマ化されたあたりは、それが異常に盛り上がったわけですが、それ以前も、それ以降も、柴門さんは、自分らしい表現をすることによって、多くの人の共感を得られる感受性の持ち主でいらしたんだと思います。

もちろん、ゲイリーも、ジョニー・トーも、そういう人たちの一人ですよね。

時代と共感できる感性があり、それを表現できる技術をもっている・・・ほんとうに、羨ましい限りです。でも、そういう感性も技術もない人間でも、表現したいものはあるわけです。誰もお金を出してくれはしないから、それを仕事にも商売にもできないけれど・・・それでも、表現したいものはあるわけです。そうとなれば・・・別のところで、しっかり稼いで、自分に貢ぐ・・・それしか、残された道はない・・・そういうことですよね、きっと(^^;。

というわけで・・・完全に、話が逸れてしまいましたが、ゲイリーの『レイン・フォール』、絶対に見に行くぞぉっ!!おっと、ちがった、桔平ちゃんの『レイン・フォール』ですよね(^^;。

愛校バザー

2009-04-21 20:55:20 | Weblog
春病談義をしました(^^;。「きっと気圧だよね」って言うと、「免疫系の病気をもった人は、春病になりやすいみたいですよ」って教えられました。それに「低血圧の人もみたいです」って。なんだよ、それじゃあ、春病になるの、かなり必然じゃん(涙)。

おっと・・・春病なんて言っても、何のことだか、よくワカリマセンよね(^^;。えっとねぇ~・・・これは、わたしが勝手に命名した病名なんですが、ようするに春に体調が優れなくなる状態のことです。でも、五月病とは違うんです。わたし、毎年、新入生や新社会人をやってるわけじゃないですから、新しい環境に適応出来なくて心がボロボロになっちゃうとか、そういうの、ないですから(^^;。しかも、花粉症でもないんです。

精神的症状は五月病より軽度で、身体的症状は花粉症より、ずっと楽なのだと思います・・・少なくても、わたしの場合は。

鬱症状も、ずっと続くわけじゃなく、波があって、楽なときは普段と全く変わりないし・・・体の変調は、わたしの場合、手首より先と足首より先が、ヒリヒリジンジン痛い程度のことですからね。

それでも、毎年毎年、春の度に来るでしょ・・・それなりにウットオシイわけです。で、それをウットオシイと思っている、頑張り屋じゃない自分にムカつくんです(爆)。

でもね・・・実は、去年が、すごく楽だったんですよ・・・で、今年も、つい先日まで、まったく症状が出なくて・・・こりゃぁ、いい感じに治ってきてるんじゃないのって喜んでたら、一週間くらい前から、ガッツリ来やがりました、くそっ!!

まっ、春が過ぎれば、春病もおさまるの、分かってますからね・・・一時の辛抱なんですけどね。あっ、でも、最近の、読めない体重の増加は・・・う~ん、春病の新しい症状なんだろうか・・・ただの、更年期か(爆)。

と、枕はこれくらいにして・・・薄~い、今日の本題にいきます。

昨日、自宅の固定電話がなりました。固定電話が鳴るのって、今やもう、セールス電話しかないんですよね。けど、子ども達に何かあった時とか・・・ダンナに何かあった時でも・・・そんなに重大事でなくても、たとえば、携帯を紛失した時とか、携帯のバッテリーが切れた時なんかでも、唯一記憶している自宅の固定電話に連絡が入ったりするし・・・なので、電話を無視するわけにもいかなくて・・・今回も、ちゃんと電話に出たわけです。

そうしたら、学校(中・高・大)の同窓会の役員の人からで・・・今年の愛校バサーの模擬店で、カレーを売ってくれないかとの連絡だったんです。あいや~・・・バザーの模擬店かぁ・・・懐かしすぎて、笑っちゃうほど、昔の記憶でありますよぉ~(^^;。

大学では、バサーへの参加は強制じゃなかったと思うんですよね・・・でも、中高部の頃は、クラスの模擬店と、クラブの模擬店の両方で、すごく忙しかった覚えがあります。ただただ走り回る一日を過ごしてましたねぇ~。あいや~・・・なんだかなぁ~・・・・ハハハハハ(^^;。

お返事は「他に、やってくださる方がいらっしゃらなければ、その時に声をかけてください」と言いました。本心を言えば、お断りしたかったんですが、きっと、世話役の人は、ものすごく大変なんだろうなと思って・・・ムゲにお断りするのも悪いと思って・・・。けど、どうなるかなぁ~・・・やらなきゃならなくなるかなぁ(^^;。

正直、すごく面倒ではあるんですが・・・そうやって、同窓生が、ずっと母校を大切にするっていうのは、すごく好いことではありますよね、うん、たぶん。

個人的には、学校時代に執着はないんです。虐められたみたいな嫌な目にあった思い出は全くないんですが・・・自分自身が、褒められた生き方をしていなかった時代なので・・・戻りたいとか、そういう感じで振り返ることはないんですよね(^^;。

でも、なんていうか・・・そんなワタシでも、母校に誇りは持っています。偏差値がどうとかという、外からの評価によるものじゃなく・・・学校が、生徒を尊重してくれていましたし・・・生徒同士も、お互いを尊重していたと思うので・・・そういう校風を誇りに思ってます。

あっ・・・それで「愛校バザー」なのか・・・ふむ・・・そういうことなのかぁ~。

学校に通っている時には、バサーに、わざわざ「愛校」なんて付けるセンスが信じられないと思ってましたけど・・・踏む・・・そういうことなんだすよね、きっと。

そっかぁ~・・・じゃあ、もし、もう一度、カレー屋さんの店番の依頼がきたら、ジタバタせずに受けなきゃダメですかね。ああ~、でも、やっぱり、できたら、逃れたいなぁ~・・・なんて思うのは、愛校心が足りませんなぁ(^^;。

三大宗教さん、頑張ってくれ!

2009-04-19 20:34:36 | Weblog
さっき、TVで『THE 世界遺産』という番組を見ました。東大寺二月堂の修二会を取上げていたので、思わず(^^;。

修二会は、練行衆が、まず自らの罪を懺悔し、世の中の全ての人たちの罪も懺悔し、興隆仏法、天下泰安、万民豊楽、五穀豊穣などなどを祈るものですが・・・一連の厳しい行を見ながら、せっかくの彼らの行による救いが、どうしたら、一般の我々の上で現実化するのかなと・・・考え込んでしまいました。

ああいう儀式って、ただ伝統を継承していくために行われているだけじゃダメだと思うんですよね。もちろん、それも、すごく大切なんだけど・・・基本に戻って、衆生を救う為っていう、そこのところに拘らなきゃダメだと思うんですよね。でも、宗教家たちも、その方法が分からなくなっているように見受けられるんですよね。

宗教の社会との関わり方って、ほんとうに難しくて・・・ストレートに社会活動に参画するのは良くないってことは、我々の長い歴史が教えてくれているわけですが・・・かといって、形骸化していいってものではないのは絶対なわけで・・・きっと、今の世の中だからこそ、すべきことや出来ることがあるはずだと思うんですけど・・・なんだか、シックリする活動をしてらっしゃる宗教は、わたしの見る限り無いみたいに思うんですよね。

占いだとか、スピリチュアル話だとか、新興宗教だとか・・・決して、侮るわけじゃないんですが・・・ミッションで思春期の10年間を過ごした身としては、「三大宗教さん、頑張ってくれよ、あんたたちの積み重ねてきた知恵と経験は伊達じゃないだろう」って思っちゃうんですよね。だって、彼らの所有している人間の心に関するデータって、脳科学や心理学などのそれが及びもつかないほど膨大なものだと思うんですよね。だから、無駄にして欲しくないなあって、そう思うんですよ。

けど・・・社会の変化についていけずに、弱体化&形骸化が進んで・・・気がつけば、すんごい安いものに成り下がっていませんかね。いや~、ほんと、期待しているから、あえて言わせて貰ってるんですよ。マジで頑張って欲しいです、名門宗教各派さん!!

写真は、ベタですが、大仏さんのアップです(^^)。

唐十郎という人

2009-04-18 18:03:02 | Weblog
深夜に『シアトリカル 唐十郎と劇団唐組の記録』ってのを放送していたので、なんとなく録画して、さっき見ました。

やっぱ・・・なんか・・・凄いなぁ~、唐さん・・・

何が凄いかっていうと・・・なんだろう・・・ブレのなさかな・・・変わらなさかな・・・う~ん・・・

わたしが、初めて紅テントを見たのって、たぶん二十歳前後の頃なんですよね。ちょうど、根津甚八さんが辞めて、小林薫さんが辞めて、その直後ぐらいの状況劇場を見に行きました。

自分で見たくて見たというよりは、先輩に連れられて、見に行ったんですけどね(^^;。中学からずっと、学校の演劇部で芝居をしてたんですけど・・・高校を卒業して、そのままエスカレーター式に大学に入学する前の春休みに、大学生になっていた先輩から「人数足りないから」と借り出され、大学の演劇サークルのキャストに加わったんですが・・・その大学の演劇サークルってのが、アングラ系の芝居をするところで・・・アングラの何たるか、テント芝居の何たるかも知らないうちに、恐れ多くも『唐版 風の又三郎』で李麗仙さんが演じられた役なんかをやっちゃったもんで・・・先輩に「一度見ておきなさい」と連れていかれたんですよね。

感想としては・・・みなさん、驚くほど芝居が下手だってことと(爆)・・・けど、それ以上に、みなさん、尋常じゃなくキャラ立ちしていて、それが抜群に魅力的じゃないかってことでしたね(^^)。わたしは、芝居を見るとき、役者さんに巧さは求めないので、状況劇場の芝居は、決して嫌いじゃなかったです、はい。

でも、熱狂的なファンにはならなかったので、状況劇場のことも、唐さんのことも、その後の唐組のことも、決して詳しくはないのですが・・・その頃に抱いた唐さんのイメージと、四半世紀以上の時を経て遭遇した『シアトリカル 唐十郎と劇団唐組の記録』の映像の中の唐さんのイメージが、完全に一致して・・・文字通り「タイムスリップしたような」そんな感覚に陥ったです。

みんなが変わっていく中で、この人は未だに、あの頃と同じアングラやってんだ・・・芝居馬鹿やってんだ・・・それって、ほんとうに凄いなぁって・・・そう思いました。

決して、羨ましくはないです・・・だから、唐さんのようでありたいとも思いません・・・けど、凄いなって・・・この人は、本物のバカだよって・・・それはもう、心から本気で、そう思いました。

申し訳ないですが、わたしは唐さんのことを、役者さんとして凄いと思ったことは一度もないし、芥川賞を受賞した『佐川君からの手紙』の素晴らしさも全く理解できなかったので作家さんとしても評価できなかったし、台本書きさん&演出家さんとしても未だにイマイチ良く分からないと思っているんですが・・・そういう肩書きじゃなくて、「一介の芝居馬鹿の唐十郎」って人間は、ほんとうに凄い人なんだと・・・「唐十郎という生き方しか出来ない男」の哀れさが堪らなくカッコイイじゃないかと・・・そんなことを思ったのでした。

そうそう・・・唐組の役者さんのお芝居は、わたしが見た状況劇場のお芝居より、ずっとお上手に見えました(爆)。わたしごときが生意気に評するのも何なのですが(^^;・・・役者さんたちの演技のレベルは、すごく上がっているのではないでしょうか。でも、当時の、びっくりするほど下手なお芝居・・・あれはあれで、何故か妙に魅力的だったんですよね。あの魅力は、いったい何だったんでしょうね。それにしても、根津さんがいて、小林さんがいたときの状況劇場、見てみたかったなぁ~。当時、状況の劇団員だった方に、お話を聞く機会があったんですが・・・小林さんは努力家で、根津さんは練習嫌いだったとか・・・ああ~、ほんとに見てみたかったですぅ~。

なんて言いながら、当時のテントで、わたしが一番ハマッたのは、阪大の『幻視行』って劇団でした。『幻視行』も、役者さんはそんなに技巧派ではなかった(スゴイお姉さんが一人いらっしゃいましたが)ですが、台本がとっても好きだったんですよねぇ(^^)。当時のメンバーで、今も芝居に関わってらっしゃる方って、いらっしゃるかなぁ~・・・いない確立、高いだろうなぁ。

おっと・・・なんだか、途中から、思い出話になっちゃいましたが・・・とにかく、変わらない唐さんに感動したって、そういうお話でした。