OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

完全体への道?

2009-10-31 18:47:29 | Weblog
昨日、新しいことを始めるのが大好きって言いましたが・・・わたしが何かを始めるときって、たいてい袋小路に嵌まり込んだ時なんですよね。でなきゃ、親しい人が困った状況にある時か。つまり、何かが起こらなきゃ、ぴくりとも動かない・・・それが基本なんです。でも、動かなきゃいけなくなった時には、新しいことを始めるという選択をし、実際にそのことを始めたら、大いに楽しむと・・・そういう感じです。どうでもいいことではありますが、一応、補足説明を(^^;。

それから、もっとどうでもいいことなんですが・・・実は、わたし、インフルエンザに罹ったことがありません。正確に言うと、インフルエンザと診断されたことがありません。要するに・・・風邪っぽい症状で、病院に行ったことがありません。だからどうだって話でもないんですが・・・ふと、そうだなぁ~と思ったのでした(^^;。

ところで・・・よく「好きの基準」とか「好み」って、いったい何なんだろうって話をしますが・・・また、その系統の話です。

昔から、運命の人(主に異性)って、自分の片割れなんだって言うでしょ。本来一つであったものが二つに分かれてしまった、その片割れなんだって。だから、二人で一つ・・・二人そろって、やっと完全体になるんだって。

で・・・そう言われてみれば確かに、人は自分に無いものを求めるっていうか・・・自分に欠けた部分を補おうとする傾向があるとは思うんですよ。けど、わたしのように、自分に似たものを極端に好むという傾向だって、同様にあることだと思うんですよね。類をもって集まるという諺は、たぶん友人などのことを表すものだとは思うのですが、異性間にだって、そういう傾向の強いタイプの人、いますよね。

でもって、それは、単なるナルシシズムでは説明しきれないとも思うんですけど・・・そんなことはないですかね。

けど、やっぱり・・・自分をより強く、より美しく、より完全なものにするためには、欠けたる部分を補ってくれるモノとの一体化が不可欠なんでしょうかね。きっと、そうなんでしょうね・・・なんだか、困ったな(^^;。

久しぶりに・・・(^^;

2009-10-30 22:34:49 | Weblog
本来、新しいことを始めるのが大好きです。でも、何年も、何も始めていません。守るのに精一杯だから(^^;。分野によっては、壊れていくのを防ぐのに精一杯だからです(爆)。

けど・・・最近、人に頼って今を守ろうとしてばかりいる自分を反省しました。完全に自分を見失う前に、自分を取り戻さないとって思いました。

で・・・今日は、一日、新しい事業計画を立てて、助成金申請の書類の作成をして過ごしました。楽しかったです。助成金が下りなければ出来ない企画だし・・・きっと、助成金はもらえないだろうから、現実化は難しいと分かっているんですが・・・でも、新しいことを企画していること自体が楽しかったし、企画している自分にも満足しました(^^;。

でも、次は、もう一歩進んで、実現できる新しい企画・・・しかも、助成金を貰わなくても、事業として成立する企画を考えたいものです。でなきゃ、やっぱり、一人前ではないですものね・・・(^^;。

今夜は京都で・・・(^^;

2009-10-29 13:28:49 | Weblog
今日は、夜から京都で取材です。カメラさんが来て下さる取材なので気が楽です。自分一人での取材では、何事も自分のペースで決められるという気楽さがあって好いのですが、その分、良い写真が撮れないというジレンマとの道連れになりますからね。やっぱり、プロの方に撮ってもらうと、写真の出来は全然違いますね、当たり前ですけど(^^;。

とはいえ、ネットなどの記事では、ほとんどの写真をライターさんとか社員さんとか、素人さんが撮ってると思いますね。紙媒体でも、小さな写真が一枚付いているだけというような記事は、たぶんライターさんがデジカメで撮ってますね。写真の威力って凄いんですけど、今のデジカメの性能が半端なく良いので、サイズが小さければ十分に誤魔化せるのも事実ですからね。

それに、小さなサイズだと、構図が全てっていうか・・・そんなに細かい技術はいらないので、センスのあるライターさんなら、意外に良い写真を撮っちゃったりするんですよね。でも、残念ながら、わたしには写真のセンスがない・・・う~ん、悲しい(^^;。

ところで・・・余談ですが、最近、わたし、夢で凄いことしたんです!! 大好きなドラマの続編を、自分の夢の中で創ったんです。ねっ、ねっ、凄いでしょ。しかもね、それに自分は出演していないんですよ。だから、ほんとに、ちゃんとドラマとしての続編を夢の中で作ったんです。朝、目が醒めて、夢だったと気づいて、我ながら誇らしい気分になっちゃいました(笑)。

というわけで、本日は、これで店じまいです(^^;。

根拠が無いことが基本です(^^;

2009-10-28 17:46:40 | Weblog
バービーボーイズ、来春、武道館公演するんだ。行きたいな。復活ライブ、いけなかったからなぁ。けど、東京は遠いなぁ~・・・。

ところで・・・裕太には昔から「根拠の無い自信」があるようだという話のときにも言ったと思うのですが・・・何かを信じるときに「根拠が無い」って、すごく大切だなって、あらためて思う今日この頃なのです。じゃあ、根拠の代わりに何が必要なのか・・・それは、やっぱり「覚悟」ってやつですよね。自分自身が、信じるのか信じないのか決心する、そしてその結果を自身が引き受ける、その「覚悟」ですよね。

まだまだ覚悟が足りんから、不満が出ちゃうんだろうなあ~・・・もっと粋に生きたい・・・そう思う今日この頃なのです。

首の皮一枚の日々

2009-10-27 18:52:38 | Weblog
ああ~・・・(^^;。

ここ数ヶ月、首の皮一枚で何とか生きてるような状況が続いています。これって、見方を変えれば、真綿で首を絞められているといってもいい状態で・・・正直、くたくたです(涙)。

でも、色んな人が、様々にサポートしてくださいます。ありがたいことです。そのおかげで、きっと、今の時期を乗り越えれば、この難局以前の状況より、ずっとずっと良い環境になると信じています。そう、わたしは凄く人運が良いのです。最終的には、かならず何とかなるんです。そう信じています。

でも・・・そうは思うけど、今が苦しいのは事実で・・・胃が痛いです。

ところで・・・前に、江戸期の関西(特に大坂)を知りたいという話をしたと思うのですが、ちっとも勉強はしていません(^^;。とりあえず、小説・ドラマ・映画あたりから入りたいと思うのですが・・・絶対量が少ないんですよね。さすが江戸時代というだけあって、江戸ものが圧倒的に多いです。

ざっと調べてみたら、小説では阿部牧郎さんの「町之介慕情」シリーズや、松井今朝子さんの『奴の小万と呼ばれた女』、築山桂さんの『緒方洪庵・浪華の事件帳』や『甲次郎浪華始末 蔵屋敷の遣い』、富樫倫太郎さんの『堂島物語』などがあるようなのですが・・・ふむ、どれが好いでしょうね。なんでも、築山さんという作家さんは、かなり江戸期の大阪をフィーチャーした作品を書かれるとか・・・入り口は、この築山さんかなぁ~。

貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない

2009-10-26 18:12:59 | Weblog
WOWOWで写楽を扱った番組の再放送をしていので録画していたのですが・・・マノス・コレクションをメインに、江戸期から明治初期に日本にやってきた外国人たちが日本文化をどんな風に捉えたのかを取り上げていました。

で、その中で、もっとも印象的だったのが、イギリスの言語学者チェンバレンの「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」という言葉でした。つまり、彼らの目には、江戸期の日本人が、貧しくても実に楽しそうに、そして幸せそうに暮らしているように映ったってことですよね。

旅人である外国人の目から見た日本ってことですから、もしかしたら一部が極端に強調されたイメージかもしれないし、まったくの誤解かもしれない・・・けど、もしかしたら、自分じゃ認識できない本質を捉えた部分もあるかもしれない・・・結局、かれらが手記で表現している日本のイメージが、正しいのかどうかは分からないことなのだけれど・・・ただ、産業革命を経験し、日本より一足先に近代化を成し遂げた欧米の人たちが、自分たちの世界が失った美しいものを持つ国として、日本を捉えたことだけは、間違いないように思えました。もちろん、そう認識するように、番組製作者たちに導かれ、みごとに思う壺にハマっただけかもしれませんが(^^;。

でもね・・・わたしとしては、別に、当時の日本が本当はどうであったのかを突き止めたいわけじゃないんですよね。彼らが見た「お金持ちでなくても豊かに生活を楽しみ、幸せに暮らしている日本」が幻であったのなら、今の時代にそれを実現させればいいじゃないかと、そう思うわけです。

でね・・・その為に必要なものって・・・実は、そんなに難しいことじゃなくて・・・ただ「美しさを感じる力」や「面白さを感じる力」を掘り起こすってことだけでいいんじゃないかと、そう思ったんですよね。あと、もう一つ付け加えるなら、楽観的思考もあると好いかな(^^;。

やっぱり、今のわたしたち、他に楽しませてもらおうとしすぎてますよ。他に幸せにしてもらおうと頼りすぎですよ。楽しだって、幸せだって、自分の中にあるんですよ、きっと。と、そんなことを思ったのでありました(^^)。

自分の外にある理論では・・・

2009-10-24 16:44:01 | Weblog
今日は、なんだかダルくてダルくて、どうしても起き上がれなくて、山猫軒、お休みしちゃいました(^^;。まっ、どんなにしんどくても休んだり滞らせちゃいけない仕事もありますが、山猫軒はいいんです、わたしの気持ちしだいで(爆)。それに、これが、わたしのコツです、自分の心の状態を酷いところまで追い込まない為の。

そうそう、裕太が、高校の途中まで、自分の気持ちで、ときどき学校を休む子でした。苛められっ子じゃないし、引きこもり体質でもないし、生き辛いようなタイプの繊細さのある子でもないんですが、時々、ほんと「自分のペース」で学校を休んでました。で、ある時、高校の先生が「どうしましたか」って心配してくださったんです。日ごろ、サッカー部で頑張っている健康な子ですし、ひょうきんで明るく友達も多いタイプの子だったので、ぽつぽつと休むのが奇妙に感じられたのでしょうね。だから「たぶん大丈夫なので見守って欲しい」とお伝えしたら、先生は「ご家族がご承知なら」と放置してくださいました。と、高校の途中で、裕太が突然「もう、おれ、学校、休まへん」って言い出して・・・それ以降は、ほんとに「自分のペースで休む」ってことをしなくなりましたっけ。

それを考えたら、裕太は、それなりに成長を遂げたわけですが、親であるワタシは、まだ「自分のペースで休む」が必要なんですね・・・未熟者であります(^^;。

ところで・・・最近、耳にする機会が多いのが、論理的思考の薦めって奴なんですよね。もちろん、わたし自身が薦められているわけではないですよ。わたしって、自分でもビックリするほど、何に関しても勧誘されない人間なので・・・今まで、宗教の勧誘も、健康食品とか集団購入的勧誘も、どんな勧誘も、知り合いからされたことがないんです。なんと申しましょうか・・・一目で、人のアドバイスを聴かない傲慢な性格であることが見抜かれてしまうんでしょうかね(^^;。だから、今回の話題の論理的思考の薦めって奴も、わたし自身がしてもらっているわけじゃないんですが・・・どうも、耳にすることが多いので、ちょっと考えてみたわけです(^^)。

で、いきなり自分の話で申し訳ないのですが・・・わたし、周りの人には論理的思考をする人、というより理詰めの人と思われがちです。たぶん、喋り方のせいでしょうね(^^;。けど、極々親しい人には、感覚人間だとバレちゃっています。ほとんど全てのことを直感で判断して、それを後付の理論で補強している、そんなタイプの人間です。

と、そういうタイプの人間からすると・・・最近の、自己啓発系の論理的思考の薦めだとか、科学系宗教の論理的思考の薦めだとかには、妙な違和感を感じてしまうんですよね。なんていうか・・・それって、結局、偽者じゃないの?って、思っちゃうんです、僭越ですが。

どういえばいいかなぁ・・・わたしが思うには、教えてもらった論理的思考の体得術は、それ自体がどんなに優れた構造をもっていても、所詮は借り物で役には立たない気がするんですよね。

だから・・・そうですねぇ・・・論理的思考こそ、手づくりじゃなきゃ駄目じゃないかと、わたしは直感的に思うわけです。プレタポルテはもちろん、オートクチュールでも駄目、自分で自分の中に、しかも頭だけじゃなく心も含めた自分全体の中に、自分で構築しなきゃ本物にならないって、そう感じるんです。

たぶん、各種論理的思考の薦めを実践していらっしゃる方たちは、皆さんそれぞれに「いやいや、そうじゃない。少なくても私が学んでいる論理的思考の構築術は、決してお仕着せなものではなく、自己鍛錬の道しるべなんだ」と・・・あくまでも、自分が自分を育てる、あるいはコントロールしているんだと、そう仰ると思うんですが・・・ねっ(^^;。

でも、まっ、薦めにしたがって実践を極めていくと、きっと最終段階で今までに体験したことのない袋小路に迷い入り込み、そこで飛翔を求められるのじゃないかという気もするので・・・そこで、思いっきり飛んじゃえば、他人発進の論理的思考でも、完全に自分のものに出来るのかも・・・とは思うんですが・・・ねっ。

なんていうか・・・論理的思考の薦めに真剣に取り組むタイプの人って・・・やっぱり真面目な人なんだろうなと推測するわけです。きっと、上昇志向があり、社会に対する関心や責任感もあり、勤勉な人たちなんだろうなって。でも、だからこその危なっかしさを、ダラシナイ人間たちは、心配してしまうんですよねぇ~。当然「お前たちのようなダラシナイ人間に心配されるいわれはない」と、思われるでしょうが・・・ほんと勝手に危ぶんじゃうんですよね。実際、かなり余計なお世話だと、思うんですよ・・・・だって、社会的には、彼らの方が、勝者とやらになる確率が、絶対的に高いに違いないですからね、はい(爆)。

わたしたちって羊なのでしょうか(^^;

2009-10-22 16:56:48 | Weblog
今朝、起きたら、枕元に置いていた珈琲牛乳のパックを、ねずみさんに荒らされていました。あいや~(^^;。古臭い家なので、鼠だとか鼬だとかと同居するのは当然と考えてはいるんですが、夜中に枕元でゴソゴソされるのは、ちょっと限界を越えてるかなって思います。ねずみさんと珈琲牛乳を分け合うってのは・・・衛生ということから考えても、きっと良くないですしね(^^;。

ところで・・・『宇宙戦艦ヤマト』の実写映画化が、いよいよ発進なんですね。なんでも、五代くんは木村拓哉さんなのだとか・・・へぇ~(^^;。でも、たしか、デスラー総統のキャストが、まだ発表されてないんですよね。いったい、誰になるんでしょうね。わたし的には、デスラー総統のキャスティング次第で、この映画に興味を持つかどうかが決まるといっても過言ではないくらい重要なんですけどねぇ。だって、みんなで真似しましたよね・・・デスラー総統の数々の名言を、ねっ(^^)。

で、思い出したんですが・・・デスラー総統の声を担当していた伊武雅刀さんが、当時、何かのインタビューで「本来は声優より俳優なんですよね」って聞かれて、「いえ、役者では食えてませんから、肩書きが何かと言われるなら、声優と答えるべきでしょう」というような返事をされていたんですよね。で、当時、デスラー総統大好き少女だったワタシは、「伊武さんは、ほんとうは声優のお仕事(つまりデスラー総統の声を担当すること)が好きじゃないんだ」って、ものすごいショック受けたんですよね。

今考えると、別に、伊武さんはデスラー総統が嫌だとおっしやっていたわけじゃなく、たぶん声優よりは俳優として活動を広げていきたいと思ってらしただけだとは思うんですが・・・それにしても「言外の気持ち」って、子どもにでも伝わるんだなって、驚きますね。伊武さんは、声優は嫌だと、一言も仰っていないのに、それを感じてしまうものなんですね、子どもですら(^^;。

だから、言葉って、面白いなって思うんです。でも、同時に、使い方には気をつけないとなって思いますね。それと・・・子どもだから分からないだろうと侮るのは間違いですね。子どもだから、感じてしまうってことも、きっとあるんでしょうね。

まったく話は変わるんですが・・・一昨日、大阪に出るためにJRに乗っていて、ある中吊広告が、やけに気になってしまいました。

写真は、羊の群れを正面から撮ったもので・・・キャッチは「やっぱり、こっちかなぁ~」みたいな台詞で、下部に「生活者を惹きつける広告を」というようなプレゼンがありました。

言いたいことは、とてもよく分かります。でも、これって、言っていいことなのかなぁ~って・・・正直、ちょっと嫌な気分になりました。

広告を作る会社が、クライアントにプレゼンするのには、これで良いと思うんですよ。消費者を羊の群れのように操って、必要の無いものでも、買いたいと思っていなかったようなものでも、買わせて見せますからって、そういうことですからね。

でも、それを買わされる消費者が、主に目にすることになる、電車の中吊広告にするって・・・かなり、消費者を馬鹿にしていませんかね。だって、われわれのこと、誘導され放題の羊の群れに例えてるんですよ。気にしすぎかもしれませんが、わたしは、なんだか本音過ぎて無神経に感じるなあって、そう思いました。

そういえば・・・政治家さんや経済関係の方がよく仰る、内需拡大っていうのも、考えてみれば「必要ないものをドンドン買わせる」ってことなんですよね、基本的には。

ふむ・・・そういう無駄な消費なくして幸せが得られない社会って・・・いいのかなぁ~って・・・ふと、そんなことも考えてしまった、電車の中吊広告なのでした。

大人計画『さっちゃんの明日』

2009-10-21 14:27:22 | Weblog
大人計画の『さっちゃんの明日』、見てきましたよ。

はじまってすぐに思ったのは「ガサツな芝居だな」ってことでした(^^;。でも、そういうの嫌いじゃないので「では、そのつもりで拝見します」と、自分のモードをガサツ系を徹底的に楽しめるようにセットアップます。と、急にクッと空気が止まり、胸に沁みる台詞がポンと客席に投げ入れられるようなことが起こっちゃう。「あれ・・・ガサツに見せて善い話を連発系なわけですか」と、それを受け入れられるよう体勢変更の検討に入ろうとすると、それが定まらないうちに、今度は数々の社会的タブーが、これでもかと繰り出される。それで「困ったな・・・どう処理するかな」と、正直ちょっと迷ったんですけど、結局「えいっ!!ままよ」と考えるのを諦めて、舞台の皆さんに自分を預けようと覚悟を決める。あとは、ただ、笑って笑って、時々おおっ!!と驚いて、たまに「ヤダ~」と引いたりしながら、ひたすら楽しむだけ・・・そんな感じでした(^^)。

今の社会って、善意を装った言論統制や表現の制限が甚だしいでしょ。その偽善性を皮肉っているなっていうのは、すぐに理解は出来るんだけど・・・それを、台詞で説明してしまうのは、そんな自分の台本にすらシニカルになってしまう松尾スズキさんのシャイさの表れなんだろうか、それとも見たまんま聞いたまんまな弁解なんだろうか・・・その判断がつかなくて、ちょっと困りましたが・・・それ以外は、大いに面白かったです。ずっと笑ってました(^^)。

で、女優さんが光ってましたね。もちろん、男優さんにも上手くて素敵な方はいらっしゃいましたが、女優さんたちがそれぞれに輝いていて、とってもステキでした。ただ、松尾さんは、脚本と演出だけで我慢するほうが、芝居のグレードは上がるかも(爆)。

わたしは藍那と観にいったのですが、裕太にも別日のチケット渡して、見てみたらって薦めていたのですけど・・・これは、きっと、彼の良い刺激になったと思います。いい勉強、させてもらえたんじゃないかな(^^)。

というわけで、とても楽しい一夜を過ごすことができたのでした。

つぶやき・・・のはずが、大器晩成の話に(^^;

2009-10-20 12:07:18 | Weblog
関東では、華やかに東京国際映画祭が開催されているようですが・・・わたしは、関西で、今夜はお芝居を見てきますよん(^^)。

というわけで・・・なんとなく、ぼんやり受け身な気分なので、徒然書きより、小ネタ集より、さらに小ぶりに「つぶやき」ってことで、本日はお茶を濁したいと思います。

まず、最初のつぶやき・・・初っ端のつぶやきに相応しく、実にしょうもない話なんですが・・・わたし、今日、はじめて読み方を知った漢字があるのであります。それは「抽斗(ひきだし)」なのであります。あいや~、お恥ずかしい。でも、そっか・・・そうだね・・・って感じです(^^;。けっこう読書歴もあるはずなので、読むだけなら、わりと漢字は知っている方だと思ってたんですが・・・まだまだ、こういうケースは、出てきそうですね。漢字って奥深いや。

次は・・・ドラマなどで、独身役の人に「わたしは結婚できないのではなく、結婚しないのだ」と言わせる台詞があったりしますが・・・結婚に限らず「出来るか出来ないか」と「するかしないか」は、大いに異なることなんですよね。ただ・・医療分野とか、軍事分野とか、宇宙開発分野などの、科学的技術の発達などの話を漏れ聞く際には、いつも「出来るけれど、あえてしない」ということは、とっても難しいのだろうなと・・・そう思うのであります。特に、科学者の人とすれば、百歩譲って「すでに出来ると判明していること」をしないで我慢することは出来ても、「出来るか出来ないか分からない微妙なところ」に挑戦するのを我慢するのは、とっても難しいのだろうなと。けど・・・結局のところ、人類を滅ぼすのは、人間のそういう部分なのかもしれませんね。つまり、人類の最も素晴らしい部分が、人類の一番のウィークポイントになるんでしょうね。でも、まっ、それならそれで・・・ある意味、生き物としては本望な結末なのかもしれませんけどね。だって、どこからかやってきた宇宙人に滅ぼされるよりは、自らが突っ走るだけ突っ走った結末として、バタリと地に倒れるって方が本懐ってものでしょ(^^;。

そうそう・・・大器晩成って言葉、わたし好きなんです。っていうか、それにスガって生きているといっても過言ではないくらいです。だって、人生の「晩」も近いというのに、まだ何も「成」していませんからね、わたし(^^;。しかも、うちの子たちも、なんというか・・・ゆっくり成長するタイプのようなんです。藍那の場合は、一見、目端が利きそうなタイプに見えるんですが、実はとても不器用で、自分自身のことに関しては、ついつい遠回りしてしまう傾向がありますし、裕太にいたっては、まんま「ゆっくり成長」しています(^^;。だから・・・若い頃から道が見えていて、常に立派な成果をあげ続けていなくても、自分のリズムで生きていけば、何かしら自分らしい実りは収穫できると・・・そういう意味での、つまり大器の部分ではなく、主に晩成って方に着目して、大器晩成という言葉に望みをかけているのであります、はい。

でもね・・・実際、タレントさんなどを見ていると分かりやすいと思うんですが、早熟タイプの人と、晩成タイプの人って、たしかにいらっしゃるでしょ。人気のピークというような意味じゃないですよ、その方の魅力の部分で、早熟な方と、晩成な方、いらっしゃいますよね。つまり「若い頃はあれほどまでに素敵に輝いていらしたのに・・・」と思うタレントさんと、「年を取るごとに素敵になられる・・・お若い頃には、まさか、こんな風になられるとは思わなかった」って思うタレントさん、いらっしゃいますよね。ほんと、両者の異なりって、いったい何なんでしょうね。でも、まっ、どっちにしろ、一時でも、ものすごく輝いた時期があるって素晴らしいことだとは思いますけどね。

そうそう・・・何かで、人生が人の顔に現れるのは五十を過ぎてからって説を聞きました。生き方の差が如実に顔に現れるのは晩年になってからだから、若い頃は、見てくれで中身を判断するのは難しいものだけど、長い年月をかけて自分の顔を創り上げてきた年配の人の外見は、逆に中身を隠すことが難しいものだって。ということは、若い頃の輝き方と、年をとってからの輝き方って、基本的に質が違うのかもしれませんね。となれば・・・両方で輝ける人もいて不思議はないし・・・両方で輝けない人も出てきちゃうわけですよね。ああ~、怖い怖い・・・大器晩成という言葉に、すがってばかりもいられないのかなって、危機感、感じちゃいましたよぉ~(^^;。