前にも話したかもしれませんが、ずっとずっと前に、ビートたけしさんが「絶滅危惧種を保護する」とか「少数民族を保護する」って発想は間違っていると仰っていたと思うんですよね。ずいぶん前の事なので、今もそう思っていらっしゃるかどうか分からないし、わたしの記憶違いで、もっと別の意味のことを仰っていたかもしれませんが、わたしの記憶の中では、たかが種の一つである人類が、他の種を「保護する」という考え方が僭越だと仰っているように感じました。
当時、わたしは、その意見を聞きながら「分かるんだけどなぁ~」と思ったものでした。そういう発想をする人は嫌いじゃないし、そういう考え方も嫌いじゃないのだけど、現実問題として消えゆく種が目の前にあるとしたら、「何とかできないかな」と思うのも自然な感情だと思うし・・・と考えたのです。
けれど、今はかなり気持ちが、たけしさんの考え方に近づいてきています。絶滅危惧種を保護するということだけを取上げれば、確かに決して悪いことじゃない気がするんですが、一方で、増えすぎた種は駆除するという選択もするわけで・・・つまり、人類は自分たちが自然界をコントロールする立場にあると思っているわけで・・・それはやっぱり、すごく僭越な態度のような気がしてしまうわけです。
一番いいのは、ガラパゴスのように、いっさい手を出さず滅びるのも栄えるのも自然に任せることなのでしょうが・・・われわれが関わっている場所では、われわれの仕業で滅びざるを得ない種がたくさん出てくるわけで・・・それにノータッチというのは犯罪的だとは思うのですが・・・ふむ。
他の生き物の命を食し、他の生き物を自分たちの娯楽の為に殺し、他の生き物を自分たちの慰みものにするために繁殖させたする人間が、なんの「保護」なんだという思いも拭えないわけで・・・そうなると、保護なんて言っても「結局、偽善じゃねえかよ」とか「所詮、自己満足に過ぎないね」と呟いてしまうわけです。
地震によるパンダの脱走とか、クローン牛の安全問題とか、うちのツバメの子育てとか・・・いろんなことが頭の中を渦巻いて、答えが出ません。ペシミスティックにも、ニヒリスティックにも、マゾヒスティックにもなりたくないので、ベストでなくても冷静に必要なことを選択したいと思うのですが・・・そうとなれば、結局は「保護」ってことになるとは思うのですが・・・どうも気持ちが「僭越」に傾く今日この頃なのであります。
当時、わたしは、その意見を聞きながら「分かるんだけどなぁ~」と思ったものでした。そういう発想をする人は嫌いじゃないし、そういう考え方も嫌いじゃないのだけど、現実問題として消えゆく種が目の前にあるとしたら、「何とかできないかな」と思うのも自然な感情だと思うし・・・と考えたのです。
けれど、今はかなり気持ちが、たけしさんの考え方に近づいてきています。絶滅危惧種を保護するということだけを取上げれば、確かに決して悪いことじゃない気がするんですが、一方で、増えすぎた種は駆除するという選択もするわけで・・・つまり、人類は自分たちが自然界をコントロールする立場にあると思っているわけで・・・それはやっぱり、すごく僭越な態度のような気がしてしまうわけです。
一番いいのは、ガラパゴスのように、いっさい手を出さず滅びるのも栄えるのも自然に任せることなのでしょうが・・・われわれが関わっている場所では、われわれの仕業で滅びざるを得ない種がたくさん出てくるわけで・・・それにノータッチというのは犯罪的だとは思うのですが・・・ふむ。
他の生き物の命を食し、他の生き物を自分たちの娯楽の為に殺し、他の生き物を自分たちの慰みものにするために繁殖させたする人間が、なんの「保護」なんだという思いも拭えないわけで・・・そうなると、保護なんて言っても「結局、偽善じゃねえかよ」とか「所詮、自己満足に過ぎないね」と呟いてしまうわけです。
地震によるパンダの脱走とか、クローン牛の安全問題とか、うちのツバメの子育てとか・・・いろんなことが頭の中を渦巻いて、答えが出ません。ペシミスティックにも、ニヒリスティックにも、マゾヒスティックにもなりたくないので、ベストでなくても冷静に必要なことを選択したいと思うのですが・・・そうとなれば、結局は「保護」ってことになるとは思うのですが・・・どうも気持ちが「僭越」に傾く今日この頃なのであります。