OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

どっちが本物?

2012-03-29 09:06:44 | Weblog
たとえば仏像とか、日本の寺院とか・・・渋くてステキですよね。枯れた感じが好い。

けど、それって造られた時には、たいていキンキラだったんですよね。金箔が張られ、極彩色で色取られていた。つまり、もともとは決して渋くもなく枯れてもいなかった。ということは・・・今、わたしたちが見て、素敵だなって思っているものは、本物じゃない・・・少なくてもオリジナルじゃない・・・ってとになるのかな。

だから、仏像などがプロの修復師さんたちに復元してもらって本来の華やかさ煌びやかさを取り戻したら・・・それこそを有難く鑑賞しなくちゃいけない・・・だって、それが、よりオリジナルに近い姿なのだから・・・より本物なのだから・・・かな。

けどね・・・わたし、思うんです・・・今の本当ってあるんじゃないかって。造られた時の本当じゃなくて、時間を重ねてきた今の本当があるんじゃないかって。

だから、今という時に限定するなら、色も剥げ落ちす埃や煤が染み付いてしまった姿こそが本当なんじゃないかって。

時間や、その時間の間にあった出来事や、その時間の間に込められた様々な想いやら・・・そういうのを全部背負い込んでそにある姿こそが、今の本当なんじゃないかって。

テレビのドキュメンタリーなんかで修復作業を見るの、大好きなんです。スゴイなぁ~って素直に感動するし・・・絵画なんかが本来の姿を取り戻して明るく鮮明になったりすると、その技術に感謝したいと思うし・・・決して、修復を否定するつもりはないんですが・・・

なんていうんだろう・・・時間が与えるもの、もたらすものって・・・それもまた凄いなって思うし・・・蔑ろにはできないなって、そう思うのでした。


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蕾を咲かせる力

2012-03-28 16:48:29 | Weblog
蕾が開いて花が咲くって
しごく当たりまえのことのように思いますが
切花の場合
咲かずにダメになってしまう蕾も少なくないですよね。

けど、大地に根をはる植物の蕾で
途中でダメになってしまったものって、あまり見かけない。

きっと、それだけ大地の力が強いってことなんでしょうね。

なら・・・人の命の蕾を咲かせる大地って何なんでしょう・・・ね。



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体の傷、心の傷

2012-03-26 14:12:18 | Weblog
体の傷を治すには、やっぱり西洋医学がいいですよね。縫って(最近はテープで貼るみたいなのもあるとか)、化膿止めとか痛み止めとか抗生物質飲んで・・・よくは知らないけど・・・きっとそうですよね。

けど、心の傷を治すには、動物に習うのが一番かなって・・・思うんですよ。

小学生の頃の愛読書だった椋鳩十さんの動物を主人公にした物語・・・傷ついた動物が、人目につかない場所を選んで体を横たえ、ただただただただじっとしている。彼(あるいは彼女)の体力が傷に勝れば、いつか彼(もしくは彼女)は再び立ち上がり、もし傷の痛手が深ければそのまま目覚めることはない。

子ども心に、なんだかすごく印象的でした・・・。

で、今、思うんです・・・今のわたしは、人目につかないところに体を横たえ、ただひたすらじっとしている時なんじゃないかと・・・

なら、こういうこと(書くこと)も止めるべきなのかもしれませんが・・・ふむ・・・どうなのかな(^^;。

もう一つ、思い出すことがあります。以前にもお話したことがあるかもしれませんが・・・引きこもりになりがちだった友人に、お父さんが仰ったという言葉です。

誰にでもそんな時はある・・・そういう時は、体を丸めてじっと待てばいい・・・そうしたら、頭の上を通り過ぎていく・・・通り過ぎてしまったら、また立ち上がって、動き出せばいい・・・無理に頑張ろうとしなくてもいいんだぞ

心の膝を抱え、心の体を丸め、ただじっと横たわり、自分の心が再び力を取り戻すのを待つ・・・わたしがもう一度生きることができるかどうかは、自身の心の地力次第・・・ということなんじゃないかと思います・・・。


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被害者でいることの傲慢

2012-03-23 17:29:16 | Weblog
さっき、自宅の固定電話が鳴った。また、それで呼吸が苦しくなった。

親しい人が、固定電話に電話をかけてくることはない。みんな、携帯電話を使用する。だから、固定電話にかかってくる電話というのは、たいがいが勧誘の電話だった、今までは。いや、今も、もちろんそうではある。ただ・・・あの日の電話・・・あれ以来、固定電話が鳴ると・・・だから、電話には出たくない・・・けれど、万が一、裕太に何かあったのだとしたら・・・そんな知らせ、聞きたくはないけれど・・・決して聞き逃すこともできないから・・・毎回、大きな息を吸って電話に出る。そして、第一声から相手の様子を伺う・・・その声が、何も悪いことを言い出しませんようにと祈る思いで・・・

で・・・さっきの電話は、福井の地方検察庁の方からだった。もちろん、藍那の事故に関してのことだった。事故現場は福井だから福井の検察の管轄だけど、関係者の多くが京都在住なので京都の地方検察庁に書類を回しますとの報告と、裁判の結果が出たら知らせて欲しいですかという問い合わせだった・・・ふむ。

そういえば、先日は、運転していた青年のお父さんからお電話があった。彼が大学を卒業したことの報告と、週末には一緒にお参りしたいとの申し出だった。ものすごく言葉を選びながら、お話されていた。本来なら、嬉しいはずの息子の大学卒業・・・でも、だからこそ、それをわたしたちに話すことのつらさ・・・その痛みは、わたしたちにも分かってはあげられないものなんだろうと思う。

わたしたちは被害者の立場にいる。被害者というくらいだから、害をこうむったわけで・・・当然、つらい、悲しい、悔しい、虚しい、切ない、そんな感情が心に渦巻いている。けれど、わたしたちは、ただただその感情に身を任せることができる。

でも、加害者の立場になってしまったら・・・つらくても悲しくても、それを表に出すことは許されない。表どころか、自分自身が自分自身に、それを感じることを許せないだろう。その苦しみ・・・決して、他者には理解できないことなのだろう。

そのことを思うと、ただただ悲しんでいるだけの自分の身勝手を感じる・・・自分の気持ちだけに精一杯な我がままさを感じる・・・自分を哀れんでいる愚かさを感じる。

交通事故は、普通の善良な人を殺人者にしてしまう。ちょっとした不注意、ちょっとした油断、ちょっとした巡り会わせの悪さで、多くの人を絶望の淵に叩き込んでしまう。

この事故で、どれだけの人が癒えない傷を負ったろう。それは被害者側のいても、加害者側にいても、同じなのだと思う。当人や家族だけじゃなく、双方の周りの人たちの多くが、とても傷ついている。

いや、交通事故に限定しなくても・・・いろんな事故事件・・・世の中には、悲しい出来事が毎日たくさんたくさん起きていて・・・そこには、ほんとうに沢山の人の涙が流されているんだと思う。

そんなことに、ほんの少しでも思いを致すことができていなかった今までの自分の愚かさに絶望する。


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この本の中のわたし・・・いったい、何処に行った?

2012-03-20 07:36:07 | Weblog
少し前だけれど、『珈琲屋日記』の書店出版版を、とある方に貰ってもらった。このオンライン日記の最初の九ヶ月部分(1999年の1月から9月)を中心に掲載した書籍(一応)。

でも、渡したはものの、もう十数年も前に書いたものだし・・・自分でも、何を書いていたか覚えてないので、なんか不安というか気恥ずかしい気分になって、確認の意味で読み返してみた。

と・・・そこにいたわたしは、驚くほど元気で前向きな女性だったね。チャレンジャーだった。いろいろ迷ってるみたいだし、焦ってるみたいだし・・・そう、特に焦りは半端じゃないみたいで、ちょっと可愛そうなくらいではあるんだけど・・・なんか羨ましかった。ちょっと十数年前の自分に嫉妬した。

あれから、大切なものをいくつも失くした・・・で、その度に、わたし自身の一部も無くなっていった気がする・・・今のわたしは、もうこの本の中にいるわたしではない。無くなったわたし・・・いったい、どこにいったんだろう。



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心の圏外に位置づけた人と接するのはウットオシクテメンドクサイ

2012-03-16 07:11:31 | Weblog
どんな仕事にでもあることだと思うけれど
意思に反して遜らなければならない時や
自分に落ち度がなくても頭を下げなければならない時がある。

そのことを屈辱と感じて怒りを抱く人もいるだろうけど
わたしは心根が邪悪で冷たいので
あまりそういうことをストレスにしない方だと思う。

ただ、そういう機会が頻繁にあるとゲンナリはする。
何より、そうしなければならない相手と接することがウットオシクテメンドクサイ。

だから、その反対の感情を抱かせてくれる人たちの存在がなければ
わたしは簡単にそういう機会を与える仕事から離脱してしまう・・・だろうね(^^;。


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そこには何かがある

2012-03-14 13:35:27 | Weblog
少し体調を崩してました。
でも、まあ、なんとか復活しました(^^)。
その間、わがまま王子さまのてんちゃんが
とってもイイ子にしてくれて
わたしの側にずっと居てくれたことに感動してます。
藍那が「てんはアホだけどバカじゃない」と力説していたのが理解できました(^^;。

ところで
何かをキッチリした容器に詰めるとき
サイズは間違ってないのに
なかなか入らなくて困ることありませんか。
つまり、空気が邪魔して押し込めない・・・ってこと。

そこに何もないように見えても
何かがある・・・空気でなくても、そういうこと、ありますよね。

今日は、確定申告をして
その後、裕太に田んぼを耕してもらいました。
三月・・・って感じです・・・


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脱力のイメトレ

2012-03-06 22:43:12 | Weblog
学生の頃、全身の力を抜くレッスンをしたことがありましたが・・・出来ているつもりでも、どこかに力が入っているものらしく・・・よくは分からないのですが、ちゃんと脱力するのは、なかなか難しいもののようです・・・

ところで・・・ふと気が付くと、歯を食いしばっていることに気づくことがあります。頭痛のときなんかに、よくあります。痛いから、食いしばってるのでしょうけど、それで痛みがマシになるかというと決してそうではなく・・・むしろ、逆効果なんじゃないかと思います。

痛いときこそ、辛いときこそ、力を抜くことができるといいんだろうと思います。なかなか出来ないですけどね・・・

写真は、先日の雪のときのです。きっと、今季最後の雪だったんじゃないかな。



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少しずつ知っていく・・・

2012-03-01 19:20:54 | Weblog
関西人ですが、大阪の道のこと、あまり知りません。田舎者なので、片道何車線もあるような道は苦手なのです。しかも都会は交通の便がいいですから、わざわざ車で走ろうなんて思わなかったのです。

けれど、仕事で仕方なく、大阪の街も車で走るようになりました。けど、最初は、できるだけ高速道路を使うようにして、街中を走るのは極力避けていました。最寄の高速のインターから目的地まで、それくらいなら何とかなるだろうと。

でも、それでは交通費が嵩みすぎるということで、街中の道を走ることにも挑戦し始めました。それでも、遠回りになっても知っている道を基点にして走ってました。知っているということは、ほんとうに安心なことなのです、ええ。知っている道で間に合わなければ、とにかく地図を見て太い道、幹線道路を使うようにしました。大きいとか有名とか、そういうことも安心につながるんです、ええ。

けど、そうしているうちに、少しずつ無駄をはぶこうと思うようになり、もっと街や道を知ろうという気持ちになってきます。ちょうど、大阪の道にかんしては、その段階に来ていて・・・自分でも、なかなか頑張ってるなと思います(^^;。

きっと、道だけじゃないんでしょうね。何が対象であっても、知るって、そんな風に深まっていくんでしょうね。っていうか・・・そういう、ゆっくりと段階をおってが好いんでしょうね。なんとなく、そんな風に思ったのでした。


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