OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

音と臭い

2023-03-27 08:35:13 | Weblog
母の介護をする生活も、そこそこ年季が入ってきましたが・・・それで蘇った記憶というか・・・あらためて、そうだねぇ~と思ったことがあります。ニャンコたちとの生活でも、なんとなく思い出していたことなんだすが・・・

子育てでも、高齢者介護でも、同居する生き物のお世話でも、"音"と"臭い"って、すごく大切なんですよね。

目からの情報って、たぶん一番重要視されると思うんですが、家の中で異変に気付くのって、まずは臭い、音、なんですよ。臭いは、とにかくウンチやオシッコですね。それから嘔吐。人間だと、ウンチもオシッコもオムツの中ですから、パッと見ても分からない。でも臭いで分かりますよね。動物たちの嘔吐なんかは、見えない場所でしていることが多いので、それもまた臭いで気づいて、探し回って処理するわけです。長期的には、体調の変化なんかも、見た目の様子ではなく、体臭や口臭で気づくこともあります。臭いの情報って、ほんとうに大切なんですよ。

それから音。お世話する相手と、四六時中一緒にいるわけじゃなくて、別の部屋で用事をしていることはよくあります。そんな時は、とにかく音です。分かりやすく泣いてるとか呼んでるとかじゃなくても、コケた音、何かが壊れる音、ごそごそ動き回る音・・・作業をしていても、ん?と思ったら、すぐに作業の手を止め耳を澄ませます。慣れてくると、かすかに聞こえる音で、緊急性の有無も判断できるようになります(^^;。

ずいぶん前ですが、息子に「お母さんは、ぐっすり寝ているように見えるときでも、声を掛けたらパッと反応するんだなぁ~、びっくりするときあるわ」と言われたことがあります。今ではもう、残念ながら、そんなことはなくなったと思いますが、子育てをしているお母さんたちは、たいていそうじゃないかと思います。寝ているときだって、子供のことは心配ですから、わずかな異変も察知して反応しなきゃと気を張っているんですよね。

五感を研ぎ澄ませる・・・サバイバルな生活をしているものには必須のことだと思いますが・・・自分以外の何ものかに責任を持つ生活をする者にとっても、五感の助けは必須なんですね。"なにかいつもと違う"と、いろんな感覚でもって感じ取る必要があります。

ああ・・・それで、ふと思ったんですが・・・わたしたちの差別意識、わたしは個人的に、とっても嫌だと思うんですが・・・"違う"ということに対する警戒や拒否・・・これは、生き物としては必要なことなんでしょうね。それが高じて、"違う"だけで嫌悪したり排除しようとすることになるのかな・・・なんて、話が飛躍しすぎましたね(^^;。


もはや求道者ではなくなった、わたし・・・

2023-03-25 14:45:00 | Weblog
若いころと変わらず、しょうもないことを「不思議だなぁ~」と思う自分を感じます。でも・・・もはや、求道者ではなくなったなとも感じています・・・

求道者なんていうと、ちょっとカッコ良すぎますね(^^;。ただね、一応は、問いを得て答えを求める気持ちはあったのですよ、かつてはね、ほんとにね。その問いは、いつも言っているように"How"ではなくて"Why"タイプだから、科学者ではなく哲学者とか宗教家とか、そっちの道をあるくに適した人間なんだろうなと解釈して、大学では組織神学を専攻したわけです。

でも学生ではなくなり、時同じくして親になり・・・生活の中で、日々沸き起こる些末な、けれどそれを解決しないでは暮らしていけない、さまざまな問題と向き合っているうち・・・「不思議だなぁ」は、ちょっと横に置いておくようになりましたよね。自分にとって、それは決して無視できないものだけど、まずは集団での自分の役割を果たさなきゃ、大切な者たちを守れませんからね。

で、子供たちが大きくなり、親の手を離れたころ・・・わたしは、私個人の核たる「不思議だなぁ」メインの暮らしに戻る転機を迎えていたのだろうと思いますが・・・ちょうどそのころに、数少ない自分よりも大切な者を失って・・・なんだろう・・・私が最も答えを知りたい「不思議だなぁ」の答えは、決して得られないと・・・なんだろう・・・知性とか理性とか、そういうものじゃなく・・・本能的に知ったんですよね・・・その答えはあるのかもしれない・・・あるのかもしれないけど、それには決してたどり着けない・・・たどり着いたと思ったら、それはきっと自分が最悪の精神状態にあるという証拠になるだろう・・・なんの証拠もないけど、これだけは確かなことだと感じたんですよね・・・たぶん・・・

それでも、わたしは、やっぱり、日々に「不思議だなぁ」って思っています。色んなことが不思議でたまりません。ただ、もう、答えを求めなくなりました。「わからないなぁ~、わたしってバカだなぁ~」って、笑ってすませてます(^^;。

ほんとは、多くのことが、頑張って調べたり学んだりすれば分かることなので、「それはちゃんと調べろよ、怠け者め」と思うんですが、調べて分かること、頭が良ければ分かることというのは、いわゆる"How"の事柄なので・・・あはは(^^;。わたしにとって肝心な"Why"の「不思議だなぁ」に関しては、これからもいっぱい感じるだろうし、感じることをことさら止めようとするきもないけど・・・答えを得ようとするのはやめようと思っています・・・

不思議だなぁ~って、空を見上げて微笑みながらため息をつく・・・それを日々にいくつも繰り返す・・・ただそれだけの人生を全うするしかないのだろうと思う今日この頃です・・・(^^)。

鳥さんたちって何を感じているのかな

2023-03-23 15:06:00 | Weblog
ニャンコのことを書いたので、もう一つ、ニャンコを見ていて思ったことを・・・厳密にいうと、庭にやってくる野鳥たちを見ていて思ったことから、ニャンコにも当てはめて・・・なんですけど(^^;。

うちの居間は、窓が通常のものより大きめで、庭にやってくる鳥たちの様子が、とてもよく見えるんです。一番よく見るのは、やっぱり小雀たちですが、ほんと多種多様な鳥、六甲国立公園(正確には瀬戸内海国立公園六甲地区というの?)の誇る野鳥たちが遊びに来ます。

で、彼らを見ていて・・・鳥類の感情って、どれくらいなのかなぁ~ってという疑問が、ふと沸き起こってきたんですよね。餌を啄んで、おいしいなぁ~とか、今日のご飯はおいしくて嬉しいなぁ~、今日はあまり好いのがなくて悲しいなとか思うのかなと。自分より大きな鳥がやってきたら怖いなぁ~とか、邪魔だなぁ~とか思うのかなと。雨が降ったら、うっとおしいなぁ~、ああ~寒いなぁ~とか思うのかなと。

椋鳩十さんの生き物を題材にしたお話の大ファンですから、鳥たちも人間並みにいろんなことを感じて考えてるって思っちゃうんですが・・・たぶん、本当はそんなことないですよね。

なんとなくですが、快感的なプラスの感情のようなものはあるかも・・・って、本気で思ってます。おいしいなぁ~とか、お天気がよくてぽかぽか気持ちいいなぁ~的なこと。危険を察知して逃げるときなんかも、何か感じてそうですが、怖いとか嫌だという感情で行動しているというよりは、反射的に動いているだけのように見えるんですよね・・・でも、餌を啄んでいるときは、なんか楽しそうに見えるんですもん・・・

で、鳥類より感情が豊かそうなニャンコはどうだろうなと。ニャンコたちが、かなり複雑な感情をもっているのは、一緒に暮らしていて見て取れます。その感情は、どれほど人間に近いのだろうか・・・

喜怒哀楽、どれもちゃんと感じていそうですが・・・なんていうか・・・根に持つ的なことや、たくらむ的なこと・・・感情がもとになる長期計画的に事はなさそうだなと思うんですよね。保護猫とか、保護犬たち・・・長期間、人間などに酷い目にあわされた子たちは、その体験がもとで心を開けなくなったり、恐怖に縛られてしまったりするみたいなので、ニャンコは過去を引きずらないとは言いませんが・・・今を尽くせば、彼らは過去を水に流してくれる・・・人間のような恩讐の感情には縛られないように思えるんですよね。

そう思うと・・・人間って生き物は、過去とか未来に、めちゃくちゃ縛られる生き物だなって思えてきました。だから、まるっと幸せになるのが難しいのかな・・・なあんてね。

その才能、もったいなくない?

2023-03-23 07:18:06 | Weblog
これは、我が家のニャンコ、うみ姫を見ていて思うこと・・・

我が家には、今、てん兄貴と、まろママ、おとんぼさんのはる坊(女の子)、そして超絶美人のうみ姫が暮らしているのだけれど・・・うみちゃんは、とにかく、凄い子なのだ、ほんといろいろと凄い子なのだ。

まずは容姿。顔だちも上品で美しいけど、手足が長くてスタイルも抜群。モデル猫やタレント猫になったら引っ張りだこ間違いなしの麗しいお姿をしている。

それから身体能力。これがまた凄い。何かに飛び乗るとき、おっこいしょ感は微塵もない・・・まあ、猫だからそれくらいは当然と思われるかもしれないけど、飛んでる途中の姿がストップモーションかと思うほど、力が入ってなくて・・・これはもう、見てもらえば分かってもらえると思うのだけど、とにかく華麗だしスゴイのだ。一度、姿が見えなくて探していたら、天井近くの足場など何もない壁のところにいたのだけど、忍者かと思ったもん(^^;。その能力を活かせば、出会った猫たちをすべて屈服させて君臨することだって、世界を股にかけて自由に旅する猫になることだって、可能だろうなと思う。

けど・・・彼女には、その気が全くない・・・モデル猫になる気も、猫界の覇者になる気も、世界を旅する猫になる気もない・・・というか、そういうことはむしろ嫌い・・・いや、はっきり言って、彼女には無理!なのだ・・・うん。

というのも、彼女は尋常じゃない怖がり・・・てん兄ちゃん以外の生き物すべてが怖くて怖くて、出会うとパニックになってしまうのだ。今でこそ、わたしには甘えてくれるようになったけど、触らせてもらえるようになるのに何年かかっただろう。優しく話しかけ続け、何年もお世話させてもらい、やっと触らせてもらえるようになった・・・それくらい彼女は怖がりさんの臆病さんなのだ・・・

だから、もったいない・・・と思う。その容姿、その身体能力、なぜ活かさないのか・・・もったいない・・・

もし彼女が人間だったら・・・きっと、周りがほっておかないだろう。親が、教師が、周りの色んな人たちが、彼女の天賦の才を活かそうと苦心してくれるだろう。本人が嫌がっても、無理やりにでも・・・そうしたら、最初は嫌でも、しばらくはツラくても、一皮むけるというか、殻を破るというか・・・きっと、周りのみんなが望む才能の開花が訪れるのだと思う・・・そして、本人も良かったと思えるようになるのだと思う・・・

けど、我が家のうみちゃんを見ていて・・・人間の中にも、そっとしておいてあげた方がいい子もいるのかもな・・・とは思う。

自分にはない才能・・・自分が望んでも手に入れられない羨ましい才能、それを自分の身近な子に見出したら・・・そりゃあ、それを引き出してあげたくなるよね、伸ばしてあげたくなるよね・・・それこそが本人のため、周りの大人がしてあげなきゃいけないことだと思うよね・・・タラントは、ギフトは、本人だけのものではなく、世のために役立てる責任を負うという考えもあるしね・・・

けど・・・なんていうか・・・精神的な才能っていうのも重要だよね。精神力というか・・・技術面の才能だけじゃなく、〇〇力なんて言い方をされる色んな心の持ち方の才能ってのも・・・そうそう、政治家なんて言うのは、そういう方面の才能が一番大切だとか言うじゃないですか・・・たぶん、経営者なんかもそうなんじゃないかな・・・うん。

だから・・・何が言いたいかというと・・・人は、自分にはないスゴイ才能に出会うと興奮しちゃうけど・・・その人の精神的な部分もよく見てあげないと、その人を苦しめちゃうことにもなるかも・・・ってことかな。その才能を活かさないなんてもったいない、いらないなら私にくれよっ!!って思う気持ちは痛いほどわかるけど・・・無駄になったとしても、その人の心が守られるなら、それでいいじゃないかと・・・その人の心の方が、ずっとずっと大切だよと・・・そんな風にも思えるのでありました・・・・


時間の力

2023-03-15 07:40:05 | Weblog
ミシェル姐さんが、米アカデミー賞を受賞されましたね。ああ~っ!!目出度い。こんなにドキドキしながら、アカデミー賞の受賞者発表を気にしたことなかったです。なんていうか~・・・芥川賞ほどじゃないけど(^^;、わりと米アカデミー賞との感性が合わないので、それほど注目してこなかったんですよね、今まで。にもかかわらず、贔屓の役者さんが受賞するかもしれないとなると、恥ずかしげもなくあからさまに気にしちゃう・・・愚かです、恥ずかしです・・・でも、それでもミシェル姐さんの受賞は嬉しいです。姐さんの嬉しそうな様子が、何よりうれしいです!!姐さん、おめでとう!!

それで思い出しました。最近の、わたしの恥ずかしい性根が露呈した出来事を(^^;。少し前に、JAXAが、新たな宇宙飛行士候補として選んだお二人のうちのお一人、米田あゆさんの経歴を聞いて・・・母校の後輩だと知り、なんだか自分まで誇らしい気持ちになったんですよね。あっ、東大医学部じゃないですよ(^^;。母校の出身者なんか、いったい何人いるんだって話ですよ。その中から凄いことをなす人が現れても、それは本人(&彼女に影響を与えた人たち)だけの功績であって、同じ学校の出身者だってだけの人間には何の関係もないじゃないですか。それが分かっていても、なんか自分まで偉くなった気になっちゃう。夫や子供たちが出世したら、自分まで偉くなった気になる奥さんの事、笑えないですね。だって、その方がよほど、偉くなった気になる資格、ありますもんね(^^;。ちなみに・・・まだ言うかなんですが・・・米田さんが大学卒業後、お医者さんとして勤務しながら学んだという京都芸術大学は、娘が大学卒業後、アートを学びなおしたいと入学した大学・・・何かと縁があるじゃんと、またよけいに偉くなった気分になる、愚かの極みのワタクシなのでした(^^;。とにかく、米田さん、月に行けるといいですね・・・全く関係ない人間ですが、応援しています(^^)。

で、今日の本題です。めちゃ短いです(^^;。

以前・・・高校の数学が難しすぎて完全に落ちこぼれた(米田さんと同窓だと自慢しちゃいけませんね(^^;)のに、大学卒業後、高校の問題集を解いてみたら、わりと簡単に解けてしまってビックリしたという話をしたことがあると思います。あらためて学びなおしたわけでもないのに、ただ時間が過ぎただけで、数学の問題が解けるようになるものなのか・・・むしろ、出来ていたことも忘れてしまうものなんじゃないか・・・自分でも不思議だったのですが・・・これ、本当のことなんですよ。で、その時にも"時間って何か不思議な力があるんじゃないか"って思ったんですよね。蒔かれた種が時を待っている感じとでもいいましょうか・・・

でね、最近、ものすごく些細なことで、何度も何度も同じようなことを感じるんですよね。あまりに些細で、具体例を挙げろと言われてもうまく説明できないんですが・・・とにかく、日常の中で、ちょっとした困りごとがあったとして・・・わたしは、即解決派なもので、適当にその場で思いついた対策をすぐに実行しがちなんですが・・・そういう付焼刃的な発想や対応は、たいていが不十分であったり的外れだったりするんですよね。でも、数日たつと「あっ!」って、いい感じの改善策を思いつく。決して、その数日、そのことを考えているわけじゃないのに、むしろすっかり忘れているのに、時間がたてば自然により良い発想が浮かんでくる・・・時間って必要だな、大切なんだなぁ~って実感しています。

ちなみに、最初の思い付きの対応策に沿って、Amazonで道具とか素材とかを即注文した場合、たいていミスります。ん?買い物は、欲しいものが見つかってもすぐには買わず、翌日まで待って、それでも欲しいと思ったら買いなさいというのと同じ?いやと、それとはちょっと違うんですけどね(^^;。

当たり前のことで仕方がないことではあるけれど・・・

2023-03-10 15:51:08 | Weblog
母の状態が、緩やかに緩やかに変化していく。当然のことながら、良くはならない。ちょっとずつちょっとずつ、悪化していくのだが・・・それでもカクンと変化が目に見えて分かるポイントのようなところがあり・・・一昨日あたりから、新たなカクンが訪れた。

認知能力とともに身体能力も衰えていくのだが、トイレに行ったり、お風呂に入ったりは出来ていた。もちろん上手くできないときもあるし、お風呂でも自分で体を洗ったりは出来ないが、トイレやお風呂に自分で歩いて行けるというのは、介護する側にとっては、ものすごくありがたい。それが、ついに出来なくなったのだ。昨日から、排せつの失敗で汚れたパジャマを何回も洗い、お布団を干し・・・いよいよ体力勝負の段階に突入したなぁ~と思っている。

けれど・・・意外に、それはそんなにキツクナイのだ。もちろん体はキツイ。でも、心は意外にキツクナイのだ。

以前から、排せつの失敗で汚した下着の処理とか、うまく扱えなくて壊したものの処分とか、そういうことにストレスを感じることはなかった。「年なんだから」「そういう病気なんだから」当たり前のことで仕方がないと思えた。じゃあ、何がストレスかというと、圧倒的に"会話"なのだ。意味不明の問いかけ、何と答えても納得しない堂々巡りの愚痴、果ては「自分は役立たずだ」だの「死にたい」だの「誰もが私を嫌っている」だの「天涯孤独な私はなんて不幸なんだろう」だの・・・答えるのが面倒になり黙っていると、さらにエスカレートするからどうしようもない・・・

けれど思うのだ・・・これもまた"「年なんだから」「そういう病気なんだから」当たり前のことで仕方がないこと"なんじゃないのか。同じ"「年なんだから」「そういう病気なんだから」当たり前のことで仕方がない"ことなのに、なぜ身体的なことは受け入れられても、精神的なことは受け入れがたいのだろう・・・

きっと・・・わたしが精神的なことをより重要視しているからかな・・・体の機能が衰えて、たとえ寝たきりになったとしても、母は母のままなんだけど・・・意味不明のことを繰り返し、会話がなりたたない状態の母は、母だとは思いたくない存在なのかもしれない・・・

寝たきりにどんどん近づいていき、身体的な介護の負担がどんどん増えていきそうだけれど・・・その分、聞く者がしんどくなるようなこと、悲しくなるようなことは言わなくなってきている。それすら言えなくなっているということなのだけど・・・正直、ありがたい。ここ数日、体力的には大変なんだけど、意外に心が軽くなっている自分を、不思議な気持ちで見ている私がいる・・・