OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

時の流れに身を任せ(^^;

2018-05-19 19:13:25 | Weblog
Y!mobileからお知らせが届いた、2020年にPHSのサービスを終了するらしい・・・ほぉ。

Y!mobileといわれても未だに慣れないのだけど、ウィルコムとの合併で、Y!mobileがPHSサービスを引き継いでくれていたので、もうそこそこのお付き合いになるのだけどね(^^;。

最初はパケット通信サービス「AirH"」の利用からはじまったんだったなぁ~。ああ~、懐かしい・・・パソコン通信にどっぷりつかっていた頃でありますね(^^;。そのころの社名はDDIポケットだったかな。それから、スマートフォンのアドエスに変更して・・・インターネットも使えるぞって興奮したけど、これはけっこう使い勝手が悪かったか、よく壊れたし(^^;。その後、時代に逆行するようにPHSに機種変して、もっぱら音声だけを使う仕事の連絡用として今まで使ってきたわけであります。

プライベートには、最初に持った携帯電話であるDOCOMOを今も使っていて、家族や友達、古い仕事仲間はこっちに掛けてくるけど、ある時期以降から仕事で知り合った人には、もっぱらPHSで連絡を取っている。フリーでライティングの仕事とか始めちゃったら、もうめったやたらに名刺をバラまくことになってしまったので、そこに記載する専用の連絡先が必要だったんだよね。で・・・この仕事を辞める時にPHSも捨てると決めていた。

そういう意味では・・・そろそろ解約してもいいんだけどね。仕事は大幅に整理して、今もお付き合いいただいているところはごく僅かなので、そこにDOCOMOの携帯番号をお知らせすれば、PHSは解約しちゃっても問題ないと思うのだけど・・・っていうか、2020年には、そのお知らせの必要もなくなってるかもしれないし(^^;。

とは思いつつ、PHSからの機種変の方は、通話料をずっと無料にしますっていうキャンペーンをやっているっていうから・・・維持費も安いし、もう少しお付き合い願おうかなと思っているところであります。

それにしても・・・初めて携帯電話を持ってから、いろんなタイプの通信機器?末端機器?を利用してきたなぁ~と感慨深いであります。時代は変化するね・・・こんなところでもあらためて実感いたしますです。

ちなみに、デザイン的に一番好きだったのは、nokiaのVodafone。今でも、あれを越えるデザインのはないなぁ~(^^)。

とにかく・・・変化が速いです・・・付いていけないです・・・変化にのるというよりは、ただ流されています。それでもなんとか溺れないでいるんだろうか・・・もしかしたら、自分では気づいてないけど、すでに溺れちゃってるのかもね(^^;。

守りたいなら見る、とにかくよく見る

2018-05-11 07:27:52 | Weblog
はる坊が好酸球性プラークという病気を発症した。命に別状があることはないけれど、獣医さんによると完治する病気ではないので、これからずっと付き合っていかなければならないとのことだった。

気づいたのは、彼女のグルーミングの激しさからだった。体の舐め方も激しいけれど、とにかく噛み方が異常だった。後ろ足などだと、噛んで引っ張って皮がテントみたいになっていた。ノミかしらダニかしら・・・だとしたら厄介だな・・・でも他の子は平気なんだけどな・・・そう思いながらも放置していたら、下半身にあちこちお禿げが出来はじめ、抱いてなでると瘡蓋みたいなものが指に触れた。それで病院に行った。すると、好酸球性プラークと診断された。その日はアレルゲンとして最もメジャーなノミを駆除する薬を付け、処方された抗生物質とステロイドを一週間毎日飲ませた。すると痒がることはなくなり、瘡蓋みたいなものも大方消えていた。抗生物質をやめ、ステロイドだけを一日おきに飲ませることさらに一週間。多少ブツブツは残っているものの、投薬のストレスを考えると、薬は一度中止し、様子を見守ることになった。

この病気のアレルゲンの特定は難しく、個体によって症状も多様で、今後どうするべきかは、はる坊の様子を見守りながら、彼女の状態に合わせて判断していく必要があるそうだ。ごく希だけれど、完治したみたいに症状が出ない子もいるが、たいていの子は薬を止めると、やがて再発するそうだ。その時期が一年後になるのか、やめてすぐに出てしまうのかは分からないそうだ。「わたしはどうすればいいですか」と獣医さんに聞くと、「とにかくよく見ていてあげてください。そして症状が出たらすぐに連れてきてください。酷くなる前なら、抗生物質の投与はしないでステロイドだけですみますから」とのことだった。ふむ・・・

話は変わるが、今朝、庭を歩いていたら、バラに青虫が付いていた・・・あらまぁ~。慌てて退去いただいた(^^;。このバラは、スーパーでふと目についた数百円の株を衝動買いし、しばらく室内で愛で、花の時期が終わってから地植えしたものだ。植えたものの、まったく期待していなかったのだけど、それが見事に根付いて大きく育ち、花をいっぱい咲かせ、長く楽しませてくれている。けれど、昨年から病気なのか虫が付いたのか、葉っぱも花も縮れたり色が茶色くなったり・・・一応、病気にも虫にも効果があるという食物由来の薬は散布しているのだけど・・・これもまたなかなか完治しないで悩ましいと思っていたところだが・・・あんなに大きな青虫が付いているのを見つけたのは初めてだった。いままでにも青虫さんたちは居たのかな・・・それに気づけなかっただけなのかな。

植物も、元気に育って欲しいと思うなら、とにかく毎日よく見るしかないと思う。しかも、注意深く見る。気にかけてみる。ぼんやり眺めていてもダメなのだ・・・うん。

裕太がまだ小さかった頃、子ども博物館で沢山の川魚を飼育していた。父と夫と裕太が近所の川で捕まえた魚たちだったが・・・彼らの健康管理は、もっぱら魚博士の夫が担当していた。とはいえ、夫は早朝から深夜まで仕事で家にはいないわけだから、彼の指示をうけた助手たるわたしが雑用を任されているわけだけど、いつも厳しく言われていたのが「見ること」だった。でも、夫の何倍もの時間、一生懸命眺めているにも拘わらず、夫が一瞬で見抜く魚たちの病気を見つけられず「ちゃんと見る」と注意されたものだった。

もちろん、人間が相手でも、相手のことを知りたい、相手のことを守りたいと思うなら、相手を見るということが一番だ。ストーカーのように見ていては気持ち悪るがられるだろうが、相手の変化に気づくということが何より大切なのは、いわずもがななことだと思う。

わたしは決して立派な母親ではなかったけれど・・・子どもたちがまた幼い頃、一つだけ心がけていたことがある。彼らが一心不乱に遊んでいたとしても、振り向いてこちらを見たとき、必ず目を合わせて笑いかけられるよう努力すること。ずっと一緒に居られるわけではないけれど、せめて一緒に居る時には「お母さんは見てるよ。いっつも見てるよ」と感じて欲しかったのだ。

とにかく・・・はる坊の病気、バラの虫で、あらためて『大切なものから目を離しちゃだめだよ』って思ったのでありました。