もうすぐ2009年が終わります。わたしにとっては過渡期だった2009年。とはいっても、未だ渡るべき川は渡りきっていませんから、来年も過渡期は続きます。焦っては駄目だと分かってはいても、なんとか早く対岸に辿り着きたいと思わずにいられない弱い心を抱いたままの年越しになってしまいました。
ところで・・・母の畑仕事を見ていて思うことがあります。畑で作った野菜を農協の直売所で毎日販売することに大きな生きがいを感じているなって。
たぶん、いくら儲かるかなんてことは関係なく、畑仕事というものには魅力があるのだと思います。というより、儲けなければならないと思わなければ、畑仕事は大層楽しいものなのだと思います。決して楽な作業ではありませんが、それも含めて自然の中で命を育てる仕事は楽しいものなのだと思います。
けれど、それを売るというところにも、儲けるということ以外の喜びがあるのだろうと、そう感じるのです。それは、自分の作ったものを誰かに手渡す喜びです。そう・・・売るということには、お金を得るということとは別に、自分の作ったものを誰かに受け取ってもらうという喜びがあるのです。
お金というものが考え出されて、物々交換より複雑な物の取引が可能になり、世の中がとても便利になりました。けれどその分、売買の形態が複雑になり、自分の作ったものを、それを使う人に直接渡す機会は激減しました。
けれど・・・本来の物づくりの喜びというのは、作るということ自体の喜びの他に、それを使用あるいは消費する人に手渡す喜びまで含まれていたのだと思います。それを、母の姿から思い出すことが出来ました。
便利というのは、とても恐ろしいことです。とっても有り難いものであるのですが、とても困ったものでもあるのです。消費する人の顔を見ずに、使用する人の気持ちも知らずに、モノづくりをすることの気持ち悪さを、わたしたちはもっと自覚するべきだと、そう感じた年末なのでした、はい。
それでは、みなさま、よいお年を。来年も、どうぞよろしくお願いいたします。
ところで・・・母の畑仕事を見ていて思うことがあります。畑で作った野菜を農協の直売所で毎日販売することに大きな生きがいを感じているなって。
たぶん、いくら儲かるかなんてことは関係なく、畑仕事というものには魅力があるのだと思います。というより、儲けなければならないと思わなければ、畑仕事は大層楽しいものなのだと思います。決して楽な作業ではありませんが、それも含めて自然の中で命を育てる仕事は楽しいものなのだと思います。
けれど、それを売るというところにも、儲けるということ以外の喜びがあるのだろうと、そう感じるのです。それは、自分の作ったものを誰かに手渡す喜びです。そう・・・売るということには、お金を得るということとは別に、自分の作ったものを誰かに受け取ってもらうという喜びがあるのです。
お金というものが考え出されて、物々交換より複雑な物の取引が可能になり、世の中がとても便利になりました。けれどその分、売買の形態が複雑になり、自分の作ったものを、それを使う人に直接渡す機会は激減しました。
けれど・・・本来の物づくりの喜びというのは、作るということ自体の喜びの他に、それを使用あるいは消費する人に手渡す喜びまで含まれていたのだと思います。それを、母の姿から思い出すことが出来ました。
便利というのは、とても恐ろしいことです。とっても有り難いものであるのですが、とても困ったものでもあるのです。消費する人の顔を見ずに、使用する人の気持ちも知らずに、モノづくりをすることの気持ち悪さを、わたしたちはもっと自覚するべきだと、そう感じた年末なのでした、はい。
それでは、みなさま、よいお年を。来年も、どうぞよろしくお願いいたします。