OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

介護もリズムを作ると楽にできるんだけどなぁ~・・・ああ・・・

2023-12-23 07:55:06 | Weblog
野球のイチローさんとか、ラグビーの五郎丸さんとか・・・スポーツ選手の話題で、ルーティーンって言葉をよく聞きました。たぶん、スポーツじゃなくても、それぞれのお仕事を始める前に、自分なりのルーティーンをもっている方は少なくないかと思います。家事なんかでも、もちろんそうですね・・・自分なりの段取りってのがあって、それがしっかりしていたら、ストレスも少なく効率もいい、と思います、たぶん(^^;。

でもって、介護もそうだと思うんですが・・・認知症の家族の介護の場合、そのルーティーンは、刻々と変化していかざるをえないんですよね。ああ~・・・ルーティーンというより、リズムかな、一日を通しての作業の流れみたいなこと。介護する相手の変化に合わせて、その都度、新たなリズムを作っていかないといけない。でも、最適な段取りが掴めてきて、リズムが自分のモノになってきたら、後はけっこう楽にできるものなんですよね・・・うん、そう思います。

けど・・・ここにきて、そのリズムが作れない・・・ん~・・・

たぶん、というか確実に、認知症介護の一番つらい時期は乗り越えたと思います。母の場合、徘徊はありませんでしたが、家の中でアレヤコレヤと面倒を起こすことはありました。そのころは、別の部屋にいても、妙な音、変な気配がしないかどうか、常に気を張っていました。あれ?と感じたら、すぐに駆け付けて後始末をしないといけませんから。また、わたしがお出かけすると、不安を感じるらしく、近所の親戚のところにいって騒いだり、家中の電気をつけてモノをガンガンたたいたりもしていましたから、外出していても、家にいる母の様子が気になって気になって、とても落ち着いていられませんでした。会話も、成り立たないどころじゃなく、人が絶対に言ってほしくないことを何度も何度も繰り返して言ったり、答えようのない質問をエンドレスで浴びせかけたり、応えようのない要求を泣かんばかりに訴えてきたり・・・。やっぱり、この時期が、ほんとにキツカッタですね。

だから、そのころに比べたら、今はほんとうに楽なんです。しかも、寝たきりになって、食事がとれなくなって、ここのところは、もっぱら経口栄養補助食品だのみになっていますから、毎食、介護食を作る手間もなくなりました。もちろん、トイレどころかポータブルトイレも使えなくなりましたから、汚したトイレ周りの掃除に明け暮れるというようなこともなくなりました。ほんと、楽になったんです。

けど・・・ここにきて、母の様子が、数日単位で変化しているので、まったくリズムが作れない・・・

以前に比べたら、ほんとうになんてことはないことなんですよ。排尿のリズムが無茶苦茶で、おしめを替えるタイミングがつかめないとか、経口補助食品ですら、よく食べるときと、まったく食べようとしないときがあって、単純に時間を決めて食べさせるというようなことができないとか・・・以前に比べれば、ほんとうに些細な面倒ごとなんですが・・・

わたしにとっては、この"まったくリズムが作れない"という状態が、思った以上にストレスなんですよね。で、そのことに、我ながら驚いているところなわけです。けっこう、臨機応変、得意な方だと思っていたんですけどね。いわゆる完璧主義からは程遠いちゃらんぽらん人間ですしね。ああ~・・・とにかく、このリズムが作れないという状況に慣れて受け入れるという方向で、自分の精神状態のかじ取りをするのが最優先課題ですね・・・これもまた、一つのパターンなんだと、うん、そういう方向で(^^;。

脳以外のどこで、進化のプランニングをするのかしらん・・・

2023-12-22 08:47:56 | Weblog
ぼんやりドラマを見ていて、若い女優さんの糸切り歯が、キレイに三角に尖っていて、それがなんともチャーミングだなって感じたんですが・・・それでふと思いました、人間の歯(たぶん人間だけじゃなく)って、よく出来てるなぁ~って。口の中の限られた空間の中に、同じ歯と言っても、さまざまな役割を担い、それに相応しい形の歯が見事に配置されている・・・ほんと、よく出来てるなぁ~って。

で、さらにふと思ったんですが・・・

人間に限らず、生き物たちは、厳しい環境の中で生き残るため、常に自分を変化させてきた・・・それを適応というのか、進化というのか、そういうことはよく分かりませんが・・・とにかく、変わり続けてきていることは確かみたいですよね。

だとしたら、その変化のプランは、どのように練られて実行されてきたんですかね・・・

今の私たち、自慢じゃないですが他の生き物たちに比べてもかなり脳が発達して、わたしたちのうちの賢い人たちなら、相当むつかしいことでも実現させる能力があると思うんですが、そんな私たち人類ですら、生物としての自分たちを種の単位で進化させるなんてこと、できないですよね。

じゃあ、今の人類のような"考える脳"をもたない生き物が、何をどう分析し判断し、プランニングして進化を実行したのか・・・脳以外の、われわれのどこに、そういう能力があるのか・・・不思議だなあ~って・・・そう思いました・・・

なんだか、久々に覚醒したわたしは、まったくもって小さい子どもみたい・・・"どちて坊や"そのもののようですね(^^;。

人間の想像力が生み出す世界はマルチバースを・・・

2023-12-20 14:13:48 | Weblog
数日前に、劉慈欣さんの小説『三体』と、それをドラマ化した『三体』を、同時進行で鑑賞して、ちょっとだけだけど以前の感受性がよみがえりかけた気がした・・・と話しました。それでもって、若き日に夢中になった、ベルヌとか、アシモフとか、左京さんとか、SF小説に対する思いを思い出したと・・・

SF小説の先駆者であるベルヌの場合は、彼の時代にはまだは実用化されていないような技術が小説の中にたくさん出てくるけど、私の時代では、すでにけっこう当たり前になっているものが多いので、どちらかというと精神的な部分で惹かれていたんです・・・たとえば『海底二万海里』のネモ艦長の絶望的な孤独とか。でも、アシモフになると、ロボットシリーズのもつ、ベルヌにも通じる切なさも魅力ですが、ファウンデーションシリーズなどで見せつけられる"世界を構築する力"に驚嘆しました。そして、左京さんの、神の領域にも踏み込んでいく探求心と恐れを知らない挑戦力に喝采を送りました。

文学は、人の心の中に切り込んで、それを表現するものだけど・・・SFは、そんな人を含めた"世界"を、作家が自身の知識と想像力で再構築、再創造していくものだなぁ~と思っていました。当時(私が若いころ)、SF小説の地位はまだまだ低かったみたいだけれど、SF小説を理解しない奴らこそ愚かだなと思っていました。

そんなSF好きのわたしでも、当時はまだ、馴染みのあるのは四次元やパラレルワールドくらいだったんですが・・・今じゃ、マルチバースだとか、超弦理論の10次元だとか、信じられない高次元の話があたりまえに語られていて・・・ああ~、完全に取り残されてるなぁ~って思います(^^;。

けどね・・・ふと思ったんですよ・・・科学者の人たちは、ちゃんとした理論でもって高次元のことを語っているけど・・・文系の頭脳しか持ち合わせていない者だからこその発想が、独自に発展していってもいいんじゃないかなって・・・

というのは・・・宇宙の中では、空間的にも時間的にもあまりにもちっぽけな存在である人類、その人類の個々の頭や心の中で生み出される世界の広がりの豊かさ・・・ただの想像ではなく、創造になってないかい?科学者の人たちの言うのとは違ってはいるけれど、これもまた、別形態の次元を生み出してないかい? いや、ほんとうに、何かの形でマルチバースなんかとも、実際に関わってるんじゃないかい?

以前にもお話した、"思い"って何だろうとも通じる話なんですが・・・たしかに"思い"って存在しているんですよ。わたしの拙い理解力では、物質っていうのは、どんどん形が変わっていっても、無くなるってことはないイメージなんですが、心に起因するものって、そういうセオリーからは外れていて、主体がなくなれば消えていくものように感じられて・・・だから、両者は、まったく別のカテゴリーのように見えるけど、多次元が当たり前に語られるようになった今、そして未来なら、そうではない理解もあり得るんじゃないかと・・・

いや、自分でも、何を言ってんだか、よく分からないんですけどね・・・うん・・・わかんないんですけど・・・

ハンドルから伝わる感触って・・・

2023-12-16 07:44:09 | Weblog
昨朝、夫を車で最寄り駅に送っていった帰り道、大型トラックの後ろを走っていたんですが、トラックが通り過ぎた道路の上に、何か大きな紐状のものが見えました。あっ!って思ったんですが、なにせ、見えた時には、その物体はもう目の前、ブレーキを踏む余裕はなく、位置的に避けることもできず・・・無慈悲に踏みつけて、そのまま減速することもなく走り去ってしまいました。

蛇だったかな・・・大きな蛇だったかも・・・

道路上でタヌキや蛇が轢死しているのは、ほんとうによく見かけることなので、その可能性は決して低くはなく・・・どうしよう、どうしよう・・・どうしようもないのだけど、どうしよう・・・

ただ、わたしの中の冷静な部分が、"いや、あの感触は、生き物にしては硬すぎる"と言ってくれています。それを信じたい・・・大丈夫、絶対にあれは蛇なんかじゃなかった・・・

その後、また同じ道を通る機会があって、恐る恐る確認したところ、やっぱりそれは部品の一部のような、少なくとも生き物ではなく人工物だと分かりました。ほんとうに、ホッとしました・・・・

それにしても・・・ハンドルから伝わる感触って、あれ何なんでしょう。タイヤが感じた感触が、そのまま手に伝わるって、そんなこと、ありえるんでしょうか・・・

でも、今回に限らず、確かに"分かります"よね。ハンドルから伝わってくる感触で、モノの硬さとか質感。これ、車体の持つ伝達能力みたいなものが凄いのか、わたしたち人間の手の感覚が凄いのか・・・

そういえば、紙なんかを一枚だけとったつもりで「あれ、分厚い」って感じて確認したら、二枚がピッタリくっついていたなんてことはよくありますよね。ピッタリくっついた紙一枚の厚みなんて、ほんと微々たるものだと思うんですけど、わたしたちの指は、それをちゃんと感じ取りますよね。でも、走っている車のタイヤが踏みつけたものの感触を、ハンドルを握っている手が感じるって・・・これはもう、なんというか・・・人馬一体じゃないですが、人車一体になる・・・それほど車と私たちは、切っても切れない間柄になっているってことですかね・・・いや、それは違うか(^^;。

『三体』、久しぶりにゾワゾワした(^^)

2023-12-15 07:45:08 | Weblog
十代は、ほんとうに文学少女だったのよ、わたし(^^;。文学と言っても、純文学は苦手で、一番ハマったのはSF小説だったけどね。自分ではそんなつもりはなかったけど・・・今考えれば、小説の世界に逃げ込むことで、思春期の心を守っていたところ、あるなぁ~、なんて思います・・・だから、その当時に読みふけった小説たちは、みんな"わたしの命の恩人"といっても過言じゃないかも(^^;。

二十代後半から三十代は、香港映画にハマりましたねぇ~。パソコン通信という新しいコミュニケーションツールとの出会いも相まって、ほんとドハマり。今、思い出しても、ああ~、楽しかったぁ~(^^)。

けど、その後、悲しいほどに"不感症"になっちゃって・・・小説を読んでも、映画を見ても、ほどほどに楽しめはしても、ギュ~~っていうか、グググゥ~っていうか、ゾワゾワッっていうか・・・(劇画の擬音はほんと凄いよなぁ~、わたし程度の感性では、なかなかピッタリの音が思いつかない)・・・とにかく、ほんとうにその世界に没入した時にだけ味わう"あの感覚"は、もう二度と味わえないのかなと思っていました。

それがね・・・『三体』に出会って、久しぶりに、ほんとうに久しぶりに、当時に近い"あの感覚"の気配を感じたのっ!!!

まっ、わたしが人生でドハマりした三つのうちの二つ(あと一つはお芝居ね、これは見る方じゃなく自分が演じる方だから、またちょっとアプローチが違うの)の要素が入っているから、腑に落ちまくりではあるんだけど(^^;。

えっと・・・『三体』に話を戻そうかな・・・あっ、戻すもなにも、まだほとんど語ってなかったっけ(^^;。

『三体』を知ったのは、オーディブルのお勧めでした。ヒューゴー賞を受賞したらしく(おお、すごい!)、"ついに日本上陸"的な煽りでもって紹介されていて・・・でも、すでに、SFに対するアンテナを完全に閉じていた私は、「中国のSF?」なんて失礼なことを思いながらも、一応、SFを愛した者の礼儀として、ダウンロードしたのでした。で、そのまま放置していたんです・・・

とね、しばらくして、WOWOWでも"ついに日本上陸"的な煽りでもって、中国のドラマ版の放送が始まったの。でも、全30話で、三カ月に分けて放送ということだったので、最終話まで待って一気見しようと、録画をとりためていたの。

で、ドラマを一気見するまえに、原作小説を聞いておこうかなと聞き始めて・・・びっくりしたぁ~・・・ああ~、びっくりしたぁ~~~~・・・で、ゾワゾワってしたぁ~・・・

SF小説の中でも、わたしが一番好きなのは、ベルヌとか、アシモフとか、左京さんとか・・・しっかりとした科学の知識の上に、とんでもない想像力が加わり、かつ現代社会の問題点を指摘するだけじゃなく解決法を模索して提示するようなタイプのものなんだけど・・・ああ~、まさにそうだよね、劉慈欣さんの『三体』!

ちなみに、ドラマは原作にかなり忠実だと思うけど、小説だと最初に文革のシーンがかなり詳細に描かれているけど、ドラマではその部分が分割されて要所要所に差しはさまれるような描き方になっているんだけど・・・そういう、エンターテインメント的工夫は、それぞれの媒体の個性に合っていて好いと思います(^^)。

で、わたしは活字ではなく音声で小説を聞いたわけだけど・・・不思議と、オーディオブックの声とドラマの役者さんの声や演じ方の違いに、違和感がなかったんですよね。同じセリフ(ドラマは中国語だけど)を別の声、別の言い方で聞いても、どちらもそれはそれでちゃんと受け入れられたんですよね・・・

ゲームのシーンは、かなり重要なんだけど・・・オーディオブックで音声のみ聞いていた時は、わたしの脳内スクリーンに映っていたのは、香港&中国映画的映像だったんだけど、ドラマだとしっかりゲーム的映像になっていました。ドラマを見て、「あっ、そっか、そうだよね」って思ったんだど、わたしにとってはゲーム画像より映画の方が馴染みがあるため、その後も脳が勝手に映画的に映像を再生し続けてましたけど(^^;。

そういう意味では、映像化に適した小説ってことになるのかもしれないけど・・・異星人の描写となると、やっぱり限界を感じますよね。以下、完全にネタバレ注意になりますが・・・あくまでも、人間が得た情報から想像した異星人の姿しか、第一部には出てこないので、わたしが限界を感じる異星人の描写というのは、むしろ作り手の狙い通りなのかもしれませんが・・・・以前から、SFドラマや映画の限界として、地球外の知的生命体の世界を描く難しさを感じていたので、ちょっと「やっぱりねぇ」って思っちゃったのでした。

ドラマの方は、WOWOWで、第一部のみの放送だったけど・・・来年春から配信予定のNetflix版は、二部&三部もあるのかな。少なくても、小説は三部とも読めるので、さっそく読まなくちゃね(^^)。

いったい、何を感じとれというのか・・・

2023-12-14 08:07:04 | Weblog
母が寝たきり状態になって、もうすぐ一か月になる。当初の一週間ほどは、食欲が旺盛だったので、寝たきりと言えどまだまだ元気だなって思っていたのだけど、すぐに変化が表れた。食欲がなくなり、お通じが滞り(便秘の薬を多めに飲ませても、出口周辺までしか下りてこず、指を入れて掻き出さなくてはならない)、心なしか元気もなくなった(心理状態的なことは、すでになかなか判断しにくい状態になってはいたのだけど)。

で、ここ数日は、ほとんどまともな食事をしていない。今まで好きだったものも拒絶するし・・・何を食べさせればいいのか分からなくなってしまった。お通じのためにもとヨーグルトを食べさせたら、それは食べた。アイスクリームも、小さなカップ一個分を食べてくれた。そういうものがいいのかな・・・。イチゴも、なんとか食べてくれた。やっぱり果物は無敵(^^)。が、昨日は、それも渋るようになった。もうそういう時期かなと、通販で経口補助食品を注文した。今日には届くから、とりあえず試してみよう・・・

という状況なのだけど・・・

冷めた言い方になるが・・・この人は、着実に死に向かっているなと感じる。きっと、今日明日のことではないだろうけど、数か月、あるいは数年後には、必ず・・・

もちろん、誰だって、生まれた時から死に向かって生きているわけで・・・いつか必ず死ぬというのは、生きるもの全てに漏れなく当てはまることなのだけど・・・比較的短い期限が見えていて、そこに向かって刻々と進んでいくという"生"を目の当たりに見せられて・・・いったい、この状況は、わたしに何を感じ取れと言っているのだろう・・・と思う。

キレイごとの人生観などいらない・・・宗教的な思い込みも不要だ・・・今の体験から、何か結論めいたものを導き出したとしても、あるいは達観したような心境になったとしても、所詮、自己満足にすぎない・・・それでも、感じることはあるし、そこから考えが巡っていくのも必然だし・・・わたしのこの時間は、いったい何なんだろう・・・

どの大きさになれば気になる?見えないものは無いのと一緒(^^;

2023-12-13 11:22:45 | Weblog
月に一回、朗読講座で友人たちとあって話す以外、ただただずっと家に籠っている生活なので、わたしの世界は、もっぱら家の中と、その家の中から見える外の景色だけ・・・(^^;。

とね、最近は、風も強いし・・・羽のついた種たちが、大量に舞っているのをよく見かけます。小さな鳥かと思うほど立派な羽をもったものから、虫が飛んでいるのかと思うような貧相な羽のものも・・・それらが大量に舞い踊っていたりします。とね、そんな時は、ちょっと外に出るのは控えます。だって・・・そんなときに屋外にいたら咳が出そうというか・・・部屋の中から見ていてるだけで、目や鼻や喉がクシュクシュしてくるんですもの。

けど・・・いつだって、どこでだって、空中には、色んなものが大量に舞い踊っていますよね。花粉とか黄砂だと大騒ぎになるけど・・・ウィルスとか細菌とかもそうですよね・・・そうそう、ダークマターなんてよくわからんものも?

基本、目に見えなければ、さして気にはならない・・・健康被害があったり、生活に支障をきたすようなものは困るけど、基本、目に見えなければ、われわれにとって、それは"無いのと一緒"だもの・・・ね。

そう・・・あるらしいけど認知できないもの・・・そういうものに対して、どういうスタンスでいればいいのか・・・

潔癖症の人というのは、そういうことに過敏な人ってことだと思うけど・・・それも、あくまでも、その人が"気にしている目に見えないもの"に過敏になっているだけで、その他の無数にある"気にしていない目に見えないもの"のことは"無いのと一緒"あつかいだというのは、ズボラなわたしとあまり違いがないんじゃないかな・・・おっと失礼。

十分大きな目に見える大きさのものだって、認識しなければ"無いのと一緒"になるし・・・というか・・・"在るもの"をすべて見たり気にしたりしていたら、情報過多で息苦しくなっちゃいそうだし・・・認識しない気にしないというのは、生きるために必要なことかも・・・

そうそう、耳も、音をすべて拾っているのじゃなく、必要なものをセレクトしているらしいですよね・・・あっ、耳じゃなく、脳が処理しているのか・・・ん?・・・よく分からないけど・・・

えっと・・・なんの話だっけ・・・・ああ、家の外で、大量の羽の付いた種が舞っているよ、というお話でした(^^)。