OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

相手は変えられない、なら自分が工夫する

2021-04-29 18:20:09 | Weblog
また母の話で恐縮です(^^;。お薬を飲む用に、ガラスのコップを用意しているのですが、最近、そのコップで熱いお茶を飲んでいます。「耐熱がラスじゃないから危ないよ、これは薬を飲む時の水用に置いているんだから、お茶はこっちで飲んでね」と言うと「うんうん分かった」と言いますが、言ったすぐ後から、またガラスのコップで熱いお茶を飲んでいます。なので、薬用のコップを大きめの湯飲みに変更することにしました(^^)。

そうなんですよね・・・もう、言っても忘れちゃうんです・・・だから、母の行動を変えてもらうのではなく、こっちのやり方を変えればいいわけです。そもそも、薬を飲むための水のコップがガラスじゃなきゃいけないわけじゃないですからね。わたしの習慣からくる思い込みで、水ならグラスと決めつけていたわけで、湯飲みに水を入れて悪いことなんかありませんからね。

でも、それで気づきました。こういうこと、多いんだろうなって。習慣的にしていることは唯一の正しいことって思いこみがちですよね。たしかに、長く続いていることって、ベストだったりベターだったりするかもしれませんが、絶対にそうじゃなきゃいけないことであるなんてこと、ほとんどないですよね。

自分が正しいと思うこと、こうしたいと思うこと、自分だけのことならそれを貫けばいいですが、他人が関わる時には、状況に応じて変えていくといいですよね。そうすれば大概のことは何とかなる気がします。

そんなことしてたら、まるで自分てものがないみたいに感じられるかもしれませんが・・・きっと、自分があればこそ、たいていのことは何とでも出来るんだと思います。こだわらないといけない事、そう多くはありません。

とはいうものの、わたしは生来の頑固者ですからね、一度拘ると、意地でも譲らない性格ではあるんですが(爆)。

納骨はしません

2021-04-22 13:03:28 | Weblog
今、わたしはとても感情的で・・・実は、キーボードを打つ手も震えている。そして、今から書くことは、とてもプライベートなことで、本来なら、人様の目に触れるようなところに書くべきじゃない・・・けど、感情があまりにも高ぶって、どうしても気持ちが収まらないので、こいして吐き出している。なので・・・読まないで欲しい・・・といったら変だが・・・読んでもらう価値など、どう考えても皆無だと、最初にお詫びしておく・・・

さっき、母を怒鳴り散らした。そして、母を部屋から追い払ってから、声をあげて泣いた。泣いたというよりは雄たけんでいたと思うが・・・途中から、自分でも何をしているんだと思いながら、やめることができなくて、しばらく叫び続けていた・・・

数日前のことだが、母が私の部屋にやってきて「なんかオカシイ」と言った。いつものことなので「何がオカシイの」と聞くと、手に持っていた過去帳を見せて「これ、間違ってるねん。なんか変やねん」と言う。過去帳というのは、家の仏壇に納めてある、故人の名前や死亡年月日、享年などを記してある帳簿で、我が家の場合だと、私の祖母と父が記載されている。それを持った母が「なんかオカシイ」という・・・嫌な予感がした。

案の定、藍那(母にとっては孫)の名前がないというのだ。「納骨してないから書いてないよ」と言ったら、「なんで、お墓があるのに」という。「お墓には、あなたの旦那さんと、旦那さんのお母さんが納骨されているけど、藍那はここにいるからね」と言ったのだが、「お墓はある」の一点張りで納得しない。その後も、何度も繰り返し説明したけれど、その日は最後まで納得せず、それでも「あんたがそういうならそういうことにしよう」と、ようやく話は終わった。とても疲れた・・・この話は嫌なのだ・・・

そうしたら、さっき、また、母や首をかしげながら、わたしの部屋にやってきた。「なんか変やねん、分からへんねん」という。「なにが変なの」と聞くと、「藍那のお墓のこと」と言う。「藍那はお墓にいないよ」というと「なんで?」という。「納骨してないから」と言うと、「けどお墓はあるやん」という。「お墓はあるけど、おばあさんとお父さんしか納骨してないよ」といったら「なんで」と言う。「わたしが嫌だから」と言うと、「そんならどうするの」と、やっと会話らしい展開になった。「わたしが死んだら、一緒に行く」と答えたら「そんなんずっと先やん、どうするん」と言うから「裕太(藍那の弟)に言ってあるから大丈夫」と言うと、また「なんで、お墓はあるやん」と元に戻った・・・

しばらく、この押し問答が続いて「どうしたいの?藍那のお墓参りがしたいの」と聞くと「そんなことないけど、変やん」と言う。そこで、ついに、わたしが切れた・・・「わたしの気持ちが分かる?娘を亡くしたわたしの気持ちが分かる?あなたの娘は生きてるから、わたしの気持ちが帆分からないんやね!」と叫んだ。「それとこれとは違うやん」「藍那のことはわたしが決める。なんで、わたしから藍那を取り上げようとするの。藍那は誰にも渡さへんから、ほっといて!」

普通だと、娘を亡くした母親が、こんな風に取り乱したら、言いたいことがあっても、ぐっと呑み込んでその場はおさめるもんじゃないかと思うけど、そういう配慮が、すでに出来なくなっているのかな・・・母は、ぼんやり、わたしの前に座ったまま、ただ首をかしげている。その様子に、わたしはますます感情的になって「わたしが死んだら、あんたの好きにしたらいい。わたしはあんたの娘だから、好きにしたらいい。墓に入れようが、山に埋めようが、海に流そうが好きにしたらいい。でも、藍那のことはわたしが決める、口出ししないで!」とガナリたてた。やっと、母は部屋を出ていった・・・・わたしはそれでも泣き叫び続けた・・・

理性では理解している。母は、ずっと藍那を納骨したかったのだろう。可愛い孫のことを「ちゃんとしてやりたい」と思っていたのだろう。けれど、わたしの気持ちを思いやって、それが言い出せなかった。でも、ずっとずっと気になっていた・・・。それが、そういう配慮が出来なくなってきた今、素直な気持ちとして出てきているのだろう・・・

分かっている、それは分かっている・・・けれど、他の事ならいい・・・これだけはダメだ・・・

書きながら、すこし落ち着いてきた・・・・たぶん、母はまた、同じことを言うだろう。ますます、わたしの気持ちを斟酌できなくなるだろう。それにどう対応すべきか。

母の望み通り納骨する。それは無理な話だ。あんな寒くて暗くて狭くて寂しいところに藍那を置いてはおけない。では、母には、ちゃんと納骨したよ言って誤魔化すか。これは出来なくもない気がするが、なんとなく、藍那のことで、そういう嘘はつきたくない。でも、そうも言っていられないのか・・・

それにしても、自分の中に抑え込んでいたものが顔を出して制御が聞かなくなった・・・でも、これが本当のわたしの感情なのだと思う。何事もなかったかのように普通に暮らしているが・・・数分前の、あの手の付けられない猛獣のようなわたしが本当の私なのだと思う。

母に向かってどなりながら、私は何度も自分の胸を叩いたようだ・・・いま、ひりひりと胸が痛い・・・

編集者との信頼関係がないと書く仕事なんか続けられない

2021-04-05 08:15:41 | Weblog
今、宮崎/伸治さんの『出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記』を読んでいます。「BOOK」のデータベースでは「30代のころの私は、次から次へと執筆・翻訳の依頼が舞い込み、1年365日フル稼働が当たり前だった。その結果、30代の10年間で50冊ほどの単行本を出すに至った。が、そんな私もふと気がついてみれば、最後に本を出してから8年以上も経っていた。―なぜか?私が出版業界から足を洗うまでの全軌跡をご紹介しよう。出版界の暗部に斬りこむ天国と地獄のドキュメント。」と解説されているようです。

最初は、興味深く読んでいたんですよね。翻訳ものではないですが、ゴーストライターまがいのことも少しはしたことがあるので、「そうそう、わかるっ!」というようなこともありましたし、けっこう楽しく読んでいたんです。でも、読み進めるうちに、だんだん何だか楽しくなくなってきて・・・で、気づいたんですよね・・・宮崎さんって、ぜんぜん好い編集者に会っていないんじゃないかなって。

依頼をうけ、取材して記事を書くフリーのライターをしていた頃、一番強く感じていたのは、「この仕事を続けていくのに一番大切なのは、編集者との信頼関係だ」って。

取材対象者は、それこそ取材回数分だけいらっしゃるわけです。ほとんどの方とは文字通りの一期一会、二度とお会いすることがありません。だから、そこで嫌な思いをすることがあっても、簡単にやり過ごすことが出来ます。実際、横柄な態度をとる人など、珍しくもありません。いちいち凹んでいては、とてもとても取材なんてできないわけです。でも、編集者との関係は大切です。仕事が気に入ってもらえれば、継続的にお仕事を依頼していただけるわけですから。だからこそ、編集者がどういう人か、わたしのことをライターとしてどう評価してくれているのかは、とても大切です。

私の場合、何人かの編集者とは、とても好い関係を結べたと思います。だからといって、プライベートでも会って仲良くするなんてことはほとんどしませんでしたが、仕事自体は、とても気持ちよくさせて頂きました。取材対象者からライターに関するクレームが入っても、それが理不尽なものであれば、ちゃんとライターを守ってくれる、そういう編集者です。

最初に戻りますが、宮崎さんの『出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記』という著書を途中まで読んで・・・きっと、宮崎さんには好い出会いがなかったんだろうんと確信してしまいました。出版翻訳という仕事をよく知りませんが、誰かと一緒に本を作るという意識の希薄な作業なのかなと想像しました。少なくても、今まで読んだ部分には、そういう要素が全くありませんでした。

わたしは超自己中な人間で、比較的孤独にも強い方だと思うのですが・・・それでも、何かを創るのに、仲間と力を合わせて完成させる喜びの大きさは良く知っています。この本を読みながら、あらためて、喜びも悲しさも、人との出会いとか、人との関わりを通して得られるものなんだなって思いました(^^)。