OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

後悔はない

2008-12-31 20:54:39 | Weblog
思い返しても、あまり楽しいことが思い出せない一年でした。もちろん、楽しいことはあったんですよ。友だちとの旅行もそうだし、ライブもそうだし。でも「一年を降り返って」と考えると・・・やっぱりね。

ただね・・・後悔はないんです。「出来ることは全てした」とか、「精一杯頑張った」とか・・・胸をはって言い切れるほど、自分が立派だったとは、まったく思ってはいないですし・・・実際、何の良い結果も得てはいませんが・・・それでも後悔はないんです。

だから・・・来年は、今年を引きずらない・・・それが、わたしの決意です。はい・・・ぜったいに、そうしたいと思っています・・・はい。

写真は、わたしのパソコンのキーボード。こんなに汚いなんて・・・偶然、写真に撮って、ビックリしてしまいました(^^;。

先生、ありがとう!

2008-12-29 18:44:39 | Weblog
昨日、交通ルールの話をしましたが・・・今日、面接のあった会社の近くの横断歩道では、歩行者用信号機に電光掲示板が付いていて、青信号の横で「青になってから渡ってください」って光ってました。おいおい(^^;。

そして、その面接ですが・・・ありゃ、駄目だろうな・・・かなり見込み薄な感じです(^^;。かなりシッカリとした専門知識や経験を欲しがっているようで・・・ちょっと無理かなっと思います。こちらは、いくらでも努力しますけどね。調べて書くの好きですし・・・特に新しい分野の事柄を調べるの好きですから。もちろん、理系の専門書や技術系のマニュアル本になると、ずぶの素人には絶対無理・・・付け焼刃の努力で補えるようなものじゃないんですが・・・そうじゃないものなら、たいていは大丈夫ですが・・・出版社の担当さんにしてみれば、それを信じて発注するのは冒険ですものね。だから、たぶん無理です。

ちょっと大きな仕事だったので、受注できたら、3ヵ月ほどは新規の仕事はとらずに、仕事量を調整しなきゃなって思ってたんですが、どうやら、その必要はないようなので・・・新年からの仕事、ぼちぼち見つけていかなくちゃ干上がっちゃいますぜ(^^;。

というわけで、今日は、面接に行く道すがらに見たものから、ちょいと話題を拾ってみます。

電車から、車窓の風景を見ていて気付いたんですが・・・最近の家の屋根の瓦の色って、ほとんど濃淡なく同じ色なんですね。

時々、お話していると思いますが、わたしの小学五年&六年の時の担任の先生が、かなり変わった授業をする方だったんですよ。普通の授業も、ちゃんとしていらしたと思うんですが、ほとんど記憶がありません(爆)。覚えているのは、音楽と図工と体育。たとえば、音楽では、ヨハン・シュトラウスの『美しく青きドナウ』とか、ヘンデルの『メサイヤ』のハレルヤコーラスを、かなり本格的に歌いましたし、体育ではクラス全員が跳び箱で倒立前転ができるようになるまで指導されていました。しかも、決してスパルタではなく・・・いつのまにか、子どもたちも先生のペースに引き込まれて、それが当たり前みたいに、楽しくやっていたと思います。

で、ある日の図画工作の授業のことなんですが・・・先生が「今日はお寺に行って絵を描くぞ!」と、わたしたちを学校の近くのお寺に連れて行きました。そして「さぁ!お寺の屋根を描きなさい」と言ったんです。そして、さらに先生は言いました「よ~く見てみろよ。屋根の色は、灰色一色じゃないぞ。瓦の色は、一枚一枚違うだろ。それを良く見て描くんだぞ」。そう言われて見たお寺の屋根は、ほんとうに色んなタイプの灰色の瓦で埋め尽くされていました。子どもたちは「おお~!!」って感心しながら、それを写生しました。みんなの絵が仕上がったとき、先生は、その絵を全て学校の廊下にズラリと張り出したんですが、それはそれは圧巻の風景でした(^^)。

ちなみに、超天邪鬼だったワタシは、みんなが瓦を描いているのを見て、「みんながそうするなら、わたしは・・・」と、屋根を下から見上げた・・・軒裏っていうのかな・・・木の部分を描きました(^^;。先生にしたら、すごく面倒な子どもだったと思いますが・・・そんなワタシでも、先生から受け取ったものは多く・・・ほんと、今でも、クラスメイトたちが描いた寺の屋根の絵が並んでいる風景は忘れられません。

なんですが・・・今日、電車から外を眺めていたら・・・ほとんどの家の屋根の瓦が、同じ色だったんです。子どもたちに「良く見て描け」といっても、単色で塗りつぶすだろうなぁ~って思うくらい、同じ色でした。それが、つまりは技術の進歩ってことで・・・決して、悪いことではないとは思うんですが・・・「あ~、そうなんだぁ~」と思ったと、そういうことであります。

ちなみに、わたしの四年生の時の担任の先生も、とても素敵な方でした。だから、よく話しているかとは思うんですが・・・たとえば、算数の授業で、だれかが正解を出しても、「よし正解!!けど、他にも解き方はあるやろ。回り道でもええから、他の解き方、言うてみ!」と、時々ゲームコーナーみたいなことをする方でした。「山に登る道は一つやないからな」・・・それを、小学四年生に、算数の授業で教えていた先生・・・大人になって、親になって、やっとその偉大さに気付きましたっけ。

考えてみれば、わたし、先生は恵まれていたんですよね。小学四年の担任だったT先生。五年&六年生の担任だったE先生。それから、中学から大学まで10年通ったKCも、変わった教育方針の学校でしたし・・・いろんなことを教えてもらい、育ててもらったんだなぁって・・・ほんと、今さらながら思います。その時は、まったくそれに気付かないんですけどね。っていうか「先に生まれてきただけで、敬えと言われても、それは納得できん。わたしは、自分が本当に参ったと思う人間しか尊敬せえへん」なんて、本気で思ってましたからね(^^;。

たしかに、「年上ってことだけで尊敬してもらおうってのは怠慢だ」と、大人になった今は、自戒の念を込めて思いますが・・・傲慢から、ちゃんと感謝を伝えられなかった相手が多すぎる・・・と、後悔も大きいです、はい。

と、ちょっとシミジミしたところで・・・最後に、小ネタを一つ。地下鉄堺筋線って、阪急電車が走ってるんですね!生粋の関西っ子ですが、田舎者なので、今日の今日まで知りませんでした!!って、どんな落ちやねん(^^;。

権利の話

2008-12-28 12:41:52 | Weblog
わたしんちの近くには、田舎にもかかわらず、美味しいパン屋さんが何軒かあります。当然のことながら、それぞれに個性があり・・・食パンは抜群に美味しいけど調理パンや菓子パンがイマイチなお店やら、どれも突出するものはないけど全体的にマズマズの美味さをキープしている店やら、ウリが異なります。で、わたしが、いつも調理パンを買うパン屋さんなんですが・・・、最近、人気商品だったフランスパン風調理パンに、切れ目を入れるようになったんですよ。フランスパン風ですから、外側がパリッと固いわけで・・・食べにくいっちゃあ食べにくいですから・・・お客さんの為に、簡単に一口サイズに千切れる切れ目をいれてくれたんでしょうね。でも、わたし個人の感想としては、ありがた迷惑っていうか、余計なお世話っていうか・・・正直、不必要なサービスだったんです。日本の商売人さんって、ほんと親切で、客の為に色んな気遣いをしてくれるわけですが・・・ちょっと過保護の親みたいに、「やり過ぎ」なところ、あるような気がするんですよね(^^;。

そんな話とは、まったく関係ないですが・・・車を運転していて、交差点で左折、あるいは右折するときに、ときどき思うことをお話しようと思います。

交差点を右折、あるいは左折する時、運転者が注意しなければならないことって、横断歩道を渡っている歩行者と、バイクなどの巻き込みなんですが・・・今回は、歩行者について思うことをお話します。

歩行者は、横断歩道を青信号で渡っているわけですから、多くの人が、ものすごく安心した様子で・・・実に無防備に歩いています。そりゃぁそうですよね。交通ルールを守って行動しているわけですから、安心して当然、無防備で当然ですよね。

けれど、わたしは、そこをあえて「もっと臆病にならないとだめだよ」「もっと警戒しないとだめだよ」って言いたいなって思うんですよ。

もちろん、運転者が、わざと歩行者にぶつかってくることはありませんよ。けれど、現実には、横断歩道を青信号で渡っているときに、左折あるいは右折してきた車に轢かれる事故は少なくないわけですから、「警戒する事は必要」って思うんです。

海外旅行などのトラブルに関しても、よく言われていることですが・・・日本人って、人間を信じすぎる傾向が強いんですよね。「人を信じる」って、すごく素敵なことではあるのですが・・・100%の信頼って、それはあり得ないでしょ。だから「何かトラブルが起こる可能性」というのは、自分で意識して対策しないと・・・それは、個人の責任で、しておかなければならないでしょ。

だから、青信号で横断歩道を渡るときも、左折してくる車、右折してくる車には注意して、車の動きが変だったら、足を止めるなり早歩きするなり、何かの時に備えることは必要だと思うんですよ。

それから・・・同じ横断歩道をわたる歩行者でも、人を信じきって無防備になっているわけじゃなく、左折してくる車・右折してくる車を十分に意識しながら、「歩行者に優先権があるんじゃ! お前はそこで待ってろ!!」的な態度で、横断歩道を渡る人もいるでしょ。そういう人に対しては、「君は、権利の意味を穿き違えているんじゃないのかい」って思うんですよ。こういう人は、義務があってこその権利なのだということも、分かってないのだろうなって思います。いつも、自分が得をするための道具として、権利を乱用している人なんだろうなと思います。

権利って、とても大切なものだと思うんですよ。我々の社会が、よかれと思って選んでいる『民主主義』は、何よりも『人権』を大切にするものですしね。けど、だからこそ「権利の乱用」って怖いと思うんです。他人の事を考えない、自分が得する為だけに権利が行使されるって、ひどく危険だと思うんです。権利の概念って、本来「功利主義」的なものであって、「利己主義」のものではないと思いますしね。

そう、わたし、恋愛に関しても、似たようなことを言うでしょ。愛に権利を持ち込むなって。彼氏だから、彼女だから、恋人に対して何か権利があるように思うことには違和感を感じるって。それは、夫婦になっても同様で・・・婚姻関係で結ばれれば、当然、いろんな義務や権利には縛られるけれど・・・愛に関してだけは、たとえ夫婦になっても、何一つ強要できるものはないと思うんですよね。

おっと、脱線してしまいましたね・・・とにかくね、交通ルールをはじめ、いろんな決め事が、わたしたちの社会にはあるわけで・・・そのルールの中で与えられた権利は、とうぜんそれを堂々と使用すればいいわけだけれど・・・その権利の威をかりて、傍若無人な振る舞いをするのは、いかにも下品に感じられると・・・そういうお話なのでした。

裕さんてば、チャーミングなんだから!! (独り言モード)

2008-12-27 20:06:09 | Weblog
いやん、裕さんの特集してたぁ~!! 今、テレビを付けたら、いきなり裕さんの映像が!! と思ったら、あっという間に、終わっちゃった。知ってたら、最初から見たのにぃ~!! って言っても、裕さんの映像で、まだ見てないのなんて、ほとんどないけどね(^^)。

おっと、うちの裕太の話じゃないですよ、当たり前ですけど(^^;。昭和の大スターって言われる石原裕次郎さんのことですからね。でも、この「昭和の大スター」っていう言い方、好きじゃないんですけどね(^^;。

それと、うちの裕太の名前は、決して裕さんに因んだわけじゃないですからね。因み名を否定するわけじゃないですが、わたしは個人的に因み名が好きではないので、いくら大好きな裕さんの名でも、それを基に愛息の名はつけません、はい。

それにしても・・・裕さん・・・やっぱりステキ(^^)。かわいいって言ったら失礼なんだけど・・・でも、やっぱり、チャーミングだもんなぁ。

わたし、けっこう、エキセントリックな芝居する人が嫌いじゃないタイプなんですが・・・でも、ドはまりする特別な人は、断然、愛らしさのある人なんですよね。まさに、裕さんは、わたしの嗜好の原点ですなぁ。

けど・・・裕さんのことも・・・う~ん、辛かったなぁ。こうして、キャッキャとミーハー気分満載で笑いながら、裕さんの映像が見られるようになるなんて、当時は思いもしなかったなぁ。時間って、やっぱり、すごい力をもっているんだなぁ。

なら・・・ふむ・・・いや~・・・まだ、ちょっと、そんな風には考えられないなぁ・・・あの人のことは・・・。彼の場合、特別さが特殊だったから・・・わたしにとって。

あれ?楽しい話題のはずが・・・(^^;。しかも、この年の瀬に、わざわざ穴を掘ってどうする(爆)。

今年は、ほんと、ふりかえっても、じいちゃんのことしか思い出せない一年で・・・なんというか・・・総括するもの、今は難しいのだけど・・・来年は、とにかく晴れやかな一年にしたいです。そして、家族が、それぞれに、自分の思いを形にしていけるような一年になればと思います。

って、まだ今日は27日だよね(^^;。残りの四日をオロソカニせず、しっかり仕事しなきゃ。月曜日には、また面接あるしね。年明けの締め切り前に、なるべく捗らせておきたい仕事もあるし・・・まだまだ、がんばって、今年を走らなきゃ!!

久々です・・・一言コメント集ぅ~!

2008-12-26 22:05:56 | Weblog
3日前から、天井で、イタチの大運動会。いつまで続くの・・・(^^;。

大阪城ホール・・・音は最悪だけど、傾斜は最高・・・だから、好いホールです(^^)。

で、思い出した・・・フェス、建て替えしちゃうんだよ・・・好きなホールだったけどな。想い出もいっぱいだし・・・(涙)。

そういえば、エルマガが、昨日発売分を最後に、休刊。これって、業界的に、実質廃刊でしょ。エルマガにも、想い出いっぱい・・・っていうか、学生時代は、ずいぶんお世話になったなぁ~(涙)。

初雪・・・ああ、初雪・・・でも、表六甲までいったら、嘘みたいに晴れ渡ってた。恐るべし、裏六甲(^^;。

表六甲で思い出したこと。わたしが表六甲、特に西宮に行くときは、谷崎潤一郎の『細雪』にも登場する名料亭「播半」の横を通る。でも、その「播半」、2005年夏ごろには、経営不振のため閉店していたのだそうだ。そして、今は、建物が全て取り壊され、地面が掘り起こされ・・・無残な姿を曝している。なんでも、マンションを建てるそうだ。ふむ・・・切ないね。

で、突然ですが・・・年金の支給が後払いって、なんか酷くない?裕福な人は、気にならないだろうけど、年金で生活している人にとっては、二ヶ月遅れで「はい、先月と先々月の生活ですよ」って渡されの、辛いと思うし、心情的にスゴク不親切な感じがする。どうせ払うんだから、先払いにすれば気分がいいのに・・・亡くなることを予測して、先払いしてたら損すると考えてるとしか思えなくて、ほんと悲しい。

ちなみに、遺族年金の支給も、四ヵ月後くらいからの支払いになりそうな感じ。ほんと、いっぱいいっぱいで暮らしている人は、この四ヶ月、待てないよ!!

あと・・・なんか、ふわって思ったことがあった気がするけど・・・ふわっと思ったことだから、ふわっと消えちゃった(^^;。

そこに幸せはあっただろうか・・・

2008-12-25 16:39:58 | Weblog
今日は、これから、吉井さんのライブに行かなくっちゃ。だから、いつものように、ぬたぬたクダラナイことを書いている暇なんて、ないのですよぉ(爆)。

なら、シャキッとしたことを、ピシッと短文に纏めて書いて出かけろよって話ですが・・・そんなこと、わたしに出来るとお思いか?! 悲しいかな、出来るわけないのでありますよ(涙)。

というわけで・・・ネタは、昨日の使いまわしで行かせて頂きます(^^;。そう、嫌な事は他人任せなのって話。

わたしが嫌な事を他人任せにして、しかも、そのことを考えようともしていないことは、のことや、裁判員のことだけでなく・・・数えあげれば、きりがないほどあるなぁ~って思うわけです。たとえば、政治なんかに関してもそう。いろいろと政治家の批判はするけど、「じゃあ、お前やれよ」と言われたら、謹んで辞退させて頂きますからね。

なんて考えてたら、昨夜、なんか第二次世界大戦者の特番が放送されていましたね。でね・・・その時、ふっと脳裏を過ぎった疑問があるんですが・・・ちょっと危険思想かもしれないんですけど・・・聞いて頂けますか?

あのね・・・われわれが知っているように、日本は雪崩のように太平洋戦争に突入していくわけですが・・・色んな書物や、今回のようなTV番組でも取上げているように、それを何とか回避しようと努力した人たちもいるわけですよね。だから、戦争回避のチャンスは、ゼロではなかった。流れから考えると、止める事は殆ど不可能だったんじゃないかと思うけど・・・可能性は完全なるゼロではなかった。

でね・・・思ったんですよ・・・じゃぁ、もしあの時、開戦を回避できたら、そのまま日本は平和な国でいられたのだろうかって。幸せな国になれたのだろうかって。

なんだかね・・・ちゃんとした根拠は、何もないのだけど・・・無理だったんじゃないかって・・・そんな気がしちやったんですけど・・・そういう、物の考え方って良くないですかね。

じゃぁ、あの緊迫した開戦前夜だけじゃなく、たとえば、日露戦争の前まで遡ってやり直せば、多くの人を死なせることなく平和で幸せな国造りができたかと考えたら・・・ん~、それでもまだ無理かなと。じゃぁ、日清戦争の前なら・・・じゃあ、明治維新の頃からなら・・・う~ん、なんか無理な気が。

だから、ほんと、何の根拠もないんですけど・・・わたしたちって、残酷なことをしたり、悲惨な経験をすることなく、立派に成長できるほど、立派な生き物じゃないのかなって・・・そんな風に思っちゃったんですよね。

戦争なんか絶対にない方がいい。だから、一つ一つ、目の前にある争いの危機を、必死になって回避していきたい。決して「こんな酷い世の中、一度全部潰しちゃって、はじめから作り直そうよ」みたいな乱暴な方法は取らない。そうは思っているんですけど・・・現実には、そういうことって、ほんとうに大変だし・・・忍耐力が必要だし・・・未来を信じて託すことも必要だし・・・ああ~、って思うんです。

ああ~、これから楽しいライブだっていうのに、なんか相応しくない雰囲気になっちやった。でも、まっ、しかたないか・・・これが、わたしだし(爆)。じゃあ、ほんと時間ないので、もう読み返さずにUPして出かけますね。ではでは、また、明日!!

肉を美味しく食う自分は否定しない・・・でもね

2008-12-24 20:19:33 | Weblog
あまり、食に欲のない方だと思うんですが、嗜好はあります。で・・・肉、けっこう好きです。霜降った上等な肉は苦手ですが、赤身の肉は好きです。

けどね・・・肉を食う度に思うんです・・・わたしって卑怯だなって。

とはいっても、肉食であれ魚食あれ、自分が命を食らう生き物であることを、恥じるつもりはないんですよ。わたしは人間だし・・・人間は雑食の生き物だし・・・そのことを否定する事は、自分の存在そのものを否定することですしね。

ただ・・・肉を美味しく食らいながら、肉を食う為に必要な、や解体を残酷と思っている自分・・・ましてや、自らするとか解体するなんて、思いもよらない自分が、卑怯だなって思うわけです。

辛い部分は他の人に任せておいて、そういう部分はあることも考えないようにして、キレイな部分、美味しい部分だけ享受しししようと企んでいるわけですから。

そういえば、裁判員制度も似たような問題がありますよね。必要なことだと思うけど、自分はしたくない。特に、どんな凶悪犯に対しても、自分が死刑を言い渡したくない。凶悪犯は、わたし以外の人が裁いて、わたし以外の人が死刑にして欲しい。そう思っていますものね。

けどね・・・こういう卑怯さ・・・完全に否定しちゃ、われわれの社会も、われわれの心も、崩れて壊れちゃうと思うんですよね。こういう考え方が、なにより一番卑怯なのかもしれないけど、人には適性とか、得意不得意とか、強さや弱さの分野別偏りがあるっていうか・・・

いや~・・・適性があるから、あるいは強いから、人が嫌がる仕事を引き受けている人って案外少なくて・・・みんな、いろいろな事情から引き受けざるを得なくて、辛くても頑張ってくれているのかな・・・・ふむ。

わたし、年をとれば、色んなことがクリアになってくるというか・・・色んなことが、もっとサクサク判断できると思ってたんですけど・・・むしろ、年をとればとるほど、キッパリと心を決められなくなりますよね。ほんと、迷う事、多くなりました・・・はあ(^^;。

達筆・悪筆

2008-12-23 18:27:08 | Weblog
花が枯れる冬、っていうか花が咲かない冬・・・でも、室内では、どんな花も長く枯れない冬。理屈は分かっているから、頭では何の不思議もないことなんだけど・・・なんだか感覚では不思議感あります。って、それだけです(^^;。

ところで、年賀状の季節ですよね。我が家では、当然、今年は(ってか来年?)は、年賀状をはじめ祝い事は全て遠慮させて頂きますが・・・話題だけ、年賀状にちなみ「達筆」について、ぶつぶつ言わせて頂こうかと思います。いつも通り、まったく掘り下げはないですけどね(^^;。

達筆って、本来、ものすごい褒め言葉ですよね。すごくキレイな・・・そう、心地よい音楽のように素敵なリズムで、絵画のような美しさをもった、そんな文字群を見ると、われわれは「達筆だなぁ」って言いますよね。

けれど・・・現実には、達筆って読みづらい。だから「達筆すぎて、何が書いてあるか読めない」ってことも、しばしばありますよね。

とはいっても、達筆だから読めないというのが本当なら、それは読む側に責任がある・・・そのはずです。行書のセオリーを、ちゃんと理解していないから、だから読めない・・・そういうことでしょう。

なんですが・・・今の時代、もう、行書のセオリーを知らない人の方が、メジャーなんですよね。となると・・・う~ん、どうしたら良いんでしょうね。人に思いを伝えるための文字であり文章であるなら、多くの人が理解しやすい書き方をするというのが気遣いと言えるかもしれませんし・・・でも、そうしていると、行書体という、わたしたちの美しい伝統文化が、また一つ失われていくことになるわけで・・・どうすればいいのか、悩んでしまいませんか?

そうそう、読みやすさだけでいえば、ペン習字の文字なんかが、すごく読みやすいと思うんですが・・・実際に手紙や葉書やカード、今回のテーマの年賀状などを貰ったとき、ペン習字文字では、意外にツマラナク&物足りなく感じたりしませんかね。束になった年賀状を一枚一枚見ていくとき、悪筆の友人のそれが登場すると、「おお!○○ちゃんからだ!」って、名前を確認する前に分かっちゃって、なんとも懐かし嬉しかったりするんですけど。

公で使用する文章は、手書きで書くことが、ほとんど無くなっている今、プライベートの文字は、悪筆だろうと何だろうと、個性あるものが好い気もしますね。もちろん、読めないほどの悪筆は、読めないほどの達筆以上に困りものですけど(^^;。

なんていうのかな・・・言葉の話の時にも言いましたが、変化するってことは、止められないことだと思うんですよね。っていうか、止めちゃいけないことだとも思うんですよ。でも、その中でも、何をどんな風に残してしくのか、あるいは、変わるにしても、どんな風に変わっていくのか・・・そういうことには無関心でいちゃいけない気がするんです。なんて、結局は、自分の悪筆の言い訳でしかないんですけどね(^^;。

日本じゃ地球は救えない?

2008-12-22 19:42:48 | Weblog
ふむ・・・今年のM1は、外れ組みがなかったですね。スター不在の地味な回になるのかなと思っていたけど、「その枠、返せよ!」と思うような納得できないコンビの出場がなくて、非常に満足でした。「ザ・パンチ」が、最後にチクッと痛いことを言われてましたけど、彼らもネタ自身は悪くなかったですよ。力もあると思いますし。ただ、可愛そうなほど揚がってた。で、間がコトゴトクずれた。だから、あんな出来になっちゃいましたけど、「決勝に残る資格がねぇっ!」ってことじゃなかったと思います。むしろ、M1の決勝の雰囲気というのを伝える役割を立派に果たしたと思いますよ、はい。ああ~、でも彼らは10年目だし・・・こんな慰め、何も嬉しくないだろうな(^^;。

ただ、去年までは、優勝組発表の前に、優勝者がハッキリ見えていたでしょ。なんていうか・・・何かが降りてきているのが見えるっというか、流れに押し上げられていく様が見えていて・・・誰もが、好き嫌いをこえて「今年はコイツらだな」って分かってしまう、優勝者には、それほどの勢いが見えた。けど、今年は、それが無かったですね。好い意味で接戦だったし・・・悪く言えば、モンスターは居なかった。まっ、審査員は「ぶっちぎりだ」って言う人もいたし、実際、票的にはそうだったし・・・個人的に、結果には何の不満もないけど・・・それは、そう感じましたね(^^;。でも、まっ、ヨカッタヨカッタ・・・うん、良かったです(^^)。


ところで、いきなり話は変わりますが・・・裕太は、子どもの頃から、子どもが主役の映画が好きでした。たとえば『飛べないアヒル』だとか『ホーム・アローン』だとか『ラストアクションヒーロー』だとか『グーニーズ』だとか。で、それは大人になっても、あまり変わっていなくて・・・今でも、けっこう子どもが重要な役割を担っている映画は好きなようですが・・・他にも、彼が大好きなテーマがありまして・・・それが「地球を救う」ってやつなんです。具体的に映画のタイトルを出すなら『アルマゲドン』みたいなのです(^^;。

なので、危機映画なんかが好きなのかなと思って、少し前にWOWOWで『海猿』一挙放映をしていたのを録画して見せてやったんです。そしたら「悪くないけど・・・」と、スッキリしない態度なんです。で「何が足りないの」と問い詰めますと、「規模が・・・」といいます。やっぱり、地球規模の危機でないと、心が燃えきらないみたいです。で、さらにポツッと「邦画では無理なのかな」と呟きました。

う~ん、すごく残念だけど・・・その通り、日本が舞台じゃ、地球規模の危機を扱うのは、荷が重いでしょうねぇ。日本人がアメリカに研修かなんかに行っている時に危機が起こって、合衆国の作戦に組み込まれるとか、何かのプロフェッショナルとして招聘されるとか、個人単位で参加するのは可能かもしれないけど、なかなか日本政府主導っていうのは、リアリティーが出ないですよね。だから、あとは設定をグンと未来に持っていって、国際情勢を変えてしまうとかしないと、日本国主導で世界の危機を救うのは難しいですよね。

日本人は、哀しいかな、そういうところを謙虚に理解していて・・・だから、フィクションの世界でさえ、地球規模の危機を扱わないんでしょうね(^^;。その点、アメリカ合衆国の映画人は、自信があるわけですよ。地球を守るとしたら、それはアメリカであると、疑いも無く信じられるからこそ『アルマゲドン』みたいな映画が作れるわけでしょう。

あたりまえですが、映画のテーマ設定にも、国民性とか、世界の勢力図とか、そういうのが繁栄されますね。と、裕太と、そんな話をしたのでありました(^^;。

納骨

2008-12-20 19:41:01 | Weblog
昨日は、じいちゃんの百日でした。で、今日は、彼の遺骨をお墓に納めてきました。

藍那と裕太は、ずっと納骨には反対で・・・「じいちゃん、ずっと家に居たらええやん」って言ってましたが、まぁ~、そういうわけにもいかないので。

で・・・三ヶ月ぶりに、じいちゃんの骨を見ました。っていうか、触りました。これは、今も、じいちゃんなのだろうか、それとも、じいちゃんであったものなんだろうかと思いながら・・・軽くて脆くて白い塊を。

そうして、そういう作業を淡々とこなしていく自分を、醒めているなぁと感じていました・・・ふむ。

明日は、義父の四十九日の法要の為、夫の実家に行ってきます。ほんとうは、年明け直ぐに行うべきなんですが、三月跨ぎになるのと、年始年末の慌しさをさけるため、前倒しして明日になりました。

なんだか、この一年を象徴するような年の瀬の週末になりました。