ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

交通反則

2010-12-21 12:17:00 | 日記
リーチ。

警察から葉書が来た。私の点数が累積で4点になったとの報せだ。あと少しで免停である。これは由々しき事態だ。

ここ20年以上、ゴールド免許であったが、それももうお終いだ。免停なんて、大学生の時に数回やらかしているが、社会人になってからは、とんと無縁であった。

正直言えば、私は道路交通法にあまり従順ではない。制限速度なんてクソ喰らえぐらいにしか思っていない。あんなもの守っていたら、危なくて仕方ないとさえ思っている。

例えば片側一車線の国道があったとしよう。一方は見通しのよい平地を真直ぐに走っている。このような道ならば制限速度の50キロを上回るスピードで走っても、安全上問題はなく、事実パトカーを初めとして大半の車が60~70キロ前後で走っている。

余談だが、制限速度プラス10キロ前後なら経験的にまず捕まることはない。そのくらいのスピードのほうが、交通の流れが円滑だし、むしろ制限速度を無理に維持して流れを損なうことのほうが弊害が大きい。

しかし、同じ片側一車線の国道でも、樹木や建物が多くて見通しが悪い道ならば、むしろ制限速度以下に落として、慎重に走る。子供が飛び出すこともあるし、自転車が並走していることもある。即座にブレーキをかけて止められる速さでなければ、とても安全には走れない。

安全とは、法律を頑なに守ることではなく、自分の判断で確保すべきことだと信じている。まして現行の道路交通法は、自動車の進化などまるで無視して造られた化石的存在でさえある。実情に合わないこと、甚だしいと私は思う。

だから、自分の安全のため、自分で考えて車を運転してきた。おかげで免許を取って以来、大きな事故とは無縁であった。ただ、スピード違反と駐車違反だけは、何度もやらかしている。

今回の4点のうち、2点は沖縄でのスピード違反だ。これは致し方ないが、問題は残り2点だ。一つはこのブログでも書いたシートベルト未着用であり、もう一つはたまたま運転中に携帯電話に着信があり、無意識に手に取ったところを、巡回中のパトカーに咎められたことによる。

二つとも横浜でのAPECの開催中で、やたらめったらと警官が首都圏をうろついていた時の出来事だった。マッモフ奴ら、よっぽど退屈していたのだと思うゾ。

よもや、こんなクダラナイ違反でリーチがかかるとは思わなかった。今年は交通違反の当たり年であったようだ。もう残すこと2週間をきったが、こんな間抜けな違反で二度と捕まってたまるかと決意している。街でマッモゥかけると、条件反射的にガルル~と唸りたくなるぞ。

まァ、来年11月まで無違反ならば消えるはずなので、心を平静にして大人しい運転を心がけようと思う。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

砂漠の囚われ人マリカ マリカ・ウルキフ&M・フィトゥーシ

2010-12-20 12:16:00 | 

一人であったら耐えられない。

幼くして王の娘の友人となるため、王宮のハーレムに入れられたマリカは華やかな暮らしに慣れ親しんだ。ハーレムを出た後も、パリやNYの社交界をかろやかに駆け回り、憧れた映画女優に後一歩まで近づくほどに恵まれた暮らしを続けた。

しかし、王を支える実力者である父が、クーデターに失敗したことにより、マリカの人生は一転する。王の恨みを買い、マリカと母と弟妹たちは、砂漠の奥深くの監獄に閉じ込められる。

女性として、最も艶やかな時期とも言える20代から30代のほとんどを暗く、ジメジメした陰鬱な監獄で過ごしたマリカ。なまじ少女時代が華やかであっただけに、監獄での暮らしは彼女を打ちのめす。

心を打ち砕いてもおかしくない劣悪で残虐な牢獄にあって、マリカが耐えられたのは家族がいたからだろう。自分が守ってやらねばならぬ幼い妹や弟がいたからこそ耐えられた。

この話は実話であり、おそらく一部は端折られていると思うが、概ね事実に基づいているのだろう。私も20代の働き盛りの時期を、難病のための療養生活という緩やかな牢獄に籠っていたので、主人公たちの気持ちが少しは分る。

社会から無理やり切り離された孤独感が、人の心をどれほど痛めつけるのか、思い出すのが嫌なくらいに良く分る。人間という生き物は、社会性を強く持ち、本質的に孤立には耐えられない。

だが、この本を読んでみて、主人公たちの苦悩が分る一方、この苦悩が極限ではないことも分る。同じ時代、旧・共産圏の国々、とりわけソ連の収容所でも似たような状況に落とし込まれた多くの人々がいた。

有名な「収容所列島」などに書かれた囚人たちの境遇と比べると、マリカたちの置かれた状況はそれほど厳しくないと感じてしまう。その違いは、どこから生じたのであろうか?

おそらくは、旧・共産圏の国々での収容所は、イデオロギーという人工的な概念の産物であり、それゆえに非人道的であることが出来たのだろう。

一方、マリカたちを収容所に追いやったのは、旧体制というよりも伝統的なイスラム王朝体制であり、そこには長い伝統を持つが故の温かみが残されていた。民族主義と家族社会が残っていたからこそ、マリカたちは非業の死を遂げずに済んだのかもしれない。

マリカたちが収容所を脱走し、国内を逃げ回り、遂に捕まった時の状況がそれを裏付ける。捕まえた警官たちは、かつての英雄の家族が悲惨な状況に置かれていたことに憤り、惨めな姿で捕まったマリカたちへの尊敬を隠さない。

それどころか、王が密かに反逆者の罪無き家族を悲惨な状況に追いやったことへの不満を隠さない。それゆえ、政府は脱獄者であるにもかかわらず処罰することは出来なかった。マリカたちを豪勢な別荘に住まわせて、世論が落ち着くのを待つしかなかった。

旧・共産圏の国々であったならば、反逆者の家族はその場で抹殺されてもおかしくない。しかし、イスラム伝統社会においては、そのような非情な仕打ちは、むしろ世間の非難を買う。それは絶対権力者である王でさえ無視できない。

だからこそ、砂漠の奥深い収容所で朽ち果てるのを待っていたのだろう。しかし、マリカたちは脱獄してしまった。それゆえに、王様は彼らを最終的には自由にせざる得なかった。

私はマリカたちが楽な囚人であったとは思わない。多感な時期を監獄で過ごした子供たちの心に、深い傷を残したのは間違いないし、おそらくは完全に回復することが出来ないトラウマであることも分る。

20代、30代の大半を監獄で過ごした美しい女性が、どれほどのものを失ったのか。そして、そこから回復するのに、どれだけの努力と困難を必要とするのか。まさに想像を絶する苦悩だと思う。

その苦悩は、今も続いていることが後書きから伺われる。社会から切り離され、孤独な人生を過ごす苦痛が如何なるものかを知りたいと思ったら、最適の一冊かもしれません。機会がありましたら是非どうぞ。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

混迷は続く

2010-12-17 14:38:00 | 社会・政治・一般

貧して窮す。

民主党の菅内閣が、社民党の福島党首に擦り寄った。本来、衆議院で過半数を握っているので、参議院で否決されても予算案は国会を通過する。

しかし、赤字国債を発行しないと財源が不足する状況では、予算に制約がつくため、その関連法案を参議院で通過させないことには予算が組めない。だから、どうしても参議院で過半数が欲しい。

で、だから社民党に擦り寄ったらしい。

相手、選べよ!


昨年から続く政治の低迷の原因の一つが、鳩山内閣がぶちあげた沖縄・普天間基地の県外移設だ。ハトポッポはアメリカちゃまに甘えれば、なんとかなると思い込み、あれこれバカをやらかした。おかげで日米関係は戦後最低の水準にまで落ち込んだ。

冷徹な国際政治の現実が、沖縄の基地問題の根底にあることをようやく知らされたハトポッポ、県外移設に固執する社民党を切って、その場をしのいで誤魔化した。

その後を引き継いだ菅内閣は、当初沖縄問題から距離を置いて、知らん顔をして責任の先送りで済ます心算であったようだ。しかし、予算を国会に通過するため、他の政党との連携を模索していた。

その結果が、暴走する独善家・福島を党首にすえた社民党だというから聞いて呆れる。世間知らずのお坊ちゃまハトポッポさえ、福島の独善性に辟易して縁を切ったぐらいだ。

戦後の歴史を振り返っても、旧・社会党及びその残党である社民党を政権に取り込んだ内閣は、いずれも短命失敗内閣に終わっている。

現実を省みず、脳内で展開されるバラ色の平和妄想に取り付かれた政治家には、国民の姿なんぞ目に入らない。今、国民の大半が政府に望んでいるのは、米軍基地の沖縄撤退でもなければ、子供手当てのばら撒きでもない。

この停滞し混迷した日本社会に、未来への道筋を示して欲しいと切望している。だが、脳内妄想に囚われた善人ぶりっ子には、現実に国民が望む政治なんぞ視野に無い。

あるのは、長年正しいと信じていたにもかかわらず、多数派にはなれなかった信念(妄想平和主義)を実現することだけだ。多数の国民の望むことなんて、どうでもいい。愚かな国民は、我々が夢を実現してこそ、目が覚めるに違いないと思い込んでいる。

こんな狂人めいた政治家にキャスティング・ボードを握らせようとしているのだから、菅総理も頭がどうかしたに違いない。

福島は「自分がぶちきれないように」などとほざいていたようだが、その前に国民がぶちきれるぞ。菅総理に少しでも良識が残っているのなら、さっさと福島をぶちきりなさいな。

少数意見に振り回されて、多数意見をないがしろにする愚かな政治は、もう結構です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昆虫にとってコンビニとは何か? 高橋敬一

2010-12-16 12:56:00 | 

便所コオロギを覚えているだろうか?

正しくはカマドウマと呼んでいた気がするが、いささか自信がない。でも、木造のトイレの片隅に居た薄茶色の大きなコオロギのことなら、いまも思い出せる。

かなり繊細なつくりの虫であったと思うが、便所にいることが多かったせいか、あまり良い印象はない。あの頃は、家のなかにも虫がけっこう居た。蝿取り蜘蛛はもちろんのこと、メクラ蜘蛛やら蛾やらが部屋の片隅に見つかることは珍しくなかった。

だが、現在家の中で見かける虫ときたら、ゴキブリや蚊がせいぜいだ。もちろんダニやシラミは密かにいるようだが、これらは小さいので気がつきにくい。

思うに、カマドウマや蝿取り蜘蛛が居た頃のほうが、ゴキブリやダニは少なかった気がしてならない。あの頃はハウスダストなんて話題にもならなかった。家の中で咳や鼻水が出る人は、このハウスダストにやられていることが多い。その原因は、ダニの死骸や糞であるらしい。

昔からダニは人間についてまわる生き物だったが、昔の日本家屋はダニを食べる虫たちの侵入を許していたので、現在ほどハウスダストは問題にならなかったようだ。

しかし冷暖房完備で気密性の高い西欧風の家屋が増えるにしたがい、便所コオロギや蝿取り蜘蛛は姿を消し、変ってハウスダストによる花粉症が猛威を奮う。

どちらがいいか、悪いかの問題ではないと思うが、人間社会の変化に伴い昆虫たちの世界も大きく影響を受けているとの、表題の著者の主張は非常に興味深い。

なかでも人間たちの趣味、嗜好にあわせた環境対策が、かえって多くの目立たぬ虫たちを大量死させているとの指摘は、実に辛辣だと思う。

私は虫や動物について書いた本を読むのが好きだが、これほどまでに冷静に、かつ辛辣に人間たちの手前勝手な自然保護と環境破壊について書かれたものを読んだことはない。

人間の立場からではなく、虫たちの立場から人間たちの振る舞いを考察してのけたこの本は、一読の価値はあると思います。でも、かなり強烈な毒を含みますから、自分は環境保護に熱心な自然愛好家だと自認している人には効き過ぎるかもしれません。

良薬口に苦し、ですね。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年のJリーグ

2010-12-15 15:43:00 | スポーツ
痛し痒し。

今年のJリーグを制したのは名古屋グランパスだった。かつての名選手ピクシーが監督として戻ってきて3年目。ようやく掴んだ栄誉の戴冠であり、グランパス初のリーグ優勝でもある。

カリスマ的魅力で選手たちをまとめる一方、徹底したサイド攻撃と一対一の強化が功を奏した結果でもある。迷わず、ぶれず、断固として指揮したピクシーの采配も良かったと思う。

ただ、冷静に振り返ると素直に喜べないのが辛い。優勝の要因は、なんといっても豊富な資金力に裏づけされた優秀な選手の獲得にある。

現在のJリーグの助っ人外人で、これほど現役の代表選手を揃えているのはグランパスだけだ。特にオーストラリア代表のFWのケネディの存在は大きい。小柄な日本人選手にとって、これほど長身だと、ただそれだけで武器になる。

しかもケネディは足技も決して下手ではない。長身ながらヘディングも足技も中途半端な平山(現・FC東京)と比較すると、格段の差があることが分る。今期の得点王は、決して偶然ではない。

また途中から獲得したボランチのグライトンも脅威の大型選手であり、威圧感は現在Jリーグ随一だと思う。やはり強力な外国人選手を擁するチームが強いのは、今も昔も変らぬJリーグの体質でもある。

一方、優勝を狙えた他のチームは、主力の外国人選手の高齢化が目立つ。浦和のャ塔e、鹿島のマルキーニョス、川崎のジュニーニョ、ガンバ大阪のルーカスは、素晴らしい選手だが如何せん既に30代半ばだ。

日本の景気低迷がチームの資金力不足となって、若くて優秀な外国人選手を獲得することが出来なくなっている。だからこそ、トヨタをメインスャ塔Tーに持つ名古屋グランパスが優勝できたと言ったら言いすぎだろうか。

そうは思えない。プロである以上、高い報酬を払ってくれるチームに移籍したがるのは必然であり、中東の金満チームからの誘惑に耐えかねて、多くの優秀な外国人Jリーガーが海外に流出している。

その結果、ACLでは予選敗退が相次いでいる現実こそ、資金力=チームの強さである証拠なのだ。だからこそのグランパスの優勝だと判じざる得ないのだ。

岡田ジャパンが南ア大会でベスト16に進出できたからといって、浮かれている暇は無い。国内リーグの強化こそが、世界に通じる選手の育成の第一歩なのだ。

成長はしていると思う。しかし、そのスピードは10年前に比べて、明らかに落ちている。名古屋グランパスの優勝は嬉しいが、今そこにある危機を見逃すべきではないと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする