ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

砂漠の囚われ人マリカ マリカ・ウルキフ&M・フィトゥーシ

2010-12-20 12:16:00 | 

一人であったら耐えられない。

幼くして王の娘の友人となるため、王宮のハーレムに入れられたマリカは華やかな暮らしに慣れ親しんだ。ハーレムを出た後も、パリやNYの社交界をかろやかに駆け回り、憧れた映画女優に後一歩まで近づくほどに恵まれた暮らしを続けた。

しかし、王を支える実力者である父が、クーデターに失敗したことにより、マリカの人生は一転する。王の恨みを買い、マリカと母と弟妹たちは、砂漠の奥深くの監獄に閉じ込められる。

女性として、最も艶やかな時期とも言える20代から30代のほとんどを暗く、ジメジメした陰鬱な監獄で過ごしたマリカ。なまじ少女時代が華やかであっただけに、監獄での暮らしは彼女を打ちのめす。

心を打ち砕いてもおかしくない劣悪で残虐な牢獄にあって、マリカが耐えられたのは家族がいたからだろう。自分が守ってやらねばならぬ幼い妹や弟がいたからこそ耐えられた。

この話は実話であり、おそらく一部は端折られていると思うが、概ね事実に基づいているのだろう。私も20代の働き盛りの時期を、難病のための療養生活という緩やかな牢獄に籠っていたので、主人公たちの気持ちが少しは分る。

社会から無理やり切り離された孤独感が、人の心をどれほど痛めつけるのか、思い出すのが嫌なくらいに良く分る。人間という生き物は、社会性を強く持ち、本質的に孤立には耐えられない。

だが、この本を読んでみて、主人公たちの苦悩が分る一方、この苦悩が極限ではないことも分る。同じ時代、旧・共産圏の国々、とりわけソ連の収容所でも似たような状況に落とし込まれた多くの人々がいた。

有名な「収容所列島」などに書かれた囚人たちの境遇と比べると、マリカたちの置かれた状況はそれほど厳しくないと感じてしまう。その違いは、どこから生じたのであろうか?

おそらくは、旧・共産圏の国々での収容所は、イデオロギーという人工的な概念の産物であり、それゆえに非人道的であることが出来たのだろう。

一方、マリカたちを収容所に追いやったのは、旧体制というよりも伝統的なイスラム王朝体制であり、そこには長い伝統を持つが故の温かみが残されていた。民族主義と家族社会が残っていたからこそ、マリカたちは非業の死を遂げずに済んだのかもしれない。

マリカたちが収容所を脱走し、国内を逃げ回り、遂に捕まった時の状況がそれを裏付ける。捕まえた警官たちは、かつての英雄の家族が悲惨な状況に置かれていたことに憤り、惨めな姿で捕まったマリカたちへの尊敬を隠さない。

それどころか、王が密かに反逆者の罪無き家族を悲惨な状況に追いやったことへの不満を隠さない。それゆえ、政府は脱獄者であるにもかかわらず処罰することは出来なかった。マリカたちを豪勢な別荘に住まわせて、世論が落ち着くのを待つしかなかった。

旧・共産圏の国々であったならば、反逆者の家族はその場で抹殺されてもおかしくない。しかし、イスラム伝統社会においては、そのような非情な仕打ちは、むしろ世間の非難を買う。それは絶対権力者である王でさえ無視できない。

だからこそ、砂漠の奥深い収容所で朽ち果てるのを待っていたのだろう。しかし、マリカたちは脱獄してしまった。それゆえに、王様は彼らを最終的には自由にせざる得なかった。

私はマリカたちが楽な囚人であったとは思わない。多感な時期を監獄で過ごした子供たちの心に、深い傷を残したのは間違いないし、おそらくは完全に回復することが出来ないトラウマであることも分る。

20代、30代の大半を監獄で過ごした美しい女性が、どれほどのものを失ったのか。そして、そこから回復するのに、どれだけの努力と困難を必要とするのか。まさに想像を絶する苦悩だと思う。

その苦悩は、今も続いていることが後書きから伺われる。社会から切り離され、孤独な人生を過ごす苦痛が如何なるものかを知りたいと思ったら、最適の一冊かもしれません。機会がありましたら是非どうぞ。

コメント (6)
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