貧乏人にはスポーツする暇は無い。例外があるとしたら、それは金になる場合だけだ。だからボクシングとサッカーは、貧しい国の人々にも人気がある。
しかし、概ねスポーツの強さは、その国の経済の強さに比例することが多い。そりゃ、そうだと思う。だって、いくら早く走っても金にならなきゃ暮らしていけない。水泳なんて、プール自体がないと技術が伸びるわけがない。
だから競技の種類にもよるが、基本的に経済大国がメダル上位を独占しやすい。もっともかつては社会主義国が国威をかけてメダルを取りにきていたので、経済が貧しくとも国の支援を受けたスポーツ・エリートたちが活躍できた。
しかし、冷戦が終わり大半の社会主義国が単なる貧困国となると、メダルの数は経済規模に比例する傾向をみせた。アジア大会でいうならば、シナや韓国がスポーツ大国として、大きく躍進し、かつてのスポーツ大国である日本の凋落は、もはや確定的でさえある。
今年、シナで行われたアジア大会は、当初の予想に違わずシナの躍進を際立たせる大会となった。なかにはあまりに露骨なシナ贔屓の判定があり、物議を醸したほどだ。
それは予め予測できたことであり、日本のスポーツ関係者の腰砕けの抗議で覆ることがないことも、これまた予想とおりであった。シナの狡賢さが目立った大会でもあった。
そんな中、興味深かったのがサッカーだ。既に世界の強豪としてシードされるほどの日本女子チームの優勝はともかく、意外だったのは日本男子チームの優勝だ。
今回日本男子チームは、中味は2軍に近いものであった。なにせ、現在ドイツのブンデスリーガーにおいて7得点を誇る次代のエース香川は当初から参加せず。またリーグ戦で終盤を迎えるJリーグのレギュラークラスも参加せずに、大学生中心のチームであった。
実際、私に限らずサッカー関係者でさえ予想すらしていなかった優勝なのだ。これには裏がある。シナではサッカーは大人気のスポーツであり、当然この大会でも優勝を狙っていた。そのため、シナの戦う相手は弱いはずのチームばかりであった。
Jリーガーが参加しない日本は、シナにとって当然に与し易い弱敵のはずだった。ところが、この弱いはずの日本チームにシナは初戦で敗れてしまった。これでチームの歯車が狂い、内紛が勃発してチームは予選リーグ敗退。
一方優勝など期待されていなかった日本は、これで調子にのり、本来シナのチームが勝ち進むはずのコースをすいすいと決勝まで勝ち抜いてしまった。苦戦したのは準々決勝のタイ、準決勝のイランぐらいだ。そして勢いにのって優勝戦でUAEに勝ってしまった。
タイ戦で苦戦する日本チームをみながら、いつ負けるのかなと思っていた私もビックリの優勝だった。どうも優勝を期待されていないことが、かえってチームの団結につながり反骨心からの頑張りらしい。
おかしかったのがシナの報道で、反日報道が得意なはずが、サッカーに関してはどうにもこうにも言い訳できなかった。何時の間にやらシナ政府のサッカー強化策非難へと変り始めた世論に慌てて、気がついたら日本のサッカーを賛美し推奨することで紙面を誤魔化していたらしい。
まったくもって、シナ人は相手が弱いとみれば、いかようにも叩くが、強い相手ならば嫌いであっても媚びてしまうようだ。弱腰を柳腰と言って誤魔化している官房長官は、このシナ人の態度をよくよくみてもらいたいものだ。
サッカーはともかく、他の競技で目立ったのはインドを初めとして、従来のスポーツ弱小国が大きく躍進したことだ。やはり経済成長が著しい国ほど、この躍進は目立つ。経済的な余裕がでたことが、スポーツ振興につながったのだろうと、容易に想像がつく。
今後は人口だけは大国並みのインドネシアをはじめ、アジアの国々が経済成長に合わせて、どんどん躍進するであろうことが予想できる大会でもあった。
やはり21世紀はアジアの時代なのかもしれない。今まで東南アジアに関しては、あまり力を入れて観る事はしなかったが、今後はもう少し注意を払ったほうが良さそうだ。