ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

仕事がない!?

2010-12-10 12:41:00 | 社会・政治・一般
自分に合った仕事がない。

バッカじゃなかろうか。この科白聞かされると、侮蔑の思いが顔に出ないようにするのに苦労する。なんでお前さんのような若造に仕事を合わせねばならない。お前が仕事に合わせろと怒鳴りつけたくなる。

だいたいが、20代の未熟な若者になんで社会が迎合せねばならぬ。親の金で学校を出させてもらっただけの雛っ子が、あたかも自分が確立した人間であるかのうように振舞うなんざ、思い上がりも甚だしい。

はっきり断言しますが、20代の若造なんざ即戦力になりゃしない。はっきり言えばお荷物。でも、育てていけば10年後ぐらいには、会社に貢献する必要な人材に育つ可能性はもっている。だからこそ採用する。それだけのこと。

ところが入社して3年以内に会社を辞める若者が後を絶たない。3年程度で何が分る。辞める時の言い訳で多いのが、冒頭の「自分に合った仕事じゃない」だ。

バカも休み休み言え。まずは仕事に自分を合わせろ。社会経験も不十分で、人格、見識ともに未熟な自分を変えてみろ。その勇気もなく、今の未熟な(自覚はないようだが)自分に安住して、厳しい経験を積んで成長する気概もない。

私から見れば、逃避に他ならない。逃げたって、逃げた先に理想郷はないことも容易に分る。未熟な若者が、自らの未熟さを自覚していない以上、自分に合った仕事なんてあるわけない。なれば、逃げずに留まって耐えろ。

そして会社に必要な人材になり、会社を背負う責任を負い、そこから会社を変えてみろ。その努力もせず、自分に合った仕事が与えられないと不満を漏らすバカが、展望もなくて会社を辞めれば、待っているのは惨めな未来だけだ。

思うに、今の若者は甘やかされ過ぎている。私が20代の頃、就職活動をしていた時は、自分に合った仕事なんて発想はなかった。

私は営業志望だったが、営業にむいているかどうかは、さっぱり分らなかった。不安が無いといえばウソになる。しかし、新しい自分の才能を磨くチャンスだとは思っていた。当時の自分が未熟で欠点だらけであること位は、当然に分っていたからだ。

未熟を恥じる気持ちはあったが、成長の延びしろがあることだと納得できた。それよりも、未熟なままで安住することのほうが、より恥ずかしいことだと思っていた。未熟さを自覚することは、次の成長への最初の一歩だとも思っていた。

もっとも、難病のせいで、その志は果たせずに終わってしまった。これはこれで、けっこう私の中ではコンプレックスになっている。

実を言えば、税理士試験に挑んでいた時も、自分が税理士に向いているかどうかは、ほとんど考えなかった。具体的な税理士像を描けなかったせいもあるが、自分を変えればいいだけだと割り切っていたからだ。

親しい友人たちからは、「似合いすぎ」なんて揶揄されているが、自分ではそのような自覚は無い。ただ、自分に出来ることを積み重ねれば、それなりの税理士になれるであろうと信じていただけだ。

そして、未だに発展途上というか、自らの未熟さをチクチクと痛感しているのが現状だ。まだこれから成長できるさと、自分を慰めているが、絶対的な確信はない。ただ、今在る現実に真摯に向き合うだけだ。

人間は自らの意思で変ることが出来る、出来るはず。私はそう確信している。それは過去の問題児から真面目っ子に変心できた実績に基づいて、そう確信している。

仕事に不満があるのは当然のこと。仕事に合う、合わないではなく、自分を変えてみろ。そうしなければ、変化する時代、社会環境に対応できず、取り残され、惨めな境遇に追い込まれるだけだと思う。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする