曖昧批評

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名探偵ポワロ「カーテン ~ポワロ最後の事件~」の感想

2014-10-07 23:25:13 | テレビ・映画
NHK BSでやっていた名探偵ポワロの最終回「カーテン」を見た。この最終回は、正真正銘の最終回。「灰色の脳細胞」ことエルキュール・ポワロ最後の事件である。

すごくネタバレすると思うので、知りたくない人は回れ右したほうがよいでしょう。





僕は原作を読んでいる。「カーテン」は、いろんな意味で賛否両論の作品だが、僕にとってはポワロもの全部でトップ5に入る好きな作品である。犯人の犯行方法が興味深いからだ。

この犯人は、自分で手を下すことはない。巧妙な会話で相手のもつ悪感情を増幅させ、人を殺させる。犯人のセリフは精密に書かれていて、分かってから読み返すと、ああ、これが、とか、むむむ、なるほどこれか、と唸らされる。

彼の会話術は、実際の生活にも生かせるのではないか? もちろん殺人教唆にではなく、よくある「相手の心を動かす20の方法」とか、その類の技術として。そして、そういう話を60年以上前に書いていたクリスティーはすごい。

しかし、このドラマ版では犯人の仕込みの会話がかなり省略されていて、単にそそのかしているだけのように見えた。例えば、ラトレル氏が夫人を猟銃で撃つシーン。原作にある「兄を撃ち殺した従卒の話」が出てこない。この話はキャリントンが持ち出したものだが、実は事前にノートン(犯人)がキャリントンに語ったネタである。キャリントンの、人から聞いた話を自分のネタとして自慢する癖を利用した頭脳プレイだった。ノートンほどのテクニシャンになると、決定的な一言は自分の口から言わない。だが、ドラマ版ではノートンのテクニカルな暗示が少なすぎて、これ原作を知らない人が納得するかな?と心配になった。

ポワロが「心理的殺人教唆」と言い切ってしまっったのもどうなのか。原作のノートンは自由自在に実行犯を操っていて、ほとんど「殺人教唆」の域を超えている(だからこそポワロに処刑される)。好きな時に望むターゲットを殺せるという感じ。それを「教唆」と言ってしまうと、軽い。

原作では、ヘイスティングスは奥さんを亡くした後で、自分が娘を救わなくてはという使命感もあって殺人を決意するのだが、ドラマではその話はほとんどなかった。代わりに、アラートンが原作以上に嫌らしい男になってて、ヘイスティングスの殺意に説得力を持たせていた。

一番違うのはクレイヴン看護師だ。原作では「器量よしで健康」とあるが、ドラマでは健康なだけだった。ちょっと年を取り過ぎているように見えたし、アラートンとキスするシーンはアラートンより体格が良くて、釣り合ってなかった。

ノートンとポワロの対決は原作よりボリュームがアップしていた。ポワロが母親のことを持ち出してノートンを泣かせたと思いきや、「全然効いてませ~ん」とヘラヘラするノートン。「シャーロック」のシャーロック対モリアーティみたいだった。原作ではニヤニヤしてた、というだけだ。原作は比較的ドライに話が進んでいくが、ドラマはポワロが何度も十字架を触ったりして、最後(最期)を盛り上げようとしていた。

ポワロの最後の手紙は原作同様に、いやそれ以上に感動的だった。手紙の文章は原作通りだと思う。残していく親友に対して、あれほど心のこもった最後の言葉があるだろうか。

色々文句を書いたけど、本当のところを言うと、「カーテン」を映像で見られただけで僕は満足だ。

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