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森羅万象 ~ 歩く印象派

東京ドームの屋根を造った会社

2007年04月16日 18時11分29秒 | 仕事
今年のGIANTSは昨年までとはちょいと違う。
なによりピッチャーそれも2人の左腕投手(高橋(尚)と内海)が大活躍である。
写真は高橋(尚)が完封で3連勝を飾った日曜のものだが、その後方、レフトスタンド席の企業広告名に目が止まった。
高橋の掲げる拳のすぐ右に「TSP太陽」という文字が読める。

TSP太陽は大阪にある太陽工業(株)の関連会社である。
太陽工業は日本最初のドーム球場である東京ドームのあのもこもことした天井を造った会社である。
ドームに屋根がつくいきさつについてはNHKのプロジェクトX(02年5月21日放送)「東京ドーム 奇跡のエアー作戦」でも取り上げられ、当時としては画期的な工法であったことがうかがい知れる。
1970年の大阪万博で一躍脚光を浴びた太陽工業であるが、少し前までダイハツ工業の仕事もしていたことを知る人は少ない。
それもあの「ミゼット」という大ヒット軽三輪車にかの太陽工業の製品が使われていた。トラックの幌(ほろ)である。そのころの社名が太陽テント商会だから、理由はすぐに判る。

やりくりアパートに出演していた大村昆と佐々十郎がTVのCMでミゼットを宣伝していた。ここでもミゼットのロゴが誇らしく荷台の幌に書かれている。(昭和30年代)

その頃太陽テントは大きなスローガンを掲げていた。
「世界一のテント屋を目指す」と。
果たせるかなテント一筋の道を究めた太陽テントは太陽工業と名を変え、見事万博で花を咲かせ、その後の世界中のパビリオン建設のトップを走ることになる。
その太陽工業が車(自動車)業界(つまりダイハツ工業)から、撤退するまでの10年あまりのあいだ、私は仕事でお付き合いした。(すでに、太陽工業の売上に占める自動車部門の売上は1割を切っていた。)

関西の企業との取引は初めてであったが私の受けた太陽の社員の印象はズバリ紳士であった。
大企業ぶらず、異動で担当が替わってもまったく失礼のない態度は変わらず、つくづく社員の教育が行き届いているなあと感心した。一人一人の社員が会社を代表している意識が高く、判断をペンディングしない潔い態度や、書類を多く使用せずに打ち合わせをきちんと行なうなど見習うべき点が多々あった。

なんどか枚方の工場も訪問させていただいたが、皆親切で最恵国待遇を受けたことも忘れられない。

東京ドームに行くと必ず思い出す企業である。

※神奈川・二宮町 小5 直宏の書かれた読書感想文東京ドーム奇跡のエアー作戦もあわせてお読みください。