外道の作戦であることは、作戦を立てた上部も理解していたのですから、決してこのような作戦を勧めるような事はできません。
しかし、その時の状況で立派に飛び立って行って亡くなられた英霊に対して、私はあなた方の死は無駄死にでしたよ、とは口が裂けても言えません。
私の故郷鹿児島県出水市にも知られていませんが、特攻隊の基地がありました。
亡くなった祖母が、いつもいつも夏になると、まだ幼さの残る凛々しい兵隊さんが最敬礼して飛び立っていったのを涙を流しながら見送った話をしてくれました。
溢れてくる涙が止まらなかった、戦争なんて絶対にしてはいけない、といつも言っていました。
祖母は、竹やり訓練でも、平然とこげんとで飛行機や戦車ば倒せんばい、と言って訓練をサボタージュして退けていた豪傑です。
それが事実であることは、同年代のお婆さんたちがよしこさんなふとかお人やってな、と言ってましたから本当のことです。
そんな祖母でしたので、嘘は一切言ってないと思います。
その祖母が、特攻隊の兵隊さんを見送った話を、いつも涙ながらにしてくれました。
戦果の功績を認めろとか、そういう話ではなく、運命に殉じた方々へ対してどう感じるのかだ、と私は信じております。
尊い命を親を兄弟を家族を、友人を仲間を、村を国を守ろうとして散らして逝かれた方々へ、私絶対に無駄死にとは言えません。