これはとても大事な問題なので、しつこく取り上げます。
患者様はわがままで良い、医療人としてどうあるべきかはすべて患者様が決めること、と言う発言はスルーできません。
そして、それを讃える患者さん、医療人に対して、これはまずいと真剣に思い発言します。
最初に述べて置きますが、私の意図は次代の為であり、これからの医療のより良い普及、未来の為です。
まず何処まで突き詰めて考えているのか?
患者さんがわがまま言って良いなら、医療側は24時間365日診療すべきだ、と明言します。
多分そこまで深く考えてないで発言されてるのだろう、と推察されるので、違和感を途轍もなく感じるのです。
実際、医療の現場では、今日本では24時間365日診療を受け付けています。
救急車が何時でもスタンバイしてますし、大きな基幹病院は救急医療を当直医、スタッフを置いて対応してます。
しかし、その実態はこれ救急車呼ぶの?と言う出動の方が多いのです。
その為に本当に救急車が必要な場合に間に合わないとか、本末転倒なことが起きています。
更に言えば、着いた病院で、当の患者さんは忙しくて病院に行けなかったとか、ご自分の足で病院に行く方は、開いてるんだから診てくれるんだろ、と言う輩も出てる始末です。
そのような実態を更に助長させかねない、と私は警鐘を鳴らします。
やはり、このような方には人として如何なものか?と感じるのが普通ではないでしょうか?
そんな患者さんのわがままが通る、となったら、そんな仕事場に誰も就きたくなくなるとも思います。
そうなると、ただでさえ若い人が今後減り、益々人材不足が進むのに、医療に携わる方がいなくなってしまう、と危惧します。
医療人が減って幸せになる方は誰もいません。
医療人だって人としての幸せを求めてる、と信じます。
人としての幸せは、私は仕事も家庭も個人も全て幸せであること、バランスの取れていることだ、と明言します。
仕事バリバリでも、家庭めちゃくちゃ、外に女作り捲り、女房に病気移すとか、別れて独りになり孤独老人に成り果てる、それ人として問題ありまくりではないでしょうか。
若いうちは全能感に包まれて、自分は何でもできる、と過信するかもですが、それは一時の気の迷いです。
人は必ず老います。
その時にどうなるのか?を知らないと。
私は、開業前に老健施設に往診に週一で行って、老いるとはどう言うことなのか?を学びました。
そして、これも明言しますが、今の時代人は長生きします。
ハッキリ言いますが、下り坂の人生の方が圧倒的に長いんです。
それは、患者さん診てれば分かることではないですか?
若く全能感ある時のまま老いることは、誰にもできません。
患者さんがわがまま言って良いと明言するなら、自分は幾ら老いても、24時間365日で対応できないと嘘吐きです。
そんなことできる筈がありません。
あなたも私もいつか必ず死ぬんです。
もう一度書きます。
人、生き物は必ず死ぬんです。
理想を述べることは容易い。
しかし、言葉にしたらそこには責任を果たす、と言う義務が生じます。
それを感じれないとしたら、どうかしてる。
私は未来の歯科医療を実現する、と2000年頃から明言して来ました。
そして、その約束は守れた、と思っています。
人がこの世にいる時間は長くても100年行けるかどうか、でしょう。
その時に、30代40代の感覚のままでは絶対に行けません。
しかし、平均寿命で男性80、女性はほぼ90です。
今生きている働き盛り世代は、大変です。
老いてからの人生が、とてもとても長いんです。
私の個人の信条かも知れませんが、人は一生を貫く考えを持つ、その時その時だけで周りに聞こえの良いことを言うのは見苦しい、と思ってます。
老いてもなおの人生を生かされる、生きなければならない。
そんな中でどう振る舞うのか?
良く良く考えるべきです。
老健施設に伺っていた時、全ての方がこんな長生きするとは思わなかった、早くお迎えが来て欲しいけど中々死ねない、と言われてました。
これが真実です。
生き残り、お荷物になってしまったことに申し訳なさを感じて、死ねない命を生きてるんです。
私が老健施設に伺っていた時の高齢者は、戦争世代です。
明治の方も、本当にごく僅かですがご存命でした。
我々よりも遥かに過酷な人生を生きて、凄い人生経験積まれた方々ですら、かような感慨を抱くのが老後なんです。
そして、これ大きな問題ですが、これから介護世代はいわゆる団塊世代になります。
このことだけ、で察しの良い方は分かるでしょう。
そうです。
団塊世代は超の付くわがまま、が特徴です。
全てが自分の思い通りにならないと気が済まない、それが世代的性質で、俺が正しいと言う従来の価値観否定をして全ての破壊者、が彼等です。
そんな人達がこれから介護になり、医療を求めて来るんです。
多分過剰に求めて来ること、が間違いなく予測されます。
そして、介護の現場にいる方は良くご存知でしょうが、動ける、自分の意思がある方が、一番手が掛かり大変なんです。
介護される側は体力、気力共に求められることは間違いありません。
時代の流れ、その流れに沿いながら人は生きるモノです。
このままでは、医療不足、介護不足で垂れ流し老人多発して、野垂れ死にする方が沢山出てしまう、と予想されます。
そこが医療人は分からないといけない。
医療人にも、自分の幸福を追求する自由を保障しなければなりません。
と言うか、誰もが皆んな、自分の幸福を追求する自由は、憲法上でも保障されています。
しかし、忘れてはならないのは、自由には責任が伴うこと、義務を果たすことを求められていることです。
自由だからと言って、好き勝手して良い訳ではありません。
一人の介護老人に医療、介護提供するのに何人人が必要だか分かりますか?
歯科医療ですら、治療は二人一組、バックヤードでは洗浄、滅菌、片付け、掃除、準備等多くの仕事があり、受付もいます。
たった一人の患者さんでもそれだけの人が要るんです。
わがまま聞く先生は良いかもですが、仕事してるスタッフは?と明言します。
もう一度書きます。
若い人は減ります。
人材確保は困難になります。
このままでは、選ばれる職業に医療はなれません。
その果てに起きることは?
先にも書いたように、野垂れ死にの多発する世の中で、働き盛り世代すらまともな医療を受けられない未来です。
そんな世の中に誰がしたいのですか?
私はしたくありません。
なので、敢えて警告として発します。
患者様はわがままで良い、医療人としてどうあるべきかはすべて患者様が決めること、と発言するなら、24時間365日診療を。
それで成り立つ医療機関を作り上げて下さい。
私は、医療が次代に夢を与えられる仕事であって欲しいし、就きたいと選ばれる職業であって欲しい、と願いますから、患者さん迎合的発言は一切しません。
勿論、治療にあたる時には誰よりも真剣で、眉毛釣り上げて必死で取り組んでます。
だからこそ、私は時代を20年先取りする医療を実現できました。
そのことへの自負はそれなりにあります。
しかし、それができたのも、自分を大切にして学びの時を持てたからです。
人並外れたことができるコツは簡単です。
人がまずしないだろうことをやる。
それだけです。
私のしたことは、2003年9月殆ど私はサンフランシスコの恩師の元に訪れ、学びに時間を費やした、です。
普通個人開業医が、自院での診療しないで海外に勉強ってあり得ないですよね。
それを私はしました。
勿論、勤務医はお願いしてましたけど…
でも、院長いないんです。
普通しませんよね。
それもこれも、私の個人の信条からです。
患者様はわがままで良い、医療人としてどうあるべきかはすべて患者様が決めること、と安易に明言すべきではない、と私は警告を発します。