私の直方の風景

私の住んでいる直方の好きな風景を紹介します。

(^u^)旧直方駅の河童のお姉さんに会いました(^_^)/~

2012年03月23日 18時30分26秒 | 郷土の歴史
旧直方駅の河童のお姉さんに会いました。

1.遠賀川の河童伝説のこと
去る2月にこのブログにて、(関東の誠さん)より頂いたご丁寧なご指摘にもありましたが、・・・
直方は~広く見れば筑豊地区は、遠賀川とは深いかかわりがあります。
太古の時代から今日まで、筑豊人と遠賀川とは切っても切れない関係です。
日常生活や産業(農業やかっての石炭産業など)、交通とすべてに係わっています。
さて、遠賀川の河童伝説のことですが、(関東の誠さん)ご指摘のように、色々とあるようですね。
私も改めてこのことを知りました。
(1)ご参考
①参考本の紹介です。この本は、私がよく行っている直方図書館にもあり、読んでみました。
直方市の隣町宮若市に在住され、後半生をかっぱなどの陶芸と伝説収集に情熱を燃やされた
吉田龍四郎さんの著書です。
****************
書名;「水と甲羅(ミズ ト コウラ)」 ~2005年再版発行
副書名; 遠賀川の河童たち(オンガガワ ノ カッパ タチ)
作者;吉田龍四郎
発行所;自分史図書館
*******************
著書には、遠賀川流域各地に関連する21の伝説や物語が記載されております。
そして、付録「全国の河童たち」として、日本全国の河童伝説が引用されています。
いたずら好きだが、最後は人間と共生する民話独特の物語がテンポよく描かれています。
河童は、中国から九州に渡来し、以後全国に移住し、伝説も全国に広がったとされます。
若松の火野葦平作の河童封じ地蔵尊についても述べられています。

②また、次のサイトには、この内容の要旨が掲載されております。
http://www.geocities.jp/book_of_tikuho/16kappa.htm


2.旧直方駅舎の河童のお姉さんのこと
(関東の誠さん)より・・・改札口に向かって三つ指ついて迎えてくれた“河童のお姉さん”の
ことが述べられていました。私もこのブログの「直方駅舎が変わりました~その5(2011.4.30)」で
このお姉さんの写真を掲載していますが、次のように、「旧駅舎「ありがとう直方駅回顧展」
会場内で、かっぱ像が「いらっしゃいませ」とあいさつしております。
http://blog.goo.ne.jp/nonbiri-arukuyama/m/201104

1河童のお姉さんの挨拶~「旧駅舎「ありがとう直方駅回顧展」


(1)そこで、旧直方駅に居た河童のお姉さんのその後を色々と尋ねて、今回、直方市の
隣町である宮若市本城地区で、『まちの駅「河童の里」』で、旧直方駅舎での河童のお姉さんに
実際に会う事ができました。
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旧直方駅での同じ雰囲気で、「ようこそ河童の里へ」と3つ指をついて迎えてくれます。






河童のお姉さんの背面の文言です。
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私もこの文言を書き出してみました。


『まちの駅「河童の里」』で堀村長さんにもお会いでき、村内を回りながら、焼き物のこと、
河童たちのことも親切にご案内して頂きました。
5窯の前での堀村長さん。これから焼く準備中の皿や茶碗、カップなどの陶芸作品が
沢山並べられていました。


6「河童の里」の陶芸教室内


7「河童の里」の民芸コーナー。もちろん、河童の像もあります。


8河童の里への入場を歓迎する河童たちです。


9イベントを行う舞台の隅にも河童たちが控えています。


現在の堀英躬村長さんは、上述の前河童村村長吉田龍四郎さんとともに、この陶芸の
仕事をされ旧直方駅の河童のお姉さんや、その他の多くの河童の焼き物を作って来られた
ようです。ご多忙中で、細かいことまでは聞けませんでしたが、河童のお姉さんはふるさとに
里帰りして、新たな仕事環境で頑張っております。
そして、現村長さんは陶芸「隠谷窯」の運営や、事業の枠を広げて、『まちの駅「河童の里」』
の事業をされているようです。また、地元宮若市の発展の為、福祉活動や陶芸教室開催など
幅広く活動されています。

3.次に紹介するのは、『まちの駅「河童の里」』のホームページです。
「河童の里」の民芸コーナーや陶芸コーナー、「産直しきの里」での新鮮産直品の販売コーナーが」
紹介されています。
http://www15.ocn.ne.jp/~kappa8/index.html
11「河童の里」の民芸コーナーや陶芸コーナー


12「産直しきの里」での新鮮産直品の販売コーナー


13『まちの駅「河童の里」』への入口です。背景は六が岳の山並みです。


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6 コメント

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ありがとうございます。 (関東の誠)
2012-03-24 20:13:49
こんばんは。
楽しく拝読致しました。
河童のお姉さん、「元気そうで何より」というのが素直な実感です。
直方旧駅舎時代、改札を出て見つけた時はいつも(生き物ではないと判っていてもついつい)、「居た居た、久しぶり!。」と声に出しそうになる程「血が通って温もりのある存在」に感じていましたし、石炭で栄えた川筋の象徴でした。
駅舎がリニューアルされて、玄関先が手狭になり「奥座敷に居場所を変えた」と解釈し、いつの日か河童の里を訪れて、「居た居た、久しぶり!。」と声に出して挨拶したくなってきました。
大変遅くなりましたが火野葦平著「糞尿譚 河童曼陀羅」を購入しましたこと、お知らせ致します。
返信する
河童のお姉さんとの再会良かったです (nonbiri-arukuyama)
2012-03-24 23:29:04
(関東の誠さん)こんばんは(^u^)
ご丁寧なご挨拶有難うございます。
1年前に、旧直方駅舎で河童のお姉さんを見た後、関心は薄くなっておりました。
(関東の誠)さんのコメントで、私も再会してみたいな、と思いが強くなりましたが、
なかなかそのチャンスがありませんでした。
今回、色々と尋ねてその所在が分かって、場所は変わっても、以前と同様な親しみのある姿で元気に再会できた時はやはり嬉しかったですね。河童伝説も、河童世界と人間世界とを共有しながら、全国的に色々とあるようですね。
お蔭さまで私の視野も広がり、有難うございました。
返信する
新たな興味が… (関東の誠)
2012-03-25 20:49:03
懐かしさの深まるコメントを頂戴致しましてありがとうございます。
さて「まちの駅・河童の里」を検索して新たな発見を致しました。
それは…、
焼きそば「永楽」、「永楽」と言えば数年前まで円徳寺のはす向かいになる位置にあったお店を思い出します。亡母が「永楽」の焼きそばを手本に我が家のご馳走になっておりましたので、もしも河童の里の「永楽」と直方の「永楽」に繋がるとなれば、河童のお姉さんと並んで私を呼んでいるかの如く感じてしまいました。盆と正月が休みになることが非常に残念ですが…。
近年「焼きスパ」が新たな直方の味として育ちつつあると聞きましたが、私は「永楽」の焼きそばが直方の味と思っております。
更に、亡父、亡兄から聞かされていた「夜泣きそば」、ラーメン又は中華そばと思いますが、どうやらとんこつではなく鶏ガラの味だったような…?。私にとっては全くの幻の味でラーメンの類も筑豊独自の味が存在したと想像力を逞しくしております。
河童のお姉さんから話題が飛躍してしまい、大変失礼致しました。
最後に映画「僕達・急行 A列車で行こう」を観てまいりましたが、直方の「汽車倶楽部」がロケ地の一つになっておりました。よろしかったらご高覧下さい。
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御教示ありがとうございます (nonbiri-arukuyama)
2012-03-26 23:45:16
(関東の誠さん)色々と情報ありがとうございます。直方在住でありながら、「永楽」のことや」、「夜泣きそば」のことなど、余り良く知りませんでした。また、松山ケンイチの「僕達・急行 A列車で行こう」についても、直方の「汽車倶楽部」がロケ地の一つになっていたことも、迂闊にも知りませんでした。「直方汽車倶楽部」は、私もお気に入りで、ブログの昨年の 2011.5.19にも掲載しておりますが、ここも舞台になっていた、とは、御教示ありがとうございました。
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覚えています (すぺぷれまま)
2012-03-27 22:33:22
nonbiri-arukuyamaさん,毎回本当に楽しく興味のある写真と記事有り難う御座います。関東の誠さん、私も曖昧な記憶ですが”永楽”覚えています。私の中学の同級生は古町商店街の子が多くて、中学の時は良く駅前や古町界隈でぶらぶらしてました。まだあの頃は古町商店街が栄えていて、五日市の日などは真っすぐ歩けない位人が沢山来てました。


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五日市のにぎわい (nonbiri-arukuyama)
2012-03-29 22:19:19
(すべぷれまま)さん、確かに五日市の賑わいは楽しみでしたね。あちこちから、バスに乗って集まって来ていましたね。今も花火は上がっていますよ。魁皇関の花火が上がらなくなったのは、大変さびしいですけどね・・・
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