私の直方の風景

私の住んでいる直方の好きな風景を紹介します。

**「旧住友忠隈ぼた山”筑豊富士”」について**

2012年09月14日 23時08分20秒 | 郷土の歴史
「旧住友忠隈ぼた山”筑豊富士”」について

筑豊地区の真ん中にそびえる旧住友忠隈炭鉱の「ボタ山」について述べます。
旧住友忠隈ぼた山は、「筑豊富士」とも別称されるように、周囲の平野部から
3連の重なり合ったピラミッドのように優美な姿をみせてくれます。
ぼた(ボタ)は、石炭採掘の際に掘り出され、石炭層の周辺部の燃えない
岩石の部分です。石炭採掘の全盛期には、筑豊地区のあちこちに、ピラミッド型の
黒いぼた山が見られ、中には自然発火をして煙を出していた風景がありました。

かっては、数多くの大小の炭坑がひしめき合っていた筑豊炭田のぼた山も今では、
往時のぼた山はほとんどなくなり、残っていても草木が生い茂り、ぼた山を知る人も
少なくなりました。そういった中で、この住友忠隈ぼた山は、筑豊炭田の象徴とも
言うべき姿で残り、大正初期から半世紀近く営々と堆積され、1000万トン近くが
ピラミッド状に積み上げられ、遠目に見ると普通の山に見えます。
開発の歴史は紆余曲折がありますが、昭和40年にこの忠隈炭鉱は完全に閉山
しております。

1 位置図
旧住友忠隈ぼた山は、穂波町東部、JR飯塚駅と天道駅の東側に位置し、
JRの車窓からも見えます。


2 遠賀川(嘉麻川鉄橋)と背景の住友忠隈ぼた山です。直方行きの電車です。


3 住友忠隈ぼた山の見える風景(飯塚市の遠賀川合流地点付近)
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沈下橋や水鳥がのどかな風景を演出します。




4 少し前の風景
その美しさから「筑豊富士」とも呼ばれていますが、標高140~110メートルの
ぼた山が並んで立ち、周囲2キロの裾野があります。


5 飯塚駅から見る旧住友忠隈ぼた山
火野正平の「日本縦断こころ旅」の小倉~直方~飯塚の中でも紹介されています。
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飯塚駅前の火野正平のバック右手にぼた山が見えます。


6 そこで、私も「日本縦断こころ旅」と同じ視点からの写真を撮ってみました。


7 飯塚駅の袴線橋から見た旧住友忠隈ぼた山、
筑豊本線の博多発~直方行きの電車が入ります。
かっては石炭を満載したSLが走っていたことでしょう。


8 筑豊本線JR飯塚駅と天道駅間を走る博多行き電車です。
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6 コメント

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懐かしいボタ山の風景 (関東の誠)
2012-09-16 12:21:39
こんにちは。
ボタ山の景色、ありがとうございます。
遠い記憶ですが…、
1970年代までは黒かったと思われたボタ山、90年代には緑色になっていて、大変驚きました。
子供の頃、ボタ山が人工の山で、ベルトコンベアーからボタが落ちる様子を見ても、にわかに理解できず、非常に不思議なものと思い続けていました。
今もテレビでギザのピラミッドや肉眼での筑波山(東京から見ると筑波山の方角の先に常磐炭田があったため、私が勝手に筑波山とボタ山のイメージを重ねているのですが…。)を見るにつけ、筑豊のボタ山に結びついてしまいます。ボタ山は私にとっても筑豊のシンボルです。
今は風化も進み細かな凹凸もあるのでしょうが、末永く形を留めることを願っています。
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ボタ山への想い (nonbiri-arukuyama)
2012-09-17 14:26:16
(関東の誠)様、いつもご丁寧なコメントありがとうございます。そしてボタ山に対するいろいろな想いを語って頂き、なるほど、と共感致します。私は筑豊炭田の地元ですし、時々現況を眺める機会もあり、仕事でボタの再利用にも関わったこともあり、石炭が日本の近代化にいかに寄与したか、その周辺の歴史など、ボタ山が語ってくれているようです。
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ボタ山 懐かしいです (ninoji)
2013-07-01 11:18:58
ボタ山の懐かしい写真 ありがとうございます。 昭和36年まで 忠隈に住んでおりました。
毎日眺めて、たまにトロッコに乗り、坑内のおじさんから叱られたり 青春の思い出です。
ありがとうございます。
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ボタ山 私も 懐かしいです (nonbiri-arukuyama)
2013-07-04 22:36:17
(ninoji)様、コメントありがとうございます。昭和36年まで 忠隈に住まわれて、毎日ボタ山を見て、トロッコ乗りのご経験もあり、とは本当に恐れ入ります。今の人たちには今は緑に覆われたボタ山が、これだけ大量の土砂(ボタ)を積み上げられて出来たとは、到底想像が出来ないと思いますね・・・・ありがとうございました。
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ボタ山 LOVE (yassy588)
2016-08-02 02:17:17
1962年、S37年生まれです。
子供の頃は、ボタ山やガス山が最高の遊び場でした。
黒い大地からガスが噴出するあの匂いと異様な雰囲気は、我々の知る宝的な記憶でしょう。

有井のボタ山では、高千穂渓谷のような形状の渓谷や
洞穴、最高に面白いアトラクションのようでした。

私たちの集落の人たちが「ガス山」と呼んでいる山は、
相当古いボタ山のあとで、ガスが抜けて、赤いシャモットとなっていました。私たちは、その崖に石を投げつけて、崖を崩落させるという、なんともワイルドな遊びをしていました。

とにかく、ボタ山は、最高に刺激的で、趣もあり、ガスという匂いや不思議もあり、私の心の深層に大きな存在として息づいています。
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貴重でリアルな体験 (nonbiri-arukuyama)
2016-08-06 13:13:47
(yassy588)さん、貴重な「ボタ山 LOVE」のご体験のお話有難うございます。
まさしく、実際に経験した人にしか実感出来ないような刺激的な体験ですね。
(yassy588)さんのお話は、筑豊地区の博物館や古い筑豊の写真集や
炭坑をモデルとした古い映画などで想像は、していましたが、今回大変
リアルなお話を有難うございました。
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