☆花子とアンと伊藤伝右衛門邸☆その1
飯塚市の旧伊藤伝右衛門邸は、2007年に公開され、私も過去数回訪れていますが、
放映中のNHK連続テレビ小説「花子とアン」効果で、「最近の入場者数が昨年の三倍増!」
「4月~8月は5倍増!」「お盆休みには、2400人来場!」などというニュースにひかれて、
私も野次馬的にちょっと訪れて見ました。
主人公 村岡花子の生涯の友である葉山蓮子(実在の歌人・柳原白蓮がモデル)は、
嘉納伝助のもとに嫁いでいますが、嘉納伝助のモデルは、実在の我が筑豊の炭鉱王
「伊藤伝右衛門(1861-1947年)」なのです。
開館時間は、夕方17時までですが、近くにある小グラウンド程度の広さの駐車場は、
人気と夏休みのせいか、私の到着した16時の時点でも満杯状態でした。
旧伊藤伝右衛門邸に向う道路や邸宅の入口にも、「花子とアン」にちなんだポスターや
のぼりが立てられていました。
邸内に入ると、花子と白蓮の交流をテーマにした特別企画展「村岡花子と白蓮展」が
開催されていました。そして、2人の書簡や手紙の原稿、関係資料などが展示されていました。
1 旧長崎街道に面した旧伊藤伝右衛門邸の入口の豪壮な「長屋門」です。
「長屋門」は、福岡市天神にあった別邸「あかがね御殿」より移築されたものです。
2 長屋門には、「元内閣総理大臣 麻生太郎」揮ごうによる「旧伊藤伝右衛門邸」の
表札が掲げられています。
3、4 入口には、「花子とアン」に関連したポスターやのぼりが立てられていました。
5 お馴染み「花子とアン」のポスターです。
6 旧伊藤伝右衛門邸の見取り図です。4つの居住棟と3つの土蔵があります。
7 表玄関から屋敷内に入ります。玄関の上がり口(あがりかまち)は低く、
和服の裾の乱れを気にしないように配慮した伝右衛門の気遣い、との事です。
8 表玄関を入ると直ぐ左手に応接間があります。
アールヌーヴォー調のマントルピース、イギリス製のひし形のステンドグラスのある応接間です。
真ん中の丸いテーブルの上には、明治44年(1911年)の
伊藤伝右衛門と柳原子との結婚写真が飾られていました。
9 十五畳もある広さの本座敷の掛け軸です。
10本座敷より、池を配した広大な回遊式日本庭園を見ます。
巨大な手水鉢や、太鼓橋、カヤ葺きの東屋も配置されています。
11中座敷の刺繍屏風
伝右衛門は明治43年全額を出資して郡立技芸女学校を設立し、
後に県に移管されて県立嘉穂高等女学校(現在の嘉穂東高等学校)と
なりました。大正9年の卒業生が感謝の意を込めて制作した、ということです。
12特別企画展「村岡花子と白蓮展」では、2人の書簡や手紙の原稿、関係資料などが
展示されていました。また、村岡花子翻訳の「赤毛のアン」「カナダプリンス・エドワード島」を
紹介する資料も展示されていました。
なお、NHK連続テレビ小説「花子とアン」の原作は、村岡花子の孫の村岡恵理の
「アンのゆりかご~村岡花子の生涯」を原案とした中園ミホのオリジナル作品、とのことです。
また、村岡花子(1893-1968年)は、「東洋英和女学校」で10年間を過ごしたことで、
翻訳家を目指すきっかけになった多くの出会いがあり、柳原白蓮(1885-1967年)との
出会いと友情があった、との事です。
*この「花子と白蓮」画像は、飯塚市観光ポータル(http://www.kankou-iizuka.jp/)
より引用しています。展示品参照;名訳「赤毛のアン」誕生と白蓮
●こちらもどうぞ(2年前にアップしたブログです)
*筑豊の石炭王「伊藤伝右衛門邸」に行って来ました*
****************続く***********
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◎こちらもどうぞ:
「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
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飯塚市の旧伊藤伝右衛門邸は、2007年に公開され、私も過去数回訪れていますが、
放映中のNHK連続テレビ小説「花子とアン」効果で、「最近の入場者数が昨年の三倍増!」
「4月~8月は5倍増!」「お盆休みには、2400人来場!」などというニュースにひかれて、
私も野次馬的にちょっと訪れて見ました。
主人公 村岡花子の生涯の友である葉山蓮子(実在の歌人・柳原白蓮がモデル)は、
嘉納伝助のもとに嫁いでいますが、嘉納伝助のモデルは、実在の我が筑豊の炭鉱王
「伊藤伝右衛門(1861-1947年)」なのです。
開館時間は、夕方17時までですが、近くにある小グラウンド程度の広さの駐車場は、
人気と夏休みのせいか、私の到着した16時の時点でも満杯状態でした。
旧伊藤伝右衛門邸に向う道路や邸宅の入口にも、「花子とアン」にちなんだポスターや
のぼりが立てられていました。
邸内に入ると、花子と白蓮の交流をテーマにした特別企画展「村岡花子と白蓮展」が
開催されていました。そして、2人の書簡や手紙の原稿、関係資料などが展示されていました。
1 旧長崎街道に面した旧伊藤伝右衛門邸の入口の豪壮な「長屋門」です。
「長屋門」は、福岡市天神にあった別邸「あかがね御殿」より移築されたものです。
2 長屋門には、「元内閣総理大臣 麻生太郎」揮ごうによる「旧伊藤伝右衛門邸」の
表札が掲げられています。
3、4 入口には、「花子とアン」に関連したポスターやのぼりが立てられていました。
5 お馴染み「花子とアン」のポスターです。
6 旧伊藤伝右衛門邸の見取り図です。4つの居住棟と3つの土蔵があります。
7 表玄関から屋敷内に入ります。玄関の上がり口(あがりかまち)は低く、
和服の裾の乱れを気にしないように配慮した伝右衛門の気遣い、との事です。
8 表玄関を入ると直ぐ左手に応接間があります。
アールヌーヴォー調のマントルピース、イギリス製のひし形のステンドグラスのある応接間です。
真ん中の丸いテーブルの上には、明治44年(1911年)の
伊藤伝右衛門と柳原子との結婚写真が飾られていました。
9 十五畳もある広さの本座敷の掛け軸です。
10本座敷より、池を配した広大な回遊式日本庭園を見ます。
巨大な手水鉢や、太鼓橋、カヤ葺きの東屋も配置されています。
11中座敷の刺繍屏風
伝右衛門は明治43年全額を出資して郡立技芸女学校を設立し、
後に県に移管されて県立嘉穂高等女学校(現在の嘉穂東高等学校)と
なりました。大正9年の卒業生が感謝の意を込めて制作した、ということです。
12特別企画展「村岡花子と白蓮展」では、2人の書簡や手紙の原稿、関係資料などが
展示されていました。また、村岡花子翻訳の「赤毛のアン」「カナダプリンス・エドワード島」を
紹介する資料も展示されていました。
なお、NHK連続テレビ小説「花子とアン」の原作は、村岡花子の孫の村岡恵理の
「アンのゆりかご~村岡花子の生涯」を原案とした中園ミホのオリジナル作品、とのことです。
また、村岡花子(1893-1968年)は、「東洋英和女学校」で10年間を過ごしたことで、
翻訳家を目指すきっかけになった多くの出会いがあり、柳原白蓮(1885-1967年)との
出会いと友情があった、との事です。
*この「花子と白蓮」画像は、飯塚市観光ポータル(http://www.kankou-iizuka.jp/)
より引用しています。展示品参照;名訳「赤毛のアン」誕生と白蓮
●こちらもどうぞ(2年前にアップしたブログです)
*筑豊の石炭王「伊藤伝右衛門邸」に行って来ました*
****************続く***********
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◎こちらもどうぞ:
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