仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

「フレーミング効果」としてのテロ

2015年02月22日 | 現代の病理
昨日(27.2.21)の新聞報道に「共産党の志位和夫委員長が衆院本会議の代表質問中に「さすがテロ政党」とヤジを浴びた問題について、自民党は2月19日、山田賢司議員がヤジを飛ばしたことを認め、共産党に謝罪した。」というものがありました。

不見識なヤジです。しかし私の危惧するところは、以前もかきましたが「テロ」イコール「極悪、弁解の余地なし、抹殺排除」というイメージを刷り込まれ、「これはテロだ」という言葉を聴くだけで、問答無用排除といった思いで物事を見てしまうことです。

すでに中国が自治区の異分子の人たちの行為を「これはテロだ」という言葉を使うことによって、以前は自治区の人々に同情的であった思いが封印されてしまっているようにも思われます。

こうした思い込み行動は、「フレーミング効果」の一パターンでしょう。

少し話は変わりますが、「フレーミング効果」について、「最新 行動経済学入門」(真壁昭夫著)に、次のようなことが紹介されています。

ある宝石店の店長は、宝石がまったく売れなかったため、いろいろ売り方を考えた。そうして考えついたのが、宝石の値段を下げるのではなく、むしろ値段を倍に上げることだった。店長自身、その冒険を心配していたのだが、宝石の売れ行きはその日から増え始めた。結果として、その店は高級宝石店というイメージが広がり、売り上げは以前よりもかなり増えたのである。

(中略)
「同じ宝石の値段を上げると売れ出した」という3ページの例にしても、宝石を買う側からすれば、安いときに買わずに値段が上がってから買うという、おかしいところ(合理的でない部分)がある。そうした行動の背景には、「宝石とは高価なもの」、あるいは「高価な宝石ほど、価値の高いものだろう」という一種の思い込みが働いていると考えられる。行動経済学ではこうした思い込み現象を「レフレーミング現象」と呼ぶ。(以上)

これから世界の主導者が「テロ」という言葉をどう使うか、見定める必要があります。
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