仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

権威は相対的なもの

2015年02月21日 | 日記
土曜の朝ウオーキングは、5時代のラジオ放送を聴くようにしています。「音にあいたい」が目当てです。

そろそろ「音にあいたい」の時間かなーと思い、スイッチオン。すると「今日は何の日」が放送されていました。以下は、私が聴き取った内容の一部です。

2月21日、今日は1911(明治44)年、夏目漱石が当時の文部省から授与された「博士号を辞退」、事前の報告もなく一方的に授与するという政府の権威を嫌ったものです。

1965年、アメリカの黒人公民権運動活動家マルコム・X 暗殺される。(以上)

漱石は政府の一方的に“与える”という権威を嫌い、片やマルコム・Xは、NOI(ネイション・オブ・イスラム) というアメリカ合衆国におけるアフリカ系アメリカ人のイスラム運動組織から脱退して、教団メンバーから暗殺されました。

ラジオを聴きながら“権威というものは、暴力的な一面がある”と思ったことです。権威そのものは暴力ではないのですが、時には、その権威を守るために、権威にあい対する者を無視したり否定するという暴力的側面を持っています。

それに対して「尊厳」というものは、自らを尊しとするような、相対するものによって成立するものではないようです。ウオーキング中に想ったことです。
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