二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

太陽

2008-01-07 09:18:03 | 徒然に想う
朝焼けと夕焼け。朝の方が白っぽいというか黄色く見えるような気がしてきた。夕焼けの方が赤い、枯れた感もある。

赤ワイン、時を経るにつれて色のニュアンスがルビーからガーネットに変わっていく。若い時には白っぽいとさえ感じることもある。木々の葉も同じよう。新芽のころは薄い薄い黄緑色。やがて色相がどんどん濃くなり、紅葉。地面に落ちたばかりは正に真っ赤。時が経つにつれそこから輝きがなくなって、あたかも土のように。

太陽の一日も同じか…。朝が誕生なら、朝焼けに白さのような感じがあっていい。南中していくにつれ、輝きを増し白色に。やがて西に傾くにつれ年を重ねる。エネルギーを想わす白色はなくなっていき枯れたように赤味を増していく。間違った見方ではないだろ。

…しかし、太陽にはそんなこと関係ない、どうでもいい。区別しようと時間を浪費しているのを嘲るように、何もせず、日々その場で輝いているだけだ。

ここに…

2008-01-06 18:34:34 | 徒然に想う
お赤飯にミカン。神社の記帳台にお供えとして置かれている。新年早々、これは何かおめでたい事でもあったのだろうか。松が取れる時にお赤飯をというのは聞いたことないし…。きっとそうだ、そうにちがいない。この神社の神さんは傍にいるんだ。

そういえば、昨日、境内は人が多かった。総出で新年の後片付けという感じ。結というものだろか、神社だから社中というのか…。今なら、自治会?若い人も高齢な方も、それぞれが何か参加していた。皆さんのなかで、根付いているもの・継がれるものがあるだろう。

午後散歩の後で、久々に大きな本屋に出かけた。正直、なんであんなに本があるんだろ、驚いてしまった。大体、似たようなことに何冊?数冊じゃ利かない。一体何人がああだこうだといいたいことを勝手に言って本にしているんだ? 確かトルストイは「本はこの世に一冊、聖書さえあれば充分だ」と言った。何か宗教を信仰しているわけではないが、そうだと思う。時間つぶしには有効だが、自分にとって有効なものを見出すのは至難の業、時間の無駄遣い。そんな本たちは、悪いが、生きちゃいない。

大量な情報や本の中には何もないか…。代わりに、年齢を超えたり、地域の中で面と向かってほそぼそ継がれているようなことのほうが、まだまだ生活の中で、生き続けていて価値があるかも知れぬ。

種を…

2008-01-05 16:29:16 | 徒然に想う
今日も暖かかな穏やかな午後。シャカッ、シャカッと腕を振り、散歩。日当たりのいい小さな梅林、冬芽を観ると…。気持ち膨らんでいる? ちょっと早いよ。陽だまりでじゃれ合っている、子猫たち。

野良に人、人、人。落ち葉掃き、温床にするのか、はたまた堆肥? トンネル開けてホウレン草、収穫。ニンジンはもう終らせた、軽トラの荷台のコンテナに沢山。次は何を蒔くのですか?

木々、負けじと春の準備? 実を落とし、種を蒔く、アスファルトの上。そんなところでは、芽が出ない、次世代残せない。いっこうに! 沢山、沢山蒔く。きっと、風が吹けば、土のあるところ。もしかしたら、もしかしたら、小鳥、猫や散歩の犬たちがどこかへ持って行ってくれる。

そう、種を蒔かねば、苗を育てねば。春の準備。時は待たぬ、重い腰を上げる季節(とき)。部屋が夕焼け、穏やかに暮れていく。

仕事始め

2008-01-04 09:24:12 | 徒然に想う
東の空、間もなく朝陽が顔を出す。金星と月、澄んだ冷たい空気に冴える。耳たぶが芯から痛い。

陽が登れば、富士山が薄い紅のようなピンクに染まっていって。やがて、雑木林も上の方から朝焼けに染まる。霜柱もしっかり立った、ザクザク。

シャワーを浴び体を温めて、テレビをつけた。サンゴが温暖化で白色化しているとニュース。食い止めるため元気な株を手で一つ一つ植えていくという。砂漠化に対して種を蒔くのと同じ。きっと、それしか答えはない。植えて植えて、蒔いて蒔いて…。人間が答えるのでなく、サンゴや植物たちが答えてくれる。

いつかきっと、きれいなピンク色のサンゴ、青々とした大地に包まれて…。宇宙船「地球号」の乗組員全員が紅白の垂れ幕に飾られた場所に一つに集う。仕事始めの朝にしては上出来だ。


やったー! 

2008-01-03 13:45:32 | 徒然に想う
少年たち三人、広場からワラワラと。脇にある公民館の玄関に小さく身を隠している子がいる…。一人、辺りに注意を向けキョロキョロしながら静かに走り出てきた。ちょっとしたスキに、先ほどの玄関の少年が大きな笑い声を上げ公園に向かって走っていった。ガッ、コーン! 

「違和感そう、違和感なんだ」そんなことを考えながら歩いていて、目に入いるかいなかの風景。缶を蹴り上げる音で我に返った。缶蹴りか、今の子供たちもやるんだ。外で遊ぶと危ないからとか、缶けりなどの遊びは仲間はずれやいじめにつながるとか言われて、テッキリしないものと決め込んでいた。

違和感、何かが違う…。それは、今年のウィーンフィルのニューイヤー・コンサートで皇帝円舞曲をやった時、乗馬学校の馬たちが映像で出てきたことに始まる。ナポレオン風のいでたちの学生が白馬にまたがり曲に合わせて躍らせるのだ。斜めに歩いたり、前足と後ろ足の出る順を合わせたり、鬣を綺麗に見せる為首をもたげあごを引く、そうチェスのナイトのように。訓練された馬たちの曲に合わせた乱れぬ動きは美しくはあった。でも…。まったく目が死んでいた、人間の振るう鞭に怯えているとさえ写った。追い討ちは、そんな馬たち可哀相ではないか、おかしくないかと聞いても、誰もそんなことを思ってもいないことを知ったことだ。庵主一人、何かが違ってしまった…。

登校風景を知っています? 高学年の子供たちが先導し、一列になって静かに歩く。道いっぱいに広がってワイワイガヤガヤがない。今の子供たちはそれが当たり前のよう。親たちのご希望、安全の為なのか。が、庵主にはまことに奇妙な風景に写る。ふと視線を変えたら、足下にタンポポ…。
 

穏やか

2008-01-02 11:54:35 | 徒然に想う
ゆっくり起き散歩に出かけるとまた風景が違う。しののめの路とは違って、日差しも空気も何処となく暖かい。川面で輝く陽光も、まだ一月なのに春を感じさせる。

昨晩ジョルジュ・プレートルによるウィーン・フィルのNew Yearコンサートを観た。アンコール二曲目の「美しき青きドナウ」。久しぶりに、ゆったりと春の日差しにきらきらと輝きながら流れるドナウ河が目に浮かび、華やかな春が待ちどうしい気持ちが伝わってきた。本物のを春に見てみたくなった。最後のラデツキー行進曲、ジョルジュ・プレートルの指揮が良いのかゆったりした行進曲に仕上がっていて、こちらも楽しめた。

穏やかな三が日。ゆっくりと過ごしていく…




あけまして

2008-01-01 09:22:15 | 徒然に想う
おめでとうございます。穏やかに初日の出を拝みました、よい年でありますようにと。

いい年になりそうな予感です。初夢は今朝ではなく、明日起きる時に覚えているもの。だから初夢ではないのだが、今朝起き掛けに見ていたのが良かった。「春のうららの隅田川」で始まる「花」。それを何処かは分からないが、ぽかぽかとした川辺で歌いながら散歩していた。左手に桜?の木々。花というよりまだまだ蕾だ。とても温かい、体の芯からだけではなく心の中からも温まるような暖かさ。えも言えぬ幸福感に包まれていた…。で、丁度「…何とたとふべき」と歌い終わったところで目が覚めた。目が覚めても、その暖かさが包んでいた。

散歩中、道脇の庭先を鳥が跳ねる。シジュウカラ?と思ってみたら、白黒ではない。よく見たら、目の周りが白い、ウグイス餡色…。メジロだ、メジロの番い。へぇー、そうかメジロかぁ。今年もそんな発見を沢山して書き綴っていこう。