最近小川町で話をすると、雨のことばかり。お昼に入ったお店でもそこの小母さんと「雨降らないねぇ」。もちろん先達たちとも「雨降らないね」。ある先達は気温は平年並みに秋になっていったけど、と前置きがあった。確かに、雨が降らない。降っても表面だけで終わってしまう。そんな雨じゃなく、ゆったりと穏やかに長く降ってほしいのだ。さもなくば、野菜たちが大きくなってくれない。
御嶽山、雨が降ってしまった。台風も近付いている。それでは救命活動ができない。まだ不明の方が十数名とか。小学生の女の子もそんな中にいるらしく、何も言えなくなる。これを言ったら怒られる…。亡くなった方たちの御連合いさん、親御さん、親族さんたち、好きな山で亡くなったんだからと、しっかりされていると映像からうかがえる。その気持ちの持ちように感服せざるを得ない。ご冥福を御祈りします。
救助の費用のことがネットであげられていた。この夏の遭難の多さと呼応しあったのかもしれない。この段階において、もう金勘定を始めている輩がいる、ってこと。どれだけまだ不明の方たちがいるのか。仮に土石流が起きてしまい、これ以上のことが解らなくなるかもしれない。それでも、それ以前にやっていただきたいこと、我々に出来ることはある。原発の再稼働も同じ。所詮、金勘定でしかない、だれがどこでどうなろうとも、特にとは言わぬが、そのことにしか興味のない族が多いのが事実。
雨という一つの現象。それがいいとか悪いとか…。「雨、雨降れ降れ、母さんが蛇の目でお迎え、うれしいな。ピッチピッチ チャップチャップ、ランランラン」の歌、「あらあら あのこは ずぶぬれだ。やなぎの ねかたで ないている。ピッチピッチ チャップチャップ、ランランラン」と続く。一つの雨をとっても見方が違うのは解る。が、そこにいいとか悪いとかあるんだろうか。雨に罪はない。雨に罪をつけてしまったのは、結局、金勘定…。何度考えても自分自身の答えが見つからず言葉にならない。
そういやぁ、最近雨の降る音に耳を澄ませてことがない…。
今日の一枚:アマガエルでさえオクラの葉の間に隠れて待っている。彼の眼にはなんとかしてよ、と訴えている気がした。しかし、御嶽山のことが…。15時ころ、帰り支度をしながら畑を回っていた時、気がついた。
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