![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/59/1a5eb971e4b9833fae7670f2e633dae3.jpg)
なんとか、川の畔の家の荷物、要らないものとそうでないものとに分類し終えた。絶対に使わないものは、すぐに分かる。それが全体の三分の一にでもなったろう。問題は残り、要る・要るかもしれないとしたものたち。例えば、釘。押入れもある、家具(要らない箪笥が三竿!)もある。立派ない木材も沢山。ただ、棚がない。釘もあるし、じゃ作ろう! ほんとに?
物置は宝の山、だった。行李が数台(個?)、藁切り、竃で使うお釜。木挽き鋸、ウォータープライヤー、ハンマーなどの工具。シノもあった。古い鍬に、三又、大きな唐。数えればきりがない。山で使えそうだし、家でも。でも、道具は何個も要るまい。実際、ウォータープライヤーなんか、ごろごろ出てくる。今はすべて取っているが、果たして十も二十も要るだろうか。
今日の一枚に写ってる電飾のツリー、町の中心から車で数分のところ、越知町からいの町に抜ける県道脇にある。その県道、どう考えても、車がひっきりなしに通るわけじゃない。7時も過ぎればないに等しい。なんで、持ち主さんは要ると思って飾ったんだろう。せいぜい、あぁ、いいなと運転の窓越しに見られるだけだろうに。
要る、要らないってどうやって区切ろうかね。「雨」を同時に見上げても、Aさんには慈雨、でもBさんにはうっとおしい。聖戦とテロ。私にとって、特定の集団にとって…。相対的にみて局所的に説明するからだ、という師がおる。もと(神=自然)は一つしかないのに、らしいのだが、そこまで達観できるもんじゃない。だから、偉大さはそんなところにあるだろう。
今日の一枚:数日前にクレーンで木に何かを架けていた。何だろうと思っていたら、LED。クリスマスが見えてきた。秋は終わった。18時過ぎ、車を止めてパチリ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます