先週の「継承する」ことについてのまとめの続きになる。それは、別な言い方をすれば、地球号の持続可能性と取り組みたい。『将来』へ小さな小さな手伝いを、出来たら、したいということ。将来とか未来とか、物事を考える際のキーワードであったりする。だから、そんな目でニュースを見たり読んだりしていると、衝撃ばかり。この“目”がおかしいのか、はたまた、実際何か始まってしまっているんだろうか。最近で頭から消えないものを…
- 今朝のNHKニュースで、あのISの事件の後、日本で生まれ育ち生活しているイスラム教の子供たちが小学校で嫌がらせを受けることがあると伝えていた。その中で、インタビューに答えて、女の子が他の国に行って勉強したい。男の子が友達から「きみはイスラム教だからもう遊ばない」と言われたと。殺害は最大の犯罪だが、子供たちにそんな雰囲気を作り出したのも最大の犯罪。ただ、これは国内の報道する側の倫理・伝え方もあるだろうし、親も子供らに説明すべきだろう。ISなどのテロリストたちが仮にイスラム教の人が多いところにいるからといって、彼らをイスラム教徒というべきではない。単に無関係な人を無分別に殺害する集団にしか過ぎない。こじれてしまう前に、イスラムとISをきちんと切り離すべき。子供たちは将来の日本を担う。
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「従来の苗木植え続ける傾向…無花粉スギに補助金」読売新聞 2015年02月15日 09時46分 『林野庁は2015年度から、国民の3割が悩んでいるとされる花粉症対策のための新しい補助金を出す。森林所有者が、花粉の多いスギの人工林を伐採し、花粉のない品種や花粉が少ない品種の苗木に植え替える場合、費用の一部を負担する』。この無花粉スギ、二通り作られ方がある。品種改良型と遺伝子組み換え型だ。なぜ助成金を出す? 開発や技術開発のコストを回収するために、将来の予測や影響を説明せず、普及しようとしていると見える。自分の山の「将来が不安になる」から、従来の苗木植え続ける傾向になるじゃないか。
二番目の話題だが、遺伝子組み換え型というのは、昨日のGMOと同じことにならなければいいと願ってしまう。「モンサント」を読み続けてると、これもまた衝撃ばかり。「もはや、カナダでは在来アブラナは消滅してしまった。GMOの生えてないところは、もはや見つからない」p368 それは花粉が飛散することでおきたこと。メキシコのトウモロコシの原種でも同じような花粉による遺伝子汚染があるとか…。花粉となると、その拡散距離は半端ないし、一旦交雑しはじめたら、到底人間の手で止めようがない。スギ花粉が何と交雑するか見当もつかないが、どんな結果になるだろう。スギの雄花を食べてきた鳥達はどうなるんだろう、本能的に食べない? それでまた山が荒れる?
まったく、ポジティブな連鎖が浮かばない…。
ここ数日で一気に日の出時刻が速まっている。一日2分くらいのペースと言ったら大げさかもしれない。そのせいか、散歩時の風景もどんどん変わっていく。歩き出す5時半頃にはすでに夜が明け始める。特に今朝は、川霧が昇るというおまけがあった。で、それがどうもJRの架線に着氷、貨物列車や通勤電車が通るたびにバチンと青白くスパークしていく。さらに、その川霧は畑、道、土手に低くたなびき、幻想感を強め…。まるで夢見心地の世界、だった。もしかしたら、昨日の焼酎が残って酔っぱらっていた? もし、夢や酔っていたのなら、醒めないでほしかった…。いやいや!! 「将来」「未来」のため、現実から目を離すまいぞ。
今日の一枚:遊水池の畔にたたずむ一本の木、綺麗な形がいい。大好きな木のうちの一つ。6時頃。