こんなことが分からなかったりする。去年の夏に収穫したタカノツメを冷凍していた。さすがに冷凍したままで四国に持っていけないので、ちょっと加工してやろうとコトコトと輪切りに。結構な本数がある。先の長さに、どうやれば手間が減らせるかと、切り始めていきなり考え出した。ここに赤いのを一本置いた。その右から切り始めるのがいいか、左からヘタを落としてから始めるのがいいか。
どうでもいいじゃないかと、思われるかもしれない。しかし、永遠同じ動作を繰り返すとき、少しでも工夫をしたくなる。どこから始めてどう進めるか。どこに何を置くか、などなど意外なことで楽になる。この工夫をするということ、サラリーマン時代、日曜日小川町に通っていたときに身につけた。畝の長さも半端ないし、道具もすぐわきに置いてあるわけじゃない。作業に出かける前、必要な道具・資材、手順を想定し、いかに無駄な時間をかけないかということを考える。現場に出て、考えたこと研修生たちがやることを比べるて、なるほどと納得。なんども、足りなかったり、効率的でなかったりしたもんだ。
四国での生活が始まるのも、あと2週間後となった。先日仲間が送別会を開いてくれた。みんなでワイワイする機会の減るのがさびしいが、先に行って待っているという楽しみが増えた。その時、彼らから激励として土の酸性度と湿度を測る道具を頂いた。道具は、工夫だけでは出来ないところを補ってくれる。うれしい、感謝、感謝。
ちなみに、この日久しぶりに街に出たもんだから、本屋へ。「モンサント‐世界の農業を支配する遺伝子組み換え企業」マリー=モニク・ロバン著 を購入。タスマニアの両親から何度も同じような内容を聞いたことがあるし、映像で似たようなものを見たこともある。ただ、文章を通すことで、よりその恐ろしさをヒシヒシと感じている。これから親になるだろう、親である、あるいは食・農にかかわる人は必読、じゃないだろうか。
切りだし始めたとき、ヘタを落とし、ヘタに近いところから、輪切りにしていた。これがどうも、うまくない。最初にヘタを流しに捨てたり、先端の細いところになると薄くしたいのに指が太く押さえきれない。実に、フラストレーションを感じる、効率的でない。ん? そう、ヘタを押さえて細い方から始めればいい! そうすれば、切り終わるまで押さえるところがあって、ヘタぎりぎりまで切っていって、後は捨てるだけ。たった、これだけのことで作業がスムーズに運ぶ。気持ちも楽になり、あっという間に切り上げることができた。タッパーに入れ、醤油漬けにしたのでした。学ぶ場所は現場ってこと。事件は現場で起きてるんだ!ってセリフがあったね、むかし。
今日の一枚:太陽が顔を出した。6時半頃、JRの跨線橋を渡りまもなく。
≪東風を待つ 草木の姿 朱に染めて≫